桜都国


 黒鋼は巨体相手に時間を要しながらも、危なげなく鬼児を処理している。



「避けてばっかいねぇできちんと倒せ!」

「でもー」



 言われたファイは一応もう一投ダーツを投げているが、当たった矢先から吐き出されるようにして鬼児の体内から吐き出されている。

 私が試しに最弱攻撃魔法を敵の後頭部にしがみついて放つと、こちらの方が余程効果があるようだ。



「コレじゃ鬼児さんすぐ戻っちゃうみたいだしー。やっぱり本職に任せたほうが――ね、”おっきいワンコ”」

「まだてめぇのいい加減な呼び名の方がマシだ!」



 ああ、言っちゃった。ファイにエサをやったようなものである。



「ほんとにー?ね、ね、どれが好き――?黒たん?黒りん?黒ぴっぴ?」

「どれも好きじゃねぇ!!」



 暴れる鬼児の首にしがみついたまま二撃目の攻撃魔法を放つと、首が落ちて無事倒せたようである。やはり、聖属性の攻撃が有効なのだろう。月の満ち欠けや夜限定の出没等、限定的な敵というのはそういうものである。



「反撃しろ!!」

「けどー、オレ武器これ以上持ってないし――」





 鬼児の身体が溶けきる前に次の敵に飛び移ろうと踏み込んだ時、鬼児の視線が一気にファイに集中しているのが分かる。



「伏せろ!!」



 電柱の天辺に着地したファイに身を隠す場所は無い。でも、そう、ファイは本当は魔法使いで。間髪入れず放たれたのは閃光だった。鬼児の目から飛ぶ光がファイの身体を捉えている。



 聖属性に弱い敵の攻撃は私にはあまり効かない。魔法攻撃なら尚のことである。まさに踏み込んでいた足でファイの方に飛び込んだ私は閃光を背中に浴びながらもその身体ごと黒鋼の足元へ着地した。体勢を変える余裕はなく、ファイは下敷きのまま呻いている。ファイの長い手足を私の身体で庇い切れるはずもなく、彼の身体も閃光を喰らったようだ。どうにか守った体幹と頭を見下ろして呟く。



「ごめん、生かしちゃった」



 焼けた上着を脱いで起き上がれずにいるファイの上に投げ捨てる。

 背後で舌打ちが聞こえて、ああ、確かに言い過ぎたなと反省する。



「地竜・陣円舞!!」



 次々に湧いていた鬼児は黒鋼の攻撃と共に一閃で消滅し、一気に辺りは明るくなる。満月の灯りである。辺りを眺めていると近くでばらばらと音がして目を向ける。黒鋼の刀が粉々になっている。



