8.調査開始
揺らめく記憶の欠片が重なり合い彼らとの鮮やかな世界を紡ぐ。過去と今を繋ぐように、それはいつも千歳の視界をジャックして離さない。
何度も巡った記憶、忘れ得ない思ひ出。
例えそれが手放したくなる痛みであっても、逃れられない。
あの時、中学2年の夏のあの日から片時も離れることはない。それは千歳の日常の一部として存在していた。

今を捉えた記憶を厭い、しかし振り払う。時に己が過去の彼女を追想し、悔やむ。
そしてそれは、彼らと共にいればいるほど頻度は多くなっていく。


「千崎さん?」


眼前に現れた顔にやはり千歳は過去を思い起こした。男にしては赤すぎる唇と陶器のような肌。女顔負けの美貌は確かに記憶の中の彼と変わらないというのに、本質というべき魂は隔絶された今にある。
しかし、変わらない筈の彼の相貌は、やや変質している。千歳を見つめる瞳には、案ずる心を見ることができた。

「具合でも悪いんですか?」
「いえ、なんでもありません」
「ならいいですが」

歩き出す三好の背中を見つめ、千歳はその背を追う。その背に、否が応でも思い出される記憶を振り払うように千歳は目まぐるしく変化した己の環境を追想した。

理事官直属の作業班として千歳がD課に組み込まれて一週間ほどが過ぎた。
新たな理事官、結城の采配で下りてくる任務にD課の8人に加え、出向している千歳が加わり実働部隊として動く日々。理事官直轄の作業班ならではと言うべきか、チヨダの課員との接触がこれまでのところ一切ない。

爆破予告の件に関して現在動いているのは、山本公安部長率いる公安部総務課、チヨダの中の専門チーム、そして理事官直轄の作業班たるD課の面々だ。組織犯罪対策部の中でも動きはあるようだが今のところはその三者となっている。

てんでバラバラ。予告が送られた対象の居住地は広範囲に及ぶ。個々人だけでどうにかなる案件ではなかった。

(それでもよりによって)

千歳は前へと視線を向ける。なぜ、このペアなのか。
前を歩く背があまりにも同じで、彼ではないというのにその面影を追ってしまう。


理事官直属の作業班として組み込まれた千歳は、D課内での班組で三好と組まされていた。自分の名を呼ばれ、次いで呼ばれた三好の名に目を見開いた。
二人一組、三人一組のチーム。
予告が送られたリストの人物をソートし、共通項を見つけ出す。

「各班、対象者の情報は頭に入れたか?」

脳まで筋肉で構成されているような猪突猛進型の刑事、佐久間は存外語学も堪能で思考も柔軟な所謂敏腕デカである。

佐久間が用意したペーパー資料に書かれていたのは、膨大な予告相手のリストから選びとられた数人の情報だった。

「過疎地の有力議員に、新興宗教団体、それに……これは」
「結城理事官からの指令だ。出来ないわけではないだろう?」
「当たり前ですよ。……まぁ」

肩を竦めた三好の視線が千歳へと移る。

「そちらの方はどうかは知りませんが」

鼻で笑ったその相貌を一瞥する。試す口振りと皮肉めいたもの言いに、溜息すら出なかった。
表情筋をぴくりとも動かさず、千歳は佐久間を見据える。

「問題ありません」

やるべきことをなすべきことを為す。
それが、此処にいる人間の務めであり責務だ。瑣末な私情など犬にでも食わせておけばいい。
千歳の迷いのない声音に頷いたのは佐久間だけで、三好のじっと見つめる視線に千歳のそれは絡まなかった。



(馬鹿じゃないの、私)

嘆息したのはこれで何回目だろう。
大見得を切った割に、いざ彼と2人きりの調査に赴けば矢張り追想するのは過去の記憶だった。
振り切った、置いてきた、そう何度も納得した感情は、幾度も掻き消されている。D課の面々と顔を合わせる度に思い起こされる情景と情動。それを抑え込むことは一筋縄ではいかなかった。
過去と今をリンクさせているのは、彼らの姿ではなく

