演劇サークル



 無事に全員で移動した新しい世界は日本によく似ていた。紅葉する山々を見るに秋口だろう。小狼とサクラは少し寒いかもしれない。都会から離れてはいるが豊かな観光地なのだろう。街並みはよく整備されていて、一本入った道では均等に並ぶ電柱が現代日本を彷彿とさせる。あちこちにある案内板の文字は日本語と英語の二つで記載されていて、外国人観光客も多いことが窺える。



「文字、読めるー?」

「はい。阪神共和国と似てますね」



 よく似た別の世界の可能性があるのは、そこで学習済みである。一先ず危険な国ではなさそうだということで、モコナは羽根の気配が無いと断言したが、私たちは共に疲労が溜まっていたため、拠点ができれば一泊したいと意見が一致する。

 何はともあれ、状況把握と身分と銭が要る。早いところ珍妙な衣装を脱いでこの世界に溶け込みたい。



「あっ!」

「大丈夫ですか?」



 ガチャン、と何かが倒れる音にいち早く対応したのはサクラと小狼である。その先には、はがれたレンガ道で転倒したお婆さんがいて、傍には杖と大きな買い物袋が転がっている。



「お怪我ありませんかー?」

「すみません、ありがとうね。いやあ、足が悪くて」



 傍に座り込み無事を確認する二人、手を差し伸べるファイ。



「立てますか?」

「大丈夫よ」



 結局、お婆さんは立てず。小狼が彼女を背負い、私たちは案内されるまま彼女の家まで送り届けることになった。

 着いたご自宅は塀、庭、犬と豊かなご家庭を絵に描いたような場所で、近隣に住む娘が慌てて乗って来た車もビカビカに光っていた。金持ちは心が豊かというが、私たちが不審であることには違いないので、彼女は送り届けてくれたことを感謝しつつも警戒を隠さなかった。

 何せ私たちは全員、紗羅ノ国産の着物姿で来ているので。



「演劇のサークル活動で来たんですが、宿が取れていなかったみたいで困ってたんです」



 しゃあしゃあと嘘を並べた私に、小狼がぎょっとしていたので肘で突いた。







 娘さんは未だ信じきれないといった様子だったが、お婆さんはそれならばと彼女の所有するコテージを一棟貸し出してくれた。あとはもうファイの口が回り、小狼とサクラの純粋な眼差しに娘は敗北である。



「ウィズさんも旅に慣れているんでしたね」

「ふふ、少しね」



 これは一度目の人生を信じた賭けだったが、上手くいってよかった。もし駄目ならモコナの口に逃げる一択だったとは、敢えて言う必要もないだろう。

 コテージはロフトに布団が四組敷けるようになっていて、ベッドルームには二台ベッドがあるらしい。まあ、ファイと黒鋼が同室でいいだろう。



「いたっ!え!?」

「変な事考えるな」

「何も言ってないよ!」



 拳骨早すぎ。



 他にも、二口コンロのキッチンと六人掛けのテーブル、大きなL字型のソファと薄型テレビ、ネット環境もあるらしいが私たちには縁がないだろう。夜叉王の城程ではないが、お風呂も足が伸ばせる立派な浴槽がある。無論、バス・トイレ別である。



「最高の環境過ぎる」

「よかったねぇー、ちょっとゆっくりできそう」



 後ろから風呂を覗き込むファイも機嫌が良さそうだ。

 娘さんに怪しまれる不安はあるが、正直この軟派男がどうにかしてくれると思っている。



「何か変なこと考えてない?」

「えっ……ううん?」

「あ、嘘の顔ー」



 彼らにはすぐに嘘がバレるようになってしまった。言葉が通じないままでずっと居ればそうもなる。



買い出し





 この世界に羽根は無いが、だからといって安全だと断定はできない。一先ず資金調達のため向かったのは質屋である。ファイが夜魔ノ国で商人から手に入れていた品々は高価な値が付いた。通貨は円だが、硬貨や紙幣に書いてある模様は”日本”とは違う。やはり違う国なのだ。

 何をするにも装いが不審者である私たちは、一旦この世界に馴染みのある私、常識担当の小狼、交渉担当のファイだけで一度目の外出に来ていた。



「あの店に行こう」



 一先ず服だ。私が指した店は赤字に白で”ウニクロ”と書かれた店である。横には青地に黄色で”CU”と書かれた店もある。



「ファイと黒鋼の服、あそこしかないから」

「この世界の人たち、小柄だもんねー」



 着物姿の私たちは客の目を集めたが、タグを切ってもらってから着替えてしまえば、あっという間にファイですらハイカラな若者に様変わり――は無理だが、外国人旅行客風にはなった。ウニクロとCUでそれぞれ衣類を十分買い込んでからウエストポーチに仕舞う。



「次は食べ物と日用品かなぁ」

「あそこ行く」

「本当によく似た国だったんですね」



「役に立ててうれしいよ」



 スーパーに着いて慣れた手つきでカートとカゴを用意する私に、小狼がしみじみと呟くので照れ臭い。ただの日常動作なのだが、確かにこういうスタイルの国で買い物をしたことは、この旅では無かった。多分、阪神共和国も同じようなスタイルなのだろうが、あのときは空汰夫妻が全てやってくれたのだ。



「無性にむずむずする。二人とスーパーが合わなくて」

「えっ?」

「眩しいー。美味しそうだねぇ、これ何だろ?」



 果物と野菜を手に取るファイにあれこれ説明しながら、それでも違う世界だから合っているかは分からないと補足しておく。



「主食はお米なんですね」

「お米も美味しいよねぇ」

「小麦粉もある」



「ふふ。フォンダンショコラ、食べるー?」

「うぅ、食べる……!」

「あはははは」



 ファイがカゴに酒を入れるのも黙認した。



「あ。そういえば、ホワイトデー」

「えー?」

「帰ってからにしよ」



 夜魔ノ国で革を手に入れたからあれはどうかな。いや、加工するなら宝石を使ってアクセサリーの方がいいかも。やっぱり、私も帰ってから考えよう。



「ちょっと買い過ぎたねぇ」

「黒鋼喜ぶよ」

「そうだといいんですけど」



 なんと、小狼がマガニャンの亜種・マガワンを発見してお土産にと進言したのだ。こんな弟子を持って幸せな師匠である。ファイと共に褒めそやす帰路、既に日は暮れつつあった。



「今日は平和だったな」

「……半年も、夜魔ノ国に居たんですよね」

「そうそう。黒様はいきいきしてたよー」

「……」



「小狼君たちとまた会えて本当によかった」

「……はい、おれも。ウィズさんたちと会えてよかったです」



「……可愛いすぎる」

「落ち着いてーまだ外だからー」

「えっ?」

 

