紗羅ノ国
剣呑な雰囲気の中眠りについたわりに清々しい目覚めである。朝日を顔に感じて上半身を起こし、太陽の光を浴ように身体を伸ばす。気候よき国に感謝。
「え!?」
「おはよー。早いねぇ」
「ずっと飲んでたの!?」
「この国のお酒おいしーからー」
確かに、そうだが。
寝る前と然して変わらない位置に座って転がっている空き瓶だけが増えている。あれだけ追加してもらって全部空にしたらしい。
「病気になるよ。お水も飲んでね。黒鋼もだよ」
そう言い付け、シャワールームで身支度を済ませて戻ると、酒瓶をなんとなく並べたらしい二人が水を大人しく飲んでいる。
「換気しよっか」
「ごめーん」
二人が入れ替わりで身支度している間に、私は外につながる戸を開放しておく。
最後に洗面所に行った黒鋼が戻ってくると同時に、廊下につながる戸がノックされファイが「はーい」と返事をしてくれる。
「失礼します。昨日は随分揺れましたが、大丈夫でしたか?」
「はい――。頂いたお酒も美味しかったですし――」
「ごちそうさまでした」
蒼石は朝から爽やかである。換気をしておいてよかった。朝餉を共にどうかと提案してくれたので、是非と快諾して彼に続く。
「しかしお酒強いんですねぇ」
「頂いたものが格別だったので」
お酒強いんですね、で済む量ではないが感謝を大いに含ませて伝える。
私を警戒する氏子達に良い顔をされないのではと少々懸念していたが、食事の席には蒼石以外いなかった。
隣で箸の扱いに苦戦するファイが小さく唸っている。そして、煮物が皿に戻っていく。
「これ、やっぱり難しい〜〜」
「お箸は苦手ですか?」
「すみません――」
「いいえ、お気になさらず。でしたらぶすって感じで、こう……」
「ぶすって感じで」
気取らない説明でファイに配慮してくれている蒼石の人柄に、昨日から関心してばかりである。
「その魚、骨食べれる?」
頭から齧り付いている黒鋼に少々驚きながら聞くと、それに応えるよりも早く戸がノックもせず開く。
「蒼石様!!」
「お客様がお食事中ですよ」
「すみません!けど遊花区の奴らが!」
「いきなり蹴り飛ばして来やがったんだ!子供のくせに、すげぇ蹴りだったんですよ!」
二人に遅れを取るまいと急いで食べ進めていた手が止まる。”すげぇ蹴りの子供”に心当たりがありすぎるからだ。
「その上、女だったのに!!」
がっくりと肩を落とす。
「小狼君かと思ったんだけど、違ったみたいだねぇ」
「……」
「どこにいるのかなぁ、小狼君達」
ファイの言葉に頷く。彼は間違えても少女に見られることはないだろう。
会話が通じている以上、モコナと共にそう遠くない場所にいることは確かなはずだ。逆に、言葉が通じなくなるタイミングがあれば彼らが離れて行っているということ。それを見逃さないようにしながら、夜叉像についてももう少し調べてみたいところである。
日中は蒼石に改めて許可を取り、陣社内と周辺の探索を行った。やはり、現状で気がかりなのは夜叉像と阿修羅像との関わり以外にない。
日がとっぷりと暮れた頃、前夜にもあった地鳴りが一層強くなり、ザワザワと騒がしくなる外に私たちは出てみる。皆が見上げているように空を見れば、黒い空がぱっくりと口を開けるように割れ、不吉さすら感じさせるよう鈍く光り蠢いている。
その様はこの国でも異常事態らしく、氏子達は”阿修羅像のせいだ”と信じ込み吠えている。
「もう我慢ならねぇ!!あの像、ぶっ壊すしかねぇ!」
「おお!」
「やめなさい!!」
「陣主!」
「たとえ争乱を呼ぶと言われていても神の像。壊すことは許されません!」
地鳴り、割れる空、夜叉像の血の涙。状況が悪化していくように感じてもおかしくはない不穏な気配もある。
「けど、蒼石様!!」
「それより何故このようなことが起こったのか、そしてこれからどうなるのか。確かめる方が先です」
その言葉にようやく氏子達は興奮を静めたようである。
