ピッフル国


 二名のボディガードとダイドウジ氏と連れ立って帰宅した先の拠点には、随分久しぶりに帰ったような感覚がする。

 人数分の紅茶を用意するファイを手伝い、ボディガードの二名にも労いの言葉と共にカップを渡す。腰を折って頭を下げてくれる顔に疲労の色は無く、流石の一言が浮かぶ。



「レースに仕掛けをしたのは、私です」

「貴方が!?」



「予選と本選の途中まで?」

「気づいてらっしゃったんですね」

「主にこの人が――」



 ファイがダイドウジ氏の言葉に、黒鋼を指さす。そのジェスチャーに眉間のシワを濃くする黒鋼だが、渋々といった様子で口を開いた。



「……予選が終わった後ここに来た時言っただろう」



 黒鋼が示したのは”誰がこんなことをしたのか突き止めて必ず探し出す"と言ったダイドウジ氏の言葉である。予選の不正行為を彼女が突き止めると言ったときだ。



「ええ」

「ありゃ本気で言ってる目じゃねぇ」



 暫く黒鋼を眺めていたダイドウジ氏だったが、彼女はゆっくりと微笑んだ。



「聞いていた通りですね」

「誰にだ」



「知世姫です」

「あぁ!?」



 イスをひっくり返して驚く黒鋼に、困惑する小狼と私、興味深そうにしているファイとリビングは混沌としていた。

 そんな我々に、ダイドウジ氏は時系列にそって分かり易く説明してくれた。

 一年前、ピッフルプリンセスカンパニーの発掘グループが海底から持ち帰ったのが未知で強大なエネルギー体・サクラの羽根である。開発陣で調査を続けてもその正体が分からなかった当時見た夢で、彼女自身にそっくりな日本国の知世姫と出会った。そして、彼女が羽根のこと、別の世界の存在、そして羽根を探して旅をしている私たちのことを教えてくれたという。



「どうして分かったんですか、おれ達がこの国に着いたことが」



「まあ、相手はピッフルプリンセスカンパニーだからな」

「お邪魔します」

「俺達も説明に参加すべきだと思ってな」



 微笑むだけのダイドウジ氏が自身で告げることは無かったが、拠点入口に顔を出した笙悟が説明を続けてくれた。彼と一緒に姿を現したのは、フライングレディ号の操縦者・残――ダイドウジ氏の幼馴染と言っていた男性である。

 お客と見てファイが立ち上がろうとするのを制し、私が追加の紅茶の用意をするため離席する。



 羽根をそのままサクラに返さなかった理由について聞いたファイには残が説明していた。知世姫と夢の中で邂逅したのは、エネルギーバッテリーの発掘を発表した後で、ピッフル国は勿論他国からの注目もあり、容易に渡すことができない状況だったと言う。



「知世姫から、サクラちゃんの羽を狙っている誰かがいることもお聞きしました。それが色んな世界にいることも」



 知世姫は私たちの旅について、私たち以上に知っていることがあるのかもしれない。

 ダイドウジ氏は残が提案するまま“ドラゴンフライレース”の賞品として羽根を扱うこととし、羽根を狙う者の炙り出しと捕獲も目論んでいたのだという。今回、カイルを捕獲するには至らなかったが。



「貴方達もきっとレースに参加なさるでしょうしと、知世姫もおっしゃっていましたし。特に黒鋼さんが」

「黒様、日本国でも負けず嫌いだったんだねえ」

「うるせぇ」



 予選でダイドウジ氏が細工をしたのは、羽根を狙っている者がいることを示して牽制することや、私たちへの警戒を促す目的があったという。彼女の目論見通り、私は警戒をし過ぎて疲弊した面もあるが、おかげでカイルに羽根を盗られずに済んだということもある。



