ジェイド国


 眠りについたサクラを黒鋼が抱えて歩き出す。何だか、前にも見た光景だった。高麗国でのことだと思い出していると、肩を二度つつかれて振り向く。ファイが腕を広げて立っていた。黙って見ていると、彼の視線が黒鋼の背中に向けられてまた戻ってくる。あれがやりたいらしい。

「小狼君でやってください」
「えっ」
「小狼君はやってくれないからー」
「えっ!?」

 ここまで言われて親切を無碍にするのも気が引ける。それに、小狼を困らせたい訳では無い。

「血がつくかも」
「ひどい怪我だもんね」
「見た目ほどひどくないですよ」

 抱き上げられて、ファイの肩口に頬が当たる。外の風にすっかり冷やされているが、触れ合っているとじんわり熱が伝わってきて温かい。彼の穏やかな声と心音が心地よく、疲労を思い出したように瞼が重い。

「あったかい」

 むにゃむにゃと重たい口でも礼を言おうと思ったものの、素直な感想が先んじてあっという間に眠ってしまった。

 診療所に戻ってきたとき、階段を上がって各自の部屋に解散するとき、都度意識は浮上した。しかし、その度に寝かしつけるかの如く頭を撫でられたり抱き直されて一層温められたり、入眠を促されるので抗うことができなかった。ファイは寝かし付けのプロだったのだ。部屋に戻った後もシャワーを浴びたり治療をしたりやりたいことがあったのに、身支度もそこそこに抱き込まれたまま布団に入ったので、温かいし意識は覚醒しないまま朝を迎えることになった。

 朝日が出るよりも早く起きた。身体を起こすと、ずっと軽くなっていた。以前からしっかりと眠ればすぐに元気になったし、傷も大抵治る。これが二度目の人生の身体なのだろうと思っている。生まれたときから肉体は成人しており、遣いの導きにより冒険に出る。冒険を続け、世界を救うために生まれた普通とは違う身体なのだろう。どうして、世界の終焉と共に朽ちなかったのだろう。他の皆はどうなったのだろうか。私はいつ、朽ちられるのだろう。朽ちたとて、終わりなどあるのだろうか。三回目の人生をまた――

「おはよ」

 すう、と喉を冷えた空気が通っていく。息を詰めていたらしかった。ずっと見ていたのだろうか。

「……おはよう」

 まだ起きるには早い時間だろうが、彼は私が目を覚ましたときには覚醒していた。その身体を冷やしてしまうのは悪い気がして、布団を肩まで掛けようとすると、腕を引かれて逆に引き込まれた。
 温かいのに、居心地が悪い。どうしてだろう。

「もう、私は起きます」
「皆まだ寝てるよ」

 他の仲間を引き合いに出されると弱い。迷惑を掛けたい訳ではない。

「ウィズちゃん」
「んん、寝ますよ」

 寝ておけばいいのだろうと従順に目を閉じる。おしゃべりに興じるよりもずっといい。前の世界で聞いたことのある声色だった。湖に潜り続けていた小狼に語り掛けたときの声。
 私はそう諭されることはひどく居心地が悪いだろうと予想がついた。

「一人になったら、だめだよ」

 一人になりたくてなった訳ではない。気づけば、一人になっているのだ。それを望んでいなくても。

「……あ。すいませんでした」

 小狼たちを呼ばずにサクラを追ったこと、謝罪するのを忘れていた。急に思い出されて顔を上げると、真顔のファイが何だか見たことのあるような笑顔になって、頬を極めて優しく抓られる。何も痛くない。

「声を掛けようと思ったけど……はい。ちょっと出るだけのつもりで……」

 サクラが眠ってしまったときにようやく診療所へ戻ろうとしたが、そのときにもうすぐ辺りを警戒しておくべきだったのだ。それでなくとも、眠るサクラを庇いながら戦うのは、魔法ありきで無ければ無謀である。今回どうにか命があっただけで、彼女を危険な目に遭わせてしまったことを反省し、二度と同じようなことが無いようにしなければならない。

「気を付けます」
「ん――。ウィズちゃんが怪我して、すごーく心配したよー」

 戸惑いの声を上げ、しどろもどろに「そうですか」と言う私に、ファイがいつもの笑顔に戻った。

「そういえば、夫婦役でしたね」

 迷惑を掛けたなと改めて謝罪すれば、また彼の笑顔が硬くなる。もう、笑顔の種類を見分けるのをやめた方がいい。自分の返答の正誤を感じ取って居た堪れない。

「もっと上手にお嫁さんできるように練習しないとねー」
「……いや、いいです」

 もう夫婦役はやらないって言ったはずだが。何故かそこまではっきり言うと、追撃される気がしたのでちょっと拒否するだけにしておいた。


 小一時間、夫婦の距離感で何となく責められてから、隣室が起き出したのを確認して私はようやく解放された。念願のシャワーを浴びて汚れた洋服を着替え、小狼たちが待つサクラの眠る部屋に入れば、黒鋼にじっと見られる。