とはいえ、悠長にしていられる状況ではない。
「また姫の羽根が関係あるんじゃねぇだろうな」
「わかんない――でも……何かとんでもない感じなんだけど、あの空の向こう」
謎を明らかにするのなら、立ち去った蒼石を追うしかないだろう。予想通り、彼は夜叉像の置かれた部屋にいる。夜叉像は不吉な炎を纏うように輝きに包まれている。何かと、呼応していると感じ取るが、その先が何かまでは分からない。
次第に強大な殺気が空から近づく気配も強まる。二人の警戒が高まっているのが、私にとってはこれまでにない危機を感じさせる。ウェストポーチから杖を出し、本来装備しておくべきホルダーにしっかりと装着した。
殺気のせいか、夜叉像の纏う気のせいか、結界に使われているのだろう注連縄がぷつりと切れる。炎のような気は光の柱となって割れた空まで届いた。
一体何が起きているのだろう。何も分からないまま、途方もない力を目の前にして翻弄されてしまっている。
「なんだ!?」
「ええ?移動するの――?」
唖然としている内に、私たちの身体は見慣れた魔力の波紋に包まれる。モコナの魔法だ。移動するつもりなのだろう。ならば、できることは一つだ。もう、はぐれないこと。いつもより遠距離から魔法に引き寄せられている。黒鋼とファイの肘をつなぐように組むとぎょっとされた。
「今だけだから!!」
天高く引き寄せられた先にはモコナの姿があった。そして、それが最後の言葉である。
落とされた場所は荒野といってもいい、砂地に不揃いな岩が転がっているだけの殺風景な場所だった。大きすぎる月が眩しい程に地面を照らしていて、視界は悪くない。
問題は、周囲に何やら武器を構えた武人が数多くいて、戦い合っているというだけで。
「―――――――?」
「あ?」
「嘘ぉ……」
いつも一番に話を始めてくれるファイが、阪神共和国でのモコナ連れ去り事件のときと同じ異国語を話し始めた。ファイは私の短い言葉でも状況が理解できたようで、苦笑しながら頬を掻いた。
しかし、以前はあまりにも早口だったから分からなかったが、黒鋼は漢字圏なのだからよく聞けば大抵のことは理解できるはずだ。ファイの言葉はあまりにも難解だが、ジェスチャーでパターンを把握すれば最低限のコミュニケーションはとれるだろう。それにしても、二人の目は何故真っ黒なのだろう。
「黒鋼、」
蚊帳の外で戦い合ってくれていた武人たちがとうとうこちらに剣を向けてきたのを、払うのは当然黒鋼である。言葉はろくに通じないが、頼りになるのは変わりない。
「貴様――阿修羅族――!?」
「否――」
ああ、言ってることは何となく分かる。私はとにかく無害そうにしていようと黒鋼の後ろでひっそりと小さくなっておく。黒鋼の不遜な態度に納得がいかなかった様子の武人が再び斬りかかってきたが、黒鋼には到底敵わず吹っ飛んで行った。それを見て周囲の者たちも次の手が打てずにいると、何やら立派な鎧を着た黒い長髪の美男が近づいてくる。
夜叉神だ、と気づいたが顔をじっと見るのは無礼に当たるだろうとすぐに目を伏せ、ファイの背中に手を当て一先ず頭を下げておく。黒鋼の言葉が通じるのなら”日本”の礼儀作法でいっておけば、失礼にはあたらないだろう。
「腕―武人――者を城へ――」
ちらりと一瞬だけ目を向けられた後、黒鋼の腕が立つおかげで一先ず今殺されることは無くなったなと安堵する。
「ファイ……?」
「……」
しー、と内緒話をするよう人差し指を立てて見せた彼が微笑する。どうやら、今は話す気がないらしい。確かに、間違っても阿修羅族だと思われてはいけないし、迂闊に喋れないのか。
私も喋らない方がいいのだろうか。後で黒鋼と話をしてからにしよう。
そう考えていたのに、私たちがいた場所は瞬きの間に見覚えのない城の前に移動していて相談する間もなく、私たちは三人で食事の持て成しを受けた。