 ファイの注意が無ければ撫でまわして離さなかったかもしれない。





 帰宅後はすぐに夕飯の支度に取り掛かった。その間、お留守番組と小狼には買って来たものの仕分けを任せてある。

 買って来た食材は見覚えのないものもあるということで私はファイの横で処理の仕方を簡単に伝えるだけの仕事をしている。



「いる意味ある?」

「あるある。火見ててねー」



 お母さんの手伝いを始めてやる子供くらい何もしてないが、私が手を出すよりもファイが作った方が美味しいので口出しはしない。



「美味しそうな匂いがしてます」

「そうですねぇ」

「つまみ食い?」

「だめですー」



 ファイと喋れることがこんなに嬉しいものだろうか。つまみ食いはできなかったが、私は顔が緩んだままだった。

 そう時間を掛けず食卓に並べていったものは”すぐに作れるものだけ”だと言っていたが、一行はファイに胃袋を掴まれているので各々うずうずとした表情で席についていた。



「いただいていいんでしょうか」

「どうぞー」



「いただきます!」



 不在だった小狼やサクラがしみじみと味わっている様を、ファイはどこか照れ臭そうに眺めていた。あの黒鋼も頬を膨らませて黙々と食べている。彼好みの和食ではないのに。うまいうまいって言えばいいのに。



「隙あり!」

「なっ!!」



 モコナが敢えて黒鋼の皿から料理を強奪してからはまあ、いつも通りである。



「足りなかったかなー」



「わたし、食べすぎちゃったかもしれません……」

「いや、それはおれが……」

「ファイの料理が美味しすぎたね」



「きゃー!食べられるぅー!」

「食わねぇっつの!!」



 もう食後の運動に入っている二人を他所に、小狼とサクラが食器洗いを名乗り出たので、お母さんは彼らに任せることにしたようだ。



「お湯張ったら入る?」

「いいねぇー」

「入れてくるね」



 お湯を溜めながら、買って来た日用品が不足なく用意されていることを確認してリビングに戻る。モコナと黒鋼の戦いは終わっていてサクラと共にソファでくつろいでいる。キッチンには小狼とファイが立っていて、何やら朝食の話をしているようだ。



「小狼君、料理もできるんだっけ?」

「簡単なものなら」

「すごいねぇー」



 いつも作ってもらっているということを気にして、小狼は明日の朝食を作ってくれるらしい。



「キッチンの作りは桜都国と同じだし、サクラちゃんが使い慣れてるんじゃないかな」



 試しに言った言葉に、ソファに座っていたサクラがキラキラとした目でこちらを見て、力強く頷いている。可愛すぎるが。



「私も、朝ごはん作ります!」

「じゃあ二人に任せちゃおっかなー」

「わーい、ありがとー」



 小狼とサクラが再びキッチンで何やら話し始めた様子を見て、私はファイからサムズアップを賜った。無論、こちらも返す。あとは、若いお二人でってやつだ。



「一番風呂、ババ抜きで決めよ」



 テーブルに置いてあったトランプを見せると、ファイと黒鋼はきょとんとしていたが、モコナは「はいはーい!わかるー!」とノッてルールを説明してくれる。



「あー、同じようなのあったよー」

「小狼ー!サクラー!」



 一位のサクラは予想していたが、モコナが二位になったときはおおっと歓声が上がった。



「モコナ強いんだねー」

「秘密技?」

「これはモコナの実力だよ♡」



「小狼君、大丈夫?」

「小狼、いっぱいもってるー」

「う、うん」



 ファイのカードを引く小狼はずっとカードを捨てられず団扇のようである。多分ババも引かされている。



「あ、黒ぴっぴババ引いたでしょ」

「引いてねぇ」

「すいません!」

「お前は言うな!!」



 黒鋼からカードを引かなければならない私は三枚のカードにそーっと指を寄せ、その表情をじっと見る。



「これだ。へへへ、ファイいいよぉ」

「あー、あ!オレも上がりー」

「やったー!」



「師弟対決だー!」



 額に汗を滲ませる小狼と、額に青筋を浮かべる黒鋼をサクラが交互に見ながらあわあわしている。



「どっちも頑張ってください!」

「サクラ、運動会のアナウンスみたいー」

「っふふ」



 小狼の手札は三枚、黒鋼は二枚。



「黒鋼顔こわーい」

「うるせぇ、覗くな」

「……はい!」



 無事ババを引かずに済んだ小狼が、一枚のカードをきらきらと輝かんばかりの笑顔で差し出している。勝負に師弟もなし。公平に黒鋼の負けである。

 ベッド決めも別のゲームで決めようと思っていたのだが、結局ファイの意見で男女で分かれることになった。慣れ過ぎて忘れていたが、普通はそうだったなと思い直す。



寝酒





 サクラはモコナと共に入浴するということで、二人と入れ替わり私が入浴する。夜魔ノ国ではゆっくり風呂に入っている場合ではなかったので身に染みる。身体を綺麗に洗ってから湯舟に浸かると、急にこの世界が本当に現実なのだろうかと疑問を抱く。あまりにも平和で、一度目の人生に似すぎている。これが夢なのか、もしくはこの旅や二度目の人生というのが全て夢なのか。傷一つない生白い手足を見ても安心できず、まとめ上げていた灰色の髪を下ろして手繰る。既にお湯で濡れて色が濃くなっていて、こちらも安心材料にはならない。頬を抓ったって、別に痛くない。

 浴室を出れば鏡があって、私の紫色の瞳が見えるだろう。でも、もしその鏡に映るのが一度目の人生の姿だったら。この浴室は本当に、今日借りたばかりのコテージのものだろうか。一度目の人生なら、いいじゃないか。もうすぐ死んで二度目に行くだけだ。



 良い訳がないだろう。二度目の人生に終わりはない。桜都国で遭ったような、体中を貫かれても死なない身体で、何年経っても老いない身体で、世界が終わっても朽ちない魂で、いつまでも生かされていい訳がない。



 一度目の母の顔も覚えていない程、二度目の人生は長く濃かった。その時の仲間も本当に良くしてくれたが、彼らは皆肉体や魂の終わりを迎えていった。もう、出会うことはない。

 夜魔ノ国で一体何人助けられず見送っただろう。半年もあそこにいて、家族のようにしてくれた人達だった。もう、彼らとも出会うことはない。



 じゃあ、サクラたちは。彼らとて人間であり、そもそも別の世界の人間だ。旅が終われば別れる。いや、それでいいのだろう。終わるところを見てしまうよりも、どこかで生きていると信じていられる方が幸せだ。

 私に帰るところは無くても、彼らにはある。私はこの旅の終わりに、どうしたらいいのだろう。モコナだっていつかは侑子さんのところに帰りたいだろう。サクラと小狼が羽根を集め終えて、黒鋼は自分の国に帰る。ああ、でも。ファイは世界を渡り続けるのかもしれない。ファイが居たら、モコナだって楽しいだろう。ファイが、生きている内は、この旅は続く。生きることを望まない彼が、生きている内は。

 誰かと居ることに慣れ過ぎた。居心地が良くて、浸かり過ぎた。束の間の安寧だということを忘れてはいけない。別れがどんなに痛くても、皆に笑っていてもらいたい。あるべき所へ、あるべき幸せを手にしてほしい。手を離す覚悟はしておかなければならない。どうか私の見えないところで、幸せになってほしい。