(私の執心かもしれない)


歩行スピードが乱れる。頭を抱えたくなる状況に、痺れを切らしたのは千歳ではなかった。

「考え事があるなら解決してから仕事をしてもらいたいんですが」

ぬ、と己の前に落ちた影に千歳が面を上げれば、眉を顰めた三好の相貌が視界に広がった。
近い距離に思わず後退した千歳に彼は詰め寄る。

「三好さ」
「僕がいる時は大体考え事をされていますけれど、暇なんですか?」
「いえ、違います。そういうわけでは」
「なら、」

スゥ、と細められた瞳。


「ちゃんと、仕事をしてください」


その瞳に千歳の身体は固まった。

込められていたのは、僅かながらの落胆の色だ。何をやっているのだ、と。その微かな心内に、千歳は立ち尽くす。

「………すみません」

言葉尻が窄んだ謝罪に三好は肩を竦めると再び歩み始めた。去りゆく背を千歳は見つめる。


ーーー嗚呼、いやだ。


己は己だと、強く意識するほど囚われている現状が、ひどく不快だった。



ーーーーー



警視庁の管轄は都内だが、公安は少しばかり毛色が違う。
国家転覆を目論む輩は、都内だけで活動するわけではない。捜査範囲は都内近辺、ひいては全国各地に登ることも往往にしてある。
ただ、全国の公安警察を束ねる警察庁警備局も活動はしており、チヨダはこの警察庁に属している。

都外、東京から飛行機で1時間半程度の過疎地域。
結城理事官が記したリストの中に入っていたのは、ある有力議員だった。当選回数は4回。地元に基盤があり、親は市議会議員から県議、最終的には議長までを務め上げていた。なるほど、親の七光りでその跡を継ぐ人間が多いわけだ、と千歳は薄ら笑う。

(叩けば埃が出てきそう)

塵も積もれば山となる。言葉通りの山が、あの予告の対象に入った理由ならば矢張り爆破予告のリストは金銭関係の不祥事がある輩なのか。

兎にも角にも、議員の周りの関係を洗う必要があった。懇意にしている団体、企業、個人。議会の議事録から見る議員の発言、人となり、政策提言。公の人間ほど頭を隠しても尻が出ているものだ。

千歳はクリアファイルに入れられたペーパーに再度視線を落とした。

各部署の名前、事業、予算が書かれたそれは件の議員が属する行政の予算を印刷したものだった。
定例議会の予算案は概ね承認された。前年度に比べて数億円規模上乗せされた予算の内訳のうち、多くを占めていたのは社会福祉施設の整備費など、福祉関係の分野だった。過疎地域ではよく見られる予算提案である。老人ホームやデイサービスセンターなど、少子高齢化の波が押し寄せる地方では喫緊の課題だからだ。

ただの一地方のありふれた予算書は、しかしリストに入ったその男が議員をしているという一点だけでたちまち血眼になり捜査する対象へと変貌する。
地方議員の接待、不正などは上げればキリがない、がそのようなありふれたことであの爆破予告が送られるとも思えない。

調査するには直接足を運ぶ必要もありそうだが、広範囲に渡る調べ物の為に活用されるのが各地に散らばる『協力者』である。


都心、北区。駅路地を入った閑散とした区画にひっそりと立つレンガ調のビル。昼間というのに仄暗い通りに千歳と三好は立っていた。

「此処……」
「協力者がいるのは、何も公安だけではありませんからね」

ふん、と鼻を鳴らした三好の台詞は右から左へと流される。そんなことは言われなくても分かっているが、わざわざこのような場に来るとは思ってもみなかった。

「探偵、ですか」
「調査能力だけみるならD課に引き抜いてもおかしくない人材です。まぁ、本人が自由気質なのでこのような形にはなっていますがね」

行きますよ、とビル内に足を踏み入れた三好に千歳も続いた。



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調査開始