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「で、どこなんだ。ここは」



 高麗国を離れ、一行は珍しく人里離れたところに移動した。霧の立ち込める森の中といった様子で、目の前には大きな湖がある。水があるなら飢えて死ぬことはない。

 慣れた様子で”家屋なし、人の気配なし”とそれぞれが周囲の状況を確認・報告し合い、次いでモコナに羽根の有無を確認する。



「強い力は感じる」

「どこから感じる?」



 モコナが短い腕を器用に組んで湖を示す。



「潜って探せってのかよ」



 頷くモコナに一行は一先ず湖の様子を注意深く観察する。何せ、高麗国では秘妖の”池”に苦戦したから。水辺には警戒もしてしまう。

 その後ろから、サクラが「待って」と声を上げた。小狼とファイが振り向き、サクラの言葉を待つ。



「わたしが行きま……」

「おっと」



「……す」



 すぐにでも飛び込んでしまいそうな意気込みを見せたサクラは、その勢いを失いふらりと倒れていく。黒鋼がその頭を打ち付けないよう掌で受け止め、ゆっくりとサクラを地面に横たえる。随分優しい手つきである。それができるならファイと私にも優しく触れてほしいものだが。



「サクラ寝てる――」

「春香ちゃんの所で頑張ってずっと起きてたからねぇ」



 体調不良という訳ではない。記憶がまだ足りないサクラはすぐに眠ってしまう。心配を表情にありありと浮かべる小狼と共にサクラを覗き込み、穏やかな寝息を確認する。その手に触れて、状態を見るが何も問題はない。安心させるよう微笑みかけると、彼もほっとしたように微笑んだ。



「潜って探すのも勿論だけど、周りも確認しないとねぇ」

「おれが湖を見てきます」



「なんか便利な魔法はねぇのか?」

「がんばれーって応援するくらいですかね」

「モコナも応援するー!」

「ありがとう」



 踊るモコナ、小狼の微笑み、黒鋼の舌打ち、愉し気に笑うファイ。この光景を穏やかだと感じるほどこの世界はまだ平和で、私は彼らに慣れていた。

 結局、サクラを一人にしてはいけないということで、交代で彼女を見守りながら湖と周囲の探索を進めることになった。小狼は湖に潜るのは自分だけでいいと言うが、放って置いて溺死されでもしたらたまらないので、サクラを見守る者が彼の安否確認も兼ねた。

 初めはファイとモコナがサクラを見守り、黒鋼と私が森を探索し、火起こしに必要なものを探して戻った。食べられるものがあれば取って戻りたかったが、特に目ぼしいものはない。次は誰が残るかという話になったとき、水中で身体が冷えている小狼のために陽は高いが火起こしをして待とうということになった。言い出したのは清く優しいモコナである。黒鋼に魔法で起こせるんじゃないのかと聞かれ、一度は成程と手を打ったが、



「野焼きになったらすいません」

「ハァ?」

「調整が苦手で。えへへ、いたっ」



 また拳骨を喰らい、めそめそと泣く真似をする私を慰めるファイとモコナという体で連れられ、二度目の探索に駆り出した。すっかり遠慮が無くなったのはいいことだが、あまりにも暴力的である。高麗国で傷を治してやれなかったことは悪いと思っているが――



「モコナ、毒キノコと食べられるキノコに見分けとかできる?」

「できる!」

「モコナは何でもできるねぇ」



 癒し空間、爆誕である。森のマイナスイオンと二人の柔らかい空気に荒立っていた心が凪いでいく。



「あ!この草食べれますね」

「ウィズちゃんも何でもできるよねー」

「さっき、黒鋼に拳骨されましたけど……」



 火起こしもできないからって殴られた人に掛ける言葉ではない。モコナは黒鋼が乱暴だからとフォローしてくれるが、実際火が起こせないのはこの旅で命に関わる。黒鋼が呆れるのもおかしくないのだ。

