ピッフル国
本選当日の朝、会場につくなり現れたダイドウジ氏によってサクラとモコナは連れて行かれた。会場の様子を周って眺めてから待ち合わせの場所で待機していると間もなく彼女らが姿を見せる。
「お待たせ致しました」
「……」
「可愛いね――」
「可愛すぎる、天使かも」
ウィングエッグ号をモチーフにした羽が、サクラの可愛さを――いや、モコナにも羽ついてる。天使だった。ここが楽園か。
シンプルなミニ丈のワンピースだが、襟元や裾の意匠やボディラインに合わせた丈感が絶妙でこだわりを感じる。この衣装は永久保存版だ。
「全部知世ひとりで作ったんだってー」
「すごいですね」
「すごいねぇ」
「お仕事大変だったでしょう。なのに一人で……」
「これだけ着こなしていただければ本望ですわ」
ダイドウジ氏の表情に疲労は無く、サクラの言葉に彼女は満足げなため息まで吐いている。
「本当に有り難うございました」
「喜んで頂けました?」
「はい」
「ではひとつお願いがあるんですの」
「何でしょう?」
弾むようなサクラの声に、彼女も微笑んだ。
「敬語」
「え?」
「せっかく知世ちゃんと呼んでいただけるんですもの。
警護ではなく、サクラちゃんの一番話しやすい口調でお喋りしたいですわ」
「……うん!」
ダイドウジ氏の口調について問うサクラは、時折小狼の前で見せるような年頃の少女の表情で和やかに話している。
「やっぱりいいね――女の子達は。こう、目に優しい感じ?」
深々と頷いていると横の黒鋼が私を見て何故か首を振ったので小突いておいた。彼女らと私とでは年齢が違い過ぎる。
その後、ダイドウジ氏は予選での不正を暴くことはできなかったと説明する。本選でも再び事故が起きうる可能性を示唆し、手を握っているサクラから目を離して一行にも目を向ける。
「警備体制は万全を期していますが、それでも何が起こるか分かりません。気を付けてくださいね」
「……誰が何をしでかそうが勝ちゃあいいんだろ」
「だねぇ」
「はい」
「頑張る!」
目を閉じて、一呼吸。気を付けてほしい、私もそう思う。迷いのない彼らにそれ以上の言葉は雑音でしかない。サクラの肩に乗るモコナに目を向け、微笑みかけると手を握るように持ち上げて応えてくれた。大丈夫、サクラにはモコナが居るし、彼女の操縦も本当によく上達した。
私は私で、優勝を狙うのだ。
ダイドウジ氏は本選前に出走場所を決める抽選があることを教えてくれて、私たちは案内が始まると共に舞台に上がった。小狼が15番、ファイが11番、黒鋼が9番を引き、私は13番を引いた。数が若い方が有利な位置取りになるようだ。
「黒鋼が一番いいトコだね」
「でもきっと……」
「出ました――!!」
「やっぱり――」
「サクラさすが――♡」
1番を引いたサクラが困惑しながら司会に盛り上げられている。予想通り、といったファイの反応、モコナもサクラのくじ運を絶賛している。
「じゃ、行きますか。ドラゴンフライレース本選に」
スタッフの指示のもと参加者は”スタートタワー”と呼ばれる会場の上空に浮かぶ巨大な建造物の枝状に伸びた先端に案内される。無論、命綱は無ければ足元は揺れる。ドラゴンフライに乗って停車させる。ここから落ちたら人は死ぬだろう。
「現在我がピッフル国公式レース使用者でもっとも軽いマシン、それがドラゴンフライ!
