とある日の怪異
なまえは体に感じる妙な感覚のせいでその日は随分と早く目を覚ましてしまった。
窓のシャッターを閉めてしまっていた為、時間の予測はできないが恐らく明け方4時頃だろうと体内時計は告げていた。およそ二時間半程度の仮眠しかとっていない事になるが、それは彼女にとってなんの生涯にもならない。
今の問題は体の違和感だった。それは下腹部……というより体の中心、つまり陰部付近から。掛けていたシーツを取り払って問題の場所へ目をやる。ホットパンツをはいた下半身は見た感じでは何の変化もない。
……だが、
脚を擦りあわせると、柔らかいような固いような……そんな塊が……
無表情のままなまえは暫く固まった後、何を思ったか勢いよくホットパンツの中へ手を差し込んだ。
そして中を弄ってある一点に触れた途端。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!」
今まで誰も聞いた事がないであろう、なまえの凄まじい絶叫がドミニオン中に轟いた。
「どうしたなまえっ?!!」
けたたましい叫びからものの数秒、一番初めにやってきたのはオルガだった。自室でぐっすり眠っていた彼だったが、なまえの絶叫で目が覚めて真っ先に駆け付けたのだ。凄まじいスタートダッシュで来た為息切れが酷いが、それはなまえの顔を見て一気に治まる。逆に別の意味での動悸が激しくなったが。
「ぉ…オルガ……」
なまえが…あのなまえが、涙目で震えている?!!
オルガビジョンではそんななまえの周りに可憐な花が咲き誇ってきらきらと輝いて見え、余計に彼の心拍数を上げていく。それはもう凄まじい勢いで。泣いている女を前に不謹慎だが、それ程彼にとっては可愛らしく見えてしまっただからこそ、無言でなまえを抱き締めてしまったのは、無理もないと言える。オルガに素直に抱かれているなまえはというと、今よっぽど動揺しているのだろう。常に凛とした彼女がまるで縋るようにオルガの服を掴み、なんとその体を摺り寄せてきたのだ。
……神様、ありがとう!!!!
オルガはこの日初めて、信じた事もない神に心からの感謝を述べた。
なまえのこの反応……これはもしかして、(いろいろな意味で)オッケーの合図なのだろうか。なまえはシャニの恋人(オルガとクロトは決して認めていない)だが、やはりシャニに愛想を尽かして己を選んでくれたのだろうか。舞い上がったオルガの思い込みと妄想は止まらない。
「なまえ……」
やけに真剣な声音で名を呼び、そのまま未だ震えている体をベッドへ倒そうとした時……
「やっぱりさっきの声はなまえだよね?!」
一足遅れたクロトが部屋へ飛び込んできた。
息を切らして部屋を見渡した彼の目に入って来たのは、際どい体制で固まるオルガと、そのオルガの腕に包まれているなまえの姿。ぴしり……そんな音がたったのではないか、と思うほど見事な青筋がクロトの額に浮かぶ。
「……オルガ……?」
「っな、何だよいきなり……」
いいところで邪魔しやがって……
その言葉は口にされずともクロトにははっきりと聞こえた。戦闘時、否それよりもっと凄まじい怒りの感情を露わにしながら二人に近付くと、なまえの腕を引っ張って己の方へと引き寄せた。驚きで力が抜けていたオルガの腕からすんなりとなまえの体は抜けてしまい、あっと声をあげるも既に彼女はクロトの胸へ。
「クロト、てめぇ!!」
「お前なまえに何しようとしてたんだよ?!」
「うるせえ!!てめえには、か…関係ねえだろ?!!」
先程まで自分がやろうとしていた行為を想像したのか、オルガの頬がぽっとピンク色に染まる。
「……おえっ」
何でお前の頬染めなんか見なきゃいけないんだよ?なまえならまだしも……
そう心中で毒づきながら冷ややかに見ていたクロトは、ふとなまえの震えに気付き、オルガなどもう眼中にないかのように彼女へと視線を落とした。
「なまえ?どうしたんだよ?」
「……クロト…」
なんて弱弱しい声だ。よほどオルガにされた仕打ちが応えたのだろうか?
