ピッフル国
まだ薄暗い室内は朝陽を拝むには早いようだが、少し白んだ外の景色は夜の終わりを示している。規則正しい呼吸の音を頭上に聞きながら、胸元が上下する動きを眺める。生きている音と景色に、安堵する。今日も無事に朝を迎えることができたのだと実感するのだ。
そして、冷静になった頭で考えるのは、私が次元移動をするに至った経緯である。
一度目の人生で死した記憶を有したまま迎えた二度目の人生。そして、世界が崩壊を迎えても残っていた私の肉体。会得していた魔法の全てや、手荷物を持っていたことが肉体そのものを引き継いでいることを裏付けている。何かを待っていたかのように眠らされた闇の時間、移動させられた先でこの旅に同行することになった。私ならば同行すると分かっていたのだろう。何者かの企みがあるのは確かで、その企みが何なのかが分からない。
何か、細工でもされているのだろうか。身体を研ぎ澄まして診ても、肉体は以前と変わりないようだ。では、私がこの旅に同行することになって、誰が得をするのだろう。誰がこの旅の存在を知っていたのか。害そうとしているのか、助けようとしているのか。
結局、考えても分からないことだ。ただ、何か目的があって同行させられたのならば、途中で離脱させられることも無いはずだ。来たるべき時が来るまでは、私がこの旅に同行することを望んでいるはず。私にできることは、結局何者かの思惑のまま振る舞うだけかもしれない。それが、ジェイド国で疑惑のあった”視ている者”の采配だとしても。
視られていると分かった上で、言動には気を付けなければならない。害そうとしているのなら、彼らをそれから守ることが私にできることだ。その時まで、秘めておくべき魔法は沢山ある。ただ、踊らされているだけでは居られない。出来ることをやらなければ。
「なに考えてるの」
「……ふふ。おはよ」
「おはよう……」
少し掠れた寝起きの声。これも、覚えていよう。
予選もあり、昨日のサクラ大暴れ事件もあり、流石に皆朝寝坊をするのではという見込みは外れる。小狼とは洗面所で鉢合わせた。
「おはよー、早いねぇ」
「目が覚めちゃって」
「まだ若いのに」
「ねー」
小狼を朝からおろおろさせている内に私たちも支度を済ませ、リビングに降りる。冷蔵庫や戸棚を探るが、食材は少々心許ない。後ろから覗き込むファイも同意見のようだ。
「今日、買い物行かないとね」
「おれが行きます」
「ありがとー」
良い子すぎる。昨日そのままにしていたグラスを洗ってくれている少年の背中に指で花丸を描いておく。
「それ、なに?」
「花丸。いい子に描くの」
「あははは」
「おはようございます!」
「おはよー。サクラちゃん、元気ね」
「えへへ」
おろおろパート2の最中、降りて来たサクラは朝から大変ご機嫌だ。可愛い。花丸あげたい。保護者ストップ掛かりそうだから我慢するが。
小狼とサクラとその腕の中で眠っているモコナをリビングに待たせ、朝食を作り始める。
「お父さん遅いねぇ」
「お……そいかな?皆が今日早いかも」
「あー、そっかー」
黒鋼のことだと認識するのに時間を要したが、そういえば昨夜サクラを回収しに行った背中は父出陣の様相だった。
結局、朝食を食べ終えても、サクラとファイが本日のおやつの支度を終えても黒鋼が起きてくることはなく、買い出しには小狼とサクラが行って来てくれることになった。うーん、和む。
「お財布持った?」
「はい!」
「カエルのがま口じゃなくてごめんね」
「えっ、あっ」
流石にあの財布が子供向けであることを悟っていたのだろう、小狼は不思議そうにしているサクラを横目に頬を染めている。うーん、可愛い。
「はいはい、あんまりいじめないー」
「気を付けてねぇー」
「いってきまーす!」
朝食の匂いで起床したモコナの元気な挨拶に、二人の声も聞こえてくる。小狼は萎れ気味だったが。爽やかで気持ちのいい朝である。
