桜都国
二人の戯れ合いは皿洗いが終わる前に小狼が止めてくれたーーというより、自室に戻って調べ物をすると声を掛けたので、それで自然と収束した。一人で部屋を出て行く小狼の背中をサクラが目で追う様子を彼らも見逃さなかったためである。
「サクラちゃん、小狼君に飲み物でも持って行く?」
「あ……はい!」
こういう所に気が利くのがファイだ。
小狼のことだから一度始めると手元にある物は全て読破してしまうだろうと口添えし、少し時間を置いて差し入れすることになった。ファイは私とサクラにホットチョコレートを説明しながら作った。材料の種類も多く、火をつけたり消したり、飲み物一つで複雑な作業工程に関心する。
「ファイ、魔法使いみたいですねぇ」
「魔法使いだろうが」
「あはははは」
「ふふっ」
この国には“日本茶”のような物も置いていて、そちらは心得があったのでガラスのティーポットで黒鋼に淹れた。彼は小洒落た甘い飲み物よりも、馴染みの物があると機嫌がいいようなので。
「ウィズはチョコレートが好きなの?」
ファイ特製のホットチョコレートをちびちび舐めていると、チョコを細かく砕く作業に従事しているモコナが顔を上げて質問してくれる。
どうだろうか。敢えてチョコレート一般が好きだと考えたことはない。日本茶も紅茶もコーヒーも好きだし、魚も肉も米もパンも好きだ。
「美味しいものは全部すき」
「苦手なものはないの?」
あらゆる獣や魔物の血肉を糧にしてきたが、毒性の無いものを選んでいるし調理してしまえば食べられないことはない。
「無いかも。黒鋼も何でも食べれそうですよね」
「気にした事ねぇな」
「黒様らしいねぇ」
また白黒コンビがやいやい戯れ合い始めたので、我関せずといった風で作業に集中する二人に笑顔を向ける。
「モコナは何が好き?」
「モコナも、美味しいもの全部好き♡」
「んーーかわいい……サクラちゃんも、お寿司おいしいーって食べてたよね」
「はい!あの、“あんな感じ”でしたけど……」
「払っておいたから大丈夫よ」
食い逃げ寿司事件はサクラの中で引っ掛かっていたようなので、多少でも還元してあることを言い含めればほっと息をついている。
ファイは生魚と酸っぱいものが苦手なのだろう。あそこまでハッキリ嫌がっていたのだから分かりやすくて助かる。
「小狼君はどうだろうね。何でも食べれるのかな?」
「………」
「……そろそろ届けに行ってくる?」
物思いに耽ってしまったサクラに続けて声を掛けると、ハッとしたように顔を上げて、鍋を再び火にかけ始めた。
ファイをちらりと見ると既に戯れ合いは止まっていて、目が合う。一度頷いてサクラの背中に視線を流して再び彼を見ると、頷きが返ってくる。これは何かあるかもしれない。先程までやり合っていた黒鋼が無表情でサクラを眺めているのも、それを示しているだろう。
「火傷に気を付けてね。階段も」
「はい!」
彼女を送り出してから、私とファイはそのまま店側には戻らず扉を閉めた。黒鋼は興味なさげに振る舞っていたが、どうせ後程来るだろう。スカートの裾を寄せて物音が立たないように階段を上って開いたままの扉の横に並び立つ。
「……ごめんなさい」
サクラがホットチョコレートの説明をして、無事溢さず小狼に届けた後、言った。
サクラが謝罪したのは阪神共和国の初めての会話のことだった。
「“知らないひとなのに?”って聞いてしまった……知らないひとじゃないよね」
高麗国で目の当たりにしたボロボロの小狼の姿から思う所があり、桜都国に来て危険な鬼児狩りに身を投じながら夜遅くまで調べ物をする姿に、確信したのだ。そして、記憶が戻ったあの日、ボロボロの小狼に対して自分が放った言葉を後悔した。
知らなかったのだから仕方が無いと流しておけるほどサクラは高慢では居られない。
「それなのに……ごめんなさい」
「サクラ姫……」
「わたしと小狼君っていつ会ったの?もしかして小さい頃から知ってて、すごく大切なひとなんじゃ……!」
「姫!!」
切羽詰まったサクラの言葉が突然止まり、小狼の焦った声が続く。衣擦れの音が聞こえた。
