窓のない室内の真ん中で、長テーブルを囲んだ男達が顔を突き合わせていた。机上には複数枚のペーパーが散らばっている。
「贈収賄、汚職、票田工作。てんこもりの話題だな」
くっくと低く喉を鳴らした神永は手に持っていたペーパーを無造作に投げ捨てた。
野党第一党、民生党が支持母体である未来新教への票田工作のために色を使っていた件について、千歳はD課に報告をした。人身売買じみた行為だが、彼らは顔色一つ変えずに──むしろひどく愉悦を湛えて──彼女の報告を聞いていた。
次いで、千歳の報告に加えて三好からも調査結果が上がった。
「──福祉グループの代表とリストにあった議員が昵懇の仲だった。福祉施策を押し進めていた理由は、金だ」
パサリと新たに積み重なったペーパーをそれぞれが一読する。三好は淡々と蒲生の調べを報告した。
蒲生に調査依頼をかけていた有力議員の身辺を洗ったところ、議員が頻繁に地元福祉グループの代表と密会していたことが明らかになった。
地元の人間からの依頼や要望を受けること自体は議員にはあることだ。しかし、そこに金が絡むと話は別となる。
「無駄に老獪さがある爺さんだな」
「あからさまな金の流れを作らないところが嫌らしいですね」
波多野と実井が怜悧な視線をペーパーに落とした。視線の先には【笹島】の文字。
「身内で全部終わらせとけば、そりゃあ楽だよな」
議員の提言をもとに事業化された福祉施設の建設。笹島建設が受注し下請け会社が施工というありふれた事業の中で官製談合に関わった疑いがあるのは首長だけではなかった。
「公設民営でこの施設を運営する福祉グループの代表【A】の姪の夫、まぁ、要するに親族が経営しているのが笹島建設です。そして、下請け会社の代表の親族が──片山首長」
「福祉施策の補助金の働きかけ先が自明党の幹事長ね。うまいこと回ってるもんだ」
甘利が大仰に肩を竦める。千歳は、改めて仔細が記されたペーパーを手に取った。
リストに記載してあった議員と首長。議員の提言により、二人が進めた福祉施策の一環である公設民営の福祉施設の建設。受注したのは地元の有力建設会社、明和工業ではなく笹島建設。
官製談合の疑いありと踏み、地元記者である佐伯省吾を協力者として獲得した結果、内部データである内訳書が届く手筈となった。クロの証拠に加えて三好から提示された情報は単なる官製談合だけではない政財界の癒着を露わにしたものとなった。
全てまるっと、身内で済ませて金を浮かせる。誰もが得をするサイクルは今今できたものではなく、何年、何十年と積み重なって出来たものだ。メスを入れることは、確かに内部のものでは容易にできない。
三好、千歳のチームが揃えた資料を確認した次は、神永の報告となった。
「首長と議員は自明党側とねっちょりした関係。んで、未来信教(こっち)は民生党なわけだけど、金回りも割と分かってきた」
放り投げたペーパーがテーブルに散らばる。新たな情報が記されたそれを各人が手に取った。
「熊谷修が管理する団体の口座だが、表向きの物には目立った動きはなかった。ただ、熊谷の秘書も務める側近の女から、もう一つの口座…熊谷の個人名義の別口座があることを【教えてもらった】」
「どうやって?」と怪訝な顔つきとなった佐久間に、神永が厭らしい視線で答えた。「金沢ってイイ温泉宿あるんですよ」と、含意のある言い方に佐久間が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、その味を溜息と共に呑み込んだ。
「それで、熊谷のセーフハウスにこの間入ったところ、教団の口座とは別の通帳を発見。女が話していた通りの場所にあったってわけだ。……あ、ピッキングも駄目ですか?」
「もういい、続けろ」
手真似をする田崎に佐久間がヒラヒラと手を振る。違法作業に関して何を言っても意味はないことは理解していた。そもそも、そのような行為に胸を痛める人間がここにいるはずもない。
「通帳記録から見たところ、数十万単位の金が複数の会社に送られていた」
「記録を遡ってみても、数年前から同様の形跡がありますね」
カタカタと実井がキーボードを叩き、くるりと画面を見せる。銀行口座の残高、振り込み先の見える画面に佐久間が「おま、え、これは」と絶句した。実井は「捜査の一環ですよ」と邪気のない笑みを浮かべたが、隣の波多野は「よく言うぜ」と苦笑する。
実井は情報解析担当だ。室内にある専用回線を用いた人数分のPCの保守管理に加え、押収したタブレット端末やPCなどのデータを解析、時と場合によっては少々強引なやり方も使う。「捜査の一環です」は伝家の宝刀だ。
