1.見合いは計画的に
――今日はそういえば大安だったっけ?


待ち行く人々の姿を見て千歳はふと本日のカレンダーを脳裏に思い浮かべた。確かにそうだ、今日は大安だ。暦の上では万事何事もうまくいく日。
だからこんなに着飾った若者が多いのかと、華やかな若さを尻目に帰路に就く。世間一般から見れば自分も若い部類だろうが、そんな自覚は千歳にはない。
都内の大学を卒業後に技術職で雇われた会社で千歳は、所謂バリキャリとして働いていた。仕事は好きだ、結果を出せば報酬が得られる。至極シンプルで分かりやすくそこに感情が挟まる余地はない。正確かつ迅速な仕事運びに上司からも先輩からも一目置かれていることに一定の自負があった。
だからこそ、と千歳は手にしていたスマートフォンの画面を苦々し気に見つめた。


『ちゃんと帰ってきなさい』


「大安どころか、仏滅じゃない」

結婚式の二次会帰りの若々しい男女の間を通り抜け、帰路についていた足を少し伸ばした。


「あの彼氏も旦那もいらないって言っていた千歳さんがお見合いね」

会社の社内食堂は昼時、大勢の社員で溢れかえる。ランチメニューが豊富且つ値段の安さが主な理由だ。日替わりメニューは絶品で、ワンコインで5種類の中から選べる品揃え。
山菜定食についていた茄子の天ぷらを口に運んだ千歳に、目の前の先輩はニヤリと笑みを見せた。

「親に土下座されたら断れないじゃないですか」
「土下座されようと生き方を曲げないのが千歳さんだと思っていたけれど?」
「別に結婚するわけじゃないですし、それに仕事に差し支えなければどうでもいいですから」

逆に雪乃さんはどうなんですか、とちらりと視線を遣れば覇気のない返事が返ってくる。

「何もないわよ。出会いもなければ別れもない。平凡そのもの」
「佐久間課長とも?」
「ちょ、会社でその名前出さないの!」

意趣返しのつもりで出した名前が思いのほか効果的だったようで、わずかに狼狽した雪乃を拝めたことに千歳はにこりと爽やかな笑みを投げかけた。ぐっと言葉を詰まらせた雪乃はその笑みを見てひとつ深いため息を吐く。
可愛らしい人だと千歳はその様子を見て目を細めた。

女子というのはこういうことなのだろう。企画課で手腕を発揮する雪乃というこの女性も、以前婚約していたという佐久間課長のことになると様子が一変する。例え、普段は一社員として彼と接していても婚約していた時のことを話す際のその表情はやはり、想い人、に対するそれなのだ。

千歳も大学時代に恋人がいた時期もあったが、雪乃のこの反応とは明らかに異なる。
いつだって自分はこうやって終わっていたのだ。

『お前、俺の事本当に好きなの?』


「まぁ、頑張りなさい。結果がどうなっても会うことにも意味はあるんだから」

苦い思い出に眉間にしわが寄っていたのか雪乃の細長い指がピンと額に当たった。柔らかな微笑を携える彼女はやはり自分より年上のお姉さんなのだと、どこか悔しい思いが胸を掠めた。


見合いというのは、親や仲介者が同伴するものだと千歳は考えていたがどうやらそれは違うらしい。指定されたのは都内でも有数の夜景が楽しめるフレンチレストラン。見合い相手と二人きりで食事を楽しめとの指令だった。
最初から二人なんて聞いていないと抗議したが、子供じゃないんだからと一蹴され加えてとどめの一言。

『貴方名前すら聞いてこなかったじゃない』

それもそうだと、ぐうの音も出ない正論に閉口したのが1時間前。
パンツにカーデガンといういつものスタイルから、ワインレッドのワンピースに着替えて慣れないヒールを履く。場所までの所要時間は1時間かかるかかからないかというギリギリのスケジュールに、普段は余裕をもって生活をしている自分がいかにこの見合いに乗り気じゃないかを悟り、苦笑した。
見合い相手の顔も会社も分かっていない。ただ名字だけは聞き、地下鉄を乗り継いで千歳はやってきた。

