寡黙な恋愛事情

 朝昼には数多の人で賑わう江戸の町。だが一度夜になれば陽が昇る時とは、また異なる賑わいで溢れかえる。
特にここ、歌舞伎町は。

 歌舞伎町の一角にある住宅街は、正直治安がいいとは言い難い。繁華街の様な人気はなく、外套の灯は酷く心許ない為、道を照らしているのは儚い月明りだけ。更に、夜の店から抜け出した酔っぱらいがちらほらと彷徨いているとあっては、本来女の一人歩きは好ましくないのだが……仕事が長引いてしまったのだから仕方ない。
そう心の中で独り言ちながら、急ぎ足でなまえは静まり返った道を歩く。彼女以外に付近を歩いている人はおらず、草履が道路を擦る音がやけに耳につく。軽やかなその音は、昼間は心地よさすら感じるはずなのに、今は不安感を煽るのだから不思議である。
 時折灯りが消えかかっている年期の入った自販機を通り過ぎようとした、その時。
不意に自販機の影から何かが飛び出してきてなまえは驚いて足を止めた。なまえの進行方向を妨害した何かは、ゆらりと動くと自販機から漏れる光にあたってその正体を現す。
「そんなに急いでどこ行くのー?お姉さん、暇なら俺と遊ぼーよ」
 すっかり出来上がった様子の青年が、ふらついた足取りでなまえへ近付いてくる。今日はやけに夜道に不安を募らせていたが、もしかして虫の知らせだったのだろうか。面倒だと思いながらも、一応ひきつり気味の愛想笑いで酔っぱらいの絡みを誤魔化す。そうしてそそくさと通り過ぎようとしたのだが、強く腕を捕まれて動きを妨害されてしまった。理性を失っているが故の容赦のない力加減だ。
「ちょ……離してください!」
「つれないこと言わないでよー!ちょっとだけ、ね?ね?」
 足取りは危なっかしいくせに腕をつかむ力は緩む気配がない。精一杯抵抗するも、されるがままに距離は縮まってしまう。鼻につくアルコールの匂いに思わず眉を潜めた。ずるずるとなまえを引きずる青年が、直ぐ側にある路地裏を目指していることに気づき、慌てて抵抗を激しくする。
あんな狭くて逃げ道のな居場所に連れ込まれてしまったら……。
想像するだけで背筋が凍りそうだ。
「嫌です……!離してっ!!」
 なんて質の悪い男に絡まれてしまったんだろう。
苛立ち、焦り、恐怖が一挙に高まって涙が込み上げる。
必死の彼女の抵抗に、男の方もまた苛立ちを募らせ始めていた。あと一歩で路地裏に引き込めるというのに、なかなか先に進めない。男は遂に締まりのない笑みから一変。感情のままに声を荒げ始めた。
「この女、っ!!大人しくついて来いっつってんだよ!!」
 空気が唸るほど勢いよく振りかぶられた男の拳。大きく見開いたなまえの目にはやけに鮮明に写り、来たるであろう衝撃への恐怖からぎゅっと目を閉じた。

