ピッフル国


 紗羅ノ国の次に渡った平穏な世界での休息を終え、一行は次なる次元移動を済ませていた。小狼とファイの手腕により簡易の身分と十分な住まいを得るまでは早かった。気力体力も十分に回復していたことは勿論、先の国では無かった”サクラの羽根”が移動を終えてすぐに発見できたためである。

 技術の発展した国・ピッフル国における移動手段の一つである”ドラゴンフライ”はガソリンと電力のハイブリッドエンジンを搭載した一人乗り向けの飛行機である。車体は総じて軽量で、ハイブリッドエンジンも実質補助としての運用で、そのメイン動力は”風力”となる。

 そして、その”ドラゴンフライ・レース”の景品となるのが一行の狙いとなる羽根だったということだ。主催のピッフルプリンセスカンパニーはこの国で一番の覇権のようで、行く先々でそのビジネスの枝を見る。そのような大企業にとっても特別に反響を期待しているイベントであることは、どこを見渡しても明らかで、私たち一行も”正当な手段”で羽根を手に入れるため、初体験となるドラゴンフライの機体作成から運転まで熱心に準備することとなった。



 ピッフル国での滞在期間は”日本”に滞在した一週間を既に超えているが、体感ではまだ来たばかりのような気がするくらいである。それだけ、ドラゴンフライの機体作成は集中と時間を要している。

 一行の中で最も機械操作に慣れているのは私で、この手の物作りに慣れているのも私。今回のレースにはサクラも参加の意思を示したため、自分以外に四人分の機体作成をサポートすることとなった。一行は総じて機械いじりの覚えが良かったので、マニュアルを見ながらベース作りさえしてしまえば、あとは各々が本や動画を見ながら肉付けはしていってくれて手はほとんどかからなかった。

 運転に関しては私も一度目の人生ぶり、しかも飛行機は経験が無かったが、直感的な操作をウリにしている乗り物というだけあって、ゲーム感覚で操縦すれば乗るには苦労しなかった。他の一行が試乗と調整を始める頃には、私のドラゴンフライは運転技術の向上とレース当日の予想に合わせて微調整する程度で余力があり、彼らのサポートに注力することもできた。



 朝から夕のギリギリまでドラゴンフライに掛かりきり、夜に寝るだけの拠点だが、快適である。必要最低限の広さがあり、設備には一切の不足がない。入浴の文化が無いようで、一般家庭向けの浴槽は無い点が、黒鋼と私の気分を少しばかり下げた程度である。一人一寝室が与えられ、私はファイからの痛い視線を感じながらも心底安堵していた。

 ファイや黒鋼の足が飛び出ず寝返りを打てるくらいのベッドと、サイドテーブルとクローゼット。最低限だが必要十分という、恵まれた環境と一人部屋の良さを改めて感じる。リビングとキッチンは一階に、洗面所やシャワールームは二階の階段横、ベッドルームが二階奥から二部屋と三階ワンフロアに分かれている。私は二階の奥の部屋を希望し、同じフロアの手前側にはサクラが居てくれるので、私が多少夜更かしをするのに最適な環境が整っている。

 紗羅ノ国の貨幣がピッフル国で換金できたため、夜叉王から褒賞を十二分に貰っていた私たちの資金が存分に役立った豊かな拠点である。あって困ることは無いのでローブや杖などの素材を入手し、私は連夜こそこそと作業を続け、侑子さんから届いていたバレンタインデーのお返しも既に完成している。後は折を見てモコナに郵送を頼むだけだ。



 夜に眠らない生活を続けていると時間は次第に余っていく。資金もウエストポーチの余白も無限では無いので、無限に物作りを続ける訳にもいかず、本を読むにも動画を見るにもお金が掛かる世界は、タダで楽しめる娯楽には恵まれない。後はまあ、散歩だが。治安のいい国とはいえ、単独行動の危険さは身に染みているし。

 だらだらと夜が終わるのを待っていた私はふと思い立って、キッチンに向かった。夜間でも足元を照らす小さな照明が灯っている廊下はピッフル国の文明を感じる。階段を降りても軋む音一つしない。

 キッチンは流石に暗くて、照明を点けてお湯が沸くのを待っていると、ひたひたと降りてくる軽やかな足音がある。お腹を空かせたモコナを想像してキッチンの角を見ていると、姿を見せたのはもっと大きい白い方だった。あくびを一つ掌中に漏らしながら歩み寄るファイから目を外し、黙ってケトルが湧くのを待つ。

