6.過去からの誘い
尾けられている。千歳は昼のランチタイムで賑わう通りを歩きながら尾行者の存在に気がついた。
直感的にそう感じたのではない。短期間ながら組み込まれていた作業班の『点検』の習慣による日常の産物だった。

『点検』とは尾行の有無の確認と尾行者からの振り切りを兼ねた作業のことだ。

チヨダの直轄部隊、作業班で動く為には特殊な訓練を要した。警察学校在学中に受けた訓練は千歳にとっては他愛もないものだった。
身体が脳が覚えている。
偽名を使い、笑みを貼り付け、技術を磨き、研鑽を重ねる。半年ほどの訓練は濃密で、より濃く千歳の中に蠢く化け物を顕現させた。

千歳ではない『千歳』が体感した世界を追体験している。そんな感覚にまるで己の身体が飲み込まれたと錯覚するほど、千歳は優秀だった。


(下らない)


己が感覚を再認識するように拳を握り締める。
此処が現実だと、千歳は改めて尾行者に意識を遣った。

まずは何に尾行をされているのかを確認する必要がある。
千歳は地下鉄の入り口へと足を進めた。付かず離れずの距離で尾行者は後をついて来る。丸ノ内線に乗りひと駅で降りると、地上に出て今度は何気なく駅ビルへと入った。

(……ひとり、2人か)

随分とお粗末な尾行だと千歳は鼻を鳴らした。ショーウィンドウ、車のサイドミラー、服飾売り場、街中の至る所に配置された確認用の鏡達から尾行者は2人、目深に被ったツバ付き帽子からその相貌は定かではないが、服装からして年は若い。
さて、何の目的かどこの組織か。千歳は思案しながら足を進めていく。
一度訪れた場所の地形、顔を見た相手の特徴は忘れるな。公安捜査の基礎中の基礎だ。赤坂のこの駅ビルの構造は頭に入っている。
雑踏を抜けエスカレーターへ進む。人混みに身を紛れ込ませながら脇の店舗にある透明なガラスに視線を走らせれば、尾行者は二手に別れた。1人は階段へ、もう1人は千歳の後に続きエスカレーターに乗る。二つの目で相手を捉える、ビル内での尾行の上策だ。

千歳は脳裏にビルの地図を描いた。着かず離れず、お粗末な尾行にしてはセオリー通り。彼らは一定の訓練だけは受けて居ることが伺える。
ひとつ千歳は息を整えた。
あくまでこちらは気付くことなく、という体を装い、至近距離で向かい合う状況を作りたい。

何気なく足を運んだセレクトショップで千歳は雑貨を物色しながら最適なルートを算出した。側から見れば雑貨を物色するただの若い女だ。
さて、どうしようかと目の前のキーホルダーを手に取った。

ふと、突き当たりの棚に黒い影が落ちた。

視界の端に映ったのは、先ほど自分を追いかけていた男。

(踏み込んで来た…)

店の外にはもう1人が待機しているのだろう。目の届く範囲でもう1人が着く。
いっそこのまま彼の方へと歩き、確認しようかと思った矢先だった。

男が身体の向きを変え千歳への方へ真っ直ぐと歩き出した。
千歳の瞳孔が開き僅かな動揺を覚える、が慌てて振り返る、なんて素人な行動は取らない。

近づく男の気配に気を配りながら商品を手に戻し、手鏡を手に取った。
一歩二歩、あと少しで己の後ろに来るという時に鏡を物色する。柄を表にしたあと何気無い素振りでそれを裏返した。


映ったのは、男の横顔だった。


(っ!)