史上最も豪華な優勝賞品が用意された今回のレース!あのエネルギーバッテリーを手に入れるのは誰だ――!?」
司会の煽りを聞きながら、配られたコンパスの示す方向を眺める。右手のグローブに固定されたコンパスの示す道に従って、ゴールまでの三か所のチェック地点でバッジを受け取る必要があるそうだ。バッジが零れ落ちないよう固定するアームバンドも配られた。それは左の上腕に巻かれている。
スタッフが離れ、開始を告げる音楽が響く。
「三つのバッジをゲットして、目指せ!栄光のゴールへ――!!」
慎重にアクセルを踏み込み、後続が私のマシンを抜いていくのを見ながら少しずつ速度を上げて行く。エンジン音が問題ないことを確認しながら最高速度まで踏み込み終えた。加速途中でも何機か抜いたが、前方にはまだマシンが見える。本選では、彼らも抜かなければならない。
「おお――っと!最も有利な位置から飛んだ筈のウィングエッグ号、早速後続機に抜かれていますー!」
サクラはもう後ろのようだが、これから起こり得る妨害行為で順位が逆転してもおかしくない。それでも、勝つ以外ないのだ。
「さあ!その間に先頭はー!?黒たん号だー!!
本当に速い、さすが予選第一位!!」
あの米粒みたいなのが黒鋼なのだろう。マシンの性能にも限りがあるので、加速しても追いつけないこともある。
「さあ!そろそろさしかかって参りました!建物・看板が密集した一般空路です!
予選と違って本選はこの一般空路もコースの内です!速さだけでは勝利は掴めません!!」
コンパスの示す方向に向かいながら、各自が好きにコース取りをしてもいい分、マシンの性能と運転手の技術が活きる場面である。
アクセルを緩めないままマシンの羽を建物にぶつけないよう機体を回し、最短ルートを取る。
「黒たん号、危ない所でした――!」
「だからその名前はヤメろ――!!」
黒鋼の声が聞こえるほど距離が近づいて来たらしい。
「素晴らしい操縦です!ウサちゃん号、ツバメ号!!
いっきに先頭グループに躍り出ました――!」
「黒たんやほ――」
「真面目にやらねぇと落とすぞ!」
「きゃ――こわーい♡」
相変わらず気が抜ける名前だ。ファイと黒鋼が近くにいると一層気が抜ける。
コンパスが音を鳴らし、チェック地点が近いことを知らせる。星の描かれた巨大な球体が浮かんでいて、コンパスはそれを示している。半透明の球体は太陽を反射するようにきらきらと輝いている。中にあるのは、バッジだろう。
「あの球体の中でキラキラしてるのか――」
「さあ!あのボールの中に煌めいているのが、第一チェック地点のバッジです!」
殴ればいいのか、自動で取れるのか。一先ず近づいていくべく少しだけアクセルを緩めて横をすり抜けるように寄せていく。
「どうやって取れってんだ!」
「とりあえず行ってみるかー、わ」
ポーン、と音が鳴りバルーンはシャボン玉が弾けるようにして消え、無数のバッジがざらざらと風に舞う。私はゴーグルに弾かれたバッジをそのまま引っ掴んでアームバンドに固定した。
「よし」
「あっぶなかった――」
「ぼーっとしてやがるからだ」
「黒んみきびしー」
コンパスを確認し、マシンを再び浮上させながらアクセルを全開にする。後ろに続くエンジン音が近い。
「現在第一位はウサちゃん号ー!二位はツバメ号です!」
「やっぱり怒っとけばよかった」
「あははは、ウサちゃん号のことー?」
「そうだよ」
司会は中盤グループの状況を実況している。バッジを取り逃すとリトライまでに時間を要する仕組みらしい。確かに、バッジの数は多かったが、一度マシンが通過する毎に何十枚というバッジが落ちて行ったので、後半になるほど取り逃しやすいかもしれない。
「さあ!モコナ号、最初のバッジを無事ゲットできるか――!」
気にしないようにしていても、実況の声は時に必要な情報を教えてくれるため遮断できない。
「なっなんだ――!?ボールが破裂しました!こ、故障でしょうか――!?」