「もー、演技するの無茶苦茶大変だったぜ」



 この世界でも恋人らしいプリメーラとのデートを蹴って小狼たちと会っていたという笙悟は、怒り狂っていたという彼女を思い出したのか突っ伏して落ち込んでいる。



「女性に嘘をつくなんて。罪悪感で心臓が止まりそうでしたよ」



 残は残で、何かに落ち込んでいるようで、壁に手をつき俯いている。



「あ、それで知世ちゃん予選の時ずっとサクラちゃんの側飛んでたんだー」

「あら」

「撮影だったらあんなに近くにいる必要はないでしょー?」



「本選の時もいつもお二人が側を飛んでいましたね」



 笙悟と残は小狼の言葉に顔を上げ、はにかんでいる。気の優しい人々だと、その表情だけで見て分かる。



「私がお願いしたんです。本選でも、羽根を奪取しようとする者を探し出す為の仕掛けを用意してありましたから。

 でも、結局皆さんを危険な目にあわせてしまいましたわ」



 ダイドウジ氏の目線は黒鋼の左手にある。沈痛な表情で彼女は頭を下げた。



「すべて私の責任です。本当に申し訳ありませんでした」

「……じゃあ、最後の間欠泉は」

「……カイル先生」



 確かに、怪我をしたのは間欠泉を受けた黒鋼だけで、ファイは無傷、小狼に関しては通常の事故である。



「知世ちゃん……」

「サクラちゃん!

 目が覚めました?ご気分は?」



「平気。聞いていい?」

「……はい」



 サクラは駆け寄ったダイドウジ氏に眠たげながら確かに問いかけている。



「知世ちゃんは、わざとわたし達を勝たせようとしてくれたの?」

「いいえ」



 険しい顔で返した彼女の言葉は真実味があった。



「確かに仕掛けはしましたが、決してサクラちゃんや皆様を有利にしようとしたからではありませんわ。

 貴方達はきっと勝つと信じていましたから」

「……ありがと」



 安心したように微笑んで再び寝入ったサクラを一行だけでなく、ダイドウジ氏や笙悟たちも温かく見守っている。



「さて――サクラちゃんは優勝して羽根も戻ったし、せっかくだからさ――ここでも一回パーティーしない?」

「モコナパーティー大好きー!」



 両手を上げて宣言したファイと大喜びのモコナに微笑んで頷く。



「いいな。自警団の奴ら呼んでいいか?」

「いいですね。ではうちの店からケータリングを……」



 迷いのない了承をしてすぐに連絡を始めている笙悟と残に困惑するのは小狼だけだ。



「小狼君も今日くらいはどう――?飲酒解禁って感じで」

「飲もうよ――サクラ初勝利だよー♡」



「で……でもまだ姫は眠ってて」

「のもーよーのもーよー」

「起きたらサクラも飲むよ!てかモコナが混入する!」



 サクラの飲酒は阻止しなければならない。小狼に絡むファイとモコナを横目に、サクラの頭の下にクッションを入れておく。寝室に運ぶのが良いのだろうが、きっとサクラもこの場に居たいだろうから。



「いいから酒よこせ」

「嫌な言い方―」



「のもーのもー」

「料理は……」

「あ、みんな来れっかー?」



 緊張していた空気が霧散し、私はキッチンに立つ。ファイがまだ小狼に絡んでいるので、黒鋼のビールを拵えるためである。



 料理と面子が集まるまでにそう時間は掛からなかった。何せ、今日がお祭り騒ぎになっているのはピッフル国全体の話なので。遠慮なくどうぞという残の言葉に一切の遠慮をせずに料理は全種類頂いた。お酒は限界を超えないようにしっかりセーブしながら。



「ウィズ、全然飲んでなーい」

「飲んでる飲んでる。笙悟さんの方が全然飲んでなーい」

「ほんとだー!」



 飲ませに来たモコナを笙悟に打ち返し、私は中々目を覚まさないサクラの傍に座って既に泡の消えたビールを飾りのように持っていた。

 小狼は残と並んで何か真剣に話しているようだが、次第に様子がおかしくなり、手袋を握りながら素振りを始めた。ひたすら黒鋼に呼びかけているが、彼は既に喧噪から逃れて外で飲んでいるので幻がもう見えているらしい。黒鋼が酔っぱらうことは万に一つもないので、放っておいていいだろう。そして、この国のお酒に魔法は掛かっていないので、ファイが酔っぱらうのも心配なし。