地上30階のガラス張りの空間には、質の良いスーツを身に纏った男性やブランドのバッグを身に着けた女性がゴロゴロいた。普段なら何があっても来ない場所だ。よくもまぁこんな洒落た場所を指定してくれたと、まだ見ぬ見合い相手に心の中で毒づいた。

腕時計の針は約束の時間の5分前。大丈夫間に合った、そう安堵の息を漏らした。


「……お前…」


肩をなでおろしたその時、聞きなれた声が耳に入った。
視線の先には上品な革靴。次いで仕立てられたタイトスーツにネクタイ、最後に入ってきたのは、

「……波多野さん?」

同じ会社のエリート営業マンとして名高い先輩社員だった。


「見合い相手って波多野さんだったんですね」
「何で気づかなかったんだよ。会社も名前も全部出してたはずだろ」
「すみません、苗字しか聞いてなくて。会社名も名前も顔も何も見ずに来たんです」
「やる気のなさが溢れてるな」

すみません、と再度謝罪を口にすれば、別にいい、と言葉通りさほど関心がないのか千歳の先輩社員、波多野は料理を口に運んだ。

技術職の千歳と違い波多野は営業部のエリート社員だ。同じ営業部には甘利というこれまた美形長身のエリートがいるが、波多野は平均身長の童顔タイプ。30代の女性社員から、弟みたい、と可愛がられているが実際のところは大家族の長男ならしい。
千歳のいる技術系の部署には、彼と同じプロジェクトを担当している小田切と福本がいる。以前、3人で担当していたプロジェクトの打ち合わせをしていた際に千歳は何度か波多野と出会っていた。

「あの、波多野さんはどうして」

同じ苗字、同じ会社というのは千歳も同じことで、思った疑問を口にする。
キリ、とナイフで肉を割く音が止まり波多野の視線が千歳に向けられた。

「同じだよ」
「え」
「親が持ってきた。会うだけだっつーから、苗字だけ聞いて写真も何も見ずに来たらお前がいたわけ」

似たもん同士だな、と彼特有の皮肉めいた笑みが向けられ千歳は思わず噴き出した。

「ふふ、本当ですね。お互い何も見ずに来るなんて」

ほんとだよ、と弧を描いた口に料理を運ぶ波多野に続き千歳も手を進めていく。

千歳が見てきた波多野という人物は、小生意気な口調で話を広げながらも相手に不快感を抱かせず、逆に弟気質と思われるその容姿とは裏腹に実に男らしい性格だった。彼が長男だということを小耳に挟み納得したが、後輩への面倒見もよく先輩社員へのフォローすらこなしている。
現在波多野と3企業共同プロジェクトを手掛けているメンバーは揃って社のエース級の人材だ。営業部の波多野、甘利。経理、会計担当の田崎、神永。外部との折衝担当の実井、三好。技術班から小田切、福本。そして内部企画が雪乃、まとめ役が課長である佐久間だった。
佐久間課長と雪乃以外は、全員性格が十人十色で見事に違うにもかかわらず揃いもそろってプライドが青天井という曲者たち。
例に漏れず波多野もプライドは人一倍あるが、それに見合う成果も上げてきている。

共に仕事が出来たら面白いのだろうが、心労は絶えなさそうだと日々胃薬を手放せない佐久間課長を想い千歳は内心苦笑した。

「お前さ」

洋酒入りのゼリーに手を付けていた波多野が、徐に口を開いた。

「結婚したいの?」

結婚、という言葉に、この場の本来の意味を認識させられ千歳は口ごもった。

「……あまり、考えていなくて」

カタンとスプーンを置く。そういえば、そうだと改めて波多野に視線を合わせた。

「仕事が好きなんです。毎日が楽しくてやりがいがあって、出来るところまで頑張りたいから先のこと考えてなかったんですけど、そうですよね。きちんと向き合わないといけない年齢ではあるんです」

周りの同年代は早々に結婚した。今でも働いている友人も沢山いる。結婚が全てではなく、仕事が全てでもない、どちらも充実している人間を千歳は見てきた。
ただ、自分には縁ないものと切り捨ててきた。