明らかに動揺している実況に気が気じゃない。恐らく、妨害行為が始まったのだろう。司会はモコナ号がタイミングを逃したことを続けて叫ぶ。
「……いきなり機体を回転させた――!?長い翼でバッジをはじいて、それを……キャ――ッチ!お見事ォォ!!」
流石、小狼だ。彼のマシンの動きが目に見えるような実況も見事だが、安堵している場合ではない。まだ、サクラが来ていないようだし――いや、集中しなければ。じき第二地点の難関があるはずだ。
第二地点に着く前にサクラが最後一枚のバッジをキャッチして無事であることが実況で分かり、思わずため息をついた。
「全然集中できてねぇな」
「黒鋼もでしょ」
「あぁ!?」
「喧嘩しなーい」
バッジが無くなったことで二名の失格者が出たようだ。怪我人という形以外で競争相手が居なくなったのは幸いである。
ほど近い距離を抜きつ抜かれつ飛んでいた私たちは、第二地付近で”イエロータイガー号”と”スノーホワイト号”に抜かれる。イエロータイガー号は前回の優勝者らしい。黒鋼のマシンはまだ加速が効くようで、それを追うように飛んで行った。
「やっぱり負けず嫌いだ――」
負けるわけにはいかないのだから、有難い性分だ。
「さあ!上位三機、第二チェック地点に到着します!
第二チェック地点はこのドラゴンチューブです!」
足下は水面、ドラゴンチューブと呼ばれたコイル状のトンネルは先行する黒鋼たちが中に入るとぐねぐねと動き始めた。規則性があるのかもしれないが、それを見定めるよりも早く侵入しなければ、後続に次々抜かれてしまう。
「うねうねうぜーんだよ!!」
「でもそんなにスピード速くないから何とかなる……!!」
「狭くなる!」
マシンが一台も通り抜けられない程にチューブ内が激しくうねり、黒鋼の真後ろにピッタリ張り付くように加速する。
私は通れたが、ファイは――
「ど、どうした事でしょう!?いきなりチューブの動きが過激に――!?
黒たん号、ウサちゃん号は出てきました!ツバメ号や後続の機体はー!?」
気が気じゃない。いや、信じてレースを続けるしかない。
「ああー!!ツバメ号リタイアー!!」
続けて三機のリタイアを告げる実況の声色から、彼らが大けがを負ってはいないことを悟る。奥歯を噛み締め、悴む手でハンドルを握り直す。
六名がリタイアし、残り十四名。
「本部から連絡がありました!チューブは停止させますが、通り抜ければOKとの事です!!」
最後尾だというウィングエッグ号が通過した実況を聞いてようやく指先に熱が戻ってきたようだ。
「さあ!次はいよいよ第三チェック地点です!」
それぞれのチェックポイントで司会者が代わっていたらしい。
「第三チェック地点はこの渓谷です!ここは我が国が誇る自然の迷路!」
迷路に関する蘊蓄を語り始めた実況の声にうんざりしながら渓谷に入った黒鋼を追う。スノーホワイト号と抜きつ抜かれつをしている現状、操縦するのが誰なのか嫌でも分かる。
「カイル先生、ね」
こちらをぎょっとして振り返った彼の顔には見覚えがあり過ぎて胸糞が悪い。動揺したのか、速度を落とした彼が私の視界に入らなくなる。
「さらに中盤集団が続きます!後続も渓谷に入ります!ここで順位が大きく入れかわるか!?」
ドラゴンチューブは多少擦ってもハンドル操作が効かなくなる程では無かったが、渓谷の岩壁に当たれば大破することもあるだろう。
「黒たん号、ちょっと強引ですね――!
黒たん号リードです!」
前方で聞こえる衝撃音から黒鋼の操縦する様子が見て取れるようである。
中盤集団は五機のマシンが混戦しているらしい。その中に恐らく小狼もいるのだろう。”龍牙号”がスピードを上げて次々マシンを抜いている様子が実況されているかと思うと、後方から短い衝撃音が聞こえた気がした。
「危ない!!」
鬼気迫る司会の声色に胸騒ぎがする。
「龍牙号とモコナ号衝突です――!!後続二機も破片にぶつかって!五機リタイアです!