その相貌に千歳は今度こそ目を見開き息を呑んだ。
ほんの一瞬、ただ通り過ぎただけの男。
しかし、その口元はひどく歪み愉悦を感じさせる笑みだった。
何事もなかったかのように歩き去る男の後ろ姿を睨みつける。
握り締めた手鏡に映っているのは、渋面に染まった己の顔だった。






「何の用ですか」

ビルの5階、踊り場付近のベンチ。
店を出たあと、人気のないその場所まで足を進めた千歳は尾行者を振り返り勃然とした表層を隠しもせずに言い放った。
私服に帽子、ただの一般人。そんな姿の男2人は帽子の下でニタリと笑った。

「気づくの意外と早かったな」

階段を登り店の外で待ち構えていた1人は喉を鳴らして笑った。小生意気な笑みを作り挑戦的な視線。

「気づかせた、の間違いでは?」

じとりと視線を彼に投げ、次いでもう1人にも視線をスライドさせる。
千歳の側を、態と分かるように、通り抜けた男は肩を竦めた。

「それを理解できるなら、貴方は合格です」

そう言って帽子を取る。ハット帽の下から覗いたのは、象牙のような肌と赤い唇、均整の取れた美貌。思わず、息をすることも忘れ見惚れてしまうような美しい男だった。

千歳はひとつ息を吐くと、で?、と続けた。

「D課の皆さんがわざわざ私に点検されるとはどういう了見ですか」
「自己紹介もしていないのに随分な態度だな」

ケラケラと笑う男には一瞥もくれず、千歳は目の前の男を睨み付ける。

「そんな邪険にしないで下さい」

呆れ声で返した男は、千歳に向き直ると改まって挨拶をした。

「初めまして、ではないですね僕は。D課の三好と、こっちは波多野です」

知っている。
ジジ、と重なる相貌に千歳は苦い思いを抱いた。寸分違わぬ容姿と相貌、口調と纏う雰囲気。ワインレッドのスーツ、サスペンダーを付けた彼、語り合っている小さな化け物達。


ーーあの世界では知っている。


「それで、私に何の用ですか」

だからこそ、関わりたくない。
手短に済ませろと千歳は短く問うた。

すると、男、三好は千歳を真っ直ぐと見据えた。
深淵を覗き込むようなその瞳に思わずたじろぐ。居心地の悪さに眉を顰めた千歳に彼は口を開いた。



「新たなチヨダの作業班に貴方が選ばれました」



ーーー新たなチヨダ?



「どういうことですか…?」

寝耳に水だ。千歳は言葉の意味を理解できずに更に問う。

「新たなチヨダって、どういう意味ですか」
「そのままですよ。理事官が新たに任命され、更にメンバーも大分変わったらしいですよ。それに伴い、各都道府県の作業班も事実上解体して新たに選び直した、ということです」

すらりと、天気の話でもするような口振りで彼は宣った。そんな彼とは対照的に千歳は頭を抱えた。

前代未聞だ。
理事官は数年で代わる。前理事官の山本勇は現警視庁の公安部長。千歳も僅かな期間ながら彼のチヨダ、その傘下の作業班で活動したのだ。警視庁公安部公安第4課でありながら、同時に作業班という隠れた肩書き。
作業班の課員の任命権は確かにチヨダにある。
しかし、大規模な解体、そして大元であるチヨダメンバーの入れ替えなどは類を見ない人事だ。そんなことが可能なものかと一蹴したくなったが、彼の顔を見ればそれは現実なのだと突きつけられる。

千歳はひとつ息を吐き、呼吸を整えた。動揺は毒だ。

「なら、貴方方はチヨダのメンバーなんですか」

作業班の直轄指揮を担当するチヨダのメンバーが直々に試験でもしたのか。
目を背けたくなるような現実だと千歳は唇を小さく噛んだ。

しかし、三好はその言葉に首を振った。

「いえ、僕らは悪魔で、ある人の駒ですよ」

三好の言葉に千歳は盛大に顔を歪めた。眉を顰め、訝しむ相貌に三好がくつくつと笑う。

「僕らも作業班です。そして、ある人の直属の作業班なんですよ」



ーーある人…。



ドクンと心臓が鳴った。

「ある、人?」

そんなわけはないと笑い飛ばしたくなる気持ちが、焦りの波に飲まれていく。
聞き返した先の言葉を、聞きたくはなかった。


脳裏に浮かんだ漆黒がゆらりと手を伸ばす。




「新たな理事官。名を、ーーー」




紡がれた彼の唇は矢張り妖艶で、そこから出た人物の名前は矢張り千歳を過去から捉えて離さなかった。







「結城。本当の所属も名前も変えた、新たな理事官です。そして」
「僕らと、貴方の新たな上司ですよ」






世界が、歪んだ。



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過去からの誘い