「やっぱり、この刀にゃあの技は重かったな」

「もっといいやつ買わないと」

「お前大丈夫なのか」



「寝たら治るやつです」

「ほんとかよ……」

「私はー」



 腕をぐるぐる回してみせると、化け物を見るような目を向けられたのでにこにこ返しておく。そして、上着をようやく退けたファイの傍にしゃがみこむ。



「痛い?」

「んん、足がヘンみたい?」



 黒鋼もゆったりと歩み寄って来る気配がある。ファイは何かに言い訳するように「でも、このくらいじゃ死なないからー」と続けた。



「死なないんじゃなく、死ねないんだろう。おまえは」



 冷たく言い放った黒鋼にファイが唖然としていると、黒鋼はどちらとも言わなかった脚を的確に鞘で突いた。苦痛に顔を歪ませるファイに、彼は続ける。



「俺ぁ殺そうとして向かって来た奴は殺る。生涯守ると決めたものを奪おうとする奴も殺る。

 今まで何人殺したかも覚えてねぇからな、綺麗事なんざ言う気もねぇ」

「だがな。まだ命数尽きてねぇのに自分から生きようとしねぇ奴がこの世で一番嫌ぇなんだよ」



「……じゃあオレ、君の一番嫌いなタイプだね」



 ファイの脚を抉った鞘はそのまま彼の喉元を刺しているが、それでもファイはへらりといつものように笑った。でも、繕えていない、全然。

 彼は自分の命を守るためには魔法を使おうとしない。高麗国で見せたのも活路を開くための”カン”だけで、彼自身がどんなに危険になっても、一切の魔法を使わない。



「ちょっとちょっと!店の前で揉め事はごめんやで!!」



「嫌いでも、肩かしてあげて」



 へにゃりと笑ったファイの腕を引っ張り上げた黒鋼が、ひょこひょこと歩くファイを連れて歩く。

 険悪な私たちに気にせず声をかけてきた関西弁の女性の傍にある看板には”白詰草・クローバー・四”とある。



「大人三人入れますか」

「なぁんや、お客さん?」

「鬼児が出て、少し気が立っちゃって」

「やっつけてくれたん?助かるわぁ、中どうぞ!」



 愛想のいい店員は鬼児退治後に客と見ると機嫌よく案内してくれた。後方二名は、いつになく無言。全く呆れた。

 ファイの歩き方を見たバーテンダー・カルディナが事情を聞いて氷を用意してくれたので、彼は負傷した左足首を冷やしている。彼女曰く”ロの段階”以上の鬼児は鬼児狩り用の武器でしか倒せないという。だから、ダーツでは無理だったのだ。黒鋼が何か言いたげに私へちらりと視線をやる。魔法が通用した訳を知りたいのだろうが、私とて理解できていないしあてにされても困るので、ひらりと手をふっておく。



「当店・クローバーのオリジナルカクテル”四つ葉”で御座います」

「綺麗な緑色だー」



 情報屋の絵里衣が仲介者として紹介してくれたバーテンダーは丁度カルディナだったようで、ファイが早速”新種の鬼児”に会った人の話を切り出すが、店内の照明が消えると共に「ちょっと待ち」と制止がかかる。



「あの歌が終わってからや」



 一切の照明が消えた店内で、スポットライトを浴びて立つ女性がいる。スタンドマイクと共に小高いステージに立ち、ざわめきの静まった店内で歌い出す。



『しあわせになりたい あなたとしあわせになりたい あなたのしあわせになりたい

 だからつれてって 遠くまでつれてって ここじゃないどこかへ』



「……綺麗な歌だねぇ」

「何処かへ行きたいなら自分で行きゃあいいだろう、他人に頼まずに」

「黒たんならそうなんだろうねぇ。

 俺はずっと待ってたからなあ。連れてってくれる、誰かを」



『つれてって私を しあわせになりたい』



「って、こんなこと言ったらまた嫌われちゃうねぇ」

「……」



 黒鋼が言いたいのはそういうことではないのだろう。ファイのことが嫌いだと言いたい訳でもない。ただ、生きようとしてほしい。連れて行ってほしいのなら、手を伸ばしてほしい。案外、それだけなのではないだろうか。



「終わったぞ、鬼児の話を聞かせろ」

「ばかちん」



「あ!?」

「せやなぁー……っていうことみたいですよ。織葉さん」



 四つ葉のカクテルが差し出されたのは隣の席。ふわりと甘い花の香りが漂って、舞台上にいた黒いドレスの彼女が居た。



「わぁ」

「歌、素敵でしたー」

「ありがと」



 ウインクに悩殺される。

 ファイは彼女にいつもの調子で軽い会話のジャブを打っている。ここクローバーは彼女の店であり、いつもここで歌っているのだそうだ。また来ても不足の話も聞けるだろう。



「奢って下さる?そしたら教えてあげる。私が遭った鬼児の話」

「喜んでー」



 織葉が語った鬼児の話は、その見た目から始まる。鬼児は鬼児狩りが誤って一般市民を傷付けてしまわないように異形である。引っかかりを感じつつ話の続きを聞く。しかし、その鬼児は人の姿をしていた。”美しい男の子”の姿で。