フライグレディ号のみトラブルを免れました!」
身体が震えるほどの爆発音に手が震える。衝突した小狼はリタイアだろう。サクラは、無事だろうか。いや、サクラにはモコナがついてる。
「また一機リタイアです!」
誰がリタイアしたのだろう。あと何人残っているのだろう。
「第三チェック地点、現在一位は黒たん号!二位イエロータイガー号!」
三位に私が続き、八位のウィングエッグ号が最後尾であることを実況が知らせる。ああ、サクラが無事だったようだ。渓谷さえ抜ければ、このレースも終わりだ。
「さあ!残った八機さらに渓谷を進みます!
狭い岩壁を抜けて、見えてきました!第三チェック地点最終難関!!間欠泉です!」
道幅は広くなったが、前方には水面から噴き上げる間欠泉が多数みられる。勢いを失いつつあるところを狙ってアクセルを全開のまま飛び込む。
「ウサちゃん号、速い!他は全機苦戦しているようです!」
マシンの底を間欠泉に擦られる勢いも利用し、ひたすら前に進む。
「おお!八位のウィングエッグ号、スピードを上げました!!」
無理だけはしないでほしい。いや、サクラには間欠泉の動きもわかるのだろうか。竜巻のあった国で、彼女は自然と会話ができると言っていた。
間欠泉によってマシンが動かなくなってリタイアが続出し、残るのは六機だ。
「読めない間欠泉の噴き上げるタイミングにさすがの上位機も手こずっています!
おお!ウィングエッグ号!二位まで順位を上げて来ました――!!」
「え!?すごいじゃんサクラちゃーん!!」
はらはらしていたのが嘘のように抜かれた瞬間、思わず嬉しくなって彼女に手を振ろうとして耐えた。彼女はこちらを笑顔で振り向いてくれた。前見て、前。
「さあ!そろそろ間欠泉を抜けます!!」
「黒鋼とウィズと並んだよ――」
「いえーい」
「悠長に手ぇ振ってんじゃねぇ白まんじゅう!お前も!!」
三枚目のバッジがマシンに貼り付けられる。それを回収してアームバンドに固定すると、モコナが手を振ってくれたので応えた。
最終難関の間欠泉エリアを超えたならば、もう直線の加速で勝つしかない。私のマシンには短時間ならば加速が効くようエンジンを積んであるので、ゴールが見えれば切り替えるつもりだ。
「え!?」
サクラの声にちらりと目を向けると、彼女のマシンの真下から今日一番の間欠泉が噴き上がろうとしていた。咄嗟の反応が早いのは黒鋼である。サクラのマシンを横から押し退けた彼が間欠泉に飲まれて大破したマシンごと沈んでいく。
「もう間欠泉地帯は抜けたはずですが、いきなり噴き上げてきました!
直撃した黒たん号、大丈夫でしょか!?」
「黒鋼さん!!」
「いました――!!」
黒鋼に睨まれ、私はすぐにアクセルを踏み込み先へ進む。
「やるって決めたんだろう!?行け!!」
止まったままのサクラに吼える声が、私の耳にも届く。
「さあ!ゴールは目前です!全機ラストスパートで渓谷を抜けましたー!