洗濯機が回っている間に全員分のマシンと工具を出し、調整の用意をしておく。昨日の内に綺麗に拭き上げておいたマシンの上で日光浴をしていると、拠点の中から二人の声が聞こえてきて、黒鋼の起床を悟りリビングに入る。
「おはよー」
「おう」
「あ、昨日のレースのだ――。”ひゅ――”黒様かっこいいー」
リビングのテレビでは一位突破した黒鋼のアップが映し出されており、ファイが囃し立てる。しかし、かっこいいのは間違いない。黒鋼は大人しくしていればハンサムなので。こくりと頷いただけ、しかも褒めてるのに小突かれた。
「これ観てる人は黒たんが子持ちだとは知らないんだろうねぇ」
「だからその話題から離れろ!!」
「子供いるの?」
「いる訳ねぇだろ!!」
黒鋼の拳骨をさっと避けると二撃目が来たので、それも避ける。そこからはまあ、ファイの笑い声を聞きながら鬼ごっこである。
黒鋼が飽きるまで走り回った後、マシンの最終調整を進めていると小狼たちが帰ってきた。沢山買い出しをしてくれたはずなので、車が停車したことを確認して歩み寄る。
「おっかえり――」
「買い物、ありがとう」
「いえ……」
何かあったのだろう。テレビには黒鋼の顔が映っていたが、恐らくサクラや小狼の姿も放映されていただろうし、街で事件にでも巻き込まれたのか。
「ここんとこぎゅーって、またなってるよ小狼君」
ファイが自分の眉間を示し顔をぎゅっと寄せるのが似合わない。初めてみる顔である。しかめっ面の――いや、しかめっ面にもなってない顔。
「マーケットで会った人が……」
言いかけた小狼の言葉は、モコナが突如空中に映し出したホログラムの侑子さん登場によって遮られた。大きな百合の髪飾りと揃いのドレスが印象的で、妖しげな魅力を引き立てている。
「次元の魔女!?」
「どうしたの侑子!わーい、侑子だ侑子だ♡」
モコナは宙に浮いたまま自身のホログラム侑子さんに大喜びである。
「ちょっと用があったの」
「用ですか?」
「黒んぴ警戒してるー」
用と言われて思い出すのは、私からのホワイトデーのお返しである。ウエストポーチに入れてあるので、高麗国で結界を破るために物をやり取りしたときのように郵送できるだろう。話が無事に終わったら、モコナに頼めばいい。
「服は?」
「あぁ!?」
「元いた国での服はどうしたの?」
私のウエストポーチに仕舞ってあるのは、確かに自分の装備だけだ。移動すると分かっていたら、他の皆の服も収納しただろうが、あのときは予想できなかった。
「紗羅ノ国に置いて来てしまったんです」
「白まんじゅうが無理矢理別の国に連れて来やがって」
「戻ってもそのまますぐこのピッフル国に移動しちゃったからねぇ」
侑子さんがすっと横に身を引くと、後ろに彼らの服が掛けられたラックがある。見慣れていたはずなのに懐かしい。当然である。夜魔ノ国では半年も着物のような服で過ごしていたし、その後も普通の洋服だったから。
「紗羅ノ国から回収しておいたわ」
「侑子すごい――!!」
「有り難うございます」
「さっさと寄越せ」
侑子さんは丁寧に頭を下げる小狼に微笑みを返している。彼のこういう礼儀正しい所を少しでも黒鋼が見習ってくれたらいいのだが。
黒鋼の無礼な要求に侑子さんは返すためには対価が必要だと主張した。確かに、回収する手間をかけたのだから、払うものが要るだろう。一人無関係になったことでぼーっとしていると、彼女は不穏なことを言った。
「でも、あんまり長く待たせると流しちゃうかもね。質流れみたいに」
「え!?」
「質草かよ!!」
聞き覚えの無い単語に首をひねっているのはファイとサクラである。説明は後でいいだろう。
「あ、あの!」
「何かしら?」
サクラの急な呼びかけに侑子さんは穏やかな表情で応える。
「最初の時はわたし眠ってて、高麗国の時はまだ半分夢の中みたいで。