 ━━━だが、一向に痛みは訪れない。
恐る恐る開いた瞼のその先の光景は、
「いだっ……いだだだだだ!!」
 なまえに振りかざした手首を誰かに強く捻られ、痛みに悶える男の姿だった。いつの間にかなまえの拘束も解かれていたが、呆然と目の前の光景を見たまま動けないでいる。
 男の手首を捻っていた人物は、そのまま男を横へ乱雑に放る。受け身をとれず無様に地面に転がった男は、痛む手首を押さえながら顔を上げた。
唯でさえ正常な思考回路をしていなかった男の脳内は現状に付いていけていない。そんな状態の彼の目に映った、夜空に高く浮かぶ月を背後に己を見下ろす人影。
逆光で顔は見えずも、その全身から放たれる威圧、そして爛々と輝く真っ赤な二つの光━━━
体の痛みも相まって、酔っぱらい男の恐怖心は最高潮に達した。
「っぎ、ぎゃあああああ!!」
 けたたましい悲鳴をあげると、転がるように男は逃走し、すぐに夜の暗闇へと姿を消したのだった。
暫くすればその場には再び静寂が訪れる。呆気にとられていたなまえだったが、自分を助けてくれた人物が何も言わずに立ち去ろうとしていることに気付いてやっと我に返った。
「あ、あの!」
 なまえに背を向けたままだったが立ち止まってくれた。慌てて人影に近付く。自分より頭二つ、三つ分は大きそうな背丈。体格からも男性なのだろうと察せられる。
ふと、なまえは男性が刀を背負っていることに気付いた。それによく目を凝らしてみれば、彼が来ている服装も目につく。廃刀令のこのご時世で堂々と真剣を担ぐ事が出来る人間はかなり限られる。そして見覚えがある服装……いや隊服と言った方が正しいだろうか?時たま町中で同じ服を来ている人々を見かけるのだ。
この人は、きっと……
「ありがとうございました!あの……真選組の方ですよね?」
そう、真選組。なまえの問いかけに返事はなかったが、無言の肯定だとなんとなく分かった。
「お礼を、させて下さい……!よければ、お名前を……」
そこまで言いかけたところで、男性が少しだけなまえの方へ僅かに顔を向けた。酔っぱらい男が怯えた深紅の光。
しかしなまえにはとても魅力的に思えた。物々しさを感じても可笑しくない鋭さなのに、こうして目を反らす事が出来ないのは、敵意が一切感じられないからだろうか。男性の方はどこかうっとりとしたなまえの眼差しから逃げるように顔を反らすと、遂に背を向けて歩き出してしまった。はっとして声をかけようとするも、数秒もしない内に男性の姿も、気配も、完全に周囲から消えていた。
 ……行ってしまった。
名前すら教えてくれなかった。
顔も……唯一の手掛かりは真選組ということだけ。
いや、それだけでも探し出す事は不可能じゃないはずだ。簡単に諦められる事はできなかった。なまえは挑むように、これまで無言で事と流れを眺めていた月を見上げた。
 僅かとはいえしっかりと脳裏に焼き付けた彼の特徴を、なまえは見つけ出すまで決して忘れないだろう。
暗闇に負けない輝きを放つ深紅の瞳を。
そして特に目立つふさふさのアフロ頭をした、恩人の姿を。