 疑問を感じて言及しようとすると、彼女は他のスタッフに呼ばれてしまいすぐに居なくなってしまう。



 なぜ彼女は人の姿をした美しい少年が、鬼児だと分かったのだろう。通常の鬼児が意図して異形の形を取っている、その術や目的とは何だろう。



「そろそろ帰るよー」

「あ……はい。あの、それ」

「お土産ー美味しかったよねぇー。四つ葉」

「……はい」



 黒鋼が何も言わない辺り、彼も賛成なのだろうが。いつもよりふわふわしているファイは多分酒に弱いのではないだろうか。それに、アルコールは傷の治りによくない。まあ、彼に飲ませなければいいかと思い買い物袋を奪い取った。

 ファイは黒鋼が抱えて歩いた。無論、姫抱きではなく俵担ぎである。ぶらりと長い脚が垂れて歩くのに邪魔そうだが、肩を貸してとろとろ歩いて帰る道すがら、また鬼児に出くわしてはたまらない。



「たっだいまー」

「ファイさん!?」



 小狼とサクラ二人の困惑の声に出迎えられるが、こちらとしても少々貫禄のついた――言葉を選ばずに言うのなら、損壊している拠点にも困惑である。こちらも派手な”お客さん”が来たらしい。昨日の学生服コンビに加えて見覚えのない顔もあるが、彼らとは友好的な関係にある様子が見てとれる。



「ちょっと鬼児に遭遇してドジっちゃって――あり?お客さん?」

「わっ!」



 目の前にあったはずのファイの顔がずるりと下がっていくので、慌ててその頭を守った。



「わ〜〜〜」

「……蘇摩

 なんでここに!?知世姫も一緒なのか!?」



 聞いたことのない黒鋼の声色に、相対する”蘇摩”と呼ばれた女性が、同じ魂を持つ別人であることを悟る。



「びっくりしたー」

「あ。怪我ない?」



 黒鋼以外の一行がファイの安否を確認しながらも、黒鋼の様子にぽかんと口を開けて見入っている。



「まさか”天照”も同行してんのか!?」

「あ、あの……確かに私は蘇摩です。でも、貴方とお会いするのは初めてだと思うのですが……」



 丁寧な物腰の女性は、一見不審な黒鋼の態度に引くこともせず、丁寧に断りを入れてくれている。



「まあまあ”でっかいワンコ”君!疲れてるんじゃない?”ここに居る訳ない”じゃない!」



 肩をガッシリと掴んで激しく揺さぶれば、黒鋼がそこでようやく思い出したらしい。阪神共和国で出会って以来、それもその時は小狼の国の人々だったから、感覚が無いのだろう。

 失礼いたしました、と大きめの声で勢いよく頭を下げ、ファイには”さあ治療を”と小狼を派遣し、黒鋼とサクラは”さあ店の片付けを”と背中を押したり支えたりして店内に押し込む。困惑しつつ解散していく人々に、改めて軽く会釈をすれば、見覚えのある少女は「またねー!」と手を振って返してくれた。



 全く今日もてんやわんやだった。



「店番お疲れさま――」

「モコナもがんばったのー」

「モコナの頑張ってるとこ、私も見たかったなぁ」



 頬に擦り寄ってくれるモコナの温もりに癒されながら、私はファイの白い脚に触れる。

 話を聞いている小狼が微笑んで返しながら、慣れた様子で救急箱から応急手当の道具を取り出している。いつも、彼の傷を完全に治せていないが、その後の処置は自分でしっかりできている。きっと、彼の父親にやってもらったり、教えてもらったりして覚えたのだろう。



「蘇摩さん、本当に黒鋼さんの国にいらっしゃる蘇摩さんとそっくりなんですね」

「びっくりしてファイ落っことした――」

「うるせぇ!!」



 何も恥じ入ることは無いというのに。店までファイを運んだのも、そもそも鬼児の群れから私たちの命を助けてくれたのも彼なのだから。



「でも、本当に色んな世界にいるんだね。次元の魔女が言ってたように”同じだけど違う人”が」



 ファイは、今後も以前の世界で会った人間と会う可能性があることを示した。敵か味方か、それが分からないまま出会うこともあるだろう。



「わー、痛くなくなった」

「治ってないからね」



 くるりと回される足首を捕まえて、小狼に託す。



「ファイ、明日も診るからね」

「もう大丈夫だようー」

「小狼君、どう思う?」

「……診てもらった方がいいと思います」



 よく怪我をする小狼にもこの灸が効くようで、気まずいような顔をしながら肯定してくれる。ファイの足首には結局湿布と包帯が巻かれた。別に放っておいても治るだろうが、こうでもしないと彼は怪我を放置し兼ねないから小狼の判断は素晴らしい。