後でオルガを再起不能にする事を心に誓いながら、クロトは滅多に出さない━━━というかなまえにしか出さない━━━優しい声で彼女に話しかける。
「大丈夫?オルガは後で僕がちゃあんと始末しておくから安心してよ。よっぽどアイツに気色悪い事をされたんだね……」
「おいクロト!!それはどういう意味だ?!!」
横でオルガの怒鳴る声などなんのその。しかし、クロトの言葉になまえは首を横に振る。
「違う、オルガのせいじゃない…」
「え…?」
じゃあなに……?、そう言いかけたクロトは、ふと顔を上げたなまえの顔を直視し、一気に顔に熱を集まらせた。先程のオルガと同じだ……。クロトには涙目のなまえが必要以上に美化されて映る。
「……俺の気持ちが少しはわかっただろ?」
まさにその通り!!
そう言いたいがそんな事言える余裕がない。クロトは数秒悶絶した後、なんとオルガの目の前でなまえをベッドに押し倒してしまった。
「クロトぉぉぉぉぉぉぉっ?!!」
「離せよオルガ!!邪魔すんな!!」
「てめぇがさっき邪魔しといて何言ってんだ?!!」
先程と立場がまるで逆だ。なまえに覆い被さろうとするクロトを羽交い絞めでなんとか阻止しようとするオルガ。そのオルガを引き離そうとする暴れるクロト。遂に両者が本格的に暴れようとしたその時、掠れた女の声によって二人の動きはぴたりと止まった。
「……お願い、クロト…オルガ……」
ごくりと二人は生唾を呑んだ。
抵抗もなくただ押し倒されたままのなまえが、あの破壊力抜群な表情で二人を見上げているではないか。僅かに乱れた衣服から見える谷間と白い肌、そしてパンツから伸びる脚。これを二人にとって絶景と言わずに何と言う。情けない表情で赤面する二人に、なまえは極めつけになる言葉を吐いた。
「……お願い、助けて……」
幾分かの時間が過ぎた。
その間沈黙し、動きもなかった二人は、どちらからともなく顔を見合わせる。
「…なあ、クロト」
今は、取り敢えず休戦しよう……
その言葉に込められている真意は、クロトには簡単に察しがついた。何故なら二人とも全く同じことを考えていたから。
こんななまえをほかっておいたまま喧嘩に時間を費やすなんて、そんな……そんな……!!
そんな、勿体無い事が出来るか!!!!
彼等がゆっくりと寝台に上がると、三人分の体重を乗せたベッドが小さく軋んだ。
オルガがシーツに散らばったなまえの髪を掬いながら頭を撫で、クロトは手を取ると口許へと持っていって軽いキスを繰り返す。されるがままの彼女の表情は相変わらず熱に浮かされた時のようなもので、男二人の調子を更に乗らせてしまう。今や彼等は互いへの嫉妬心よりなまえへの愛情の方が勝っている。つまり、もう止まる事はない、という訳である。
━━━さて、ここで何かが足りない事にお気付きだろうか。
もう一人いる筈の人物がいない。なまえの悲鳴を聞きつけたら真っ先に駆け付けるであろうと予想された者は、いまだその姿を見せる気配がない。理由としてはその人物の趣味だ。寝ながらも大音量で音楽を聞いていた彼は、見事にそれによってなまえの悲鳴を掻き消されてしまっていたのだ。
結果がこれ。
オルガとクロトに美味しい思いをさせてしまっている。きっと彼は中毒ともいえた習慣を当分は……いや、二度としないかもしれない。二人の動きは徐々にエスカレートしていくばかり。オルガの顔がなまえの顔に近付いていき、クロトの手は衣服の中へと滑り込み始めている。もはやなまえしか見えていない、なまえの動きしか彼等の意識に入ってこない。
━━━だからこそ気付く事が出来なかった。
悪魔の足音がもうすぐそこまで迫っている事に。
自動扉が開く音がした。
「……は?」
それはとても短く小さい声だった。だが何故だろう、オルガとクロトには妙に大きく響いて聞こえた。そして全身に痺れるような感覚を抱かせるほどの凄まじい威圧……否、殺気が。