だからお会い出来たらお礼を伝えたいって考えたんです」
ホログラムに歩み寄ったサクラを見守る。彼女の記憶を探す旅ではあるが、彼女自身が望んで失くした訳でもなければ、旅に踏み切ったのは彼女でもない。
とはいえ、それを他人事にする彼女ではないことを、この旅で解っている。
「モコちゃんを貸して下さって、有り難うございました」
「……旅はどう?」
腰を折って頭を下げていたサクラは顔を上げ、私たちを振り向く。
「一人だったらきっと辛かったと思います。でも……一緒だから」
その視線を受ける一行の表情も、穏やかである。触れ合っているわけでは無いのに、温かいと感じた。
「でもまだ、いっぱい眠っちゃって。役に立ててないんですけど」
通話先からバタバタと慌ただしい物音が響き、ホログラムが揺らぐ。まだホワイトデーの話ができていない。
「そうそう。”ホワイトデー”あんまり待たせ続けると、銀竜とイレズミと杖も質流れさせるわよ」
「ふざけんなこの強欲女――!!!」
「あぁ!今!送ります!」
「じゃ、杖は無事ね」
「ホワイトデーってなに?」
「なんでしょう?」
「なんだろー?」
通話が終わり、私はモコナにウエストポーチから取り出したプレゼントボックスを差し出す。
「ウィズ、ちゃんと用意してたんだ!」
「うん。これ、お願いね」
がばっと開いた口に吸い込まれていく。
「何にしたのー?」
「……ふふ、ナイショ」
一行の疑問にモコナがホワイトデーとバレンタインデーの説明を返す。桜都国で突然贈られたバレンタインデーのフォンダンショコラ。それを受け取った一行は、ホワイトデーにお返しをする必要があるという簡単な説明である。
小狼はお返しに決まり事などが無いか慎重に確認しているが、侑子さんと親しいモコナは「何でもいいんだよ」と言うので、私も自分の渡したお返しが許された心地でほっと胸を撫でおろす。
「次元の魔女さんに、お礼したいな」
「そうですね」
無理矢理押し付けられたのだと主張する黒鋼に反し、サクラと小狼はホワイトデーのお返しに前向きである。穏やかに微笑む二人の姿に和む。
「ウィズちゃんはしっかりしてるねぇー」
「タイミングも良かったかな。ピッフル国は資源も豊富だし」
「その鞄も便利だよねー。よくお世話になってるけど」
私のウエストポーチを示すファイに、それは間違いないだろうと頷く。飛んだり跳ねたりしても邪魔にならない大きさと重さなのに、容量は一室分程ある。無限に入る訳では無いが、最低限一人で旅をするのに必要な荷物は十分に入るようになっているのだ。
「じゃ、何をお返しするか相談しようか。
小狼君がここんとこきゅ――ってなってた理由も聞きたいし――」
再び顔をしかめてみるファイに小狼が頷く。全然しかめっ面にはなれてないが。サクラがファイに教わりながら作っていた”おやつ”を食べながら話を聞こうと提案を続けている。
「手伝って――お父さーん♡」
「お父さ――ん♡」
「楽しそうですわね」
ファイの頭上で便乗するモコナが黒鋼に鬼神の形相で掴まれたところで、頭上に近付く静かなエンジン音と少し聞きなれてきた声が降って来る。見上げた飛行船には日傘をさしてこちらを見下ろすダイドウジ氏と、そのボディーガードたちの姿がある。
驚愕の声をあげるサクラと小狼に反して、黒鋼は掴んでいたモコナを取り落とし、ファイはそれを横目に見ながら受け止めている。私はファイが先ほど言っていたおやつの支度に取り掛かるべく、一先ず拠点内に向かった。
二名のボディガードとダイドウジ氏という少人数の来訪だったため全員を中に招いてティータイムとなった。きっと来客があるだろうと椅子を増やしておいたのが役立った。
今日のおやつは、今朝サクラとファイが拵えていたシフォンケーキである。ホールで食べたい。ファイが切り分けていくのをじっと見ていると、可笑し気に小さく笑われたので、多分考えていることが筒抜けだったのだろう。