 水を一杯飲み干した彼は、コップを持ったまま私の横に並び立って動かない。



「……ここ、邪魔?」

「ううん」



 湧いたお湯を抱えていた湯たんぽに注ぐ。小狼が風邪を引いたときに買ったものだ。



「寒かった?」



 適温だが、いつもファイと眠るときに温かさを感じるので、試しに湯たんぽでも抱いて寝ようと思った。



「……せっかくだから、使おうと思って」



 目論見をそのまま言うはずもなく、嘘でも本当でもない理由を明かしておいた。俯いて作業をする私の表情は上から降る視線を浴びることはない。

 液面の確認をしている最中だというのに私の髪を優しく梳いてくる手が集中を途切れさせる。



「じゃあ、おやす、み」



 用意の終えた湯たんぽを抱えて横をすり抜けようとした私を押し潰すようにのしかかられる。長い脚に囲まれて、蹴り飛ばしそうで危ない。



「なに」

「オレも寒かったんだー」

「あ、これあげるよ」



 絡みつかれながらできたばかりの湯たんぽを渡そうとすると、足がふわりと床から浮き上がる。縦抱きに持ち上げられたと察するなり、出そうになった悲鳴を唇を噛んで耐える。



「じゃあ、貰って行こーっと」



 今騒いで誰かが起きるのが一番面倒だ。シンクに放置されたグラスを無意味に見ているとキッチンの照明が落とされ、それも見えなくなる。

 黒鋼ならまだしも、ファイの細身でよく私を抱き上げるものである。階段をそっと上る足音は先ほどと同じくひたひたと静かで、重量感が無い。三階に続く階段を上ろうとしている人の腕を何度か叩いたが、あやされるように揺らされて苛立っただけに終わった。



 いつ旅立つか分からない私たちに私物などあって無いようなものだ。ファイの部屋も同じだが、モコナ用だろう小さな掛け布団がサイドテーブルの上にきっちり畳まれているのが癒される。それを眺めている内に私の湯たんぽは回収され、その横に並べられた。



「寒い人どこ?」

「ここー」



 へらりと笑っているが、これは嘘の顔である。私とてそう短くない間、彼と過ごしてきた。



「言ったでしょ」



 女たらしも程々にするよう、厳しく言ったばかりだ。



「ウィズちゃんはさ、オレのことを責めないんだよね」



 今も、今までも責めてばかりだと思うのだが、彼の比較対象がもし黒鋼なのだとしたら、それは確かにそうだろう。



「手を取ってくれて、何でも差し出してくれるけど、引き留めない。怒って、凭れかかって、縋り付いたらいいのに」



 無駄だ。それらは全て私にとって虚しさを掻き立てる行動だから。



「別れる準備を整えて、優しくするのはクセなのかな」



 指摘されることがこんなにも居心地が悪いなんて。真っ向から言われるとは予想していなかったから、言葉が出ない。

 それをよりによってファイが言うと思わなかった。



「この国では、上手くやってたでしょ」

「でも、オレにバレてるでしょ」

「……見ないフリしてよ」

「そこで甘えるんだ」



 そう、都合よく。痛い指摘に胸がずきずき痛む。



「こんなときでも、オレのこと責めないんだ」



 その声が、何よりも胸を抉るように痛ませた。

 逃げ去ろうとしていた足を竦ませる沈痛な声だったから。



「優しくしないでよ」



 都合よく優しくして、真意を明かさないのは私だけではない。目の前にいるファイは誰よりも秘密が多かったし、私はそれを敢えて明かそうとはしなかった。知ることに意味はないと初めは思っていただけだった。それが次第に、黒鋼に問い質されることで苦痛に歪む表情を見たくないという思いに変容したのは事実だ。そして、それは私の単なるエゴだった。あれだけ詰問されることを厭うのに、責めればいいと言ってみる彼は矛盾に満ちている。