びりびりと肌身で覚えてオルガ達は全ての動きを止めた。恐る恐る視線をなまえから外し……全ての悪寒の原因を視界に納め、戦いの最中でも滅多に感じる事のない"絶望"、という思いに陥っていく。
「貴様等……何やってる?」
口調すら普段の彼と違う。その声も、いつもの抑揚がない気怠げなものでなく、異常に感じるほどはっきりとしており、また鋭く低い。髪に隠れていない紫色の瞳をかっぴらいているものの、表情が固まっているのが尚の事恐ろしい。明らかに別人のような雰囲気を放っているが、彼はオルガもクロトも嫌というほど良く知る人物……
シャニ・アンドラス。
今ここで彼の肩書の一つを述べるなら、それはなまえの正式な"恋人"であるという点だろう。恋人のあられもない姿━━━それも恋敵である男達に寝台の上で迫られている━━━を見てしまっては、驚愕するのは当然の反応といえよう。だが、シャニが今抱いている感情はそんな生温いものではない。
彼から放たれるどす黒い空気は何だろう。見えない筈の影の様なものがシャニから溢れ出てオルガ達に迫ってくる……そんな錯覚すら抱いてしまいそうだ。
「シ、シャニ……これは、」
「離れろよ」
まさに鶴の一声。いつもなら何かしら反抗するクロトすら素直に素肌に這わしていた手を離した。そして降りろ、というシャニの視線に二人はゆっくりと寝台から降りて、言われてもいないのに床に正座をした。そんな二人を一瞥した後、謎の禍々しいオーラをその身に纏わせたまま、シャニは未だ倒れたままのなまえに近付いていく。
……あれはヤバい、下手したら俺達の前で事に及ぶかもしれねえ……
そう懸念してしまうほど垣間見えたシャニの目はイっていた。
「なまえ」
「…シャ、ニ……?」
片膝をベッドに乗せ、なまえの横に腕を置くと空いた片手を額に乗せてそのまま頬へと滑らせる。するとなまえは目を閉じると、表情の変化は乏しいながらも、目尻を下げて安心したかのように息を吐いた。彼女の火照った頬にはシャニの冷たい体温の手は酷く心地よく感じたのだ。シャニの方はそんななまえの様子にすぐさま異変を感じ取った。そもそもいつもの彼女が、オルガやクロトにあそこまで好き放題させる訳がない。
「なまえ、何があったの……?」
「シャニ……」
シャニの手を借りてなまえはなんとか立ち上がったが、その体はやはりどこかふらついている。そこでやっとオルガ達は彼女の異常なほどの不調への心配が目覚めた。
なまえは心配そうに見る彼等に言葉で説明しようと思うも、体の芯から沸き上がる熱に浮かされて全く動かない頭では、上手く思い浮かぶ事ができない。ならば……と、彼女がとった行動。
三人の眼前で、一気に下着ごとホットパンツをずり下げた。
「な……!!」
幾分か理性が強いオルガは、興奮する前にその体の異変に気付いて声をあげようとしたが、
「見るなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遂にぷっつんしてしまったシャニが、彼とクロトの頭を床が抜け落ちる勢いで押し付けてしまった為に途切れてしまった。
凄い形相のままなまえに迫ろうとしたシャニだったが、露になった彼女の下半身に視線を落とした途端、怒りは驚愕へと変わっていく。
「なまえ、それ……!!」
「これのせいだ、私の体が可笑しいのは……」
苦しそうに肩を上下させるなまえには異物がついていた。
肥大してしまった、という方が正しいのだろうか。
下半身に、小振りだかしっかりはっきりと、男性のシンボルである"ブツ"がその存在を主張していたのだ。