提供されたケーキはダイドウジ氏も忌憚なく微笑み絶賛した。モコナがサクラも一緒に作ったものだと説明するとその目が一層きらめく。
「サクラちゃん、最近料理の腕前急上昇中なんだよね――」
「ファイさんが分かりやすく教えてくれるから」
褒めるファイ、更に褒めるサクラ。眩しい。
「私もサクラちゃんとお呼びしてよろしいですか?」
「もちろん。わたしも知世ちゃんって呼んでもいいですか?」
「はい、もちろんですわ」
弾むように了承し合う二人の笑顔も眩しい。楽園に到達したかもしれない。
「いいね――可愛い女の子が笑顔全開で――」
「モコナも笑顔全開ーほらほらーモコナもかわいい〜♡」
「けっ!白まんじゅうはいっつも糸目じゃねぇかよ」
黒鋼の足をテーブルの下で踏みながら、にこにこ笑うモコナとファイを撫で繰り回したい気持ちを押さえた。二人お手製のシフォンケーキは勿論のこと、最高の景色を眺めながら飲むお茶も大変美味である。
暫く和やかに茶を飲んでいた一同だったが、小狼はその語らいが落ち着くとダイドウジ氏に顔を向け話を切り出した。
「予選レースで妨害行為があったんですか?」
「何故、そうと?」
穏やかに微笑んでいたダイドウジ氏は真剣な表情に変わり、小狼に質問を返す。
「今日会った人がそう言っていました。笙悟さんと残さんという人です」
残という人に聞き覚えはないが、笙悟ならば予選突破した面子にいたので認知している。阪神共和国で小狼と対峙した正義の憧れだった巧断のチームリーダーだろう。
ダイドウジ氏と残は幼馴染の関係にあり、笙悟は自警団を名乗ったというサクラと小狼の話を彼女はそれを肯定する。小狼たちは買い物の最中に二人と出くわし”嘘発見器”であるイスへ知らずに座り、無罪として釈放された経緯があるようだ。
二人がそのような調査を行っていることをダイドウジ氏は認知していなかった様子で、驚いて見せてから表情を曇らせる。
「でも何だか知世ちゃん浮かない顔だねぇ」
「いえ。何でもないんですが、少し気になることがあって……」
「予選レースに不正があったというのは事実なんでしょうか」
「残念ながら」
「何かお手伝いできる事はありますか?」
「有り難うございます」
ダイドウジ氏は浮かない表情のままでも口元だけで微笑み、サクラの申し出を断る。
「でも、不正を防げなかったのは我が社、ひいては社長である私の責任」
ピッフルプリンセスカンパニーは私が見て来たあらゆる世界のどこの企業よりも強大な技術と権力を持った組織である。そして、賞品である羽根を掛けた今回のレースの企画は一層の力を入れて取り組んでいるはずだ。当日まで明らかにならないレースにどうやって不正を仕掛けたのだろう。
「現在、我が社の調査部がレース出場者および関係者の調査に入っています。
誰があんなことをしたのか、突き止めて必ず捜し出しますわ」
不正を働いた者を炙り出すのは私たち参加者のやるべき事ではない。私たちができるのは、優勝に向けていかなる可能性にも備えて練習と調整に打ち込むだけだ。
シフォンケーキの最後の一口を惜しみながら味わい、居なくなってしまった口の中に紅茶を流し込む。
「知世は今日はそのお話で来たの?」
「いいえ。実は……」
そういえば用件を聞くよりも早く、小狼の質問に答えてくれていたのだったか。
話はまだ続くだろうと、ケーキの皿を回収して紅茶のお代わりを用意するためキッチンに向かう。
「本選では何をお召しになりますの!?」
がば、と勢いよく前のめりになったダイドウジ氏はサクラの両手を握り、今日一番真剣な面差しで問うている。話は思ったよりも早く決着がつきそうだ。
その後、困惑しながら首を振ったサクラに、ダイドウジ氏はまた演説めいた勢いでぴったりなレースコスチュームを考えたと熱弁している。
「私の作ったコスチュームを着て颯爽と空を駆けるサクラちゃん!