「……今……何のお話してたのかな……。そう……ごめんなさいって言いたくて……」
それ以上を思い出せないサクラに、小狼は何の言葉も掛けない。いやーー掛けられないのかもしれない。
「何だ、今のは」
呟いたのは黒鋼である。
「対価っていうのはそんなに甘くないってことだよ」
ファイが言うのはサクラと小狼の関係性のことだった。
誰かが二人のことを説明しても、サクラ自身が思い出しても、その情報はすぐに消去される。阪神共和国で、小狼はまだ受け止め切れていなかったかもしれないが、その本質の全てをあのとき理解したのだ。築き上げてきた関係、過ごしてきた時間はどんな奇跡でも戻ることはないと説明が続く。
「だからガキは姫に言わなかったのか。以前自分と姫がどういう関係だったのか」
説明したことが事実だと理解するのは容易いだろう。それだけ小狼は真摯に関わっているし、サクラ自身真実に辿り着こうとしたのだから。しかし、それも不可能だと今回の件で虚しくも立証されてしまった。
対価を返してもらうことはできない。それを払ったことのある私たちは肌でも感じてしまう。それが一層二人の亀裂を感じさせて、痛い。
「それでも“やる”と決めたことは“やる”んでしょう、彼は」
小さく何事か呟くサクラの声は聞こえない。先程までと声色が違うから、もしかするとそのまま以前のように急に寝入ったのかもしれない。
「その思い出におれがいなくても、必ず羽根は取り戻します」
彼女の寝言に返事をしたのだろう、小狼の言葉は痛ましくも、彼らしい決意に満ちていた。
そのあと、窓の外に大量に湧いた鬼児を小狼と黒鋼が対処しに行った。彼らの帰還を待つ間、ファイがサクラを彼女の寝室に届け、私たちは照明を幾らか落とした店で待つことにした。モコナがサクラの様子を気にして付き添ってくれている。
「サクラちゃんが眠っててよかったね。きっと小狼君、怪我して帰ってくるだろうから」
私が魔法で治療をするために眠らず待っているのを悟っているのだろう。
「全部は治しませんよ。隠し事をさせたい訳じゃないから」
「そうだねぇ」
大きな窓ガラスが、彼らの戦う姿を鮮明に見せてくれる。やはり、小狼は視えない右側の攻撃に弱い。
「今日、黒様の武器を探しに行った店で杖も売ってたよー」
「……ちょっと覗きたいです」
「行っておいでーーお店の方は二人で準備してるしー」
朝イチで行って、午後からはカフェに戻ろう。ぽつぽつと杖の進捗状況を話したり、サクラの体調の話をしたりしているうちに、それほど時間が経っていないが、敵の数は疎らになってきた。
「おつかれさまです」
「おかえりー」
カウンターの椅子に小狼を座らせ、くるりと身体を一回転させる。綺麗に右半身だけ怪我を負っていて、彼自身渋い顔をしているので説教は要らないだろう。
「……深い傷ですが出血は少ないですね」
鬼児の攻撃特有のものなのか、だらだらと血が流れ続けておかしくない深さなのに、既に止血している。
「何か気になりますか?」
「うん……もう少し、やっぱり情報が欲しいですね」
「今日のところは休もうかー。しっかり休んで明日に備えないと、ね」
まだ、この国に来て二日目だ。市役所も夜中はやっていないし、なんにしても休む他ない。
各自解散し、私は一先ずシャワーを浴びに再び部屋を出る。シャワルームを出るとモコナがサクラの部屋から覗いていたので、歩み寄って抱き上げる。
「小狼君たち、戻ってきたよ」
「怪我してた?」
「……すこし。心配だったね」
「うん……」
不安げなモコナを落ち着かせるようそっと撫で続ける。
少しそうして過ごすと、モコナは表情を引き締め、サクラのもとに戻ると言った。途中で眠ってしまったサクラはいつも困惑するので、モコナはそれを心配してくれているのだろう。
「モコナが居てくれてよかったな」
ぎゅっと短い腕で私の腕を抱き締めてくれる温もりが愛しい。
「サクラちゃんをよろしくね」
「まかしとけ!」
頼もしい後ろ姿を見送り、私も自室に戻る。室内は月明かりが煌々と差し込み、夜にしては眩しい程である。もう少ししたら、鬼児の力も弱まっていくだろう。そうすれば、小狼の怪我も減って皆安心できる。月の満ち欠けをここまで心待ちにすることも無い。