シャニによってなまえは脱いだパンツをしっかりと履かされ。ケダモノと化した粛清を受けたオルガとクロトは、その頭に巨大なたん瘤を幾つも作りながら。四人はテーブルを囲って神妙な面持ちでいた。因みになまえは先程までの苦しそうな様子が嘘のように、普段通りの彼女らしい全く隙のない顔つきに戻っている。
気付く人は気付くだろう。彼女とシャニがやけにすっきりとした雰囲気でいる事に。その理由はまあ……、時たま憎々しげにシャニを睨むオルガとクロトを見れば分かるだろう。
だが、今彼等が話している議題はそんな事ではない。なまえに突如生えたナニの事だ。誰かに薬を盛られたか…?だがなまえに限って易々とそれを許す筈がない。彼女自身も身に覚えがないと言っていた。
四人は何となくこの騒ぎの原因に気づいている。というか、この艦内でこーんな騒ぎを引き起こす人物は、自分達を除いたら一人しかいないだろう。
「ズラ……」
彼らの脳裏に、勝ち誇った表情で高笑いするアズラエルの姿が浮かんだ。
……あ、何だか凄くイラッとする。
すくっと、何の合図もなしに同時に立ち上がった四人。彼等は戦闘時には普段のカオスが有り得ないほどの連携っぷりを見せる。その目付きは完全に獲物を刈る獣。
さて、アズラエルの運命やいかに。
命の危機が迫っているとも知らず、当のアズラエルは至極ご機嫌な様子で優雅な朝のティータイムを堪能していた。彼の趣味らしい、中世ヨーロッパを思わせるインテリアで埋め尽くされた内装。とてもではないが軍艦の一室とは思えない。
ある時通りがかりにこの異空間を見た艦長のナタル・バジルールは、驚愕と呆れが混ざった眼差しを向けたが、マイペースなこの男が気にするわけもなかった。
円形の机に掛かるのは白い清潔そうなレースで作られたテーブルクロス。陶器で出来た、緻密な花模様で彩られている美しいティーカップは、琥珀色の液体で満たされている。そっと鼻先まで近付ければ、ほどよい温もりの湯気と共にかぎ慣れた芳醇な香りが伝わってきて、アズラエルの心はどんどん安らいでいく。
本国からわざわざ取り寄せて正解だ。やはり紅茶はこの銘柄に限る。この安らかな時が永遠に続けばいいのに……。
目を閉じてゆったりと椅子の背凭れに背を預けるアズラエルは、本当に至福の一時を味わっていた。こうして完全に自分の世界に入っていたせいだろう。凄まじい勢いで部屋に近付く、四つの危機迫った足音を察することが出来なかった。ほんの数秒でも早く気づければ、これから起こる惨劇を免れたかもしれないのに……。
ばきいっ!!
自動扉が、開くのも待たずに無惨な音と共に破壊される。
え?と顔を向けようとした時には、既に遅く━━━
「アズラエルゥゥゥゥゥ!!!!」
「ぐはあっ?!!」
状況を理解する間もなく、アズラエルの体に四人分の拳と跳び蹴りの衝撃が入る。3○歳の貧弱な体が、闘いで鍛え抜いた強靭な力を受け止めきれる筈もなく……。ご自慢のインテリア装飾を滅茶苦茶に壊しながら、アズラエルの体が部屋を舞う。悲痛なアズラエルの悲鳴をBGMに、床に落ちた紅茶が絨毯に染みていく様は、やけに悲壮に満ちた光景であった……。
砂煙舞う部屋は数分前までの豪華さの名残も何もない、殺風景なものへと変化していた。その中央にボロボロになった調度品にまみれて倒れる金髪の男。彼を取り囲むように立つ四人の少年少女は、傷だらけ埃まみれの男を微塵の情けもない冷徹な眼差しで見下ろしている。よろよろと、男の片手が彼等のこれ以上の狼藉を制するように上がった。
「ま、待ちなさい君達……幾らなんでも、何の説明もなしの暴力は、あまりにも……」
「はあ?」
荒々しくアズラエルの眼前に、クロトの足が踏み下ろされて口を紡ぐ。丁度下ろした先にあったティーポットがパリンと割れ、さーっと頭から足の先まで血の気が引いていく。
やばい、これはやばい。遂に僕、こいつらに殺される?!!