「飲み始めるの早すぎ」



 適当に髪を乾かしてリビングに戻ると、猫化しているサクラとモコナに擦り寄られた。シャンプーの優しい香りがする。



「お湯もうぬるいかも」

「いいよー。あっついの苦手だからー」



「くすぐってくる猫はどっちかなー?」

「にゃー!」

「可愛いやつらめー」



 モコナのどこをくすぐればいいか疑問だったが、それっぽくくすぐり返すと大喜びしている。空になっているグラスを拝借して私もウイスキーを一杯注いだ。



「ウィズさん、あんまり強くないんじゃ」

「これくらいは大丈夫ー」

「おめぇ紗羅ノ国で泥酔してたろ」

「程々でしっかり寝たよお、黒い方と違ってー……いたあ!」



「タンコブできたにゃー?」

「にゃにゃー」

「天使いる。天使」

「もう酔っぱらってるみてぇだな」



 平和だなあ。

 サクラとモコナに、黒鋼に拳骨されたところを撫でてもらいながら私は至福を感じていた。



「小狼君どうぞー」

「ありがとうございます。お先に」

「おー、いけいけ」



 黒鋼は酒で機嫌を取られていたのだなと横目で見ていただけなのに睨まれた。モコナがサクラのグラスに注いだウイスキーをファイに横流し、割材として出した炭酸水を空のグラスに注いでサクラに渡す。



「あはは、幸せそうだねぇ」

「わかりますか」

「ウィズさんも飲むにゃー?」



「注いでくれるのー?うれしーい……お姫様にこんなことさせていいのかな」

「今更かよ」

「あはははは」



 小狼が戻ってきたら部屋に返すことにしようと決めながら、サクラがなみなみ注いでくれたウイスキーを有難く飲む。



「おいしいにゃー」

「よかったにゃー♡」

「にゃーん♡」



「食べちゃおっかな」

「だめだめ」



 サクラの頭に伸ばした手を捕まえられ、さながらハンズアップである。鬼(小狼)の居ぬ間に、と思ったのですが――



「黒鋼さん、どうぞ」

「しっかり入ったのかよ」

「えっ!?は、はい!」



 気を遣って急いで入ったんだろうな。黒鋼がびしょ濡れの小狼の頭を引っ掴んで行ったので、少し思案する。



「二人でお風呂入んのかな?」

「えぇ?まさかー」



「サクラちゃんは今度一緒に入るよねぇ」

「だめだめ、サクラちゃん襲われちゃうよー」

「にゃー?」



 会話が途切れ、ウイスキーもまだ飲み干していないし、手持無沙汰になった。サクラはうとうとしているし、モコナはテーブルでぷうぷう寝ている。移動が多かったから疲れたのかもしれない。



「前の国はちょっと忙しかったし、この国ではゆっくりしたいねぇ」

「まあ……また、急に移動することにならなければ、ですけどね」



 でも、ファイは一点に留まることをあまり良しとしてなかったはずだ。それに、サクラの羽根もまだまだ集めなくてはならないだろう。黒鋼だって、少し休めば自分の国に帰るため移動を望んでいるだろう。

 この時間が続いてもいいのに、と願うのは、まあ。私くらいだろう。



「一人でちゃんと寝れる?」

「寝れるよ」



 寝れるはずだと自分で信じ込むしかない。



「大丈夫だよー、サクラちゃんもモコナもいるし」



 今は、ね。ゆらりと大きく揺れたサクラの頭を腿へ下ろす。眠り始めたサクラの髪を撫でながら、心の中で毒づいた。



「……そーね。サクラとモコナ、お部屋に寝かせてくる」



 上手く笑えた気がする。





 リビングに戻る道すがら、遭遇した小狼の髪はさっぱり乾いていた。髪だけ乾かしたのか、と思いながらも「一緒にお風呂入ったの?」と聞くとぎょっとされた。



「ち、ちがいます!髪を!」

「あははは、ちがったー?」

「ちがったー」



 リビングに入ると、話が聞こえていた様子のファイからも玩具にされた小狼は焦って私が飲みかけにしていたウイスキーを飲み干した。



「あ」



「猫になる?」

「小狼君はー、どうだっけ?」



 飲んだ本人が一番焦っているが、お酒は飲んですぐ酔うものではないので、執行を待つかのように膝を抱えている。



「お水飲んでおいたらマシじゃないかな」

「う、はい……」



 先手を打って寝ておくのが一番だと分かってはいながら、桜都国での小狼の奇行再来を待望してしまう。アルコールで焼けただろう喉のため氷を入れた水を渡す。



「どうした」



「おかえり」

「小狼君、間違ってコレ飲んじゃってー」

「寝ときゃいいだろ」

「あっ!」



 そこからの小狼は慌ただしく、水を飲み干し、洗面所やトイレを済ませてさっさとロフトを上っていった。



「おやすみなさい!」

「おう」

「おやすみー」



 話を聞きたい子たちが眠ってしまった。夜叉王チームが残ってもなあ。



「あ、黒鋼ビール飲んだことあります?」

「びいる?」

「ないんだー?」



 先程小狼に水を用意する際冷凍庫に移しておいたため、キンキンに冷えている。

 自分用と黒鋼用で二本出してリビングを覗くと、ファイが手を振って「オレもー」と言うので、三本目を取り出す。



「色んなのがあるんだねー」

「これが好きだった気がする」

「何がちげぇんだ」



「味」

「そりゃそうだろ」

「あははは」



 全部飲んだことのある銘柄を購入した。



「ファイ、見た事あるやつ無い?」

「ないけどー、こういうのはあったよ」



 緑色の瓶ビールを指さす。それっぽい。



「黒鋼が一番好きなの、これと見た」

「どんなの?」

「濃ゆい」



 各々が手に取ったものを品評しつつ、予想が当たっていたらしい黒鋼をからかいつつ、あっという間に一本飲み干す二人に引きつつ。



「じゃあ、あとは若いお二人で」

「もう寝るのー?」

「ファイ吐くまで飲ませるでしょ」

「そんなことないよ――」



「さっさと寝ろ」

「おやすみー」



 空にして放置していたグラスをシンクで手早く洗い、リビングから退散する。脱出成功だ。

 洗面所で歯を磨き、手洗いを済ませ、私はモコナとサクラが眠る寝室の戸をそっと開ける。安らかに眠っているようだ。そっともう一組のベッドに潜り込む。サクラの寝顔を眺めながら、瞼の裏に焼き付く”記憶”を受け入れる覚悟を決め、目を閉じた。



現実の悪夢



 この世界に来て三日目の朝である。昨日の朝、少々二日酔い気味の小狼がサクラに助けられながら作ってくれた朝食は大変美味しかった。キッチンであれこれ話している二人が何っぽいとは言わないが、和んだし。今朝は私が和朝食で黒鋼の機嫌を取ったが、特に”うまいうまい”みたいなことも言わず、作り甲斐の無い態度だったので拳骨しておいた。



「この中でぜーんぶ乾くってことー?」

「そう。素材によっては痛むから、きちんと干すけど」

「すごーい」



 ドラム式の全自動洗濯機に拍手するファイはさながら母親である。魔法が存在する国は自然と文明が発達しないものだ。この手の家電に縁がないのも自然だろう。

 二日目の朝食後、情報収集の手段について悩んでいたところ、小狼がテレビで随分世情が分かったと言うので目から鱗だった。そういえば、テレビでは情報番組っていうのがやっていた。この旅では終始出会う事の無かった媒体で、二度目の人生でも存在しなかった媒体だったので、すっかり忘れていた。

