7:休日

「すみません、佐久間さん。このようなことを殿方にさせてしまって…」
「気にしなくていい、女性に持たせたままの方が不自然だ」

申し訳なさそうな顔をする千歳の手には衣服。そして佐久間の両手には食料品。
本来なら全て千歳が持って帰る手はずだったものだ。


東京の下町。D機関の入る大東亞文化協曾からは少し離れた場所。食材の買い出しに出ていた千歳を佐久間が見かけたのはたまたまだった。参謀本部からの帰り、昔馴染みに会うついでに寄った場所で、野菜を選ぶ彼女を見つけた。
声をかければ少し驚いた様子で「佐久間さん」と彼の名を口にする。軍人である佐久間に、さん付けをしたのは、今の佐久間の格好が背広姿だからだろう。

「買い出しか?」
「はい、何にしようか迷ってしまって。佐久間さんはお好きなものとかありますか?」
「好きなもの、か。好き嫌いは子どもの頃から直されてきたからな」
「それは良いご家族ですね。なら安いものにしましょうか」
「なんだい兄ちゃん。嬢ちゃんのコレかい?」

新鮮な野菜を前にそんな会話をしていたら八百屋の店主は気のいい声で指を立てた。その意味を理解した佐久間は、思わず顔を赤らめる。

「違いますっ!」
「ヘェ〜、にしては仲睦まじいじゃねぇか」

妬けるねぇ、とケタケタ笑う店主に千歳は困り顔で苦言を呈した。

「仕事先の方ですよ。あまりからかわないで下さい」
「なんでぇ、嬢ちゃんが独り身っつーからてっきりそうだと思ったよ」
「お父さん、それ以上は怒りますよ?」

眉尻をあげ、抗議の視線を送れば「へいへい」と店主はアッサリと引き、千歳が選んだ野菜の会計を手早く済ませた。「まいどあり」と笑う店主に「またお願いします」と千歳は笑いかけ佐久間と共にその場を後にする。
その場からある程度離れてから、佐久間は千歳に話しかけた。

「あそこへはよく行くのか?」

先ほどの店主との会話は、顔なじみのそれだった。
そういう佐久間に、えぇ、と彼女は頷く。

「何回か顔を使い分けて行ってますけど」

さらりと当たり前のようにそう返す彼女に、佐久間は彼女も彼らと同じ部類だったということを再認識させられた。
顔を使い分けていくのは向こうに顔を覚えさせないためだろう。彼女曰く、洋装から和装に、メガネをつけたり、髪を結んだり流しておくだけでも印象は変わるものだということ。

「行く場所を変えたほうがいいんじゃないのか?」
「費用対効果の問題です。適度な距離ですし、あの店主にとって若い女性はみんな一緒ですから。大した変装もしてないですし、多少まけてくれるんです」

便利なんですよ、と微笑む彼女を佐久間は見る。体の前にある袋には衣服がその両手の袋には食料だろうか。

「両手のものを持とう」

手を差し出した佐久間に千歳は遠慮する。自分の仕事なので気にするなと。
しかし、頑なに拒む彼女から佐久間は半ば強引に両手の袋を奪った。

「女に持たせるなど男が廃る」

そう言い放ち、行くぞ、と歩き出す佐久間を千歳は慌てて追いかけた。


季節は春真っ盛り。東京の街中は下町とは違う活気に包まれていた。佐久間たちは静かな川沿いの桜並木を見ながら歩きまっすぐ帰路につく。
着物姿の千歳に合わせて佐久間は歩幅を狭くしている。言葉には出さないそんな佐久間の気遣いに千歳は温かい気持ちを覚えた。

(本当に優しい人)

千歳が佐久間に初めて抱いた印象は、軍人すぎる人、だった。昨今の陸軍のお偉い方々は自己保身に必死だ。自らの出世、地位を確保しようとあちらこちらに媚を売り足を引っ張り合う様は、見ていて面白くないし実にくだらない。
そんな1人、参謀本部の武藤大佐から出向という形で来る人物はどんなものだろうと思えば、正反対の実直な青年だったのだ。

軍人すぎるがゆえ、士官学校で叩き込まれた思想、イデオロギーを悲しいくらいに盲信していたところを三好などに馬鹿にされ笑われていたが、千歳はそれを笑う気にはなれなかった。

(これが今のこの国)

ゾッとする。どんなに心根が優しい人でも歪んでいくこの構造。
それでも佐久間はここで過ごすうちに少しずつだが、違うものが見えてきている。それはとても喜ばしいことだと千歳は感じていた。

強い風が吹き、桜が散る。
地面には桜の花びらが多く散っていた。見ごろはあと2日ほどと言ったところだ。

「千歳」

前を歩いていた佐久間が不意に千歳に呼びかけた。「なんでしょうか」と彼女も返す。
佐久間は立ち止まり、千歳に向き直った。そして、彼女の目を真っ直ぐ見て口にした。

「君は、あいつらのことをどう思ってるんだ」

佐久間の問いに、千歳は目を瞬かせる。そして「どう思ってる、ですか…」と問いに対する答えを探すように独りごちた。

「ハッキリ言って俺にとってあいつらは人間離れした化け物だ。能力だけの意味じゃない、その精神構造がな」

佐久間は肩をすくめて、「俺には到底真似できないし、したくもないが」と苦笑する。

「君はあいつらと同じことが出来るが、あいつらの持つ恐ろしいまでの自負心がない。自分自身が絶対ではない君にとって、あいつらはどんな存在なのかと思ってな」

同じようで決定的に違う。彼らと千歳では根本的な考え方が違っている。相反する彼女から見た彼らはどのような存在なのだろうと。

(どんな存在)

佐久間の問いに、千歳はある出来事を思い出した。


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7:休日


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