3.保たれる色
警視庁特殊事件捜査部、通称D課。
その存在が公安部内に知れ渡ったのは設立から僅かひと月足らずのことだった。本来ならば新設の課は、設立前に警視庁はおろか、警察庁まで情報が行き届くべきだが、D課にその、通常、は通用しない。未だにD課のことを知らない署員も居る位なのだ。
警視庁の暗部を担ってきた公安さえもその存在を認識するまでにひと月あまりかかった。故に、部内からD課への印象はすこぶる悪かった。


「公安に居たなら教えてくれればよかったじゃん」

これ程外見と内実が一致している人間がいるだろうか。
佐久間の脇をするりと抜けた神永は真っ黒なスーツを身に纏った女性警察官の前に立った。人を惹きつける邪気のない笑みが眉ひとつ動かさない相貌に向けられる。
旧知の仲の筈の2人の間には一方的な親愛の情しか見当たらない。

「何年ぶり?中学卒業以来だからー」
「何々、神永の知り合い?」
「しかも女の子?」

ずいと佐久間を押しのけて顔を出したのは、柔らかな癖っ毛が特徴的な好青年と、切れ長の目と艶のある黒い短髪、甘利と田崎。
好奇の目が増えても、当の本人は矢張り冷然とした佇まいを崩すことはなかった。

「お前ら、感動の再会の最中なんだけど?」
「どこかだよ、彼女嫌そうにしてるじゃん、えっとー」
「……千崎千歳です。所属は公安の第4課です。」

視線を交わさず手短に済まされた会話は、彼女の心境を表している。
早く帰りたい、と。
しかし、あの女遊びの激しい神永の昔馴染み、しかも女、とあれば彼女のその細やかな願いも叶うことはない。

「神永の同級生なんでしょ?警察学校に居た?」
「2年ほど留学していたので」
「マジで?!てか、大学何処だったの?県外?」
「都内です」
「2期下ってことは今年入ったばっかり?」
「そうですね」

矢継ぎ早に飛んで来る質問を淡々と返していく。お構い無しに一方的な会話のドッジボールを繰り広げる3人に対して諦めたのか、不憫な係長は部屋へと姿を消した。

「というか、タメなんだから敬語いらないだろ」
「此処では年齢は関係ありませんので」

職務年数が絶対。典型的な縦社会の警察機構の法則だ。相手が旧知の仲だろうが、崇敬する対象だろうが、階級が変わるまではその年数によって立場が異なる。

近づこうとする3人に対して、彼らが進んだ歩数だけ彼女は下がる。心の距離は狭まりも離れもせず一定が保たれていた。

「3人とも、」

ガヤつく3人の後ろから響いた声は良く通った。凛としていて澄んだ音。
ピタリと止まった雑音は、その音を更に通すため空間をあけた。

「神永の知り合いにいつまで構うんだ」

陶器のように美しい肌と赤すぎる唇、大層美しい美男子はしかしその顔を歪めて不満を露わにしていた。

「えーいいじゃんか、どうせロクなことしてないじゃん俺ら」
「彼女が持ってきた資料、まだ見てないだろ」
「見る必要があるわけ?」

神永の挑発的な笑みに、女がぴくりと反応する。
他の追随を許さない捜査力を誇るD課にとって、外部から与えられる情報など雀の涙程度の価値しかない。
肩を竦めて戯けてみせる神永は彼女の反応を伺うように視線を走らせた。

「……必要がないなら破棄して頂いて結構です」

相変わらず声音の変わらない平坦な声。
しかしながら、若干の色が混じっていた。平静を装いながらも、その実は腹に据えかねる思いが見受けられる。

神永はその綻びを読み取り、口角を上げた。

「神永」

鋭い批難の声に神永は手をヒラヒラさせて返答する。

「……なんてね、冗談だよ。ちゃんと見るし参考にさせて貰うから怒んないでよ?ね?」
「……失礼します」

交わされない視線。
溢れる苛立ちに蓋をすることなく、女は踵を返すと足早に立ち去った。




「神永が女子に嫌味言うなんて珍しいな」

深く息を吸い、紫煙を吐き出した甘利がそう言うと、神永はきょとんとした顔を見せた。

「嫌味?」
「嫌味だろ、あれは。どう見ても」
「そんな悪意持って言ったわけじゃないっつーの」
「悪意がなくあれを言うなら、お前の頭は相当いかれているんだな」

抗議する神永に冷ややかな言葉を浴びせたのは、先ほどの美男子、三好だ。

「うっわ、万年他人を見下してるナルシスト男に言われると腹立つ」
「あぁ、万年発情期の猿に知性を求めても仕方なかったか」
「……お前ほんと減らず口だよな」

嘆息する神永の前に、分厚いファイルがどさりと置かれる。先ほどまで、三好が目を通していた資料だった。

「お前が嫌味を言うような内容か、自分で確かめてみろ」

彼らしくないその言葉に、神永は目の前のファイルを手に取る。

見ずともわかる。何故なら、

「お前がそこまで言うものなんだろ」

同じ奇人変人、そして突出した能力を持つ同僚のその言葉こそ、この中には有用な情報が入っていることの表れだからだ。

ニヒルに口元を歪めた三好の表情に確信を持ち、神永はページを捲った。



ーーーーー



カツカツと響く靴音すら耳障りだ。廊下が薄暗いのはエコ推進の取り組みの一環で照明が落としてある為、だけではない。
千崎千歳は鬱屈とした己の心情に奥歯を噛み締めた。この心の内を表すかのように廊下は一層薄暗く感じられる。

警視庁特殊事件捜査部、通称D課。
何の因果だろうか、千歳は先ほどの面々を思い浮かべた。

目の前に居た彼らは彼らであり、そして彼らとは別の存在が千歳の前に現れる。記憶の中の『彼ら』が現在の彼らに重なった。
相変わらずお調子者で、相変わらずプライドが高く、相変わらずその能力は彼らの自負心を高めていた。


(変わらない、何も)


薄暗い廊下へ外光が注ぐ。歩みを進めていた足をピタリと止め千歳は窓の外を眺めた。
様変わりした街に重ねる記憶。
あの日あの時、千歳の中に生まれたもう1人の『千歳』が教える世界。


『千歳』が『彼ら』と過ごし、そして



「下らない」




一人になった世界。



ーーーーー


3.保たれる色