 後は日中に観光窓口で図書館の場所を確認して、各社の新聞を読み漁れば、この国がほとんど”日本”と差異が無いことも理解できた。



 つまるところ、目ぼしいものはないが平和な国だということで、ただの旅の小休憩で滞在することになった訳である。

 今日は小狼とサクラがモコナを連れて、ファイの作ったフォンダンショコラを綺麗にラッピングして、コテージを貸してくれたご家族に差し入れしに行ってくれている。私たちがおやつタイムにいただく予定のものだ。なんと平和なことか。



「サクラちゃん、心配してたよ」



 バルコニーで、乾燥にかけられない衣類を干していると、ファイが普段通りの声で話を始めた。



「誰を?」

「ウィズちゃんを」



「気を付ける」



 サクラめ、チクったな。内緒って言ったのに。

 彼女に罪は無い。本当に心配してくれているからこそ、彼女が信頼するファイに、約束を破ってでも言ったのだろう。自分の信頼を落としてでも、私のことを想って。



「このシャツ、乾燥かけても大丈夫だよ」

「分かってるよ」



「……ごめん」



 話がしたくて、敢えて時間を稼ぐのに乾燥にかけなかった意図は分かるが”すいません、気を付けます”で終わる話だ。私が初めに謝らなかったのは悪手だったと思いつつ、でもとても謝る気にはなれなかったなと振り返る。

 随分、乾燥にかけられたはずの服が出てくる。小さい服、私の、ちょっと大きめ、デカいやつデカいやつ。二日分か、本当に。いや、五人もいればこうもなるか。



「もう、心配掛けない」



 サクラが心配しているのは、私が夜な夜な魘されていることだろう。前日も今日も陽が昇る直前くらいに、心配するサクラに起こされた。

 彼女と同じ部屋で眠ったのは、高麗国での雑魚寝が最初で最後だ。ジェイド国でも一晩同じ部屋になったが、あのときは結局眠っていない。

 そもそも、私は元々悪夢をよく見る方だ。それが夜魔ノ国で長く人と人との殺し合いに身を置いて、まだその感覚が抜けないのだろう。自分自身、しばらく悪夢を見るだろうと分かっていて、敢えて明け方まで眠らないようにしていた。夜更けにサクラを起こしてしまわないように。



 別に、眠らなくたって構わないのだ。今の世界は平和で、魔力や体力にも困っていないから。



「ウィズ」



 びく、と肩が揺れる。聞こえてきた言葉は、気のせいかもしれない。



「ウィズ」

「なに」



 最後の一枚だ。気のせいじゃなかった呼名に口だけで返事をして、空になったカゴを持とうした手は掴まれて、ガランと音を立ててカゴがバルコニーを転がるのを目で追う。



「よいしょ」

「あ、えっ」



 俵のように担がれ、転がったカゴと共にリビングに連れ戻される。



「あ、黒様おかえりー」

「何やってんだおめぇらは」

「ちょっと休憩ー」



「お、おぉ……」



 カゴはリビングに置き去りにされたようだ。気ままな外出から戻ったらしい黒鋼は何故か一切止めてくれない。関わり合いになりたくないか、それはそう。

 たんたんたんと軽快に上っていくのはロフトのハシゴである。ファイの背中側にある私の視界はぐらぐらと揺れるリビングの床である。自分の管理下にない逆さまの景色、怖すぎる。



 半泣きの私が下ろされたのは何だか覚えのある匂いのする布団の上だった。三つある内の端、ハシゴから一番近い布団。



「お昼寝終わったら、ケーキ食べようね」

「食べる……けど」



 へにゃりと笑うファイはいつも通りだが、どうして彼も布団に潜り込んでいるんだろう。

 ぐるりと身体を抱き込まれると、ぽろりと涙がこぼれた。私はこの温度を知っている。夜魔ノ国で何度もこうして眠ったから。



「これなら、寝れるでしょ」



 そう、こうして眠れば悪夢は見ない。

 何の根本的な解決にもならない対症療法を、私は毎晩のように施されていた。



「ご、めん。ごめん、なさい」



 ただでさえ、この旅で世話になってるのに、心配かけっぱなしなこと。望んでも無いのに、生かしたこと。生かしたくせに、ちっとも幸せにしてあげられてないこと。幸せにしてもいないのに、痛みに喘いでいること。それを隠すことすら儘ならないこと。



 それでも行かないでほしい。どこにも、行かずに傍に居てほしい。この終わりない生で、一人にしないでほしい。ずっと一緒に、眠ってほしい。



「今だけでいい、から」



 二度と目覚めず、塵になりたい。







 リビングのど真ん中に放置されたカゴを戻した黒鋼が、小さくため息を吐き、戻って来たばかりの身体で再び玄関先に向かう。外から足音が聞こえてくると、黒鋼は再びため息を吐いて扉を中から開けた。



「黒鋼、お出迎えー?うれしい♡」

「何かあったんですか?」

「……チッ。あいつらが昼寝始めたんだよ」



「あっ!」



 サクラが心当たりのある反応を見せたので、三人の視線を集めるが、はっとして口を噤む。きょろきょろと目を動かした彼女は、一つ咳払いをして推察を述べた。



「お二人とも、お疲れなのかもしれません」

「……そうですね」

「そーっと入ろう!」



 サクラの嘘がバレバレなのはともかくとして、こっそり帰宅させることに成功した黒鋼は、仕事は終わったとばかりにリビングに戻り、ソファの定位置にどっかり座る。



 モコナは最近不眠の続くウィズを心配してサクラと共同の部屋に行ったが、姿が無いので首を傾げる。ぽてぽてとリビングに戻り、とりあえずファイの姿を確認しようとロフトを上ると、こちらには布団に包まって熟睡するファイがいる。

 ファイは普段うつ伏せで寝ていることが多いのだが、今日は横向き寝だ。にっこりしながら顔の方にそろそろと近づくと、モコナはハッと口元を押さえる。行方不明と思われたウィズが居たのだ、ファイと一緒に。一緒の布団に!!

 ウィズの頭頂部しか見えないが、ファイの寝顔はいつになく穏やかだったので、モコナはまた二人を起こさないよう、そーっとロフトを降りて行った。



「モコちゃん、二人、寝てた?」

「……寝てた」



 二人で、とは流石に。サクラには早いかなと秘匿したモコナは口元をもにょつかせた。



夜更かし



 しゅるりと衣擦れの音が聞こえて、少ししてから目を開ける。同じベッドで眠ったはずのモコナがいない。今日あれだけ昼寝をかましたのだから、別に夜に眠れないことは不自然じゃないだろう。好奇心に負けてその後を追跡する。少しずつドアを閉め切れていないモコナの迂闊さに、にやりと口元が緩む。

 リビングに着いた後ろ姿は冷蔵庫の明かりに照らされている。ころんと音がして、その手にジャムの入った瓶がある。お腹が空いたのだろうか。振り返る姿に目視されないよう一度姿を完全に隠し、小さな音でテレビをつけ始めたその姿にとうとう蹲る。キュポン、と響く音は瓶を開封した音か。五分程してからすーっとドアを開くと、ソファの上にいたモコナは跳び上がった。



