夢を見た。それは千歳にとっては夢であり、『千歳』にとってのリアルだった。
大東亜文化協曾は街中にしては星空が映えた。時代の最先端を行く都市、東京といえどあの当時はネオンに輝く街並みはごく一部に限られている。屋上に上がれば夜風に当たりながらの天体観測を楽しむことができた。
千歳の目に広がるのは見事な天の川だった。夏の夜空にひしめく星々が連なり、広大な河を作り出す。煌めく世界が空を埋め尽くしていた。
その空の下、『千歳』の前に佇む彼は『千歳』に背を向け空を見上げる。窺い知れないその相貌はどんな色を帯びているのだろう。千歳はじぃと見つめた。
『千歳』が見つめる。千歳が見つめる。
見つめた先の彼が振り向いた。はた、と千歳は息を呑む。
見える筈の顔には何もない、何も見えない。黒く塗りつぶされた相貌からは如何なる感情も読み取ることはできなかった。真っ黒な孤独を歩む彼らに塗りたくられた闇。
ただ唯一、刹那に見えたのは、仄かに笑んだ口元だった。
『 』
その声は聞こえない。
目を開けた時に千歳は己の失態に軽く舌打ちをした。随分と深く寝入ってしまっていた。浅い睡眠で不足した睡眠時間を補おうとしていたが、存外深淵に進んでしまっていたと反省する。
千歳が起きた時に感じたのは些かの違和感だ。
隣にいる彼に目を向ければ目を丸くする姿が見られた。
(本当に綺麗な人)
まじまじと秀麗な相貌を拝めるのは、当の本人が眠りに落ちているからだ。スゥスゥ、と規則正しい寝息を立てながら寝入る姿に暫し千歳は魅入ってしまった。
男にしては赤すぎる唇、長い睫毛、淡麗な顔立ちと憂いを含んだ顔色。彫刻的なその造形美に息を飲まずにはいられないほど、やはり三好という男は鮮烈な印象を他者に与える。
あまりにも美しい。そして儚い。
『千歳さん』
それは、ワインレッドのスーツを身に纏った方の彼と同じ儚さだった。
「……無防備ですよ、らしくない」
吐露した言葉に乗せたのは、彼方の記憶と重なった彼への思いでもあるのか。
らしくないのは何方だと、千歳は瞼を伏せて自嘲した。
ーーー
1日の就航数、僅か数便。国際線は常時運航ではなく、国内線すら都市圏を結ぶ路線のみ。空港を出て広がっていたのは、ありふれた住宅街だった。流石に空港のある市なだけはあり一歩踏み出せば田園風景、ということはなかったものの、車通り人通りは東京のそれとは雲泥の差だ。ちらりほらりどころか、居るのはビジネス客と空港職員という有様。
勿論地下鉄なんてものはない、近場に鉄道もなければ市電もない。
「陸の孤島…」
思わず口から出た言葉だった。昼間の飛行機に乗っていたのは10人足らずの会社員。その全員が送迎車やタクシーに乗り込んでいる。
「移動手段はタクシーかバスか……あぁ、レンタカーでも借りますか」
「そうですね。時間に縛られない方がいいですから、レンタカーにしますか」
バス路線の時刻表を見ながら思案していた三好の提案を、千歳は二つ返事で了承した。田舎のバス路線、加えて首長の出身はその中でも郡部に位置するため、時刻表を見れば一、二時間に一本という驚異的なスケジュールだった。
幸い、空港の受付でレンタカーの予約はできた。タクシーを呼びつけるよりも格段にスムーズな動きが可能だ。
空港に隣接する民間のレンタカー会社へと足を運ぶ。利用する客など殆んどいないのか、満面の笑みを浮かべた担当者は弾む様子で2人を案内した。
さて、車種はどうしよう、と考えた己の思考に千歳は首を振る。そうだ、隣にいるのはあの三好なのだ。
彼を一瞥すれば、彼は千歳に見向きもせずに手近なコンパクトカーを選んでいた。彼女の意向など聞く気などは欠片もなさそうだが、初めから千歳も拘りなどはないため手続きを静観する。
「行きますよ」
キャリーケースを積み、運転席へと足を運んだ千歳の腕を三好が引き、とんと後ろへ押された。ひとつ瞬いた千歳に三好は呆れ顔で息を吐いた。
「女性に運転させるなんて不自然でしょう」
入庁歴が上の三好に運転させる方が不自然に感じるのは職業病か。
早く乗って下さい、と背越しに急かされ千歳は慌てて助手席に乗り込んだ。
車窓から見える景色が移り変わっていく。市街地を十数分抜けただけで広がる田園地帯、山間の農村部を車は道なりに進む。谷間に吹く風は時折疾風となるが、晴天に恵まれた穏やかな日和だった。
首長の出身地は古くは城下町として栄えたという。城跡が残されたお堀端に隣接する市営駐車場に三好は車を停めた。
「見事なほどの田舎ですね」
三好がぽつりとそう口を漏らした。
深緑が湖面に反射して煌めいている。平日の昼下がりは町民は仕事に出ているのか、人っ子一人見当たらない。
ザザアと葉が擦れ、頬を撫ぜる風に心地よさを感じ、千歳は目を細めた。
「田舎ですけど、落ち着きます」
だからこそ、思考の海に沈むことが出来る。
千歳が調べたこの町、即ち町を含む市の予算書で見受けられた福祉関連の予算案。件の議員が提言し、提言通りの予算が提案、計上。来年度中のオープンを目標とした事業計画が提出される予定とのことだった。
これに首長が絡んでいるかの確証はまだない。蒲生の言う通り、キナ臭い、というだけで確定的情報はまだ出ておらず、今回の調査では情報の穴を出来る限り埋めることが急務とされた。
「それで、貴女はどう動くつもりですか」
ニヒルに笑んだ三好が視線を千歳に這わせる。品定めする相貌に表情ひとつ変えずに千歳は答えた。
「兎にも角にも、聞き込みが第一でしょう」
「何を目的として聞いていくんですか」
「為政者が悪事を働く場合、本人は基本的に動きません。そんな足がすぐつくようなリスクは犯さない。だからこそ、彼の周りを探る必要があります」
「仕事を肩代わりしている、彼の周りの人間を探し出す、ということですね」
「そういうことです」
千歳の答えに、三好は満足気に頷いた。なるほど、とひとりごちた彼はふと視線を落とした。
「三好さん…?……え、わ!」
怪訝な声色を出した千歳は素っ頓狂な声を上げた。
「あの…っ」
「恋人として来ているのですから、これくらい普通でしょう」
何処か戯けた調子の彼は、唐突に千歳の手と己のそれを重ね合わせて歩き出したのだ。
まるで、側から見れば仲睦まじい夫婦、恋人のそれは千歳にとっては厄介以外の何物でもなくて。
男女2人の旅行者など、そのカバーが適当だと理解しつつ三好の行動に声を上擦らせた千歳のことなど気にも留めずに、彼は至極満足気に足を進めていった。
ーーー
歩き出す