 私はひたすら保身に走っていればいい。



「ウィズちゃーん」

「……」

「なんで逃げるの――」

「逃げてないよおー」



 酔っぱらわないその二に肩を組まれ、本当に酔わないんだよなと不安になる。サクラ勝利の余韻もあるし、気の置けない距離感になったこともあるが、ファイはピッフル国に来てから特に陽気である。もしかすると、夜魔ノ国からの反動もあるのか。

 陽気なファイとお酒の席というのは非常によくない組み合わせである。



「本当に全然飲んでないねぇ。体調悪い?」

「近い近い悪くない」

「ほんと――?」



 慣れた距離感だが、人目があるところで取る距離感ではない。止むを得ず足を踏んでアピールするが、足先を絡み直されてただのじゃれ合っている男女の様相である。



「痛い目みたいのかな」

「きゃ――♡」



 楽し気に去って行ったファイから目を離すと、酩酊状態のプリメーラがべったりと横に座って来て飛び跳ねる。来客が多いな。



「ねえ〜〜ウィズ、さん?って、あの人と付き合ってるんでしょぉー?」

「付き合ってないよ」

「愛される秘訣って何ぃ――!?」

「知らん知らん泣かないでよぉ」



「私も笙悟くんに愛されたいよぉ――!!」

「飲みすぎだよプリメーラ、わりぃなほんとに」



 回収されていったプリメーラは何もかも誤解したまま萎れた笙悟に回収されて行った。十分愛されているんじゃないだろうか。

 ビールを残すわけにはいかないので、また一口傾けて違和感に気づく。泡が抜けて微炭酸になっているだけではない。



「寝よう」



 寝ているサクラを置いて、素振りをしている小狼も置いて、後始末に追われるだろう黒鋼も置いて。容疑者であるモコナとファイから逃げるために。飲みかけのビールを片手にキッチンへ立ち入ると、何故かそこで立ち飲みしているファイと出会した。



「これなんか変な味した」

「あれー、そう?」



 ビールを眺めてから一口煽ったファイがへにゃりと笑う。何らかの酒が混入していることしか私にはわからない。



「いつ入れられたのー?」

「モコナか……」

「あはははは、部屋まで送ろっか」

「大丈夫、シャワーしたいし」



 かなり疑っていた罪悪感によりしっかりと断って足早に階段を上がり、温めのシャワーで砂と汗にまみれた身体をさっぱりさせて階段を更に上がり、寝室に飛び込む。

 嗅ぎ慣れた匂い。冷たい布団。居心地はまあ、悪くないだろう。一階から聞こえてくるどんちゃん騒ぎがある内は、一人でも安らかに眠れそうだった。そっと瞼を閉じる。



 暗闇、嗅ぎ慣れた匂い、遠くに聞こえる囁き。手に入らないのはあの温もりだけだった。少しずつ消える音にも、焦らないように。ちょっとした物音を拾い上げて、人の気配を感じ取る。

 優しく髪を梳く感覚に覚えがあって、気持ち良い心地に僅かな緊張すら緩む。離れて行く気配に手を伸ばし、触れた温度が熱いので思わず目を開けた。



「朝まで、飲むのかと」

「もう皆寝ちゃったから――」

「そう」



 ベッドの軋む音、少し傾く身体。くるりと背中に回る腕。定位置に収まると、いつもと違うニオイがした。



「お酒くさいね」

「ごめーん、シャワーしてきたのになぁ」

「うん、あったかい」



 ボディーソープの匂いに紛れる程度だが、こうも近距離だと分かる。湯上がりの高い体温にじんわりと熱をもらうのは心地いい。今日は得られないと思っていた温もりに身体が溶けそうだ。



「ファイ」

「んー?」



 無事でよかった。今日くらい朝まで飲んでても良かったのに。明日にでも次の国だね。最近よく笑っていてくれて嬉しい。次一緒に寝られるのは何日後かな。この旅はあと何日続くのかな。さっきも触れてくれて嫌だった訳じゃないよ。