静まり返る室内。目を閉じても明るさが分かる。それに安堵して眠りについた。
早朝、日の出とともに目が覚めたものの、以前ファイから他を起こしてしまうと指摘されて以降、誰かの物音を待つようになってしまった。とはいえ今日はやりたいことも山積みだ。こっそり部屋を出ると、既に階下から調理の音が聞こえてくる。ほっとしてさっさと洗面を済ませ、下に降りた。
「おはよ」
「おはよー。早いねぇー」
「ファイこそ」
「はい、召し上がれ」
朝から隙のないスタイルのファイが差し出したのは焼きたてのパンと淹れたての紅茶、程よく果実の形を残したジャムとミルククリームの完璧なモーニングである。
「ありがとう……!いただきます!」
しみじみ手を合わせて、優しく香る紅茶からやわらかめの手作りパン、一先ずジャム、次いでミルククリームと大いに堪能する。
「はぁー、毎日食べたい……」
「あはははは」
「笑いすぎ」
むっとしてみせるが口の中は常に美味しいので実際気迫は無い。ハッピーフェイスだ。
「ファイも食べました?」
「味見に少しね」
「お母さんみたいな事言いますね」
味見でお腹いっぱい、なんて言う定型句みたいな文句があるのを思い出した。これも、随分前の記憶だ。
「ウィズちゃんのお母さんは料理が上手だったの?」
どうだったろうかと濃密な二度目の人生に埋められた記憶を辿る。私はその母を置いて亡くなった。今はもうあの頃の姿でもない。世界を渡ってまた出会ったとしても、同じ魂であっても、もう彼女に娘と認識されることはない。
「上手、だったかな」
忘れよう、今は。
「母に最後会ったのは随分前で。薄情ですが、あまり覚えてないんです」
湧き上がるように思い出される記憶にどうやって蓋をしたらいいのだろう。すべて二度と手に戻らないものだというのに。ならばいっそ。
とても、考えられない。思うことすらも許せない。あんなに一生懸命記憶を集めている小狼がいるのに“すべて忘れてしまいたい”だなんて、酷い逃避だった。
痛みも、過去ならば全て抱えていかなければ。置いていった人たちはきっと私を悼んでくれたのだから。
目を閉じ、一つ呼吸をして、開ける。少し残った紅茶を飲み干し、そっと戻す。そう、ファイはまだ味見程度しか食べていないと言ったのだ。
「ファイもしっかり食べてください。おいしかったです、ごちそうさまでした」
皿を下げるのにキッチン側に回り、調理を終えたばかりでまだ残っている洗い物があったので、一緒に洗い始める。
「じゃあ、初日から申し訳ないんですが、走って済ませて来ますので」
「気にしないでいいのにーー」
物音を聞き付けて小狼と黒鋼が降りてきたのと入れ違いで私はファイに伝えて一度身支度を整え、街に出た。
武器屋という分類の店はいくつかあるようだが、まずはファイの行った店へ行き、目利きはできるので目星をつけて順番に店を回る。ほとんどが飾り程度のものだが値段は手が届く。一方、悪くないものはちょっと言い出しにくい価格。
前線に立つわけでもない私の杖に払う価格ではないし、実際自分で作る杖の方が出来もいいだろう。
「部品だけ売ってるお店とかありませんか?」
「杖の部品はないが、銃や剣のパーツなら修理屋にあるよ」
無駄足にはならなかった、と思う。とりあえず安価にパーツが手に入ったことを喜ぼう。高麗国で手に入れた木材よりもいい素材も手に入ったし、今夜一晩かければ十分な杖が完成できるだろう。二階で作業したらうるさいかもしれないから、店の方を借りて。
走って拠点に戻ると、ファイのお料理教室を受講しているサクラが居た。和みすぎる。楽園かも。
「戻りました。ありがとうございます」
「おかえりー」
「おかえりなさい!」
迸る笑顔が眩しい。まだ開店はしていないようだが、じき開くだろう。既に生地が完成間近といった状態だ。自室で急いで着替え、肩にかかる髪が邪魔にならないよう髪紐でまとめる。
翻ったままのエプロンの裾を直しながら店に戻ると、顔を上げたサクラがきらきらとした目でこちらを見てくるので首を傾げて微笑み返す。
「髪、素敵です」