『お前、俺の事本当に好きなの?』


いつだって、自分は自分の事しか見えていない。

「いつか、とは思っていますよ」

そのいつかが来るかは分からない。その言葉をワインと一緒に飲み込んだ千歳に波多野は、ふぅん、と呟いた。


「すみません、お支払いして頂いて」
「後輩のしかも女に奢られるとかありえないだろ」
「でもこれは、」
「あの場で俺が払わなかったらどんなけ器の小さい男だっつーの」

いいから貰っとけと、波多野の掌が頭に乗せられ千歳はそれ以上言葉を紡げなかった。

肌を撫ぜる風が心地よい季節だ。通りには人が溢れ、この季節と同じような頭の人々が肩を抱き、腕を組みながら歩く姿がちらほらと見られた。
嗚呼、自分もああやって腕を絡めたら良かったのか。記憶の彼方に行ってしまった元恋人に合掌した千歳に、波多野が声をかけた。

「家、どこ?」
「え、とここから1時間くらいです」
「送る」
「へ?」
「こんな時間に一人で帰らせれないだろ」
「いや、いいです!仕事遅いときは終電ギリギリとかになりますし」
「は?お前真夜中に一人で帰ってんの?」
「ここじゃ普通じゃないですか…昔からそうですよ」

女子の一人歩きなどこの会社、いや都心では普通のことだ。そして、危ないから早く帰りな?そんな優しい言葉など千歳には必要なかった。それは、か弱い女性にかけられるべき言葉だ。
もの言いたげな波多野に眉尻を下げ、千歳は深々と頭を下げた。

「親の進めとはいえ、お付き合いいただいて、ご馳走までしていただいてありがとうございました。もう大丈夫です」

見合い相手としての関係はこれで終了だ。ここからは、会社の先輩と後輩という上下関係のある間柄として顔を合わせていくことになる。ただのいち後輩として接していくのだ。

「たぶん最初で最後のお見合いになりましたけど、楽しかったです」

本当にありがとうございました。そう口にして踵を返そうとした千歳の腕が唐突に掴まれた。掴んだ相手を振り返れば眉間に寄った皺が目に入り思わず身震いする。

「波…多野さん?」
「勝手に帰ろうとすんな。あと、誰が今回限りだって?」
「……え?」

目を丸くする千歳に波多野はあの小生意気な笑みをひとつ作る。

「俺だって親に泣かれてここまで来たんだよ。一回限りの見合いなんかじゃまた泣かれて次を用意される可能性がある」

お前もそうじゃないのか、と促され眉を顰めて千歳は俯いた。
最初で最後の見合い、そう思っているのは自分だけで周りはそれを許してくれはしないだろう。逆に、この先年を重ねるにつれてその要望は強く逃れられないものになりかねない。

――分かっている、けれど

ちらりと波多野に向けた視線が彼と交錯する。


「なら、もう少しこのままやってみねぇ?」


――恋人ごっこ。


そう笑んだ彼の相貌はたいそう朗らかで澄んでいて、ドクンと心臓が跳ねたのを自分でも感じた。何て綺麗に笑う人なのだろうと目を奪われる。
同時に、彼が提案した内容に、でも、と声を上げた。

「いいんですか、その…迷惑ではないんですか?」
「何が?」
「何がって…」
「真剣に考えるなよ。お互い無理が来るなら止める、来ないなら続ける。親への目くらましには丁度いいだろ?」
「まぁ、そうですけど…」
「なら決まりだ」

何がだと問い返したくなった千歳の手を掴み波多野が歩き出したため、紡ぎかけた言葉が喉奥へ引っ込む。代わりに、波多野の彼に似つかわしくない声音が響いた。

「『恋人』を一人で帰らせるわけには行かないだろ?」

何故、この人に本物の恋人がいないのだろうか。
そんな疑問を抱えながらしかし手に伝わる温かな感触にほだされている自分を感じ、千歳は頭を抱えた。


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見合いは計画的に