 実際、ファイの方が余程物知りであれこれと木の実や野草を見つけては回収している。



「前に居た世界で、あちこち旅をしてたので少し知識があるだけなんですよ」

「へぇ――」



 自給自足が必要だった前の世界の旅では、行く先々で金策をして、飲み物食べ物の調達をしなければならなかった。一番お金のかかる武器や防具は勿論、旅に必要な日用品から薬などのために、食べ物は最早贅沢品だった。物作りができるのも、節約のためでもあった。



「またお好み焼きも食べたいです。桃饅もおいしかったなぁ」

「食べてるときのウィズ、幸せそうだもんね」

「どれも美味しくて。その木の実も美味しそうです」

「食べてみるー?」



 沢山摘んだ赤い実を摘まんで「あーん」と言われるが、手をさっと出して回避する。モコナがきゃっきゃと笑った。ファイが拒否されたのがおかしいらしい。私は阪神共和国でプリメーラを押し倒していた彼を忘れてはいない。どんなに無害そうに笑っていても、距離感要注意男である。



「すっぱ……!」

「あははは」

「知ってたんでしょファイ……でも食べれますね」



 赤い実は甘いと思い込んでいたが、とんでもない酸味が後を引く味わいである。こんなものを”あーん”されていたら彼に目掛けて吹き出していたかもしれない。モコナはファイに食べさせてもらい、すっぱい顔をしている。無論可愛い。



 持てるだけの野草と木の実を土産に湖の傍に戻ってくると、ちょうど小狼が戻ってきていて、濡れた身体のまま上着を着こんでいるところだった。黒鋼と彼に促されて火の傍に座らされている小狼に、ファイがいつもの笑顔で赤い実を差し出す。

 迷わず口にしようとする小狼にモコナがじゃれついていく。



「おいしかったよ!」

「……私も食べましたって」



 疑うようにこちらを見る黒鋼がその言葉を聞いて実を口に運ぶと、顔をぎゅっとしかめる。私とファイはぶっと吹き出して笑った。モコナも同様に口をぎゅっと結ぶ小狼の膝の上できゃっきゃと大喜びである。黒鋼に耳を掴まれ持ち上げられるまでは。



「おまえら……!」

「きゃーっこわーい!」

「あ――モコナー!」



 涙目の小狼がふふ、と小さく笑ったのが聞こえて私たちは一層楽しい気持ちになる。

 お互いに周囲の状況を報告し合ってから、今度は私とモコナがサクラを見守る番になった。



「小狼くん、結構長く潜ってるね」

「うん、泳ぐの得意みたい」



 はじめはサクラと肩が触れ合うほど傍に居たが、次第に小狼の安否が不安になり湖とサクラの間でうろうろと歩き続ける。あまりにも落ち着きがないと思ったモコナが私を安心させるとよう声を掛けてくれるが、もう五分以上経過している。



「大丈夫だよ、ウィズ」

「うん……」



 落ち着かなければ。確かに、私が不安でいたら、もしすぐに目が覚めたサクラが気づいて一層不安にさせてしまうだろう。小狼はその後間もなく水から上がって来て、数十秒呼吸を整えては潜るということを繰り返していた。広い湖をぐるっと泳いで回ってはみたようで、今は深いところに目掛けて行っているらしい。 二度目に上がって来たときには、体調を確認して一度火にあたらせてから見送った。



「まだ明るい内に見ておきたくて」

「そうだよねぇ」



 木々が多く霧が掛かったこの森は日が暮れるのが早く、水温は夕方に差し掛かってきんと冷えているほどだ。どれほど心配であっても、サクラの羽根に関わる可能性がある以上彼を強く引き止める気にはなれない。黒鋼に指示された通りに枝を火にくべながら、サクラの寝息に慰められる時間を過ごした。