ゴールはこの滝の向こうにあります!!」
問答みたいなものだろうか。一休さんのような。ドラゴンフライは水に弱く、軽いので上から来る滝の水流ではすぐに沈むだろう。
滝のように見えて、実際はそうではない箇所があるのか。この手のものはサクラが得意だろう。ちら、と彼女を見ると決意を固めた顔で彼女は滝に突進していった。負けた、と確信する。
「たった一機、ウィングエッグ号、滝に向かって行く――!滝につっこんだ――!?」
「ゴオォォォォ――ル!!!」
残った四機は皆拍手をしていたり、肩を竦めていたり。しかし、サクラに負けたことを認めているのだろう。先ほどまでの迫力はすっかり無くなっている。胸糞の悪くなる顔をなるべく見ないように、私はサクラのもとへ急いだ。もうレースに失格も何も無いので、滝の上を跨ぐようにしてドラゴンフライを飛ばす。
サクラは司会に勝利コメントを乞われているが、モコナに代理でコメントしてもらって和やかな雰囲気で笑っている。このあとは表彰式に移行するようで、流石に汚れに汚れたドラゴンフライは預かってもらい、私は説明を受けた控室に急いだ。
小狼たちは三人とも同じ場所に居て、全く無傷の小狼とファイをちらりと見てから、黒鋼の前に立つ。薬品のニオイがするのは、黒鋼だけだ。渋い顔をされるが、逃げる様子はない。控室の隅、ファイと小狼が何気なく壁になってくれたところで左手を取り回復魔法を唱える。
「はい」
「……おう」
「ありがとうって言ったらいいのにー。黒んみ、怪我ひどいのに固定もしなかったんだよー」
「ダメなお父さんだね」
「だからそのノリやめろ!!」
ファイの告げ口に茶化して返しながら、頭ではロクなことを考えられない。口を開けば弱音が出て来そうで、それ以上黒鋼を見ていられなかった。
「二人は、怪我なくて良かったよ」
「すみません。リタイアしてしまって」
「うん、心配掛けてごめんねー」
ファイの言葉に頷いてから小狼の頬を抓る。
「怪我がなくて、良かったよ」
「は、はい……」
まだ教育が足りないらしい小狼にもう一度ゆっくりと言い聞かせると、こくこくと頷いて返ってきた。ファイが小狼の頬を摩って「赤くなってるよー」と笑っているのを聞きながら、私たちは表彰式の閲覧席に向かう。
「さぁ!遂に決まりました!ドラゴンフライレース優勝者は!
誰よりも可憐に!そして誰よりも速く空を駆けた”ウィング・エッグ号”だ――!!」
表彰式の上空を飛ぶドラゴンフライが紙吹雪を散らしている。歓声に紛れてクラッカーのような音も聞こえてくる。ステージ上のサクラは緊張した様子もあるが、優勝を喜び微笑んでいる。
「勝者に優勝賞品が手渡されます!エネルギーバッテリーだ――!!」
歓声に埋もれて聞こえないが、笑顔のダイドウジ氏から話しかけられ、羽根の入ったトロフィーを受け取ったサクラもまた満面の笑顔で何か話しているようである。
「勝ったねぇ、サクラちゃん」
「……はい」
観客と共に拍手を贈っている小狼はステージ上のサクラにすっかり見入って、彼女を祝福するように微笑んでいる。
ステージ上のサクラが最前列を陣取っている私達に気付いたようで、笑顔で手を振ってくれるのに小狼も返している。
「仲良いんだな!」
「え」
桜都国で会った龍王の別人と、この世界でも顔見知りとなったようで、彼の指摘に小狼は顔を赤くしておろおろしている。うーん、甘酸っぱい。
私もサクラに手を振り返してから、黒鋼を挟んで反対隣に居るファイが「黒たんの分も振ってあげるー」とぶんぶん勢いよく手を振っているのを眺める。
「あんまり大袈裟にしたら、サクラちゃんが責任感じちゃうから固定しなかったんでしょー」
「面倒だっただけだ」
黒鋼の怪我は放っておけば治るくらいまで回復したが、見た目上の傷はまだ残っている。
「面倒なら、怪我しないで」
「……チッ」
分かっている。黒鋼がサクラをフォローしなければ優勝を逃していたかもしれないと。可能性の話で黒鋼のやり方を責めるのはおかしな話だと。だからこそ黙っているというのに。
「でもさー、変わったなぁと思わない?