「ありがとー。サクラちゃんもやる?」
「えっ……いいんですか?」
「いいよぉ」
頬を赤くして嬉しそうにしてくれるサクラをカウンター内から手招き、自分の横髪を留めていたピンを外して、長めの横髪を拾って大きめに編み込む。元のふわふわ感を損なわないように真剣である。なにせサクラは既に完成されているので。襟足でくるりと丸めてとめると、まるでお姫様であるーーそういえばお姫様だった。
「はい、できました。かわいいー」
「ありがとう……」
「んーーかわいいねぇー」
パンをオーブンに入れたファイが抜け目なく賛辞を送るので、この軟派は優良と深々頷いておく。
「ただいまー」
「おかえりーー」
「おかえりー」
「お帰りなさい!」
「ただいま」
モコナとファイが感動の再会と言わんばかりに挨拶しているのを余所に、サクラの変化にしっかり気付いた小狼が穏やかに微笑みかけている。癒やし時間くる、と思われたがそれを踏み荒らす荒々しい足音がある。
「黒ワンコまだ怒ってるのーー?」
「そのワンコってのヤメろ!」
ファイは黒鋼を朝食でも怒らせたようだが、彼の反応を見るに何やら違うらしい。怒りんぼには困ったものだが、怒らせる方も問題である。
サクラがこそっと小狼に事情を聞く。
鬼児と最近変わったことに関する情報収集をしに市役所へ行った二人は案内を受け情報屋で話を聞けたようだ。そこで小狼は黒鋼の限界を悟り、市役所に戻り登録名の変更を試みたが、再入国の手続きを要し手持ちの園が全て無くなるという条件だったため、実質徒労に終わったというのである。
「あははははは」
「笑いごとじゃねぇ!情報屋の女まで知ってやがったんだぞ!!」
「なんでーーかわいいよー」
「ワンココンビだー」
ドタドタと走り回る二人と囃し立てるモコナにもう手が付けられないので、私は店の札をオープンに返してお湯を沸かし始めた。
初日の来店は疎らで、混雑することはなかったため程よく手慣らしができた。カフェは順調である。
一方の羽根探しについても進展はある。小狼たちが情報屋・絵里衣から聞いた話によると“新種の鬼児”を見たという人物に会うには、クローバーというバーで彼女の名前を伝えるだけでいいらしい。夜六時開店で未成年立入禁止という条件があり、小狼はもちろんサクラも同行はできない。鬼児の話である以上黒鋼は行く必要があるが、愛想のない彼だけで十分情報を取れるか不安はある。しかし、この国に来てワンコ事件を繰り返している二人だけでは不安だ。
二人の喧嘩に巻き込まれたくない気持ちよりも、羽根探しに協力したい気持ちが上回るのは当然で、私はやむを得ず制服から着替えた。
「黒様ーーまだ怒ってるー?」
「に決まってっだろ!」
夜に鬼児が出やすい国でわざわざ外出してまでカフェに来る人は少ないだろう。その見込みのもと残してきた二人よりも、目前で早速ちょっかいかけているファイが悩みの種である。
「あっ」
「なん……だっ!」
先を行く黒鋼がファイの声に振り向けば、さっと用意されていた指先に頬がむにっと当たる。
「わーい振り返ってくれたー」
「……そのままじっとしてろ、今あの世へ送ってやる」
「うしろ」
黒鋼が刀をすらりと抜いたタイミングは完璧だったのだが。
「黒鋼!」
「今度はホントでしたーー」
彼の後ろに湧いた鬼児たちがファイの投げたダーツによってどろりと溶ける。
私がファイとグルになって黒鋼をイジろうとしていると思ったのか、黒鋼は呆れた顔をした。
「緊張感のねぇ顔で言うな」
「黒鋼に言われたくない」
溶けて消えるものと思われた鬼児は溶けたが、新たな鬼児が次々湧いて明るかった満月の夜道を暗くする。
「……満月?」
流石におかしい。満月が続き過ぎている。いや、この国の満ち欠けが他と違うのだろうか。
「ここは鬼児の出現地点じゃなかったはずだけどねぇ」
「情報屋が言ってた通りってワケか」
立ち並ぶ家屋よりも巨大な鬼児が五体。それを前にしても黒鋼の表情は好戦的である。
「鬼児共、めんどくせーからまとめてかかって来い」
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