黒鋼は提供される酒を飲みながら剣術についての話を振られてすっかり人気者だし、にこにこと愛想のいいファイは言葉が分からないのにあれこれ話し掛けられて、弓の腕が立つという一面を披露して夜叉神のお気に召したようである。
断片的にしか聞き取れない話ではあるが、何やら夜叉神は阿修羅神と戦争をしていて、”月”だとか”城”だとかを奪い合っているという主旨だと思われる。黒鋼はともかくとして、ファイは羽根に関係があると考えているのか、戦力に加わる方向に進んでいるようだ。
どう見ても男社会である夜叉神の軍に、私が入っていける雰囲気は一切ない。取り囲まれていたところからようやく戻ってきてくれたファイの隣にぴったりと寄り添って私は姿を隠しておく。何も言ってくれない彼に心細すぎて、その顔を見上げると、視線はすぐに返って来る。優しく微笑まれてほっとしたのも束の間、肩をつんとつかれてから、彼と反対側を指差された。
そこには夜叉神がいて、美男による顔面の暴力に下がろうとするも、後ろにはファイが居て下がるに下がれない。言葉が通じない分、視覚から得る情報が多すぎる。
「お前――腰――?」
変態か?いや、これだけの美男が”こいつでいいや”となる日など来ない。丁寧に指で示された先を見れば、私の杖がある。ああ、これが何かという話だろうか。
手頃に怪我をした人など見当たらないので、少し考えてから自分の腕を強めに噛んで血が流れるほどの傷を作る。手に持った杖で回復魔法をかけて瞬時に治療すれば、夜叉神はきょとんと目を丸くし、宴席の武人たちも「おお」と声を上げる。
武人の内の一人が彼によって呼び寄せられたかと思うと私の前に座るので、一旦杖を置いて両手を少し出すと、差し出された腕には確かに折れていてもおかしくないような酷い痣がある。両手で触れて回復魔法を掛けると、施された武人は腕を回して「おおお!」と感激の声を上げている。
拍手に包まれるが、私の魔法は乱発できるものではないので、期待され過ぎても困る。
それにしても、この国の人は皆瞳の色が黒い。何か理由があるのだろうか。
「黒鋼」
そう遠くには離れていない彼の名前を呼べば、こちらをじっと――恐らく、見守ってくれていた黒鋼が夜叉神に何か口添えしてくれている。
「―弱し――男――」
「―――――戦場――」
よわしって何だこの野郎。とはいえ、死なない程度には計らってくれるだろうと思い、全く会話が分からず不安だろうファイの袖を引く。
「ファイ」
その腕に擦り寄り、絶対に守るという気持ちが伝わればいいなと思った。
前夜、夜通し飲んでいたおかげか、黒鋼は朝が来る前には宴席から私たちを連れ出して、与えられたのだろう部屋に連れて行ってくれた。さながら、私とファイは彼の金魚のフンである。ぴったりと部屋の戸が閉まると、ファイは深々とため息を吐いた。今までに聞いたことのないほど長い溜め息である。
びっくりして、ファイの横に私もしゃがみこんでその背中を摩る。
「緊張したよねぇ」
「――――……はは」
「――お前――」
「黒鋼、私の話結構わかるの?」
「僅――」
試しに聞いてみれば、黒鋼は部分的なら理解できるらしい。私も同じだと言えば、彼もまた溜め息を吐く。
「部屋、二つ」
「おお」
全部分かった。ピースのジェスチャーをして返せば、こくりと頷く黒鋼。
「ファイ、黒鋼。ウィズ」
ピースを分裂させ、ファイと黒鋼を一方の手に、私はもう一方の手に。二と一を示してみせると拳骨された。
「―――!」
「―――」
「二人とも何言ってんの?」
怒る黒鋼、私を撫でながらへらへらしているファイ。まあ、黒鋼は”俺とコイツが同室な訳ねぇだろ”みたいなこと言ってるんだろうな。
言葉が通じる黒鋼が、全くわからないファイと一緒にいてくれた方が安心に決まっているが、それを主張してみても、わからない言葉で二人が喋り続けるばかりである。
「ファイ、ウィズ。黒鋼ーで、いいの?」
彼に寄り添うようにして改めて聞いてみれば、意味が伝わったように笑って頷いた。じゃあ、いいか、もう。