「ぶふっ」

「シーッ、ナイショ、ナイショだよ、ウィズ」



 ジャム泥棒、現行犯逮捕だ。

 びっちょりとジャムに塗れた手を振り小声で囁くモコナだが、多分ロフトにいる面々は気づいてるんじゃないだろうか。多分気付いててほっといてる。



「ん、んふふ……お腹すいたの?」

「えへへ♡」

「そっかあ……なにこれ」

「黒鋼秘蔵のえっちなDVD」

「わお」



 ガタン、とロフトで衝撃音が聞こえた。面白過ぎる。

 ジャム舐め舐めも美味しいかもしれないが、アテ用にクラッカーとかあったはずだ。



「もっといいものあるよ」

「えーっ」



 ガガッ、と少し小さめな物音が立て続けに鳴る。

 戸棚からクラッカーを一袋とスプーンを取り出し、小さく割ってジャムを乗せたものをモコナに手ずから差し出す。ご満悦のモコナの手を布巾で拭ってあげるとにこにこと笑うのが可愛らしい。



「黒鋼っぽくないねぇ」

「うっふっふ♡」

「どっちかっていうとファイっぽくない?」



 けほけほと咳き込む声がロフトから聞こえてくる。起きてたのかな。



「ぷっ……小狼君にはー、まだ早いかなぁ」

「そうねぇ♡」



 ばふんと随分大きな身動ぎの音も聞こえてきた。これ、ロフト全員起きてるな。



「さて、もう歯磨きして寝よっか。黒鋼ももっとえっちなの観たらいいのにねぇ」

「いやん、ウィズ……お・と・な」



「誰の秘蔵だ、誰の!俺のじゃねぇぞ!!」

「わー!起きてたのーっ!?」

「きゃー!黒鋼がおこったー♡」



 ロフトからこちらを見下ろしている黒鋼はさながら檻の中から威嚇する珍獣である。ぷっと笑うと枕が飛んできた。流石にキャッチできたが、ウンコ投げる動物を彷彿とさせる。何だっけ。



「消去法でファイのってことだねぇ」

「おー、そうだろ」

「ちょ、っと、それはちがくない?」



 いつになく焦った様子のファイに笑っているのがバレないよう、枕で顔を隠しておく。



「笑ってるのバレてるよー」

「あははは、別に観ててもいいじゃん、大人なんだし」

「オレのってことにしてるじゃん――」



「ごめんごめん、違うもんね。モコナ、これどこにあったの?」

「テレビ台の下にあったの!」

「じゃ、誰かが置いて行ったんだねぇ」



 別にその手のものが誰のでもいいのだが、小狼やサクラがいる空間に、二人がそういう物を持ち込むことは無いと思っていた。元々置いてあったのだろうという推測が一番しっくりとくるのである。



「じゃ、サクラの目に触れたら困るから、モコナ持っておいてくれる?」

「任しとけ!」

「はい、じゃー、歯磨きして寝よー」



「もう目が覚めちゃったよ――」

「全くだ」





 何故か降りてきた二人にいい予感はしない。散々イジったし。



「黒様、今日買い物行ってきたんだもんねー」



 黒鋼が買って来るものなんか酒しかないだろう。

 小走りにリビングを出ようとした私の襟首がぐっと引っ張られる。この容赦の無さ、黒鋼以外にない。



「モコナ!置いていかないで!」

「おやすみウィズー!」

「え、えぇ」



 ガチャガチャと聞こえてくるのは酒瓶の音じゃなければいいな、と思いながら操り人形の如く連れられた先のソファに座らされる。ビール、ワイン、日本酒、焼酎、ウイスキー、ラム、あとは謎。



「小狼君も起きてませんでした?」

「ぐーっすり寝てたよ――」

「”ちょっとやそっと”じゃ起きないみてぇだったな」



 こっわ。絶対嘘だが。

 右にファイ、左に黒鋼。前はテーブル。ここが戦場ならこれ以上ない安置だが――いや、ある意味ここも戦場か。左右敵なだけで。



「た……楽しく飲もう。ね」

「そうだね♡」



 これは黒鋼の方が優しいと見た。







 酒の種類を変えなければ私は三本まで素面で飲める。恐らく奴らは量や度数を飲ませればいいと思い込んでいる。戦略的には容量の少ないビールに手をつけない方がいい。

 真っ先に薦められたのはこれまで飲んでいなかったラムである。次いで焼酎が来て、最後は意外にも日本酒だった。もしかすると、紗羅ノ国で私が泥酔寸前だったのは日本酒のせいだと思ったのかもしれない。甘い、甘すぎる。勝ち確、来た。



