00:PROLOG


 小さな小さな赤ん坊が、すやすやと己の腕の中で幸せそうな寝顔を晒しながらも眠っている。
 あまりにも小さくて、あたたかくて。力を込めてしまえば、死んでしまうのではないかと危惧してしまいそうになる。

 ——この赤ん坊の両親は、いない。否、いないと表すのは些か失礼にあたってしまうかもしれない。細かく言えば、この赤ん坊の両親は「我々が来た時にはもう既に亡くなっていた」のだから。
 冷たくなった母親女性に抱かれすやすやと眠っていた赤ん坊は、我々が来るのがもう少し遅ければ今ここにはいなかっただろう。なにせ、赤ん坊の両親を殺した"ソレ"が狙いを定めていたのは、赤ん坊だった。殺そうとするのなら両親共々殺していただろうから、恐らく拐おうとしていたのだろう。
 両親は"ソレら"が狙う"トリオン器官"をくり抜かれていた状態だったので、赤ん坊のみを拐おうとしていた……というところか。

「……城戸きどさん、その子のことだけど」

 共に行動していた子供が、険しい顔付きで私の名を呼んだ。じんの視線は私ではなく、今なお私の腕の中で眠っている赤ん坊に向けられており、何かしらの未来が見えたのだとすぐに察することが出来た。
 迅には、未来が見える。そういうサイドエフェクトを持っているからだ。[目の前の人間の少し先の未来を見ること]というサイドエフェクトを持っている迅には、この赤ん坊の未来が見えたのだろう。

 体ごと迅の方へと向き直し、彼が次に発する言葉を待つ。迅はどこか言いづらそうに何度か口を開閉させたあと、赤ん坊から目を逸らして言った。

「……孤児院とかは、ダメだ。親戚とかもいないって城戸さんは言っていたけど、孤児院とかはダメ」
「理由は、なんだ」
「どの孤児院に預けた未来でも……この子は、死ぬか拐われている。トリオン量が多いからなんだろうね。そのどちらの未来も近界民ネイバー関連」
「!」

 "近界民関連"という言葉に、思わず目を見開いてしまう。数ヶ月前に己や迅の仲間達の命を奪ったあの存在は、この赤ん坊の両親だけでなくこの赤ん坊自身の命さえもを奪うというのか。奪わないとしても、拐われてしまうのか。この子はまだ、幼い子供だというのに。まだ一歳にも満たない、小さな子供だというのに。
 赤ん坊を抱いている腕に、思わず力がこもってしまう。

 ……話は聞いていた。この赤ん坊の話は、よく聞いていた。ようやく、見れると思っていた。写真は送られてきていたのだ。会える機会がなかなか見つからず、今の今まで会いに行くことすら出来なかっただけで。
 近界民とは関わりのない夫婦だった。我々がしていることが普通のものでは無いと察しながらも、触れようとはしない夫婦であった。
 ただの城戸正宗まさむねの知人として、彼らは接してくれていた。

 数ヶ月前。子が生まれたと聞いた時、どれほど喜んだことか。その後すぐボーダーとしての活動があった為に、会うことは出来なかったけれど、それでも今日という日が来るのを楽しみにしていた。
 迅とは会わせたことがなかったため、会わせて迅に彼らの未来を見てもらおうとも考えていた。もう二度と、あのような出来事を起こしたくなかったからだ。
 ……だが、もう既に遅かった。遺されていたのは、小さな子供だけだった。

 私が生きている世界は、きっとこれから先もっと大きなものになるだろう。迅曰く、これから先大きな侵攻が来る未来があると言われていることもあり、その時が来たら私や私が率いているボーダーという組織の存在を明るみに出すことになるだろう。
 親戚がいたら話は変わったが、あの夫婦にそういった存在はいない。
 そうなれば、この子供はどうなるのだろうか。私が引き取るという選択肢はあるようでないようなものだ。だからこそ、初めから孤児院に預けるという選択肢を選ぶつもりだった。

 だが、それではダメらしい。迅はまだ口には出していないが、この赤ん坊にとっての最前の未来がなんなのかくらい、「孤児院はいけない」という言葉ですぐに察することが出来てしまった。
 出来ることなら、巻き込みたくはなかった。
 "そういった世界"とは、きたる時が来てしまうまでは関わることのない、普通の子供として生きて欲しかったからだ。……だが、それではいけないのだろう。

「迅」

 気まずそうに目を逸らす迅の名前を呼ぶ。恐る恐るという様子で私の方へと顔を向けた迅に、私はゆっくりと口を開いた。

「——この子を、私の子供として迎える未来は、最善のものか?」

 そう訊ねた時、迅は大きく目を見開いたあと優しく微笑み、言った。

「————」




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