15.近況報告
時刻は午前0時を回っていた。
地方都市の歓楽街は夜が更けこむに連れて人通りもまばらになる。営みが途切れない都心と比べて、闇の時間は闇のものと言わんばかりにしんと静まり返り、聞こえるのは店の女と客の別れの挨拶ぐらいだ。
狭い路地裏を這う様に男が走っていた。キョロキョロと忙しなく辺りを見渡しているが、誰一人として男に目を留めない。焦燥感が漂っていたが、その風体は卑しい輩でもなかった。
男は走り抜けた先の行き止まりで息を整えた。ジジ、と一本しかない街灯が男を照らしている。

「持ってきましたか」

男は、突如聞こえた声にギョッと目を見開いた。
コンクリートに囲まれた道先、街頭の明かりも届かない暗がりから現れたのはロングコートを着た男だった。目深に被った帽子のせいで、顔を伺うことはできない。

「い、言われた通りのものだ。確認してくれ」

上擦った声で男はそう言うと、革のカバンから茶封筒を取り出した。A4サイズのそれを後生大事そうに抱えたと思いきや、コートを着た男に押し付ける。

「中に入っている。データもだ。これでいいんだろっ?」
「書類は今確認しますから、少し待ってください」
「は、早くしてくれよ!こんなところ見つかったら…」
「なに、すぐに済みますよ」

影の落ちた顔から歪められた口元が見え、男は身震いした。その声、風貌、外見から見える凡ゆる情報を統合しても目の前の影の年齢すら分からない。その異質さに身体の芯が凍える心地がした。
早く、と震えを抑えて急かすと、目の前の男は封筒に入っていた書類を確認する。

「……十分です。どうもありがとうございます」
「わかったから、早くあれをくれ!」
「はいはい、分かっていますよ」

軽い口調が帰ってきたと同時に、男にもまた茶封筒が手渡された。
男は封筒をひったくると、中を覗き込んだ。ギョロリとした双眼が下を向き忙しなく動いたかと思えば、急に上向きコート姿の男に向けられる。

「本当にこれで全部だろうな?」
「ええ。こちらとしても、それにあまり価値は置いていませんので」

何てことはない、と宣う彼に、男は渋面を見せて吐き捨てた。

「はっ、じゃあな!二度と会いたくねぇよ」
「はい、お気をつけて」

どこまでも穏やかな口調で返されたことに男は短く舌打ちをすると、明かりの下を逃げるように走っていった。
走り去った男を見送りながら、影の中で彼はくつくつと笑む。

「単純なことだな、今も昔も」

ひどく愉悦を抑えた声色が響いた。
それは、夜のしじまに紛れた、時間にして僅か数分の出来事だった。


―――


「官製談合の可能性、ねぇ」

ふむ、と唸った神永に、同じように他の面々も同じような素振りを見せた。
千歳は片手に持っていた資料を無造作にテーブルへ広げる。

「ここ数年の公共事業の入札結果と、笹島建設と明和工業の受注状況です」

各々が資料を手に視線を走らせている中、千歳は己の仮説を整理した。

官製談合。行政側の職員と業者側で行われる談合。あらかじめ談合により事業の受注金額を最低請負金額より高く設定し、受注金額と最低請負金額の差額分を、利益として受けとり他会社へと配分する。行政側は、天下りや賄賂などの見返りを、受注できなかった業者は利益配分が行われるため、談合に関わる誰もが旨味を味わうことができる。
記された首長と議員の名、それに絡む福祉事業、不自然なほどの笹島建設の受注数と明和工業の辞退。
心証としては黒だった。

「状況は分かるが、崩すための素材はあるのか?」

資料に目を通した田崎が千歳に視線を遣った。切れ長の目が更に細められ、見定めるように瞳の奥が光る。

「行政側の内部資料を手に入れるのが確実ですが、まだ人材に目星はついていません」
「笹島か明和の内部から切り崩しはしないのか?」
「内部事情を知る人間が簡単に情報を売るとは思えません。警察よりも、売ったことが地元に公になる方が彼らにとっては死活問題ですから」
「村八分になったら恐ぇもんな」