 言いたいことは色々あるが、どれを言っても違う気がして、私は目の前のファイを記憶するだけにしておこうと薄目を開ける。



「おやすみ」

「んん、どうしたの」



 何も言っていないのに、いつもの挨拶をしただけなのに何故あれこれ考え事をしているのが分かったのだろう。



「明日、話すよ」

「嘘の顔してるー」

「……顔見えてないじゃん」

「見えてないけど、してるでしょ」



 そう言われても、自分の顔は自分では見えないのだが。ファイが眠たそうにしているからお喋りを慎んであげようと思っていたのに、ここまで掘り起こされたら言うしかない。とはいえ、あれこれ並べてぐだぐだ話すのもやはり違うし。

 身体を少しだけ離して、街明かりを受けて柔らかく灯る蒼い瞳をじっと見つめる。長い髪がその目に被ってさらりと揺れたのを指先で撫でつけて、よける。



 瞳が雄弁だった。彼が私の嘘を見抜くのは初めからだった。しかし、私は少しずつ見て、知って、理解していった。そして、ようやく辿り着いたのだ。



「どこにも、行かないで。ずっと一緒にいて」



 私が何よりも求めていた永遠を、彼自身もまた懇願しているのだと。



「一緒に、幸せになりたいよ」



 花びらがくずれるように儚く伝う涙に口付けて、懇願した。



「ずるいよ」



 湿った声が揺れている。確信を待って、優しさをも利用した私の懇願に対する彼の指摘は尤もだ。



「ずるくても、許してくれるでしょ」

「はは……ほんとに」



 背中に回った腕に抱き寄せられる。震える身体が、彼の内に未だ秘められたものの気配を感じさせる。ファイは本当に隠し事が多いのに、隠すこと自体はそれほど得意ではなくて、だからこそ黒鋼にも勘付かれてやっかみを受ける。黒鋼が、私だって、ファイのことが大切だからこそ、彼自身を戒める秘密を解いてほしいと思うのだ。



「許さなくてもいいから。一緒にいて」



 震える背中をそっと抱き返す。微かな呼吸の乱れが、押し殺された嗚咽が、この狭い部屋でも掻き消えてしまう。彼とて、蓋をしてきたものが沢山あるのだろう。

 音にならない言葉は、ただの呼吸と言われればそうとも思われるほどの囁きだった。



「一緒に、いたいよ」



 決して聞き逃さなかった。聞いたよ、と伝えたい。彼が初めて伸ばした手を、しっかりと取ってあげたい。



「うん。大好きだよ、ファイ」



 抱き寄せられる力がゆっくりと抜けていくのを感じながら、乱れた呼吸が安定していく。きっと、涙も止まったのだろう。



「ウィズ」

「ん」

「……おやすみ」

「おやすみ、ファイ」



 体温が、声が、額に落ちた唇が、彼の思いを伝えてくれる。夜魔ノ国を思い出す呼称に、心の中の瘡蓋が柔く掻かれる心地がした。確かに、あのときが一番無防備で、ありのままで、思いを素直に伝えようと必死だった。今、ようやく。ファイが無防備になった姿を、私に見せてくれたのだろう。

 一緒に、幸せになりたい。一人にならないで。共に地獄を味わうのでもなく。



 首筋に擦り寄ると、すっかりいつもの匂いに戻っている。ずっと、この温もりがあるのなら、永遠だって生きられるのに。







 しっかりと昇った朝日に室内が照らされているのが分かる。もう朝になってしまったと思うのは、今日が最後かもしれない。またきっと、朝が待ち遠しくなるのだろう。



「おはよ、ウィズちゃん」

「……んん、おはよ」

「ふふ」



 渋々返した挨拶を笑われながら、止むを得ず起き上がろうとした身体が動かない。抱き寄せる力が緩まない。



「朝寝坊?」

「ん――」



 何やら言いたげなファイを腕の中から見上げると、捲れた前髪の隙間から額に口付けられる。



「もうちょっとイチャイチャしておこっかなーって」



 イチャイチャ。

 耳に慣れない言葉が頭の中をぐるぐると回る。ぼんやりとしたイメージが私とファイでは再現できず、言い出しっぺの顔を仰ぎ見ると、寝起きの眠たげな顔が一層優しげな表情に見せてもっと分からなくなった。