 これがふたりの━━━なまえと、とある極度の無口な公務員の運命的な(?)出会いである。
それなりに長く話したせいで、少しだけ呼吸を乱した女性を前に、春の眠気でいつも以上に淀む双眼が点になる。
数秒、固まった後……
あれ?なんか、話きく限りでは見たことあるような特徴した男だぞ?
背中に二つの剣をしょった真選組の隊士で
アフロ、頭で……?
「あのさ、お姉さん。本当にアフロ頭した真選組の野郎で間違いない?」
「はい、間違いありません。ちょうど万屋さんの頭をもう少しボリューミーにした感じで……」
「おい、誰がアフロ頭だ」
 無意識に人のコンプレックスを突いてきたので素早く突っ込むも、既に名も知らぬ恩人に想いを馳せていて一切耳に入ってないようだ。恋する女は無敵である。
 はあ、と大きく息をはいた銀時は目の前の女性を改めて見た。なまえと名乗った彼女は、年よりも幼く見える顔立ちをしているが、一見どこにでもいる普通の二十代の女性だ。そんな女性が、まさかあの一癖も二癖もある変人集団の一人にほの字になるとは。
しかも彼女が好いているという男はおそらく……いや、確実に変人達の中でも度をいく変人。
「お姉さん、お礼を言いたいからそいつに会いたいっていうんなら分かるけどさあ。惚れたから想いを伝えたいっていうのは些か早急すぎるんじゃ、」
「確かに、まだ名前どころか顔すら知らない相手ですし……いい年して軽率かと自分でもわかっています」
 でもこの想いは抑えられそうになかった。
これでも最初の頃は助けてくれたお礼を言うだけのつもりで、それとなく真選組の門前で様子を窺ってはいたのだが……。
記憶にある特徴をした者は誰一人として見つけることは叶わなかった。直接聞こうにも、一般人はどこか近寄りがたい真選組屯所。進展なきまま時は過ぎていき、なまえの気持ちは褪せるどころか募っていくばかり。八方塞がりとなった彼女は、藁をも掴む思いで万屋の門を叩いたのだった。
「万屋さんなら真選組の方と面識もあると伺っております……。どうか、あの方に一度お会いする機会を作っていただけないでしょうか……!別に叶わなくてもいいんです、この想いを伝えられればそれだけで……」
 よよよと涙ぐむ彼女に銀時は深くため息を吐く。
面識があるっていうか、ただ因縁が深いだけなんだけど。
あいつらと関わると面倒事が余計に増えるからこそ、銀時の腰は重い。そんな彼に、なまえに寄り添った二人の咎めるような眼差しが向けられた。
「銀さん、会わせてあげましょうよ。一途な思いをこのまま抱えているだけなんて不憫じゃないですか」
「女が涙を流して懇願してるのに断るなんて、大の男がする事じゃないアル」
 やけに今回の依頼に乗り気な新八と神楽。小綺麗な若い女が依頼人であるということと、彼女が引き合いに出した報酬料が結構な額であるという事がその理由かもしれない。神楽に関しては、なまえが手土産で持ってきた手作りの料理に胃袋を捕まれた、というのも加えておこう。口許にしっかり食べかすを付けた神楽が、震えるなまえの背中にてを添えて慰める。
「大丈夫アル。銀ちゃんが必ずなまえ姉の愛しの男を見つけ出してくれるから」
「銀さんはああ見えてやるときはやる男ですから。普段あんなにやさぐれてても。だから任せてください」
「神楽ちゃん……新八君……」
「おいいいい!なに俺の許可なしに勝手に話進めてくれちゃってんのー?!っつーかいつの間にお前らそんなに仲良さげになってんだよ」
 手を取り合って微笑み合う三人の前で、一人蚊帳の外の銀時。
結局この後、銀時の主張は微塵も通ることはなく。なまえの思い人である真選組の隊士を見つけ出す、という依頼が正式に入ってしまったのだった。

 だがよくよく考えれば依頼内容それ自体はひどく単純なものではないだろうか。なまえには未だ伝えていなかったが銀時は思い人の正体を知っている。真選組という事で些かのトラブルは起きるやも知れないが、それを上手くかわしていけば、短時間でなまえとあの男を引き合わせることに成功できる。時間と労力を使うことなく、それなりの報酬を受け取れるって寸法だ。
「……しゃーねえ。じゃ、行くとすっか」
 よっこいせと年寄りみたいにソファから腰をあげた銀時に、嬉々とした新八と神楽が続く。
いざ、真選組の屯所へ。
そう意気込んで玄関へと続く廊下に足を踏み出したとき……
「……あの、銀さん」
 三人は一様に動きを止めた。新八の固い声がやけにその場に響いたその直後、狙ったかのようなタイミングで万屋にインターホンが鳴り響いた。訪問者を歓迎する明るく軽快な音である筈のそれが、今はやけに重苦しく感じる。
それは玄関の磨りガラスに映る、訪問者のシルエットのせいだ。若かりし頃の鶴瓶師匠を思わせる髪形(と、以前に某攘夷志士が称していた)。見事なアフロ頭をした誰かが、今まさに万屋の玄関前にいる。
誰か、なんてそんな野暮な……

い、依頼対象自らここに来たーー?!!