小馬鹿にする神永に同調した面々が、ニヒルな笑みを浮かべた。
地方に行けばいくほど談合、癒着、口利きが横行するのはコミュニティの狭さに起因することが多い。
町を歩けば知り合いがいる、今日の噂は明日には近所に1週間後には地区全体に広まる、そんな濃密な人間関係の中で大切なことは、公平さを重んじる正義感でも使命感でもない。忖度する能力に尽きる。
血より繋がりの濃い人間関係は社会のルールを凌駕して、不正を許してしまう。
内部からそれに制止をかける人間が出てこないのはつまり、暗黙の了解として不正が成り立っている証明だった。

(良いか悪いかなんて関係ない)

千歳はせせら笑う面々を尻目に瞳を伏せる。

人間は皆が皆、理性的に動けるわけではない。理屈を並べて迫ったところで、後にそれ以上の代償があると判断すれば口を滑らす可能性は限りなく低くなる。
国家への忠誠心、ならぬ企業への忠誠心。己が裏切れば、余波がどこまで広がるか分からない以上、下手に口を割る人間は少ない。
だからこそ、一抜けするような気骨者を企業内部から探すより、現状を把握しながら渋々黙認しているような行政側の人間なら、つつけばポロリと漏らしやすいのだ。

千歳は口元を歪ませる同僚に提案する。

「まずは現地での協力者作りですが、マスコミに接触するのが早いでしょう。地方紙ならあの濃密な組織の実態も分かっている人間が多いでしょうし」
「まぁ、妥当な選択か」
「そのズブズブの関係にハマっている人間もけっこういるけどな」

同意の言にチャチャを入れるように波多野が肩を竦める。吊られてニヒルに笑むメンバーに千歳は眉根を寄せたが、直ぐに淡白な表層へと戻る。
彼らの言い分は、確かにそうではあった。
より新鮮な耳寄りな情報を常に求めるマスメディアは、情報を求めるあまり不正の肩を持つことがある。持ちつ持たれつの関係を構築し、新鮮な餌を貰う代わりに捨てるものも出てくるのだろう。
汚泥にまみれた沼に踏み入れた結果、呑まれる人間はどの業界にもいるのだ。

(今も昔も、彼らの行動は変わらない)

盤上の駒の動かし方ひとつで状況が動くことは昔からよく知っている。
報告を終えた千歳は踵を返すと古巣へと足を進めた。



「精が出るな」

夜は深まりを見せていた。といっても、フロアの灯りが消える気配はない。今日も今日とて、公安部の末端社員達は残業に続く残業だ。

「精が出ているのは雪村さんもでしょう」

短く嘆息した千歳は、頭に乗せられた掌を払い除ける。

「外事の俺はノータッチだけど?」
「あら、私別にこの事件のことについて言ってませんよ」
「……お前最近、生意気に拍車がかかってるよな」
「雪村さんの後輩ですから」

しれっと宣えば、生意気、と無遠慮に頭を鷲掴みにされる。片眉を上げて抗議の姿勢を見せたものの、至極楽しげに彼は笑うものだから反応するだけ時間の無駄だとされるがままに髪は乱れていく。
されるがままにしておけば、乱雑な手の動きが急に柔らかになった。

「根を詰めすぎるなよ」

真のこもった声音は彼の優しさだった。雪村幸一という男は軽薄な言動という仮面の下に、後輩思いの顔を忍ばせている。
歳がうんと離れているわけではない。それでも、彼のこのつかみ所のない態度と面倒見の良さに絆されている自分がいることに、千歳は釈然としない想いを持ちながらも流されて行く。

「分かっていますよ」
「どうだか。D課の連中に付いて行こうと必死になってないかと思ってな」
「……そんなことありません」

思い起こした彼らの表情に千歳の顔が曇る。

今も昔も変わらない彼らの性質、しかし昔と切り離された記憶。それでも、彼らが彼らである事実は変わることなく、その化け物じみた能力を思う存分発揮していた。
仕事であり命令。故に、彼らと情報を共有し事件を解決へと導く義務が千歳にはあるが、追憶に惑わされそうになるあの環境に長く身を置きたくはなかった。

俯いたまま、千歳は小さく拳を握り締めた。

「……何かあれば手伝うから、無理はすんな」

な、と再度込められた暖かさに目を細める。

過去から繋がりのある彼らと、今手を差し伸べてくれる居場所。
その対比が何というわけでもない。
ただ、己の心持ちに多少なりとも影響を与える存在に千歳は惑わされたくなかった。


ーーー


近況報告