 背中に回っていた腕が離れて、指先が私の顔に伸びたかと思うと、私の唇にそっと触れた。あの夜のことが一瞬にして過ぎると落ち着かなくて、目を合わせていられなくなる。

 からかっているだけかもしれないし、忠告をしようとしているのかもしれないし。でも、もしかしたら、本気で。

 真実を探るには結局目を合わせるしかないのだ。



「ダメ」



 その言葉とともに、唇に触れていた指先は離れて後頭部を引き寄せられたのは彼の首筋、いつもの定位置である。



「私、何かした?」

「可愛い顔して見てた」

「……まだ夢見てるね」



 妄言をとりあえず流してから、ファイの口から放たれた“可愛い”の言葉へ過剰に動揺している自分を必死に落ち着けていた。ファイの“可愛い”は大安売りだから、挨拶みたいなものだから。



「夢だったらチューしてたよー」

「……現実だから、しないの?」

「……してほしかった?」



 顔を上げさせようとする力、絶対に顔を上げまいとする力。ファイは力ずくなんてことはしないが、私は彼の意思を尊重したいのでどこまでも弱い。

 最早半泣きの顔を上げさせられて、こちらの困ることしか言わない相手をどうにか睨む。



「顔熱いねぇ」



 火照った頬を撫でる手が少し冷えて感じる。その心地よさに瞼を閉じて気持ちを落ち着ける。

 途端、唇のすぐ横に。



「う」

「心配だよー。こんなに隙だらけで――」



 目を閉じていたが、唇の横に口付けられたことは分かる。だってそこで“ちう”の音がしてたから。

 咄嗟に開いた目をまた閉じたら今度こそ口にされるだろうと思いながら、じゃあ閉じるべきなのか、はたまたからかわれるのが続くだけなのか。もう、分からない。



「ファイだから、許してるだけだから」

「……も〜〜」



 一先ず伝えておくべきところを返したつもりなのに、不服そうな牛が現れてお手上げである。



「ご飯の用意しよっかー」

「うん。皆起きてるかな?」

「サクラちゃんとー、黒たんは起きてるかなー」



 小狼は昨夜面白い事になっていたので、起きていても二日酔いに苦しんでいるはずだ。今度こそと立ち上がった背中を引き止められる。腹に絡み付いている腕をぽんと軽く叩いて振り向く。



「どうしたの」

「だって、さっさと行っちゃうから――」



 自分が食事の支度をすると言い出したくせに、何を言っているのだろう。歩き出すのは止めたわりに力は弱く、簡単に振り向くことができる。朝の時間をゆっくりと過ごしたがるファイは珍しいので、無視するのは本意ではない。

 自分から話し出すのを待つため、つむじを眺めながら少しはねている細い髪を撫でつけておく。



「やっぱり、チューしておけばよかったかなぁ」

「し、てたでしょ」

「いたたた」



 見上げてこようとするファイの頭を押さえ付けて、気持ちを落ち着ける。



「今夜には別の国かもしれないでしょー。ウィズちゃんが心配なんだよう」



 睡眠環境についてならばその通りだし、また小狼を始めとして他の仲間が危険に晒されて不安に駆られうることについても同じだ。ただ、それはもう慣れた苦悩で、自分自身で乗り越えて行くべき課題である。



「いいの」

「オレがウィズちゃんを心配する気持ちも、要らない?」



 ファイがくれるものに要らないものなど無い。私がそう思っているのを知ってか知らずか、見上げてくる視線に逃げ場も無い。



「……じゃあ、時々こうやって、してほしい」



 座ったままの頭をそっと引き寄せ、弱く抱きしめる。



「幸せだなあって思うから」



 苦しいくらいに抱き返す力に笑ったり、またベッドに連れ戻されたりして、ファイが行っていた”イチャイチャ”っていうのは、もしかしたらこんな形なのかもしれないと思った。