「ウィズちゃんがこわい――」

「優しい言い方してる内に言う事聞かないからです」

「えーん」



「これ没収」

「あ!これ、おみやげ――」



 ファイが長い手足を有効活用して遠ざけた買い物袋を奪い返してきたので、黒鋼の名を叫んでみたが、彼もまたクローバーの酒を気に入ったクチなので、味方はしてくれなかった。というか、ファイが酔っぱらっている事に気付いていないのかもしれないし――若干、気まずくて関わりたくないのかもしれないし。



「カルディナちゃんのオススメ♡酒場で買って来たんだー。これ飲みながら話そうよー」

「え?」



 私以外に止める者がいなければ、ファイとモコナが賛同したことを制御することは不可能である。それを今回で思い知ったのだ。

 クローバーで飲んだ”四つ葉”は美味しかったが、あれは飽くまでもカクテルである。何が入ってるかとか、もっと聞けばよかったなと思いながら濃いアルコールを感じる。濃いとはいえ、オススメというだけあってストレートやロックで飲んでも十分美味しい。



 黒鋼は”ほっとけ”と一言投げてから、一同を放置である。バーに入れなかった小狼とサクラは紛れもなく未成年だが、この一行に法律などは存在しない。いっそ法律が守ってくれていたら、こんな危険な旅路に出ることも無かっただろう。

 今後知らない所で出会うよりはいいか、と薄めて薄めて氷を入れて味見させた。料理に使う酒の方が余程多いくらいである。



「でね――酒場には美人の歌姫と可愛いバーテンダーさんがいたのにゃ――ん♪」

「にゃ――ん♪色々お話聞いたにゃ――ん♪」



 モコナとファイと三人で手を取り合ってにゃんにゃん言いながら踊っている様子は最早カオスである。物品が壊されないように見守りながらも、決して近づかないようにキッチン内でひたすら氷を砕く。

 二度目の肉体になってからはお酒に酔うという感覚になるほど飲む機会もなかった。今回購入してきた量は一人で摂取した経験があるから、酔うこともない。はずなのだが。



「なんか、変なお酒だな……」



 上質な酒ということが分かる味なのに、身体に落ちていくと悪酔いするときの感覚になる。全ての酒の味見を終えた後は水に切り替えて、ボトルをカウンターの下で別の容器に移し替える。空のボトルをカウンターに置いて、ニャンココンビが追加の注文をしたときは機嫌よくノンアルコールのジュースをそれっぽく注いで渡す。どうせもう何もわかっていないだろう。

 黒鋼がふらりとカウンターに来たときは、グラスの際まで注いで返す。



「黒鋼は平気なんですか?」

「あ?何がだ」

「このお酒。独特の味、がして」



「そりゃ国がちげぇからな」

「うん……そうね」



 黒鋼は平気なようだし、小狼は初めに渡した一杯からおかわりを注いでいないはずだが、行儀よく飲んでいるらしい。にゃんにゃん言っていないから酔ってないことにしておこう。

 喧噪を逃れるように玄関先に行った黒鋼の背中を追うように小狼が続いていく。その面持ちは硬く、何か話があるのだろうことが分かる。彼らを邪魔することが無いよう、私はニャンココンビと彼らの間に腰を据えておく。



「おれに剣を教えてもらえませんか」

「……それはおまえが生きるためか」



「生きて、やると決めたことをやるためです」



 黒鋼が求めていた答えを、小狼は躊躇いなく口にすることができる。それが、ファイには言えないのだ。どうしてだろう。同じように旅をしていても、私たちは他人で、本当にバラバラだ。でも、ファイはいつも親切で居てくれるのに。小狼の意志を支えるために尽力だってしてくれている。