小狼君、旅の最初は全然笑わなくて、苦しそうで」
龍王と旅の話をしている小狼の表情は微笑んでいて、阪神共和国の頃と比べて別人のようである。
「サクラちゃんは記憶が揃ってなかったせいもあるけど、不安そうで」
サクラが自分の努力で掴み取った勝利を喜ぶ笑顔は活気に満ちていて、あの頃の面影は無い。
「黒るんとウィズちゃんが喧嘩ばっか、なのは今も一緒か――」
「あぁ?」
「えっ」
「でも、旅の間に辛い事もあるけど楽しい事もあって。ああやってあの子達が自分で頑張って笑ってるのを見るとさ。
変わったなぁって思って」
優しく見守る横顔が、彼らへの愛情にあふれている。黒鋼もファイの顔を見て、一呼吸してから口を開く。
「そう思えるおまえも、変わったんだろ」
「え……」
困惑するファイの表情から、黒鋼の横顔に目線を移すと、いつになく穏やかな顔をしていた。やっぱり、黒鋼は素直じゃないだけで旅の一行を、いがみ合いばかりのファイですら、大切に思ってくれているのだ。
歓声が一際大きくなる。ステージ上のサクラが司会に促され、トロフィーを掲げている。眩しい、と思う。彼女が暖かい歓声に囲まれていることが、努力をして実った結果が、それを見守る仲間たちが。
再びスタッフの誘導を受けて案内されたのはピッフルプリンセスカンパニー所有の飛行船である。自国は既に夜で、外では今日のレースの終了を祝福するように花火が打ちあがっている。
「今日のレース、様々なアクシデントがあって、参加下さった皆様にはご迷惑とご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
ささやかですが宴席をご用意致しましたわ。皆さま、心ゆくまでお楽しみ下さい。では、乾杯」
「かんぱーい!」
手短にダイドウジ氏の挨拶が終わると、今回のレースに参加した二十名とスタッフがグラスを掲げる。
立食形式のパーティになっているが、一行はシャンパンやジュースだけ受け取ってソファ席でくつろいでいた。一人掛けのソファにどっかり座る黒鋼と向かい合う二人掛けのソファに、サクラと並ぶ。傍には小狼とファイが立ったまま辺りを眺めていて、モコナはファイとじゃれ合っている。
「黒鋼さん、手大丈夫ですか?」
「ああ」
大丈夫じゃなかったが、大丈夫になっただけである。
「ファイさんは!?」
「全然平気――」
「小狼君怪我は!?」
「大丈夫ですよ」
「ほんとに!?嘘じゃない!?我慢してない!?」
「ほ……本当です」
詰め寄るサクラにおろおろと後退る小狼を微笑ましく見守りながら、私はサクラにぴっとりと寄り添う。
「サクラちゃんこそ、怪我がなくて良かったよー」
「あ、ありがとうございます……」
何故か赤面しているサクラが可愛いので、よしよしとその頭を撫でる。
「モコナも怪我してないよ――」
「それもよかった!」
「白まんじゅうは何もしてねぇだろ」
「モコナ大活躍だったんだよ!!大きな声じゃ言えないけど!」
「十分でかい声じゃねぇかよ」
トロフィーを抱きしめたまま満足げに微笑んでいるサクラに、小狼は「開けないんですか?」と問う。トロフィーの天辺、ガラスに包まれているサクラの羽根のことを言っているのだろう。
「開けて羽根が戻ったら、眠っちゃうかもしれないから。
知世ちゃんに、ちゃんとお礼言いたいの。主催者さんでまだ忙しいみたいだから」
確かに、ダイドウジ氏ならばこの宴席でサクラに言葉をかけに来ないはずがない。そのときを羽根が戻って眠ってしまっているのは寂しいだろう。二人はあれだけ親しくなったのだから。参加者と話をしている彼女の姿を眺めていると、サクラが「後ね」と切り出す。