「何ですか?」
「……いや」

 窓の外からわっと歓声が聞こえ、町の人々の賑やかな声や泣き声が聞こえてくる。モコナが開けた窓の外を眺めると、子供たちがその家族と再会を果たしたようである。

「みんな嬉しそう!」
「カイル先生は”子供達は”傷付けたりしなかったみたいだしねぇ」

 モコナが窓から離れたのを確認したファイがそれを閉めながら言う。羽根を採掘するための労働力に敢えて怪我させることはしないだろうと黒鋼は言うが、カイルなりに害するべきものと守るべきものの境界があったのだろうことは想像がつく。私はともかくサクラがその内に入らなかったようだし、偏った思想を持っていたのだろう。

 ファイはカイルの催眠術とサクラの見たエメロード姫の関連を疑うが、小狼はそれを否定した。サクラには以前から死んだ筈の人や生き物を視たり話すことができたというのだ。彼の国でも今それができるのは神官とサクラだけ。

「黒るーは?」
「んなもん視えねぇ」

 霊感ある系には確かに見えない。

「ウィズちゃんは?」
「姫の姿は視えたけど、声は聞こえず。よくわかりません」
「へぇ――オレもそっちの力はないなぁ」
「モコナは?」

 ファイの肩から飛び移って来たモコナは首を振る。視えず、感じずだという。モコナにできないことは無いので、てっきりわかるものだと思っていた。


「黒くて青いお耳飾りのモコナは視えるの」
「なんかいたな。黒いまんじゅうみたいなのが。役に立たねぇな、白まんじゅうは」
「モコナ頑張ったもん!大活躍だったもん!!」

 言い合う二人を眺めながら、私の知らないところで活躍していたらしいモコナの姿を見逃したことを悔やむ。しかし、サクラと共に脱走したておきながらそのエピソードを知りたがるのはおかしな話なので黙って耐える。眼前でモコナが靴を履かせた謎の棒を振り回し黒鋼に迫るのを羨む気持ちで眺めた。
 騒ぎが大きくなる頃、背後で身動ぎする音が聞こえて振り返れば、サクラが目を覚まし体を起こしたところである。

「ずっと……誰かが視てる……ってどういうこと……?」
「姫?」

「もう一度エメロード姫に会わなきゃ……!」  

 不安げに眉を下げたサクラに小狼が側へ身を屈める。彼女は布団の上に飛び乗ったばかりのモコナがころりと転がるのにも気付かないほど真剣に何かを確かめるため前のめりに言った。
 それからのサクラは慌ただしく、姫に会いに行くと言ったものの歴史書の返却が済んでいないことを小狼が切り出すと、誤って伝わった話を正しく伝えるべきだと息巻いた。英語を網羅しているわけではない小狼を私が手伝いながらどうにかサクラの聞いた真実を書き留めて借りた歴史書と共に診療所に置いていく。その間も、黒鋼とファイがそわそわと落ち着かないサクラに事情を確認しながら旅立ちの支度を済ませてくれている。そのまま次の世界に移動する可能性も考え、ファイがキッチンを拝借して食事を用意してくれたのだから、全く抜け目がない。小狼はファイに差し出されるパンとスープを見ることすらせずペンを走らせていたので、食べたことを覚えているかはわからないが。
歴史書と異なる真実の手紙を書き終えると、一行は再び城の前まで、逸るサクラに小狼が離れないよう付き添い、半ば走るようにして向かった。

サクラ共に川の周りをうろうろと歩いて探したが、エメロード姫の姿は見つけられなかった。焦りと困惑に染まるサクラが諦めきれないでいるのを横目に見ながら、私は最後にみた姫の姿について語った。それはサクラに羽根を返したあと、光に消えるようにしていった姿のことである。

「前に侑子言ってた。心配な事がなくなったら霊はどこかに行くんだって」

 モコナが断言はせず、しかし半ば確信を抱く声色で言う。

「成仏するってことか」
「よっぽど子供達のことが心配だったんだねぇ。金の髪のお姫様」

 三百年眠り続けたところをカイルによって訪れる子供達の姿によって起こされたのか、はたまた羽根を守るためにそこで恒久を過ごし続けていたのか。どちらにしても、自分が一切の手出しができないままでどれほど永く感じただろう。
 サクラは彼らの言葉を聞き、不安げな表情は残るものの、姫がある種の救いを経たことが解ると心を落ち着けたようである。

「けど、“誰かがずっと視ている”っていうのはどういう意味なんだろーー」
「もうひとつ分からなかったことがあるんです。カイル先生はどうしてあの城の地下に羽根があると知ったんでしょう」

 二つに関連がある可能性を示す小狼に、黒鋼は歴史書にあったのではと問うが、彼は首を振った。グロサムにも確認を取ったようで、羽根の在処に関する記述や伝承は一切無いというのだ。

「この旅にちょっかいかけてるのがいるってことかーー」
「誰かが」

 愉快そうにするファイに反し、小狼の表情は険しい。私達が警戒すべきなのは羽根を持つものだけではなくなったのだ。羽根を狙う第三者にも警戒しなくてはならない。これからの旅はこれまでよりも危険性を帯びていくのだろう。それでも、小狼にとってはやめられる旅ではない。

 一行は緊張感を取り戻したように表情を引き締めたり、あるいは不敵に笑ってみたりしながらモコナによってジェイド国から消えた。

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