素晴らしいですわ――!」
素晴らしいと思います。
ダイドウジ氏の装いはいつも可憐である。サクラの雰囲気にもよく似合うだろうし、彼女の見立てにへ大変信頼がおける。キッチンに皿を置いて一人水を飲みながら深々と頷いた。
「モコナもコスチューム欲しいー♡」
「お任せ下さいな♡」
「と……知世ちゃん……」
サクラは一切了承していないまま話は進んでいき、彼女は嵐のように去って行った。モコナのコスチュームまで作ってくれるなんて有難すぎる。そういえば、この世界には写真があるから私もカメラが欲しい。そして、ふと思い出した。
「予選のサクラちゃんの写真貰うの忘れてた」
「えっ!?」
「ファイも欲しいよねぇ?」
「いいね〜〜」
「ちょっと、恥ずかしいです……」
「かわいすぎる」
「サクラ襲われちゃうー!」
顔面に飛び込んできたモコナに止められ、サクラを抱きしめることは叶わなかった。私を何だと思っているのか。
ダイドウジ氏の来訪に合わせて丁度休憩を済ませた一行はドラゴンフライの調整と練習をしながら夜を迎えた。次の週末に控える本選に向けて、時間が多すぎると言うことは無い。暗くなってからも難なく練習ができるようになったサクラは、共に飛んでいる小狼の助言を受けて技術の向上に余念がない。
今日のところは終わりにしようと一旦マシンに腰を落ち着けたファイ、調整を終えて立ち上がった黒鋼、踊るモコナを見守る。照明は焚いているが、それでも影はできる。作業がやりにくいので私ももう終わりだ。
「知世の作ってくれる服楽しみ――♡」
「はりきってたもんねぇ知世ちゃん――
サクラちゃんもドラゴンフライの練習頑張ってるし」
空を飛ぶ二人の声が聞こえてくる。学生時代の遠い日々を思い出す。そう、青春のようだと思う。このレースの賞品がサクラの羽根だからこそ一生懸命になるのだが、私もただ純粋にレースに集中してしまうときがある。そういうとき、ひたすら盲目に打ち込んだ日々のことを思い出すのだろう。
「サクラ、がんばれ――!」
ファイの頭上で踊っていたモコナが、二人の飛んでいる辺りの地面に跳んで行く。
「でも、不正か――。
黒りーが時々感じる、オレ達を見てる視線を関係あるのかなぁ」
紗羅ノ国に降りたとき、二人が話していたことだろうか。私はその手の気配に全く鈍くて分からない。
「何にせよ、本選は気を付けないとね」
「そこでブレーキを!」
「はい!……きゃー!!」
「そっちはアクセルです姫――!」
「サクラやっぱりサイコー♡」
吹っ飛んで行ったサクラを小狼が追っていく。モコナは愉しそうだが。
「特にサクラちゃん。面白過ぎるよー」
「ちょっと、心配かな……」
「んとに大丈夫なのかよ、おい」
サクラなら上手くやるだろうと思うが、どちらかというと私も黒鋼同様、心配だ。
予選で起こった不正は光る爆竹のようなもので、負傷者は出なかったがリタイアは例年に無い程続出した実情がある。あのダイドウジ氏の調査でも見当がついていない犯人。
確かに、羽根を狙う何者かが関与しているのだろう。どんな手を打ってくるか分からない。負傷を免れないこともあるだろう。命だけは無事で居て欲しいものだが、下手に魔法を掛けてそれもまた不正の判定を受けて優勝を逃すのは下手である。
もどかしい。勝ちたい、怪我をしてほしくないが、個人プレーでは守ってあげられない。