 それでも、言えない。理由があるのだ。私たちの知らない理由が。



「面倒くせぇが、おまえが強くなりゃそれだけ早く次の世界に行けるか」



 そんな理由がなくたって、黒鋼は小狼の願いを聞いただろう。この言葉はむしろ、小狼に教えることで黒鋼にもメリットがあるとフォローしたようなものだった。

 

「俺ぁ人にものを教えたことなんざねぇから知らねぇぞ」

「……ばかちん」



「有り難う御座います!」



 ぽつりと呟いた悪態を搔き消すように、小狼が掠れた声で通りすがったモコナに頭を下げている。



「おまえもきっちり酔ってんじゃねぇかよ!!」



 酔ってるのか。いつから――いや、酔っていても今の話は真実だろう。もしかすると、悩んでいたのがお酒の力で打ち明けることにつながったのかもしれないが、いずれはこうなったはずだ。

 話は終わったようだと悟り、私は店の扉を施錠する。



「ニャンコたちー、もう寝る時間ですよ――」

「にゃ――ん♪」

「あーサクラちゃんはいい子だねぇー、にゃーん」



 腕を組み二人で踊るようにして、足取りだけは確かなサクラを二階に連行する。外す物を外して布団を掛けてポンポンと叩いてあげると間もなく眠った。このまま業務終了にしてもいいのだが、一応店を覗くと小狼がお玉をイスに構えて黒鋼に真剣な問いかけをしていたので、モコナだけでも回収しようと中に入る。



「モコニャー、今日は一緒に寝てほしいなー」

「にゃ!」

「にゃにゃーん」



「一匹多いな。ま、いっか。二人とも、おやすみー」



 モコナが肩でにゃーにゃー歌う音楽に合わせて、ファイに引いたり押したり踊らされながら二階に上がり、ファイの部屋の扉を蹴飛ばして開ける。



「おっきいニャンコのお部屋はここですねー」

「にゃ?」

「あー、この部屋ニャンコ専用なのでー私帰らないとぉー」



 綺麗に整えられていた布団もそのまま蹴っ飛ばして広げ、ファイの脚を払って飛び込ませる。困ったな。力強くて。踊るために取った手が絡み合ったままで離れない。ふうと軽くため息を吐いてしまうが、覚悟を決めてその身体を跨ぐ。掴まれた腕をそのままぐっとベッドに押し付ければ私の髪がばらばらと落ちてきてファイと鼻先が向き合う。



「私は……今日、一人で泣きたい気分なんですよ」



 思いの外震えた声が出たな、と思う。未だ絡んだままの指先を強く握り返す。



「大切に思っている人が、生きることを選ばなかったときの顔、見ちゃったから」

「私はこの先何十年、何百年、いつまでも、忘れません」

「この痛みを。何回も何回も味わって来た……置いて行かれる痛みを」

「この後、刻み付けるつもりだから、はなして」



 本当は言い足りなかった。言い過ぎただなんて思っていない。当然、生かすに決まってるじゃないか。目の前にいるのに、助けられるのに、そうしない理由なんかない。生きることを選んでほしいと思うのはエゴだって分かっているのだ。だからと言って諦められないこちらの気持ちを捨てることはできない。

 身体を起こすと同時にぽたぽたと白い頬に垂れた滴を乱雑に拭って、跨いだ脚を床に下ろす。布団を頭の天辺までかけて、横にモコナを置いて丸い頭をそっと撫でてから、部屋を足早に出た。廊下で小狼を抱えた黒鋼と出くわしてげっと顔を歪める。黒鋼も人の顔を見て大きなため息をかましてくれた。



「ニャンコにやっぱりムカついて、全部言っといた」

「そりゃよかった」

「黒鋼も、言っとくけどばかちんだからね」



 ぎゃーぎゃー反論している声に内容は無いので、聞く耳は持たなかった。

 後ろ手に扉を閉じて、月明かりの差し込む室内で、取りあえず流れてくる涙をそのままにする時間を過ごした。

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