 そう思っていた時期が私にもありました。三種類しか飲んでないはずだ。何故耐用量を超えた感覚になっているのか分からない。



「なんか、おかしい。魔法?つかった?」

「使ったと思うー?」

「ちがう……おかしい、んんん」



 置いていたグラスを手に取り睨む。ちなみに、目が霞んで液面も見えない。



「手品?」

「あははは」

「随分早かったな」

「そうだねぇ。でも、仕組みがわかったかもー」



 ラム、焼酎、日本酒。



「前の時より酔ってるもんねー」

「ぜんぶ自分でついだよね」



 くすくす笑いやがって。



「途中で違うの飲んでたよ」

「ええ?3つしか飲んでないよお……」

「やっぱり、お酒の種類が増えると駄目なんだねぇ」



 おい。誘導尋問するな。



「でも、この前は同じお酒で四本目からふわふわしてたっけ?」

「く、くろがね?」

「お前が撒いた種だろ」

「おおぉ……つめたぁ」



 助けを求めるように平身低頭名前を呼んでみたが全く優しくなかった。



「何のはなしだっけ?」

「DVDが全然えっちじゃなかった〜って話してた」



 まあ、あれ、アイドルが主演のドラマだったしな。



「で、黒ぷーの趣味じゃなーいって言ってた」

「ははは、ウン」

「ファイっぽーい、って言ってたぞ」

「ちょっと」



 いや、ファイっぽくも無かった。

 黒鋼はなんか、好きな子にしか興奮しなそうだし。ファイは可愛けりゃオッケーっぽいし。じゃあ、後者かなみたいな。



「ごめんねぇファイ」

「え――ん」

「ちがうの?」

「ちがうよう」



 違くなさそう。



「チャラチャラしてっからだろ」

「してたことないでしょ――」

「じかくなし男だ」



 まあ、チャラチャラっていうか。



「ファイはー、どろどろーにやさしくしてー、ポイッてするもんねー」



 優しさに意味が無いから、手放すときも一瞬なんだよね。



「言われてんぞ」

「……ポイッてしないから」

「どろどろするんじゃん」



「……」

「ごめぇん、じゃあ、せきにんとってぇ、のみまあす」



 ファイが絶句してしまった責任を取って、私はなみなみ注がれていた何かよくわからない酒を飲み干した。



「……ウィズちゃんだって、どろどろーってするでしょ?」

「んんんいまどろどろ」

「そりゃ泥酔のな」



「わたしは、どろどろしてー、まるのみだよ」



 次、私の大好きな人が死んでしまったら、食べてみようかな。



「わたしの前で、死んだら、たべちゃうからね」



 ずっと一緒かも。それって、いいかも。



「しなないように、がんばって」



 ぽすんとどろどろの人に寄りかかって目を閉じる。ああ、でも食べたらこの体温は感じられなくなる。でも、死んだら皆冷たくなるし。やっぱり、食べるのがいいのかも。



「まだファイのごはん、たべたいから」



 死なないでとは、言えなかった。



看病



 四日目の午後。今日もファイの作るおやつを楽しみに、リビングでモコナと小躍りして待っていたのだが、ソファに座ったまま半日過ごしている小狼に首を傾げて立ち止まる。



「小狼君、ちょっとごめんね」



 触れた額はじんわりと汗ばみ高熱を帯びている。



「具合悪いでしょ」

「う……」



 ろくに返事も出来ないくらいなのに、よく黙って座っていたものである。



「サクラちゃん、今日ロフトで寝てくれる?ベッドルームは小狼君の部屋にしよう」

「はい……!」



 抱え上げた小狼の身体は全身熱い。彼女は全てを察したように部屋の戸を開けて先導してくれた。



「うーん。まあ、こっちか」



 サクラのベッドだとドキドキして治るものも治らないと見て、私が使っていた方に小狼を降ろす。

 着ているものは身体を締め付けるものではないので、そのまま布団をしっかり被せて腕組みする。



「口開けて、いいよぉ。じゃあ閉じて、深呼吸して」



 少し喉が腫れていそうだ。痰はなし。鼻水なし。微熱の域はとっくに超えているのも分かる。

 クローズドクエスチョンでいくつか確認して、買い物リストを忘れないよう念のため書き付ける。



「風邪ひいちゃったみたいね」

「風邪、ですか」

「うん。寝てても治るけど、それだけだとツラいから、お薬とか見てくる」



 後ろで心配そうに覗いていたサクラと、まだ起きている小狼の耳に入るよう伝える。

 一口に“風邪”といっても色々だから、風邪なら大丈夫ということはないが、何故かそう聞くと安心するものだ。



「サクラちゃん、ファイ呼んできてくれる?」



 彼女が退室した後、小狼にそっと声を掛ける。



「すごーく心配されてるけど、落ち着くまでサクラちゃんはお部屋に入れないよ。万が一でも移ったら嫌だよね」

「……は、い」



 弱っている姿を、多分彼は見られたくないだろう。

 部屋を出てから、来てくれたファイと小声でやりとりをする。最近深刻な流行病が発生している話は聞かないようだ。断定はできないが、恐らくはここ数日の寒さと乾燥、何よりも緊張状態から解放されたことも関係ありそう。

 購入予定のものを伝え、食欲が無さそうなので食べやすい食事の相談、食材やその他日用品も合わせて買ってくる予定を擦り合わせる。



「結構あるねぇ。黒りーん!」

「黒鋼だっつってんだろ」

「久々に聞いたかも、それ」



 別に全てウエストポーチに入れてもいいのだが、油断して単独行動した先で何かあったら確かに困る。

 コテージを出て、上着を仕舞う。



「黒鋼、小狼君つらそうだから行きも帰りも走りますよ」

「んなこったろーと思ったぜ」



 うんざりした様子ではあるが、体力だけはある男・黒鋼。息も切らさずドラッグストアまで着いている。



「最近この辺で風邪流行ってます?友達が急に引いちゃって心配なんですよねぇ」

「寒くなってきたからねぇ。まだ季節風邪の話は聞かないけど」

「そっかー。ありがとうございます」

「風邪薬ならこれがいいよ」

「何がちがうんです?」



 情報収集がてら、変な薬を飲まないように販売員の話と配合成分を確認し、医薬品の買い物は慎重だ。他にも使えそうな看病セットを購入し、それらはウエストポーチへ。

 あとは頼まれた食材と日用品が入り切らないので軽いものだけ手に持った。帰りも走るために。



 コテージから買い物エリアはそこそこ距離がある。走らなければ往復だけで一時間ちかくかかるが、軽く走れば三十分以内。魔法かけて走れば五分。



「それさっきもやれよ!」

「魔法使いなこと忘れてたー」

「おめぇもか!!」



 あまり使うことのない魔法は存在を忘れがちである。



「ただいまー」

「おかえりなさい」

「おかえりー」



 ファイは小狼の部屋にいるようだ。モコナとサクラに出迎えられ、黒鋼に食材と日用品の仕分けを頼んで、私は手に入れた薬と看病セットを使える状態に拵える。サクラはモコナと共に洗濯物を取り込むためバルコニーに居る。



「病は治せないのか」



 小さな冷蔵庫に向かって屈みこんでいる黒鋼の声が足元から聞こえてくる。ぽつりと呟く声は穏やである。



「病も色々でしょう、無理なものもある。私の魔法は、自然に起きる身体の反応は治療対象として”向いてない”」

「……」

「うん、力技で全快させる人もいる。でも”魔法ありきの身体”になる可能性がある」



 魔法使いの身体ならばいい。そうでないなら、むやみやたらに病気を治癒させるべきではない。身体の自然に治ろうとする反応を失うことになり兼ねない。



「怪我も治せないものがある」



 夜魔ノ国で、戦闘中に手足を失った兵は沢山いた。



「失った身体は戻せない」



 お湯が沸いた。湯たんぽに少しずつ注ぐ。



「死んだ人も蘇らない、老いた身体も戻らない」



 説明しながら、なんて役立たずな魔法だろうと苦笑が漏れる。



「私の魔法は、そのときに一番調子が好いって状態にするだけって感じ」

「必要以上に自分を下げるな」



 立ち上がりながら黒鋼が放った言葉に手が止まる。液面が揺れて熱湯が手に掛かる。火傷する程ではない。



「怪我のせいで力が出し切れず命を落とす奴なんざいくらでもいる。

 でもお前は怪我を治せるんだろ」



 良いように言ってくれる。



「優しいじゃん」

「茶化すな」



 茶化したつもりは――いや、素直に受け止められない辺り、茶化しているようなものか。黒鋼の言葉が世辞や気遣いな訳ないのに、心にもないフォローだろうと思ったところはある。

 自分自身が受け止められない不完全さを受容されるのは、居心地が悪い。しかし、彼の言うことも嘘ではない。私の魔法が無ければ命を落とした人もいただろう。彼らや、彼らの親しい人たちも、感謝してくれた。それは認めても、いいか。



「ありがと」



 無視された。可愛い奴め。





 小狼の部屋の前に立つと、中から戸が開いてファイがするりと出てくる。



「しんどそうだねぇ」

「何か言ってた?」

「”大丈夫”って言ってた」



 小狼らしいっちゃ、らしいが。肩を竦めて苦笑するファイに、多分私も同じ顔を返したと思う。



 ファイが手早く用意してくれた美味しそうなミルクパン粥は半分程食べてくれた。何も聞かずに薬を飲むほど身体がしんどいようだ。すぐに眠り始めた小狼の頭を思わず撫でてしまう。

 彼の寝姿を見るのは新鮮だ。雑魚寝以外で同室になることはないし、起こしに行く程の寝坊をする性質でもないから。思わず、眠る彼の”視えない右目”を眺めてから、消耗した体力を回復するように魔法をかける。

 やはり、この右目には何か魔法が掛かっている。いや、違う。どうしてだろう。小狼の身体には、全て魔法が掛かっている。この右目と、それ以外と。



 食事前よりも幾分穏やかになった寝顔を眺めてから、手を離す。

 魔法が掛かっているから、何ということはない。ただ、彼がこれ以上の試練に打ちひしがれなければいいと、思うだけ。



「おやすみ、小狼」



 この挨拶を聞くとき、私はいつも刹那の安堵に浸ることができた。傍に気配があったり、温もりを感じられたりすると、一層それは強くなるものだ。

 彼がいつかサクラにそうしていたように。本当は手を握ってやりたいが、それは私の役目ではないだろう。空いているサクラのベッドに腰かけ、私はただ目を閉じて彼の傍に居た。