しかも今回は、いつもなら自分に対して明確な殺意を見せないなまえが、やけに殺気だっているではないか(無意識に殺されかけた事は幾度もあるが)。皮肉にもなまえの戦闘態勢をよーく知るアズラエルは、彼女に標的にされていると理解してしまう。
「何も知らないとは言わせない」
「ひぃっ…!!」
「お前だろ、なまえに変な薬を盛ったの」
「く、薬…?!!そんなの僕は知りませんよ!!」
と、主張した所で信用されるわけもない。日頃の彼の行いを考えれば自業自得であるが、アズラエルの方はすれば必死である。
"今回は"本当に身に覚えがない事なのだ。訳も分からず半殺し(で、済むか分からない)にされてたまるものか!!
取り敢えず彼等の中で話が分かるのはなまえだ。縋りつくように彼女の足にしがみ付き、必死の形相で懇願する。
「お、お願いです!本当に僕は身に覚えがないんですよ!!信じて下さいぃぃぃぃ!!」
「ちょ、きもっ……」
「ズラてめぇぇぇぇぇぇ!!何気安くなまえに触ってんだよ!!」
結局オルガ達からの制裁を受ける事にはなったが、気持ち悪がられながらもなまえにはアズラエルの気持ちが通じ、お蔭で一方的な暴力は中断された。殺されなかっただけ、彼からすれば儲けもんである。
かくかくしかじか……
四人から話を聞いたアズラエルは、目を点にして思わずその視線をなまえの下半身へ━━━
「へぶぅっ!!」
向けた所で顔面になまえの足が勢い良くめり込んだ。普段の自分達以上に容赦のなかった動きにオルガ達は顔を青褪めつつ、犯人が外れと分かって頭を傾げた。
アズラエルが違うとなると、一体誰が……?
少なくともこの艦内で、彼以外になまえにちょっかいを出すような命知らずはいない筈だが。
「……君達、一人忘れちゃいませんか?」
「は……?」
鼻血をだらだら流しているせいで、全然決まってはいないがドヤ顔で話し出したアズラエルに全員の視線が向く。
一人……?
このドミニオンで、自分達を抜かしてなまえに近付く人間なんて━━━
「…いるでしょう、一人。このドミニオンでまことしやかに囁かれている噂、君達も聞いた事がある筈です
その者、軍艦ドミニオンの陰のドンと呼ばれる恐るべき存在……
決して敵に回してはいけない、麗しき緋髪の魔女。
「元はといえば私が保護しろと言った人ですが、今はかなり後悔しています!!そう、あの第4の悪魔(第1〜3は言わずもがな)……
フレイ・アルスター!!」
シャニ、オルガ、クロトの脳天に電撃が走ったかのような衝撃が走る。
彼等には高らかに笑う魔女…もといフレイの姿が浮かんでいた。
そうだ、アズラエルに気をとられてすっかり忘れていた。オルガ達三人にとっても因縁の相手である、あの女の存在を!!