基本的に黒鋼の部屋に入り浸ってもいいし。
黒鋼に風呂の場所やら身支度の場所やらあれこれ生活のことを聞いてから、ファイの手を引いてばたばたと寝支度をした。
既に整えられていた布団がぴったり並んでいるのが何だか不気味で、拳一つ分だけ引き離していたら、ファイが笑う声を背中で聞く。言葉も通じないのに無視までするのは何だか可哀想で振り向いたのに、心底可笑しそうにしているので、硬そうな枕を投げておいた。
「早く、またファイとお話したいな」
こちらを向いて目を閉じている彼に、分かるはずもない言葉を呟いて、私も目を閉じた。
〇
小狼たちと会えず、羽根の所在もわからずという日々で黒鋼にしがみ付いてお願いしたのは言語である。ファイと私は”声が出せない奴”と”言葉が覚束ない奴”になっていて、怪しいこと極まりないのに城に置いてくれる”夜叉王”の懐の広さに救われている。
夜叉神と思っていたものは、この国で王様の身分にあるらしく”阿修羅王”と敵対関係で”手に入れれば願いが叶うといわれる城”の権利を競い合っているらしい。その戦いの終わりは、まあ――殺し合いなのだろう。古から続いているという戦争だというが、夜叉王も阿修羅王も一般的な人間とは違うのだろうか。
夜叉王は体調が優れないことが時々あるようで、彼の部下に回復魔法を頼まれたことも一度や二度ではない。
「夜叉王、心配」
「ありがとう」
「……うん」
たどたどしくも会話が通じるようになった。夜叉王を始めとして、城の人々が伝わりやすい言葉を選んでくれているのも感じる。親切にしてくれるのに、私にできることは彼の病そのものを治すことではない。私の回復魔法は万病が治せるものではない。大抵の肉体には期限があって、最も健康な状態を維持し続けていても、器自体が劣化していくのを食い止めることはできないのだ。
「元気、願う」
困ったように笑う美男。もうすぐ無くなる命のまま、ずっと生きている。
城内には商人が訪れることもあり、織物や宝石から生き物まで様々に見せてくれる。夜叉王が私たちにも欲しいものを何でも買うよう言うので、私は杖の素材に良さそうな宝石をしっかりいただいた。
それからは昼間に杖づくりを、夜は出陣に付き添い後方支援を、帰ってからも魔力が尽きるまで治療を続行。同室のファイは私が四六時中動き回っているのを知っているので、ここ三日程、彼によって部屋に連れ戻されている。
杖が無かった頃よりも効率よく魔力を運用できるようになったので、魔力が枯渇するようなことも無いのだが、人間は通常睡眠を必要とする。確かに、眠ると魔力や体力も戻りがいい気はするが、放っておいても私は死なないようにできている。
今日はまだ重傷者しか治療が終わっていないタイミングでファイが部屋に来て、私の横に座る。怪我はしていなかったようだが、手を止めて念のため彼をちらりと見る。にこりと少しかための笑顔。ちょっと不機嫌だな、と分かる。言葉が通じなくなってから気付くようになったのか、意図的に分かり易くしてくれているのかは不明だが。
ファイが隣に来ると、列の後ろの方に並ぶ人たちが申し訳無さそうに帰って行ってしまうので、ちょっとやめて欲しいと思っているが、以前一度そう言っても伝わらないのかこてんと首を傾げられて終わった。
今日も散りゆく後列の人々を見送り、残るは軽傷者のみとなったところでファイが立ち上がる。うわ、連れて行かれる。きゅっと小さく丸まって引き上げる腕から回避を試みると、そのまま荷物のように持ち上げられて床が遠く感じる程視界が高くなる。
「こわいこわい落ちるファイ」
不安定な揺れに怯えて目の前の首にしがみ付けば、抱え直されて姫抱きに落ち着いた。縮み上がった心臓の早鐘を聞きながら遠退いていく景色をただ眺める。
なんだかファイは怒っているが、何をしでかしたのか身に覚えがないなと考える。頬にあたる柔らかい髪の毛の感触には癒されるが、ありありと伝わって来る不機嫌オーラには敵わなかった。