「寒くなってきたねぇ」

「うん、ウィズ、小狼のこと心配して飛び込みそうだったよ」

「サクラちゃんを放っておけないから、踏みとどまってたけど……そろそろ今日は湖の調査を終わりにしないと」



 サクラの身体に羽織を掛けてあげるファイも頷いた。次に小狼が上がって来たら、一度全員でこの場を離れて半ば強制的に休憩をさせることになった。

 ファイは戻って来た小狼に、野生動物が居るようだとしれっと嘘を吐き、罠を張るのに手が要ると言って彼にサクラを任せてその場を離れる。黒鋼がファイにじっとりとした視線を送るので肘で小突いて進ませる。いくら平然と嘘をついていようが、小狼を休ませるのにこれ以上の適任と言い訳はないだろう。



 空も暗くなってきたが、霧も濃くなった。人気がないのが不気味さを感じさせるのだろうか。



「霧濃くなってきたねぇ」

「うん、暗いね」



 ファイの言葉に返された声色にびくりと身体が跳ねる。黒鋼の声だ。



「かなり遠くまで来たけど、誰にも会わないねぇ。民家もないし」



 黒鋼の語調に構わず、ファイは平然と返している。聞き間違いだったかもしれない。



「こわいなこわいな」

「いやいやいや……」

「大丈夫だよ、側にいるから」



「黒鋼うれしい♡」

「誰が黒鋼だー!!おまえはモコナだろ!」



 語調があまりにも違い、そして黒鋼自身が吠えたことで胸を撫でおろす。モコナの声真似だったらしい。喜色悪いことをするなと怒り狂う黒鋼に構わず、ファイは声真似の出来を賞賛している。



「黒みゅうにそっくりだったよぉ」



 黒みゅう――

 確かに、モコナの演じた黒鋼はそういった風情だった。



「モコナ108つの秘密技のひとつなの。うふふふ」

「後107つは?」



「な・い・しょ♡」

「モコナったら焦らし上手――」



 モコナに顔を擦り寄せているファイを横目に黒鋼は「一生やってろ」と吐き捨てている。この二人を眺めている分には癒されるが、やる相手としでかした内容が全く癒されないので悩ましい。一旦二人を放っておくことにして黒鋼の後に続く。



「あ、黒たん待ってー」

「待ってー」



「――何だ!?」



 撒かんばかりに早足の黒鋼に続いていると、後方が落雷でもあったかのように光った。湖の方向からだ。



 一行が跳ぶ勢いで元来た道を戻ると、サクラが湖の傍で崩れ落ちるように眠っていて、小狼の姿は無かった。湖には波紋が残っていて、未だうっすらと光っている湖にはまさに飛び込んでいったのだろう小狼の姿が見える。水底に向かっていく彼の姿は次第に見えなくなるが、自らの意思で飛び込んでいったのは間違いなさそうだった。

 サクラの身体に触れて異変が無く眠っていることを確認してから、彼女を火の傍まで抱えて戻る。



「サクラちゃん、きっと起きたんだね」



 ファイの言葉に頷く。サクラの身体はまだ温かく、傍に落ちているファイの羽織も同様だった。



「その後で湖が光って飛び込んだのかな」

「サクラ、小狼が心配で追いかけたのかも」



 小狼がサクラに配慮しないはずがない。一方で、羽根を集めるために自身のことを省みないところや、サクラの心配に気が付かないところがあるのは確かだ。そして、それは羽根が戻るにつれて意思を取り戻しつつあるサクラにとって良いことではない。



「小狼!!」

「モコナ」

「サクラが!サクラがぁ――!!」 



 暫くして湖から上がった小狼が、モコナの剣幕に慌てて駆け戻って来る。服も脱がずに飛び込んだようで、びっしょりと濡れて重たげだ。



「良く寝てるのっ♡」



 モコナの言葉に失速して転がった小狼が、モコナの秘密技”超演技力”の説明を聞き入れられていないのは、その呆然とした表情を見ていればわかる。いつも一生懸命で、サクラのことを何よりも心配しているのが分かる。