「私に責められたとき、困ってたでしょ」



 まさに前の世界で女たらしを注意された彼の瞳が揺れたのを忘れるはずもない。あれほどの動揺をこれまで彼に与えたのは、この長い旅でもあの一度だけだろう。



「急だったし」

「急でもないし……」

「嘘でも、演技でも。ウィズちゃんがオレを求めてくれたのは、あれが初めてだったからね」



 明け透けに言われると気圧されて劣勢になるのを感じ取る。言葉選びが絶妙に私の羞恥心を煽り、耳が熱くなってくる。

 全くの嘘を言ったわけではないだけに全否定できず、掘り返されると無性に恥ずかしい。



「……その話は、やめよ」

「そこも甘えるんだ?」



 笑いを含む声色に逃げ出したいのに、真剣な話の渦中にあるせいでままならない。横髪を耳に掛けられると、ひやりと冷たい指先が触れて肩が跳ねる。

 顔が赤くなっていないことを祈りながら、働かない頭で二の句を考えるが、私よりもファイの方が先に口を開いてくれる。



「ただ、眠れない夜に頼ってくれるだけでいいんだよ」



 甘やかな誘いだった。是と答えることが何よりも簡単で、否と答えればこの問答が長引くだけの、天から地の底へと垂れる蜘蛛の糸。

 私はいつも、その糸を手放し、地獄の炎に灼かれることを選ぶのだ。



「でもファイは……私を置いて逝くから」

「どうして?」



 しつこい。いつもなら、ここで退くのに。



「誰が助けたと思ってるの」

「あれじゃオレ死なないよー」

「……そうだとしても」



 桜都国で、自分の命よりも魔法を使わないことを選んだファイを責めたのに、本人がけろっとしているから眉が寄る。



「私の身体は人より丈夫だし長く生きるんです。いつ終わるのか自分ですらうんざりしてるくらいに。ファイがどれだけ生きるつもりでも、私は置いて逝かれる。どうせ一人になるなら、他人の温もりも優しさも過ぎ行くものに、一喜一憂したくない」



 言うつもりのなかったことを全て吐き出す羽目になり気分は最悪だが、話はこれで終わりだ。



「貴方の冷たくなった身体を抱いて眠れって言うなら……何笑ってんの」



 俯いて震えている、明らかに笑っている横の男に批難の声を向けているのに。立ち上がろうとした腕を引かれ、視界が回ったかと思うとベッドに倒れ込む。長い身体がのしかかって身動きがほとんど取れないほど抱きつかれている。

 異を唱えようと開いた口が、肩に押し付けられて閉ざされる。息苦しくてどうにか脇から伸ばせた腕で背中を叩く。少しだけ緩んだところから、一呼吸してにらみつける。へらへらと笑っているが、笑い話ではない。



「長生きするから、一緒に寝よ」



 囲い込んで離す様子の無い姿勢で言われたら、これ以上の抵抗をする気が失せる。脱力した私の身体が転がされ、いつものように向き合った。胸の辺りに額が当たり、ファイの心音が聞こえる。



「全然話聞いてないでしょ」

「聞いてたよー」

「……信じらんない」

「顔上げて、確かめてみたら?」



 まあ、確かに。顔を見たら分かるだろう。



「いや、見ない」

「え――」



 そもそも、前提として”私よりも長生きする筈がない”のだから、ファイが話を聞いていようがいまいが、関係のない話である。



「オレは、ず――っと一緒に居たいって言われて、嬉しかったのになぁ」



 そんなことは言ってない。思わず顔を上げると、寂しげに眉を下げ態とらしく伏せられた目がパッと開く。にたーっと笑った顔にこちらがしてやられたと気付くまでに時間は掛からなかった。

 再び暴れようとしたのがわかったのか、私の頭が胸元に押し戻される。温かくて落ち着くのに、その分だけやはり虚しくなる。



「あったかいねぇ」



 サイドテーブルに置き去りにされて久しい湯たんぽよりは、こっちの方が確かに温かいかもしれない。



「もし先にオレが死んじゃったら、食べてくれるけどー……

ウィズちゃんが先に死んじゃったら、悲しくて食べられないかも」

「死なないよ。ほっといても、生き返るから後追いしないでね」



 そんな悲劇があった気がする。



「それ、聞いたことあるー」

「あるの?えっと……セレス、国?に?」

「……ううん、オレが産まれた国に」



 生まれが違うんだ。



「そう。私も、産まれた国が違うよ」



 重たげにも、返してくれたファイに報いるよう、私も一つ秘密を明かす。



「どんな国だったの?」

「前の世界とほとんど同じ」



 ぽつぽつと喋るのは一度目の世界の話。ファイは答えにくい質問をしないし、私もファイの生まれについて掘り下げることはしなかった。



「眠そう」

「うん……」

「おやすみ、ウィズちゃん」

「おやすみ……ファイ」



 一週間ぶりの睡眠は温かく、穏やかで、まだ少しだけ痛かった。

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