 身支度を終えてリビングに降りると、昨日集まった面々があちこちでダウンしていた。寝落ちているのか、二日酔いで起き上がるのも儘ならないのかは分からないが、押し並べて限界というのは共通項のようだ。黒鋼の姿は無いが、外にでも居るのだろう。ベッドで眠るサクラとモコナ、床に落ちている小狼の姿を確認して、あるだけの材料で食事を用意しておく。一行で二日酔いを経験しているのは小狼が唯一だが、ファイは世話焼きに余念がないので対処法に抜かりがないようである。



「きゃ――!!小狼君!何があったの!?」

「ひ……姫……」



「あはははは、おはよ――」



 誰が起きて何をしているのか、キッチンに居ても全て聞こえてきた。起きたサクラが床に転がる人々とその中の小狼を見つけて最悪の目覚めをしたのだろう。呑気に挨拶をしたファイが、揺さぶられ始めた小狼を見てキッチンを出て行く。



「怪我したの!?誰がこんな酷いこと!?」

「いや――、自業自得っていうか――」

「酒池肉林?」



 サクラの悲鳴で起きたモコナの言葉に頷く。他の面々に関しては自業自得かもしれないが、小狼に関してはファイの押しに負けたところがある。除外してあげたい。



「え?」

「全員ただの飲み過ぎだ」

「おはよー」



「もうのめない〜〜」

「もう酒やめる〜」

「吐く――」



 飲み過ぎに関しては今しがた冷たく言い放った黒鋼の方が余程だが、悪酔いや二日酔いをしないのが彼の肉体の強靭さを再認識させる。

 もんどり打っている人々を眺めながら、確かに、酒というのは飲み過ぎると具合が悪くなるのに、それを忘れてまた飲んでしまうものだと思い出した。一度目の人生で、確かにそういう話を聞いたことがあるし、自分自身飲み過ぎて翌日に不調を引きずって後悔することもあった。



 朝食は概ね片が付いたところで、元気なサクラも起きたので飲み物の提供をファイと彼女に任せて、私は散らばる酒瓶やグラスの片付けを始める。

 リビングはアンデッドたちのグロッキーな声が聞こえる一方、キッチンの方からはダイドウジ氏の爽やかな挨拶から和気藹々とした二人のやり取りも聞こえてくる。

 ゴミとグラスの処理を終えた頃にファイが差し入れてくれたレモン水をもらって小休憩をさせてもらう間、少しずつアンデッドたちの呪いも解けてきたようである。差し入れ班にサクラの姿が無いので聞いてみると、自室でダイドウジ氏と話し込んでいるという。昨夜は話せる時間もなかったし、暫くそっとしておくのがいいだろう。

 不調もなくただ眠っていた面々には食事を提供し、仕事に行く者を見送ってからは部屋の清掃の続きである。汚れているテーブルと床とソファを重点的に掃除をしながら、ピッフル国の拠点も思い出がたくさんできたと感じる。寝室は分かれていたが、ドラゴンフライの練習を含め、寝る以外のほとんどの時間を共に過ごした。寂しいなと脳裏に浮かんだ言葉に苦笑して飲み込む。昼を目前にして二階からサクラのうれしそうな声が響いた。



「できた――!!出来たの!」



 駆け下りてきたサクラはゆったりと降りてくるダイドウジ氏とともに喜色満面といった様子である。その腕には上質そうな洋服がこんもり抱えられている。外に居る誰かに駆けていく背中を追いかけてみる。