 途中、ファイが空になった皿を取りに来たとき「残り食べたでしょ」と何もかも見抜いたのが怖かったり、起きた小狼が虚ろな赤ら顔で「もう元気です」と言うのをいなしたりしたが、特に状態が悪くなることはなく明け方になった。



「ウィズさん、休んでないですよね」

「ずぅーっと寝てたよ」

「……でも」



 本当にすっきりした様子の彼が、真面目な顔で言うのを制止する。



「小狼君、気にかけてくれてありがとう。

 でも、子供の君の看病するのは私たち大人の仕事」



 一旦感情を抜きにした立場の話で小狼を説き伏せる。真面目な彼が困ったような顔をするのは予想通りだ。



「何より。いつも小狼君無茶するから、心配で心配で心配で。本当はもっと、頼ってほしいんだけどな」

「もう十分、助けてもらってます」

「高熱出して動けないとき、今度から助けてーって言える?」



「う……はい」



 あまり詰めても、病み上がりの頭がパンクするだろう。これから、少しずつ考えてくれたらいい。



「あの黒鋼も心配してオロついてたよ」

「えぇ?」

「信じてないじゃん」



 病の話に関しては”小狼の風邪も魔法で直せたらいいのにな”くらいの感覚だったかもしれないが、黒鋼が買い出し前後に猛ダッシュしてくれたのは、紛れもなく小狼のためである。



「今日一日大事を取ったらいつもの小狼君に戻れると思うよ」

「……ありがとうございました」

「早い早い。これ、着替え。汗かいたでしょ」



 シャワーを浴びに行く彼の後ろ姿を見守って私はリビングに戻る。

 ソファでは既に起床していた黒鋼とファイが居る。サクラとモコナはまだ眠っているようだ。



「小狼君、結構元気になったみたい?」

「若者は回復が早いですね」

「いやー、本当にー」



 今日一日は大事を取って基本的にベッドルームに軟禁しておくことを伝えると、二人とも異論なしといった表情で頷く。



「ウィズちゃん、看病慣れてるの?」

「いや、全然。周りの仲間は皆頑丈だったので」



 まあ、魂は先に消えてしまったが。

 看病に慣れているというか、やるべきことが分かるだけだ。特に、この世界は一度目の人生とよく似ているし――



「でも、そうですね。ずっと昔、病気がちだった子がいて」



 一度目の人生の終わり。体調不良を抱えながら責任感だけで仕事に行き、一人の家に戻るだけの生活のとき。頼る人が居ないなんて思っていたが、今になって考えてみれば、誰にでも連絡してみればよかったのかもしれない。仕事だって身体がしんどいときは休めばよかったし、もっと働きやすい職場だってあっただろう。



「誰か見てたら、無茶しなければ、普通に」



 普通に生きて、死んで。人生をやり直しさせられるようなこともなかったかもしれない。

 後悔というのは、起きた後に残るものだ。



「その子に、やってあげたかった事なのかもしれません」



 あのときは、体調を崩しても自分で買い物をして、料理をして片付けもして、洗濯だって回した。病院に行く必要があると気付いたときには、もう自分では動けなかった。



 小狼はまだ若いし、体力もある。少し気がかりなことはあるが、彼は一人じゃない。



「早く元気になったらいいね、小狼君」

「そうですね」



 目に見えて回復している小狼だが、油断は禁物である。風呂で倒れていないといいが。



「黒鋼見てきてくれます?」

「何で俺が」

「間が悪かったら困るでしょう」



 ぶつくさ文句を言いながらでも立ち上がって行った黒鋼の背中が脱衣所に消えて行く。黒鋼が行けば小狼は驚くだろうが、きっと少しでも嬉しいだろう。



「お腹空いたんじゃない?」

「え?あ、食べ損ねた!ファイのご飯……!」



 昨日の夕飯、小狼が残したものを食べただけで終わってしまった。もうじき朝食の時間である。



「でもあれ、美味しかった!」

「だめだよー移ったら困るでしょ――」

「あー、次はしないー」

「こっち見て言ってごらん?」



 見れなかった。



雑魚寝



 五日目の夜は小狼の調子も頗る良く、消化に良い食事だと足りないようだと彼の腹の虫が伝えてくれたので、取り分けた物を届けた。彼の許可を得てサクラとの面会も行い、彼女の不安も払拭されたようで、両者表情穏やかである。私もあまり年頃の少年の寝室に入り浸るのは気が引けたので、食事の都度しか声を掛けていないが、もう付き添いも十分だろう。



「ここ四人は狭くない?」

「ね――」



「三人も結構……大変だったねサクラちゃん」

「寝すぎてしまったくらいです……」

「うふふ、サクラよく寝てた♡」



 サクラもそうだが、小狼もよくこのロフトで男三人寝ていたと思う。布団は四枚敷いていたようだが、一番ハシゴに近い敷布団は角が垂れさがっているくらいである。意味深なモコナの笑みに、そういえばサクラは結構寝相がヤンチャなときがあるなと思い出して口元が緩む。そんなところも可愛らしい。



「まあ、たまにはいいんじゃないー?」



 確かに。布団があるだけいいか。

 

 ハシゴ側からファイ、私、モコナ、サクラ、黒鋼と並ぶが――



「モコナ潰れない?」

「モコナ、小狼と寝る」



 もしかしたら、一人ぼっちの小狼が可哀想だと思ったのかもしれない。



「まあ、モコナが居なくなっても……」

「なんだか楽しいです」

「なら良し!」



 サクラがいいなら良し。若干一名、大きめのため息を吐いているが。



「おやすみなさい」

「おやすみ」

「おやすみー」

「……おう」



 黒鋼”早く寝ろ”以外の返事あったんだな。今度真似しよう。



 すぐに寝入ったサクラの寝顔を眺める。その覚醒状況を確認しつつ、目を閉じたり開いたりする長い夜が始まった。



「早く寝ろ」

「黒鋼語の”おやすみ”いただきました」

「っふふ」



「子守唄とか歌ってよ、じゃあ」

「ガキか」



 こそこそ話していてもサクラは変わらず熟睡している。眠りが深いのも、記憶が足りない影響なのだろうか。



「うるさかったら起こして」



 寝返りを打ち、ファイの方を向くと目が合う。布団を開いて招いている様子だが、隣にサクラも黒鋼もいる。サクラの教育に悪いし、黒鋼も怒りそうだし。首を振って目を閉じる。

 実際、大丈夫かもしれない。今日はこれだけ人の気配もあるし、最近は平和だし。

 というか、真面目に眠らなくたっていいだろう。特別眠たい訳でもないし。目を閉じて黙っていれば――いや、バレる。どこからかバレて、ほっとけばいいのにあれこれ言ったりやったりする人がいるから。目が合ったら終わりだ。再び目を開ける気にはなれなかった。