「一部は民政党の幹事長秘書が以前務めていた派遣会社に送られています。ただ、幾つかは海外口座ですね」
「……海外」
ふと千歳が思案顔を浮かべる。脳裏に蘇ったのは【仕事仲間】の忠告で、実井の見せるディスプレイに自然と目が細められた。
日米両国間における諸問題は山積している。貿易交渉、在日米軍基地、間接的には北の動向と米中摩擦。アメリカにとって当該案件はこれらの諸問題において不利益をもたらす可能性があるということか。
外交とは戦争だ。交渉のテーブルに相手を着かせるためのカードを常に互いが握ろうと水面下で権謀術数を張り巡らせる。メディアに露出する顔は欺瞞に過ぎない。大仰なパフォーマンスの裏で相手を刺すのだ。
情報戦を制したものが勝利する。この事件の情報は、価値がある。
「俺達からはこのくらい。で、そっちは?」
神永の視線を受けた小田切が同じようにペーパーをテーブルに並べた。
「首相や与野党の政治家達の個人アドレスについてだが、与野党幹部の中での交友関係を洗った。結果、一人だけ全員のアドレスを入手できる立場にいた人間がいた」
とん、と小田切が一点を指す。
「首相秘書官、後藤拓篤。前職は幹事長補佐だが、その前は民政党の佐藤派閥にいた」
「鞍替えしたのか」
「鞍替え前は、連立を組む公正党の政治団体で経理担当。だが、出馬したのは野党民政党の公認候補としてだ」
「んだそりゃ。よくまぁ、通ったな」
「周りの話だととにかく人に取り入るのが上手い。相手に不快感を抱かせない天才だと。党の要人などとの交友関係も深く、リストにあった全員の個人アドレスを入手していた」
「メールを送りつけたのも、彼で間違いはないですよ」
カタカタと実井がキーボードを打ちながら口の端を吊り上げた。「割り出せたのか?!」と佐久間がギョッとする。
「大方、警視庁(ここ)のチームは海外のプロキシサーバー経由していたから追えなかったんでしょう? まぁ、経由地が北とパレスチナ、ウクライナですから無理もないですが」
自分なら造作もないといった顔に、佐久間は再度肩を落とした。
エシュロンは世界中の殆どの通信を傍受しているといっても過言ではない。加えて、既存のウェブサービスが提供するメール網、クラウドストレージサービスなども独自の監視プログラムでメタ情報を常に収集している。
しかし、逆探知で追えるのは国交を結んでいる国のサーバーを用い、且つ特定のウェブサービスを介している場合だ。開示請求をかけようにも国交のない国での捜査はできない。捜査協力となれば尚更困難だ。
犯人は複数の国、それも両国が国交を結んでいない国のプロキシを経由した故に、エシュロンにも対策チームにも捕まえることができていなかった。「少々、強引な手も使いましたが」と一言置いたとこを見るに、正規の開示請求を通さない手を使ったのだろう。
「プロキシは経由していましたが、送り元のPCはひとつ。ウイルスを仕込んで他人のPCを経由という形は取っていません。PCは後藤のものではなく新宿のネットカフェのアドレスでした。そして、その時間に後藤は当該のカフェに入っている」
「部屋番号とPCのアドレスは一致。よって、後藤の犯行ということは確定した。リスト全員の個人アドレスを後藤だけで入手したとは考えにくいから共犯者はいるだろうが、実行犯はこの男だ」
福元がテーブルに並べた複数枚の写真には一人の男が写りこんでいる。後藤拓真にかけれた厚いヴェールは彼らによって一枚一枚捲られていっている証左だった。
事件の大元、犯人は特定された。まずは逮捕状の請求を通して身柄を確保することが急務となる。
実井の報告に若干冷や汗を見せつつ「上への報告は俺がやっておく。請求書の作成は小田切に任せる」と佐久間は足早に室内を後にした。
各々が解散した後、千歳は実井が見せたPCログを確認した。アクセス記録が記してあるそれを目で追っていたが、胸ポケットのスマートフォンが振動したため作業を中断する。ディスプレイに表示された名前に僅かに眼を瞠り、自然と視界の端で課員の表情を伺った。
「すみません、少し抜けます」
「新鮮なうちに届けなきゃいけないもんな」
するりと背を向け、息を潜めて向かった先、ドアノブを握ろうとした背に投げつけられた言葉には押し殺せない愉悦が含まれていた。「夜の報告もまだだろ?」と、含み笑いを隠しもしない声は神永のもので、ピタリと身体が緊縮する。