ぐるぐると気持ちが落ち込みつつあったが、はっとする。考えても仕方がないことは、今は置いておくんだった。できることをやるしかないのだから。ファイが小狼に話していた教えを思い出し、目を閉じてゆっくり呼吸をする。
「そろそろご飯にしよっかー」
ぽす、と頭に乗った頭が少しだけ髪を撫でて離れていく。見られていたと気付いて居心地が悪いが、まさに切り替えたところなのだ。気が緩むから、やめてほしいな。
「そこの三人――!そろそろご飯だよー!」
「はーい!」
「今降ります!」
「ごはん!」
真っ先に飛び込んできたモコナを受け止め、ゆっくり降りてくるマシンを確認して拠点に戻る。何も言わずとも黒鋼は私たちのマシンを仕舞ってくれていて、モコナを抱いた私とファイは調理のために先にキッチンに立つことになる。
「ウィズ、心配事?」
腕の中にいるモコナから思いがけず指摘を受けて、心臓が跳ねたのも悟られたのではないか。無駄な隠し事をするものではない。
「心配性っていう病気。でも、頑張ってるサクラちゃんたちに水を差すような事を言いたくないから、我慢してる」
「ウィズちゃんは優しいからねぇ」
「優しさじゃないよ。これはエゴ」
目的を果たすためならば多少の怪我を厭わない一行の中で、私は異端だろう。目の前で誰かが傷つく未来が見えると、怖気づいてしまう。これは弱さであり、優しさではない。無事を祈って信じることがこんなに苦手なのは、自分とそれ以外の身体の仕組みがあまりにも違うからかもしれない。私が平気なことで、誰かは命を落とすから。
「気にしないで」
「気にするよ」
肩に登ってきたモコナが、私の頬にふんわりとした手を添えてくれる。その柔らかさと温もりが、ファイの返す言葉が、じんわりと頭の奥を熱くする。
「食事の準備、任せていいかな。私、今日は、要らない」
覚悟が決まっていないのは自分だけだ。惨めで、申し訳ないのに、今すぐには切り替えられない。肩に乗っていたモコナをファイにぐっと押し付けて、足早に二階へ逃げた。自室に入って鍵をかけて、暗い部屋の中にいると酷く落ち着く。こんなこと、最近は無かった。誰かと日向に居るのが安らかで、一人で暗闇にいるのが怖かったのに。
この旅路が平和で終わるはずがないのに、今更覚悟が決まってないなんて、おかしな話なのだから。見抜かないでほしかった、指摘されたくなかった、見ないふりをしてほしかった。全てが甘えでしかなくて、自分の惨めさを思い知らされる。
阪神共和国のときだって、私だけが弱かった。当事者ですらないのに”関係性”を失った小狼の痛みに耐えられなかった。それを飲み込んで進んでいる小狼と、失う可能性にすら怯える私の対比が、惨めだ。
全ての犠牲を私が代わってあげられたらいいのに。痛みも、喪失も、悲しみも、想像しうる全ての災禍を代わってあげたいのに。強くなるしかない、全力を賭すしかない、それでも手が届かないところをどうやって守ってあげたらいいのだろう。
この考えが真にエゴに満ちていると自覚していることだけが救いだった。目を閉じて、深呼吸をして、飲み込んで、腐らせる。幾つも浮かぶ最悪の事態を一つ一つ消化しなければ、私は平気な顔をして彼らに向き合えない。こんなにも生きることが向いていないのに、丈夫な身体と永い命だけ与えられたことが酷い皮肉で、少しだけ笑えた。
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