「フレイ?フレイが、私を……?」
緊張感で一気に満たされた空間の中、なまえのみが訳が分からないといった様子で周囲を見渡している。何故ならフレイ・アルスターという少女は魔女として畏怖されている一方で、なまえの初めての同性の友人という顔を持っているからだ。
今、なまえとシャニ、クロト、オルガはフレイが居を構える部屋の前にいる。魔女の住処に突入するとあって後者三人の顔はやけに強張っているが、なまえは全く普段通りだ。
寧ろ緊張している彼等に怪訝さを抱いているくらいだ。何故ならフレイは大好きななまえの前ではどす黒い魔女の一面を見せない。無害で無力なか弱い女子を演じているからである。
「フレイ?」
声をかければ、扉の向こうから少女らしい高めの澄んだ声が返って来た。その後に一歩足を踏み出し、開いたドアの先にはアズラエルとはまた違うが、やはり戦艦内とは思えない空間がそこには広がっていた。同じ女であるのに殺風景で飾りも何もないなまえの部屋とは正反対に、此処は可愛らしいという言葉に相応しい調度品で満たされている。
いかにも柔らかそうな薄いピンク色のクッションが幾つも乗るベッドに座っていた少女は、入って来たなまえに嬉しそうに笑いかけた……のも束の間、その後ろに並ぶ男陣を見て、あからさまに顔を歪めた。同様にシャニ達もフレイを恨めしそうに睨んだ事は言うまでもない。
「なまえ、どうしたの?貴女が自分から私の部屋に来るのって珍しいわよね?」
「実は、フレイに聞きたい事があって……」
女同士……しかもなまえにとっては初めてで唯一の女友達とあって、フレイはシャニ達とはまた違う意味で大事な存在である。どことなく声や表情も自分達に向けるより柔らかい気がして面白くない。
「おい!お前がなまえに薬を盛ったんじゃないだろうな?!」
「クロト……!」
食って掛かるように一歩踏み出したクロト。なまえが制するように声をかけたが彼はフレイをじっと睨んで後に退かない。そんな彼を不快そうに見たフレイだったが、それは一瞬のこと。直ぐになまえに向けて戸惑ったような、か弱い少女の顔を作った。それに苛立ったクロトがフレイに詰め寄ろうとしたが、オルガによって抑えられて事なきを得る。下手にフレイに手を出せば痛い目をみるのは自分達だ。
「薬、って……なまえ、一体どういう事……?」
「、実は……」
話を聞くに連れてフレイの表情が変化していく。
驚愕、絶望、そして━━━……
「ぅ、っ……!」
「フレイ?」
愛らしい薄灰の双眼から大粒の涙をボロボロと溢し始めたフレイに、その場の全員ぎょっと目を見張る。犬猿の仲のシャニ達も焦燥を抱くほど、フレイの泣き姿は痛ましかったのだ。なまえの宥めも効かずに嗚咽を漏らす彼女は、何故か泣き声の中で謝罪を繰り返す。
なまえの名を呼び幾度も、ごめん、ごめんなさい……と。
そんなこんなでおよそ十分後。
渋々オルガから差し出されたハンカチで勢いよく鼻を咬み咬み、ぽつりぽつりとフレイは号泣の真相を、先ずは結論から話し始めた。
「実はその薬、私の物だったの……」
「…………はああああああ?!!」
やっぱりお前か、この魔女め!!
早速天誅下そうとした三人を宥めたのはなまえだった。その隙にフレイは更に続ける。
「でもそれはなまえに飲ませたかった訳じゃなくて……!!」
あの薬は、本当は……っ、私が飲むはずのものだったのっ!!
フレイが落としたカミングアウトは、核爆弾をも越す威力。フレイの部屋を震源に、凄まじい音波がドミニオン中へ見えぬ衝撃波となって散った。
「な、なななななんでお前が、あの薬を……?!」
そもそも、あんな薬を持っていたこと自体ヤバイが、それをまさか自分で飲む為だったとは……!いったいどんな意図があって?!!
