12.光の休息
「まぁまぁ、東京から移住希望で?」
「ええ、そうなんです。だから色々と物件を見たりしたいと思って来たんですよ」
「遠くなのに大変ねぇ。こんな田舎町に」
「いえいえ」

ごゆっくり、と朗らかな笑みを浮かべた仲居は静かに襖を閉じた。
移住希望者向けに、割引サービスを行っている地方旅館は多数ある。視察のための旅費、宿泊費を、一部、若しくは全額負担することで気軽に移住地へ足を運んでもらう目的だが。

(悪用されることもあるのにね)

実際、その効果が如何程のものなのか、行政側が把握することは難しい。

時刻は夜の7時。1日がかりで町を歩き、物件を探すふりをしながら千歳と三好は首長に関連する聞き込みを行なった。
福祉政策を重点目標と掲げる首長は、高齢者向けの支援センターを市の各所に建設する計画を掲げて来た。加えて彼が行なっていたのは、子育て支援政策。
若い夫婦が、田舎暮らしに憧れ、且つ手厚い支援を受けられる自治体を探すというのは、この数年見受けられる移住傾向だ。

千歳たちは、受けられる行政サービスの種類を聞きながらさりげなく首長本人についての話を織り交ぜ、情報を集めていった。

「父親が土建屋。その父親が早くにして施設に世話になることとなり、福祉政策の重要性を掲げて6年前に立候補。当時の市長を僅差で破って当選」
「地元民には評判が良いですね。町に支援センターを建設してくれたと」
「6年前の当選では、地元票に加えて祖父母の代からの土建関係の票が流れたんでしょう。地盤は元市長の方があったようですが」
「田舎の土建屋は強いですからね。民間にも行政にも」

公共事業に多く絡む土建屋。社会運営上常に必要な分野であるが故に、決して干されることのない職種だ。官民問わず何かしらの仕事はある。

「それにしても、凄まじい勢いですね」

三好は手にしていた資料を無造作に畳に投げた。呆れ混じりの声音は今日1日の出来事を如実に表している。

「若い夫婦というのがこうも手放しに喜ばれるものとは」
「それだけ人口減少に危機感を抱いているということでしょう」
「国全体の出生率が下がっているんですよ。全体として人口が減少するのは仕方ないことでしょう」
「減少以上に流出をどうにかしたいんですよ。人がいなければ増えることもありませんから」

畳に散らばった資料に視線を落とせば、田舎暮らし、の文字が散見される。
千歳と三好が行く先々で半ば強引に押し付けられた資料には、田舎暮らしのメリット、受けられる行政サービス、移住者の声が所狭しと載せられていた。

「若い男女というのは子どもが生まれる可能性がありますから、それだけ必死にもなるんでしょう」

どうぞ、と淹れた緑茶を差し出せば三好が手を付ける。

「子ども、ね」

ちらりと寄越された視線に千歳は眉根を寄せた。何ですか、と怪訝な色を表せば、肩を竦めた彼は何も答えはしなかった。

若い恋人同士というカバーのため、千歳と三好はひとつ屋根の下、同じ部屋で数日ほど寝食を共にする。
間違えなど万が一にも起きはしないが、四六時中この端麗な顔を拝むというのは幸なのか不幸なのか判断しかねると無意味な思考に千歳は首を振る。

(どうだっていい)

感傷に浸っては仕事になりはしない。

気を取り直すために、荷物の中から小型のノートパソコンを取り出す。現在得られた情報をまとめようと千歳はキーボードに指を走らせた。やけに大きく聞こえる音が雑念を遮断してくれる気がして、必要以上にカタカタと叩いていく。
首長の経歴、市の政策、リストに記載されていた人物達。点と点を繋ぎ合わせていけば自ずと事件の真相は浮かび上がる。
真相を探るその作業は今も昔も変わらない。ひとつひとつ、繋がりのある可能性を結び、時には利用しながら任務を遂行していく。

「精が出ることですね」

無心に打ち込む千歳に投げかけられたのは深いため息で、しかし三好の嘆息に千歳は答えない。
無言の応答に三好もまたそれ以上の言を発することはなく、代わりに千歳の視界の端にパサリと布が落とされた。
意識の切れ端が布へと移り、次いで視線が移る。
その視線の先に、千歳は声を荒げた。

「……な、何をしているんですかっ」
「何って?見てわかりませんか」

せせら嗤った三好が千歳を見下ろす。

「此処は旅館でしょう。着替えるのは普通かと」

するりするりとこれ見よがしに布が落とされていく。あっという間に三好の肢体が露わとなった。
陶器のような肌は傷ひとつない。赤すぎる唇によく映えた肌は瑞々しくしかし雄々しい。女体のような妖艶さの中に併せ持つ猛々しさに千歳は思わず目を見張った。首筋から鎖骨、肩口、胸元、腰のライン、見ているこちらが悪いような後ろめたい気持ちにさせられる完璧な体躯に奪われた己の視線に、はっと我に帰る。

「いちいち目の前で脱がないで下さい」

そうだ、この男はただ状況を楽しんでいるだけだ。
あくまで平静を装い不満を露わにした千歳に三好はくつりと喉を鳴らした。

「意外と初心なんですか?」
「寝言は寝て言って下さい。見せる必要のないものを見せないでと言っているんです」
「見せても支障はないでしょう」
「気が散ります」
「こんなことで気が散るんですか、貴女は」

ああ言えばこう言う。
無意味な会話の応酬に辟易した千歳は短く舌打ちをすると乱雑にパソコンを閉じた。
収まらない苛立ちを落ち着けたかった。
千歳はひとつ息を吐くと、三好に一瞥もくれずに戸へと足を進める。

「どちらへ?」

掛けられた問いには振り向かずに答えた。

「散歩です」



標高の高い山々に囲まれた山村は良質な清水が至る所で湧き出ている。
ぼんぼりが照らす小道沿いに流れる小河を上流に辿れば、集落一の水質を誇る湧き水を見つけることができた。
とくとくと溢れ出る泉に千歳はそっと指を浸ける。季節は春終盤。湧き水ということもあり、しっとりとした冷たさが指先から伝わった。
雨蛙の求愛の声が行き交うだけの音の世界は、都会のそれとは違うまるで異世界だ。
人間の世界の喧騒とは違う、自然そのものの音。どれだけ耳を澄ませても聴こえるのは生き物たちの営みで、そこに人は介在しない。

茜色が差していた空に闇が訪れる。
千歳は、闇の訪問と同時に現れた来訪者に目を見張った。


「……綺麗」


ぽつりと溢れた声は闇に飲まれて消える。
泉の涌き出でる音、生き物の営み、バックミュージックに映えるその輝きに千歳は目を奪われた。
それはどれだけの言葉を連ねても、表現しがたい光景だった。


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光の休息