千歳は下唇を噛みしめたが、振り返ることなく部屋を後にした。
*
高層階エレベーターで十四階まで昇り、廊下の突き当たりの部屋に指定回数のノックをして入室する。「来たね」と、背に外光を受けた男は執務席に腰を据えたまま千歳を見遣った。
「急に呼び出してすまない。少し話があってね」
「話…ですか」
執務席の前で踵を揃えた千歳に山本は柔和な笑みを向けた。
「橘君の方から未来信教についての報告は聞いている。……少し、無理をしたそうだね」
含意の込められた声音に千歳の顔が曇る。先般の出来事が頭を反芻し、自然と身体が強張った。「申し訳ありません」と頭を下げた彼女に山本は首を振る。
「攻めているわけじゃない。君に色を使うことを覚えさせたのは私だし、雪村君からその案を受けて指示を出したのも私だ。むしろ、……そうだな」
カタリと席を立った山本が机を回って千歳の横に立った。上背のある体躯に見下ろされ、図らずも緊縮した千歳を山本は見下ろした。
「……無理をさせたね」
しかし、掛けられたのはひどく柔らかな声で、思わず面を上げそうになった千歳に、ぽすんと、骨張った指の感触が頭に感じられた。
刹那──
「っ、?!」
ジジッと千歳の視界が明滅した。
久方ぶりの現象に、千歳はぐらりとした頭を抱える。
灰色の世界、モノクロの日常、現在ではない地続きの世界の色のない記憶。
そこに重なる【知らない】何か。
「……あ」
笑いかける【誰か】がいた。
「千崎君…?」
「っ、すみませんっ…あの、これは」
虹彩モニターが滲んだ。ツゥ、と一筋頬を伝った滴がスーツに落ちる。千歳は慌てて顔を背けて掌で眼を覆った。
──わけが、わからない。
「すみません」と譫言のように唱えながらしかし緩んだ涙腺が瞳と頬を濡らす。止めどなく溢れるそれに千歳自身が混乱した。
張っていた緊張の糸が、緩められて、
琴線に触れた【何か】に、情動が溢れた。
笑いかける【誰か】の掌がそっと頭部に添えられて、暖かなそれに確かに《千歳》が微笑んだ。
なんだ、この記憶は。知らない。こんなものは知らない。
だって、私は──
「千崎君」
柔らかな声音が耳朶を打つ。滲んだ瞳に映った上司の眉尻の下がった穏やかな相貌に、千歳は胸を詰まらせた。
──自分の異質さに息苦しさを感じていた。
どうあがいても自分は彼らのような合理性だけを突き詰めることはできない。人の感情を嘲笑うことを哀しいと感じる心を失くしたら、己は己でなくなる。
それでも、と踏み留まり続けた。公安(こちら)にもD課(あちら)にも、と。自負心のためなどではない。ただ、固執していただけだ。
厭いながらも過去と現在を重ねた。今の彼を通して彼を見た。重ねた温度もあった。
ただ、彼らは遠い。
そして、対極的な位置に仲間がいた。
「すみ、ません…っ、」
掛けられる労りの言葉が、声音が、相貌がただ、千歳には眩しかった。
*
「好きな子ほど虐めたいってやつか?」
紫煙をふかした神永は間仕切りの喫煙スペースに入ってきた波多野を目端で確認するとつまらなさそうにそっぽ向いた。「好きな子、ね」と意味深に口角を上げた彼に波多野が「違わねえだろ」と鼻を鳴らし、胸ポケットから取り出した煙草を加えた。
「そりゃあ、まあ、好きさ」
ケラケラと笑いながら神永がライターを差し出した。眉根を寄せつつ、波多野は火を貰う。肺いっぱい吸い込んだ紫煙をゆっくりと吐き出した。
「何故、わざわざ追い詰める発言をする?」
「そんなつもりはないんだがな」
「冗談は顔だけにしとけ。……三好も挑発して、何がしたいんだ」
眼を眇め、怜悧な視線を投げた波多野に神永は視線を虚空に据えた。
夜の報告。発言の意味は千歳だけではなく三好にも理解できていた。
二人の間に何があったのかを神永は知っている。なにせ、あの夜三好を焚きつけたのは神永だ。熊谷修が気に入っている嬢に手を付けると三好に漏らしたのは神永自身だった。
何がしたい。波多野の問いに神永はふっと乾いた笑いを漏らした。
「還りたいだけさ」
「は?」と、波多野が顔を歪める。「還りたい。それだけだ」と、再度神永が呟く。言葉の意味を理解しかねると物語る波多野の表情に、神永は緩慢に視線を寄越した。
「【貴様】はどうだか分からんがな」
「……お前…」
僅かに息を呑んだ波多野の横をすり抜け、「お先」と手をひらつかせながら神永はその場を後にする。紫煙が漂う中、波多野はその背中を見つめ、ゆっくりと瞼を伏せた。
「………どうもねぇよ」
吐き捨てられた苦い胸中は、紫煙に飲まれて消えた。
28.記憶と感情