「みんなにも言いたい。本当に本当にありがと」
小狼の手を取ったサクラが微笑みかける。
「モコちゃんとウィズさんと、ファイさんと黒鋼さんと。
小狼君がいてくれたから勝てた」
「……姫」
二人の雰囲気に浄化される。ファイの横に退避すると、サクラに一本のバラを差し出す人影がある。フライングレディ号の男性である。ぱっと離れた二人の手を眺め、邪魔者めと思わないでもないが、そのやり取りを眺める。
「しかし凄いな。まさかあそこで滝につっこむとは思わなかったぜ」
イエロータイガー号、笙悟である。
「不正を行ったものは誰か分かりましたか?」
「いや、それが……」
浮かない表情を見ていると、まだ明らかになっていないのだろうことが分かる。話の続きを待つ間、ファイの肩で楽しげにしていたモコナが耳を畳んで萎れている。
「どうしたの、モコナ」
「お耳がいたいー。何かキーンってする」
確かに耳鳴りのような音が響いてきた。サクラの傍に小狼が居ることを確認し、辺りを見回す。不審な動きをする人間を見つけて、ウェストポーチから杖を取り出し、後ろ手に構える。
そして、サクラと彼の間に入るようじりじりと近寄る。
「きゃあ!」
飛行船の窓ガラスが割れて風が吹き込み、来賓の悲鳴が続く。騒然とする辺りにも気を配る私の横に黒鋼が並び立つ。
「どいつだ」
「割れちゃう!」
私が黒鋼の質問に口を開くより早く、後方でサクラが抱いている羽根のガラスが割れ始めたらしい。羽根を奪おうとしているのだろう。
「カイルじゃないかと」
「あぁ!?」
「社長!!」
「知世ちゃん!?」
スカートを翻して私たちの前に現れたのはダイドウジ氏である。銃のようなものを構えた彼女が私たちを振り向いて叫んだ。
「羽根をサクラちゃんの中に!」
「え!?」
「羽根が!」
ついに羽根が浮き上がってサクラの手を離れていく。私は跳び上がってそれを掴み取り、小狼に握らせる。魔法を使うまでもなかったな、と思いながら、窓際に立つカイルの姿を見据える。
「あなたは!!」
騒然とする来賓の中で、一人だけ不敵に微笑む立ち姿。印象的な黒い長髪に丸眼鏡。正体を隠す気があるのか、無いのか。カイルもまた、時空を渡っているというのだろうか。
「早く!」
「はい!」
「待って……!」
ダイドウジ氏の促しによって小狼は羽根をサクラに受け渡す。サクラは彼女の名を呼びながら眠りについた。こんな状況になってしまったが、彼女は礼を言いたがっていた。状況が落ち着けば、また話をさせてあげたいのだが。
「……まったく。ジェイド国といい、邪魔をしてくれる」
「ジェイド国!?じゃあ、あなたはカイル先生!?」
忌々しな物言いだが、表情は不敵な様子である。
「おまえ達だけが次元を渡れる訳じゃない。異なる世界には同じ顔をした別の人間がいる。けれど本当に別人かは分からない」
「ガードチーム!」
ダイドウジ氏の呼びかけによって武装した職員がカイルに向かって行くが、彼は敗れた窓から飛び降りて行く。飛行船はかなり上空を飛んでいるが、着地の策があるのだろう。窓の方に駆け寄った小狼がこちらを振り向いて、首を振る。
「……消えました」
「別の次元に移動したのかなー」
恐らく、そうだろう。
カイルが居なくなった後も、瓦礫だらけになった会場の状況整理にダイドウジ氏は駆られている。駆け付けたボディガードたちに、飛行船の着陸と来賓の送迎を指示している。
「レースは終わったしー、もう事情を教えてもらってもいいかな?知世ちゃん」
「はい」
ダイドウジ氏はファイの言葉に、どこか観念したように了承した。
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