「え?なんで?!なんであいつ此処に来てんの?!なに、テレパシー?!」
「これぞまさに飛んで火に入る夏の虫ネ!即効生け捕りにしてなまえ姉に献上するアル!そうすればなまえ姉の手料理がまた食べれる!」
「なに物騒なこと言ってんの神楽ちゃんんんん?!ってか最後本音が漏れてるし!」
「ズラと仮にも対等に渡り合うやつをそんな簡単に捕まえられる訳ねーだろーが!てかそれこそ更に厄介な事になるわ!」
 三人がごたついてる間に訪問者がインターホンを押す感覚が狭まっていく。喧しく鳴り響くチャイム音。ここまで完全にデジャヴである。
不意に新八は玄関の方に目を向けると、確かにいた筈のシルエットが消えていた。あれ?この流れもいつかどこかで……
そう思って嫌な予感が過った次の瞬間。

 ガシャーン!!

 インターホンなど比べ物にもならないけたたましい騒音と共に、いつまで経っても開かない扉にしびれを切らした訪問者が裏から強行突破して来たのだった。陽光に照らされてキラキラ輝く窓ガラスの破片と共に万屋の床に降り立った黒い靴。
呆然と立ち尽くす三人の前に訪問者は立ち上がってその面を露わにした。真選組の一員であることを表す黒い制服。
その顔立ちは目元までを覆う布のせいではっきりとは分からないが、切れ長でどこか威圧感を相手に与える赤い瞳は力強く印象深い。
そして何より……彼を最も特徴付けるであろう、ふさふさした橙色のアフロ頭。

新撰組三番隊隊長、斉藤終。

間違いなく彼こそが、あの夜なまえを助けた男。
なまえの想い人その人なのである。


 斉藤終は悩んでいた。それはそれは酷く悩んでいた。彼のこれまで人生、半分以上が悩みで出来ていたといっても過言ではないが、今回の悩みはこれまでとは少し種類が違っていた。深みに嵌まる危険がこれまで以上にある。気を抜いたら日々の仕事に支障が生じてしまいそうな程。
いや、もしかしたら既に影響は出ているのかもしれない。事実、彼が腹を下してトイレに行く回数はこれまでの二倍になっていた。とはいえ真選組の仲間には上手く相談することが出来ず。
彼は遂に筆をとった。普段声に出せなくとも、懐紙にならすらすらと自分の思いを綴れる。
そうして幾枚かに渡った紙を封筒に詰めた斉藤は━━
自らの足で宛先の元に赴き、無言で置き去った。
そう、万屋銀ちゃんのトイレの便座に。

 ここまでの流れ、完全に以前と同じである。終始無言でトイレに入って用を足し、そして去って行った斉藤終。彼が出ていったトイレを確認すれば、やはりそこには依頼書がぽつんと置かれていたのだった。中身を確認した銀時は……ここ最近で一番深く、そして長いため息を吐いた。
「ぎ、銀さん……なんて書いてあったんですか?」
「……仕事が増えた。ったく一度に二つなんてしんどい事この上ないのによお」
「え?それなら、斉藤さんのは一旦後回しにしたらいいんじゃ……」
「いや、同時進行でいい。この依頼はな」
 ひらひらと斉藤の依頼書を翳す銀時は、何故か新八と神楽にその内容を知らせようとはしなかった。
そして更に彼は今回の二つの依頼は、全て自分が一人でやると言い放った。
「本当に一人で大丈夫なんですか?」
「なまえ姉の依頼は手を抜いたら承知しないアルよ?!」
「大丈夫だって。報酬貰う為だ、ちゃんとアフロには会わせてやらぁ」
 しっしっと銀時は不安そうな二人を追い払い、執務机に腰掛けると再び依頼書に目を落とした。
そうして怠慢な仕草で鼻をほじりつつ、心底うんざりしたような口調で吐き捨てる。
「ったく……春ってのはめんどくせー季節だねえ」
 そんな銀時の独白を嘲笑うかのように、斉藤によって蹴破られた窓から、風と共に薄桃色の花弁が幾つも入り込んできた。
悪態と裏腹にやけに軽い筆遣いで文字を連ねる銀時の背中に、それは降り注いでいく。
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Honey