「ほんとにびっくりしたみたいだねぇ」



 そんな彼だからこそ、伝えない訳にはいかない。ファイが話を切り出してくれて、私はその言葉をただ聞くことしかできない。



「けどねぇ、きっとこれからもこんなこといっぱいあると思うよ」



 寝入っているサクラから目を離した小狼が、ファイを見て耳を傾けている様子を眺める。



「サクラちゃんが突然寝ちゃうなんてしょっちゅうだろうし、もっとすごいピンチがあるかもしれない。

 でも、探すんでしょう。サクラちゃんの記憶を」



 ファイの言葉は極めて優しくあたたかい。小狼を責める色は一切ないのに、彼に必要なことを伝えてくれる。それが、小狼の目的が果たされるために必要だと伝わるのか、小狼はじっと聞き入っている。



「だったらね、もっと気楽に行こうよ――」

「辛いことはね、いつも考えてなくていいんだよ。忘れようとしたって忘れられないんだから」



 羽根を探すことに囚われている小狼がいつか目的を果たせないまま燃え尽きてしまってもおかしくない。彼の行動力は強さでもあり、脆さでもある。小狼を駆り立てるものが”辛さ”だというのなら、それは確かに彼を焼き尽くしてもおかしくないだろう。



「君が笑ったり楽しんだりしたからって、誰も小狼君を責めないよ。喜ぶ人はいてもね」



 小狼がサクラに視線を移す。サクラと過ごした日を思い出しているのかもしれない。力が抜けたように少し微笑んだ小狼を見て、モコナがその腕にそっと抱き付いた。



「モコナ、小狼が笑ってるとうれしい!」

「勿論オレも。あ、黒ぴんもだよねー」

「俺にふるな」



 やっぱり、ファイが居てくれてよかった。今となっては、黒鋼が否定するふりで、しっかりと否定しないときの真意も分かってしまう。ふっと笑うと頭を小突かれた。

 サクラが騒ぎのせいか身じろいで、目を覚ます。



「起きた?」

「小狼君!」



 がばっと勢いよく立ち上がる彼女に私の方が驚いてしまう。

 そのまま駆けだしたサクラを小狼と、モコナも追いかけて湖から引き戻す。



「ここにいます!!」

「!……良かった」



 火の傍へ二人を手招いたファイが、サクラにも微笑みかける。



「これからどんな旅になるか分かんないけどさぁ。

 記憶が揃ってなくて、不安だと思うけど。楽しい旅になるといいよね」



 地面に転がったコートを拾い上げたファイが立ち上がり、四人が自然と向き合う。



「せっかくこうやって出会えたんだしさ」



「……はい」



 話しかけられて不思議そうにしていたサクラが、ふんわりと笑った。今までだって彼女は笑っていたが、一番自然で、穏やかな笑顔だったと感じる。



「まだ、良く分からないことばかりで……足手まといになってしまうけど、でも、出来ることは一生懸命やります。

 よろしくお願いします」



 丁寧に頭を下げる彼女に、小狼が穏やかに微笑む。きっと、彼女らしい姿だったのだろう。懐かしむような目をしている。



 その後は、小狼の無事を改めて確認し、湖の中で見たものについて話を聞いた。湖の底には小さな町があり、そこで人々が暮らしていたというのだ。モコナが感じ取った強い力は、彼が持ち帰って来た光るウロコから出ていると結論が出て、この世界には羽根が無かったことが明らかになる。



「無駄足かよ」



 あくびすら漏らす黒鋼に反して、サクラは楽し気で小狼に微笑みかける。



「でも、小狼君楽しそう」



 彼女に、小狼は微笑み返す姿もリラックスしたものだ。



「まだ知らなかった不思議なものを、この目で見られましたから」



「次はどんなところかなぁ」

「知るか!白まんじゅうに聞け!」



 活き活きとした小狼の表情に、サクラの緊張もすっかり緩んでいる。一行はこの世界に一泊もせず移動することとなったが、貴重な時間を過ごしたように晴れやかである。無論、黒鋼がつれないのはいつも通りだが。

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