「なまえの、役に立ちたかったのよ……!」
「私の?」
まるで恋する乙女のように潤んだ瞳でなまえを見上げ、熱心に語り始めたフレイ。
彼女いわく、なまえはこのドミニオンに来て、右も左もわからず不安で震えていた自分を助けてくれた。
更に意地悪をしてくる三人の不良を黙らせ、あの嫌みでねちっこい理事(笑)を追い払ってくれる……。
そして戦場では誰よりも強く、逞しく地を駆け空を舞って、敵を倒し……云々かんぬん。
こうして自分を命懸けで守ってくれるなまえの力に少しでもなりたかった!無力な自分も、男になれば少しは役に立てるのではないか!そう思い、あの薬を手にしたのだと言う。
「でもまさか間違えてなまえにあげた私特製の栄養ドリンクに混ぜてしまっていたなんて……本当に、ごめんなさい!!」
あまりにもぶっ飛んでいる少女の奇行にげっそりとした男三人。その横でなまえは震えていた。怒りではなく、なんと感動で、だ。フレイが自分の為にしてくれていた事が、どうやらかなり嬉しかったらしい。頭を下げたままのフレイを彼女はそっと抱き締めた。
「……もういい。まさかフレイがそんな事を思っていたなんて」
「っ私、どうしても貴女の役に立ちたくて……!」
「フレイは、今のフレイのままで十分私の生きる糧なんだ。シャニ達と同じで。だからフレイは変わる必要なんてない」
「ああ……!なまえっ!!」
よよよよと再び泣き出したフレイの背を優しく撫で続けるなまえ。
これは、うん。長引きそうだ。
そう察した三人は無言で、静かに部屋を去った。フレイがこのドミニオンに来てから、なまえの最優先人物は四人になった。そのフレイがああして取り乱している今、きっとなまえは三人が何を言ってもフレイから暫く離れはしないだろう。むしゃくしゃするものの一旦退却、の道を選ぶしかなかった。
「……あれ。でもさ、なんか可笑しくない?」
暫くお通夜みたいな空気で通路を渡っていたら、ふとクロトが口を開いた。何が?と目を向ける二人に、先程のフレイの話しとなまえに起きた現象を照らし合わせながら話す。
「アイツは男になってなまえの役に立ちたかった、って言ってたけどさ、なまえが男になったのって……"アソコ"だけじゃん?」
随分大変な事を見逃していたのだと気づき、顔色が一気に青ざめる。
同時にフレイの真意も予想してしまったのだ。
「まさか、まさかあの女……!!あわよくば、なまえとそんなプレイを……?!!」
自分の下半身だけ男にして、見た目は無害は女を装い、なまえが自分には優しい事を利用してなまえを……、
三人の脳裏に、今まさにそんな状況に陥っている二人の姿が浮かび上がる。
けたたましい高笑いをあげるフレイ……なんというデジャヴ。
そんな光景が浮かんだまさにその直後。
こういう時だけは息が合う三人は、一斉に回れ右。そうして先程までの道を凄まじい勢いで逆走し始めた。
「なまえ、無事でいろぉぉぉぉ!!」
柔らかく、そして甘い花の香りがする少女の胸に顔を埋めたまま、フレイは分からない程度ににやりと唇の端を吊り上げた。
あの薬をなまえに飲ませてしまったのは誤算だったけれど、効果が間違いないという事を試せた、という点を配慮すれば怪我の功名というべきか。こうして(半分)嘘の理由を述べた事で、なまえの私への信頼はより増したことだし。
スカートのポケットにある小瓶の存在を思い起こしながら、フレイの脳裏では新たな計画が渦巻いていた。
出会った時は、あのお邪魔虫三人より遥かに後。だがそんな出遅れはこれから先、いくらでも縮めることが可能だ。初めての女友達とは、なまえの中でもかなり大きい存在があると自負している。後はその気持ちを……上手く恋慕へと誘導してしまえばいい。
ふふふ……と含み笑いしながら、なまえの背に回す腕の力を僅かに強めた。
━━━馬鹿な男達。女だからこそ、女を悦ばせる術はたくさん知ってるのよ……?
水面下の思惑、己の身に迫る危険、新たな戦いの幕開けに気付く事なく、なまえは美しい友情の心地好さに浸っている。
━━━知らない方が幸せな事柄もこの世にはたくさんある。当分はフレイとの固い友情を信じていた方が、なまえの為だろう。
…………多分。
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