「いつ知り合ったんですか」
前を歩く三好がピリリとした声色を出した。あの時代からいつも纏っていた飄々とした、他人を小馬鹿にする素振りが鳴りを潜め、らしくない彼の一面が出ている。
え、とその声色に間の抜けた声が出た。千歳の視線の先には、眉根を寄せた彼の相貌があった。
「彼と、いつ会っていたんですか?」
解せない。表情から読み取れるのは、己の知り得る情報外の事実への疑問だ。あり得ない、とでも言いたいのか。
「話していた通りですよ。以前仕事でお話ししたことがあるだけです」
平然として千歳は答える。間違ってはいない。ただその、以前、がたいそう昔なだけだ。その時代のことを言ったところで彼は首を捻るだけだろう。更に言えば、無闇に思い出したくもない記憶だ。
淡白な千歳の態度に三好は尚怪訝そうに眼を細めた。
「貴女がウチに来る前に貴女と彼の経歴は洗ってありますし、交友関係も把握済みです。あなた方に接点などないのに、久しぶり、とはどういうことかと」
「三好さんの知らない私がいるということですよ。何もこだわらなくてもいいことです」
「こだわってなどいません。しかし、解せない」
「何がです」
「僕が調べて出てこなかった事実があるということが、ですよ」
「随分な自信ですね。自分はすべてを分かっていると?」
嘲笑を含めてやれば、三好の端整な顔が歪んだ。どす黒い感情が胸の内に溜まって行く。
知らないくせに、覚えていないくせに。何もかも知っている体で千歳を見定めるその態度は実に馬鹿げていた。
千歳の知る過去の事実は、彼がどれだけの矜持を持ってしても決して手に入れることのできない幻だ。
そう思えば次いで出てきたのも矢張り突き放す一言だった。
「下らないですね」
あの時と同じではない。追憶の彼方で生きていた自分達を知らないなら、全てを分かることなど出来やしない。
「それが今、必要ですか?」
とんと、三好の前に千歳は立つ。
真っ直ぐ見据えた先の彼が一瞬たじろいだ。
「私達が今から調べる事柄に、私と彼の関係についての情報が必要ですか?」
ありませんよね、と吐き捨てる。
「瑣末ごとに囚われないで仕事をして下さい」
一気にそう言い放てば、何か言いたげに彼の口が開かれた。その双眸を見据える己の視線に苛立ちが募る。囚われるなと戒めの言葉が頭に過ぎった。
開かれた彼の口が閉じられる。時間にして僅かの沈黙。
その瞳が微かに揺れた。
ひとつ、三好は瞬きをすると千歳の横をするりと抜けた。
「……行きましょう」
何事もなかったかのように、いつもの声色を響かせる。捉えどころのないその後姿を千歳見つめた。
(何を迷ったんだろう)
逡巡した瞳、言葉を紡ぐ前に噤んでしまった口。千歳の見据える視線に応戦しながらも拳を下ろしたその行動に僅かながらの違和感を千歳は覚えた。
ーーー
皮肉めいた物言いと嘲笑。見据える瞳は自分より一段下にある。
小柄な体躯に漂うのは深い苛立ちだった。千崎千歳はその表層を隠すこともせず三好の前にいた。
蒲生次郎と彼女の繋がりが解せずに問い質した三好に千歳は冷然とした面持ちで応対した。冷ややかな声色と瞳に三好も片眉を上げた。
普段の自分ならば、決して言われたまま終わりはしない。己の頭脳を以って、相手に的確にダメージを与える一言を返してやることなど造作もないことだ。
しかし、三好はできなかった。
羽田空港を飛び立った国内線旅客機は西へ向かう。蒲生次郎に依頼した地方議員の動向とは別に、首長の身辺調査をするためだ。
平日の昼間にこの路線を使うのはビジネスマンが殆どで、且つ国内随一の過疎地へと向かう便の利用者となれば恐ろしいほど疎らである。
窓際から薄雲の這う空をぼうと見つめながら先だっての彼女との出来事を思い返し、ふと隣へと視線を向ける。
(よく寝ている)
スゥスゥと寝息を立てているのは、その彼女だ。
昨日は、件の議員が議会入りを果たした年からの議会での予算書や議事録などを議会のデータベースから引っ張り出して遅くまで漁っていたらしい。
機内で寝ることはできる。そう言った彼女はその通り、無防備な寝顔を晒していた。
あまりのその無防備さは、先日三好に鋭い視線を向けた人物と同一ではないのではないかと錯覚させる。
あの時、三好は彼女に言い返すことができなかった。頭を巡らせれば幾らでも言葉はあったはずだ。しかし、それが憚られた。
理由としては何とも曖昧なものだ。三好は彼女の相貌に想いを馳せた。
淡々と紡ぐ言の葉に見えた苛立ち、冷然としながらその姿はーー
(侘しさか…)
何処か哀切の色が秘められているような、そんな相貌がひどく目に焼き付いた。意識的なのか無意識なのか分からないその表層に三好は応戦する言葉を紡げなかった。
掛けるべき言葉が分からなかった。
三好はそっと寝息を立てる彼女に手を伸ばす。さらりと髪を掬い、梳いても彼女は微動だにしない。
「何なんですか、貴女は」
秘めたる彼女の中の想いに触れてみたかった。
ーーー
すれ違いの今