 私は本当に眠っているんだろうか。自分が寝ているときにどうなっているか、見たことが無いから分からない。しかし、毎回見る夢は似たようなものだ。私が思い出したくない過去の夢。病死するまでの過程、二度目の人生で仲間が散る姿、崩壊していく世界、夜魔ノ国からは兵の死を。そしていつも、抜け出せない闇に沈む。

 もう、このまま闇の中で眠ればいい。



 随分長いこと眠っている気がする。私はまだ暗闇に沈んでいる。目を開いているのか閉ざしているのかも分からない。ただ、身体が重たく、深い水底から決して浮上させまいと沈められているような心地がする。まだ覚めない闇の中でも眠ってしまいそうな頭重感のせいだろうか。何の音も聞こえない閉鎖的な空間は、私が最も恐れている孤独をよく表している。

 それでいいのだろう。眠り続けていれば、喪うものを見ることもない。どうせ、また繰り返すだけなのだから。何も為せず、喪失と崩壊を導くことを。

 そうやって、崩壊を待てばいいと思えたなら、どれだけ苦しまずに眠っていられただろう。





 まだ夜更けらしい。あれだけ長く眠った感覚は何だったのだろう。目の前にはファイの寝顔があって、これがまだ二度目の人生の続きだということを実感する。

 悟られる前に目を閉じて、反対隣のサクラの呼吸に耳を傾ける。規則的で、時々むにゃむにゃ言っているのが可愛らしくて、口元が緩む。黒鋼とてもう眠ったのだろう。こちらはただ規則的で、サクラより少し深い呼吸だけが聞こえてくる。



 身動ぎの音は目の前からだ。貴重な寝返りの音も、覚えていたい。意識を集中させていた。

 さらりと流れた音は自分の髪の毛からだった。跳ねた身体が、狸寝入りを証明しただろう。いや、激しい寝相で手がぶつかったのかもしれない。顔に掛かっていた横髪がそっと避けられたかと思うと、耳に優しく掛けられた。観念して薄目を開けると、天窓から入る仄かな月明かりに沈む蒼い瞳と絡み合う。

 たれ気味の目が一層緩んで眠たそうな、無防備な顔をしていた。寝惚けているのかもしれない。その目が閉じていくのに倣うよう、私も目を閉じることにした。

 ちょうど目の前に落ちていた手に近付いて、そっと引き寄せて、包み込む。あったかい。







 六日目の朝。早起きな一行で一番最後に目を覚ましたのが私である。一生分眠った気がする。黒鋼とサクラが私を跨いで降りたはずなのに、全く気付かなかったし、小狼とモコナがリビングに来ていたのも気付かなかった。

 私が起きたのは、耳元で名前を呼ばれたときである。



「ウィズちゃん」



 その囁きはどんな物音よりも劇的に私の意識を覚醒させた。目を開くよりも早く身体を引いて、いち早く距離を取った。目を開けば陽が高く昇っていることに気づき、起き上がって左右を確認する私に、大笑いするファイ。



「お……おはよう?」

「まだおはようだねー」



「ウィズ起きたー?」

「起きたよ――」

「昼!?」

「朝だよ――♡」



 飛び込んできたモコナが着地したのは今しがた私が潜り込んでいたところである。そこに置いてあったファイの手を私は恐らく一晩中握っていた。その手が今モコナを撫でている。



「サクラちゃんたち、ご飯作ってくれてるみたいだよー」

「もうすぐで出来ます!」



「いい匂いだねぇ……え?三人で作ってるの?」

「黒鋼とサクラ!」

「見物しに行かなきゃ!」



 布団を慌てて足元に纏めていると、また後ろからくすくすと笑う声がある。



「……なに」

「ううん」

「黒鋼のエプロン姿みにいこ」

「それは行かなきゃだ」



 飛び降りるようにロフトを降りた私たちは早速じろじろと黒鋼を観察しては怒らせ、着替えを済ませて二人で洗面所に立つ。コテージの洗面所は広く、並んで歯を磨いていても大きな鏡に二人分の姿が映った。

 コップに置かれている人数分の歯ブラシを眺めるのが好きだ。誰も居ないときにも、この旅が現実で、私がまだ孤独では無いと感じさせてくれるから。

 顔を洗い終えて埋もれていたタオルから顔を上げると、視線を感じて見返す。鏡越しの蒼い目は優しい表情をしていて、居心地が悪い。彼は先に支度が終わっているようだが、横で私を待っている。朝寝坊のときも、きっと同じだった。



「先、行っててよかったのに」



 二つの件に関する言葉である。本当は、ありがとうだとか言えばいいのだろう。



「あったかくて、オレも出られなかったから」



 そっちを返してくるんだ。どちらを返してもいいと思っていたのに、悟られたくなかった方を拾われるなんて。

 一層居心地が悪くなって、鏡越しに向けられる視線から目を逸らす。



「ファイのそういう優しさが、どろどろなんだよ」



 その優しさに救われている一方で、その行為が彼にとって破滅を呼ぶことを指摘せずには居られない性質である。当事者はきょとんと目を丸くしているが。

 丸くなった蒼い瞳を呆れて見つめたまま、拳一つ分の僅かな距離から歩み寄る。手にしたままのタオル一枚越しにファイと私の身体が触れ合っている。身長差さえなければ、鼻先も唇も触れ合うような距離感だ。柔らかく長めの髪がつくる影の中に私の顔がある。視線が絡み合っているのを確認して、一度目を閉じ、再びゆっくりと目を開いたあと、またその視線を絡め取る。



「もうファイがいないと眠れないのに、どうしたらいいの?」



 蒼い瞳がゆらりと揺れたのを見てから、顔を上げるのをやめ、心臓の真上へ擦り寄る。心音に浸かるように目を閉じるのは心地いい。

 そして、一歩下がる。この拳一つ分が私たちの適切な距離感だ。洗面所から出ようとする背中に視線が突き刺さっているのを悟り、振り返る。



「わかったら、女たらしも“程々に”」



 開きかけたファイの口から声は出ない。パッと彼は喉を押さえている。



「ね、ファイ」



 通常、魔法封じとして戦闘中使用する“沈黙”の魔法だが、こうして口の回る相手に使うのは初めてではない。あまり長引かせると却って長い反論が始まるので、飽くまでも一言分だけの効力である。



「もう声出るよ」

「……びっくりした」

「ごめんね。でも、本当に程々にしなよ」



「今のは、全部が嘘じゃないよね」



 真実を僅かでも含む嘘は、まるで全てが真実かのように見せることがある。

 今、私が一人では安眠できないのは真実だが、ファイで無ければならないと決まった訳では無い。彼が望む真実かどうかは私の知る所ではないし、敢えて明け透けに説明してみせるつもりもない。



「さあ」



 私はこれからの旅で、彼から与えられる優しさを待つだけの飼い殺しになるつもりはない。私の肉体は食事や睡眠を要さないようにできている。彼らがそれを知らずに心配するから、知っても理解できる範疇に無い仕組みだから、人間の生活を“真似ている”だけだ。

 私の安眠にはファイが要るとしても、私の肉体には睡眠は必要ない。それを彼がすべて理解できる必要も無い。



「何が真実に見えたかな」



 でも、もしかすると。彼の彗眼ならば、私よりもよく視えていることもあるのかもしれない。

 教えて欲しいくらいだ。この化け物の終わり方を。

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