いつものように部屋に戻ってくると、至極優しく手前に敷いてある彼の布団に下ろされ、私は一先ず正座しておく。言葉を発することのできる雰囲気ではない。一先ず杖をウエストポーチに仕舞い、指をもじもじと組み直す。
「ウィズ」
「ん、はい」
横に座ったファイの脚は長く床に伸びている。その遠い爪先を眺めながら返事をした。この世界でのファイは、私のことを”ウィズちゃん”とは呼ばない。声が出ないという設定上、名前を呼ばれるのも自然とこの部屋に限られる。無性に緊張して、落ち着かない心地になる。
「んん、なに?」
いつまで経っても何か言う様子が無いので、痺れを切らして顔を上げて問いかける。近い。近過ぎる、顔が。それも綺麗な顔が。照れ臭すぎて目をきょろきょろと彷徨わせてしまう。
しかし、ふと気付く。
「ファイ?」
彼の沈痛な表情は、何が原因なのだろう。いや、私がそうさせたのかもしれない。ここ数日のファイらしからぬ行動、彼とて心配してくれていたのだろうか。
安心させるにはどうしたらいいものか、とりあえずちょっと上身を引いて両腕を元気よく曲げて見せ“まだまだ元気です”アピールを試みる――が、違うらしい。目をスッと細められて一層居心地は悪くなった。
ずいっと身体を伸ばしてきたファイの鼻先があまりにも近くて、正座を慌てて崩して逃れようと引き下がるとき、馬鹿みたいに裾を踏んで転倒した。あまりの醜態に天井を眺めながら両手で顔を覆っていると、ころりと身体を横に転がされ、布団の中に仕舞われる。
「ま、シャワー、ファイ!」
布団の上から両肩を押さえられて否の姿勢を示される。
「ファイー」
ふるふると首を振られる。そんなに心配を掛けただろうか。
確かに、二本目の杖を作り始めてからはかなり時間が掛かっている。しかし、すごく質のいい宝石だったので繊細に扱う必要があって、これはどうしても譲れない。それに、夜叉王の体調も芳しくなく、ここに置いてもらっている以上は彼の療養に通うのも必要。同じ理由で戦場から戻った後の人々への治療も。それ以外の一切をこの城の人たちに任せて怠けるべきときは怠けている。
心配を掛ける理由が見当たらない以上、最早ファイがただ心配性なのか――ああ。
「ファイ……わかった。今日は寝る」
脱力して頷いた私に彼はようやく沈痛な表情をおさめ、少しだけ微笑んだ。
「でも疲れてるから、丁度いい抱き枕になってね」
上身を起こそうとしたファイの首に抱き着いて、布団を蹴っ飛ばし彼を中に巻き込む。慌てて出ようとしてくれている純情な彼を組み敷いて押さえこんだまま、私は嵩張る上着や手甲を布団の外に放り投げ、布団をもう一度掛け直す。
二人で包まる布団は温かい。ファイの細い身体は骨感を拾わない程度に筋肉が付いていて、ほどよい柔らかさと弾力が――いや、あまり考えないでおこう。生々しいから。
「ファイ、枕あげる」
ずるずると硬い枕を押すと、きょとんとした顔のファイが首を上げる。首を丸めて布団のなかに顔を埋めると、ぽんぽんと肩を叩かれるので再び彼を見上げる。にこにこしながら頭を持ち上げられたかと思うと、するりと腕が入ってきた。腕枕って万国共通なのだろうか。別にあってもなくてもいいのだが。まあ、いいか。
ファイはシャワーを済ませたようで石鹸の匂いがする。いいですね、私も入りたかったです。
「おやすみ、ファイ」
「……オヤスミ、ウィズ」
察して返してくれたファイに嬉しくなってにこにこ笑っていたら、わしゃわしゃと髪を撫でられて、眠れと言われているような気がして目を閉じる。暖かい体温と、呼吸、鼓動、微かな衣擦れの音が心地よい。
多分。ファイも、疲れていたのだ。互いにゆっくりと抜けていく力がその予想を真実と言っている気がした。
こんなに安心する眠りはないだろう。もう、このまま死んでしまいたいくらいだった。
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