「モコちゃん、魔女さんとお話できる!?」

「うん!」



 その言葉にはっとした。ホワイトデーの話だろうか。小狼たちは何も用意できていないのではないか。

 モコナがホログラムを投影し始めたのを眺めながら、じりじりとファイの横に近寄る。



「ファイ、ホワイトデー用意した?」

「あ」



「あら、モコナ」





 ポンと手を打つ姿に頭を抱えて、モコナと話をしている侑子さんを眺める。今日はノースリーブにデニムでカジュアルな装いだが、スタイルの良さが際立っている。



「サクラがね、ご用があるんだって」

「お礼出来ました!」



 早く見せたくて仕方がないといった様子のサクラに、これから外出の用があると言っていた侑子さんだが、極めて優しい表情で微笑む。 



「貴方が?」

「知世ちゃんに手伝ってもらって作ったんです!」



 そう言って、知世の手を借りながらサクラが広げて見せたのは、黒を基調としたシックなデザインのロングコートだった。深く開いた襟元からタイトなラインのウエスト、高級感のある布が裾に向かって豊かに広がるシルエットが豪奢だが、侑子さんによく似合うだろうと感服に頷く。サクラは知世にミシンを借りて朝から掛かりきりでどうにか仕上げたようだが、粗が見つからない仕上がりは“知世=ダイドウジ”クオリティなのだろう。

 サクラの話を聞き終えるなりモコナは洋服を丸呑みして、ホログラムの侑子さんの手元に届くまでまたたく間であった。



「……有り難う。確かに頂いたわ」



 洋服の仕上がりも然ることながら、サクラの純粋な気持ちが嬉しいのだろう。柔らかな表情で感謝を述べる侑子さんに、人間離れした彼女の人らしい温かさを垣間見る。



「貴方もね、ウィズ」

「あ!モコナがいる――!」



 ドラゴンフライに着想を得て機械と魔力のハイブリッドで製作したのは、等身大のモコナ人形である。共に旅をする中でモコナの口から彼女に関する話をよく聞くため、モコナが不在で寂しいだろうと思い生み出したものだ。

 ホログラムの彼女の背後でパタパタと羽にあたる部分の耳を動かしているモコナ人形の姿が見える。動作を真似て喜ぶモコナが可愛くて、やっぱり本物には敵わない。



「受け取ったのは二人のお礼だけよ」

「やっぱそうだよねー」



「まあ、素敵な服とモコナに免じて各自の服の預かり代も差し引いてあげる。必要になったら言いなさい」



 刀とイレズミはどうなるのだろう。



「でも、フォンダンショコラの礼、残り三人忘れないように」



「さすが侑子♡シメるとこシメるー♪」

「ぜってー礼なんかしねぇぞ!」

「うーん、オレ何にしよ――」

「おれも」



 お礼をしなければ多分、質流れである。彼女の微笑みは有無を言わさぬ隙の無さで、ホログラムが消えるなり反応は三者三様だ。一段と機嫌の悪い黒鋼、悩むのは口だけで愉しげなファイ、心底悩んでいる小狼。受け取ってもらえた私とサクラは顔を見合わせてこっそり笑い合う。



「じゃ」



「次の世界行くのー?」

「うん!」

「え?え?家そのままおいて?」



 羽を広げたモコナを見て、少し慌てているのは真面目な小狼だけである。片付けやら退去・売却のことを考えているのだろう。その辺りはダイドウジ氏に丸投げして良いだろうと私は思っているが。



「だいじょーぶ」

「そーそー」



 私とファイは小狼を宥めながら引き寄せる。



「離れないように、ね」

「はい」



「有り難う!」



 事情を知っている一部は吹き荒れる風と魔法陣を前にしても困惑せずに旅立ちを見送ってくれている。



「知世ちゃん、また会えるよね」

「ええ。この国には時限を渡る設備はありませんが、我が社が必ず作ってみせますわ」



 隔たれゆく次元移動の直前、手を取り合った二人の表情も、声色も僅かな寂しさを信頼が上回っているように感じる。



「だからきっと、またお会い出来ます」



 少しだけ名残惜しむように二人は手を離した。



「お世話になりました」

「楽しかったよー」

「有り難うございました」



 少し間をおいて黒鋼の声が遠くで聞こえた。



「夢で知世姫に会ったら伝えてくれ。必ず帰るとな」



 黒鋼が国に帰るのが先なのか、羽根が集まるのが先なのか。私は、多分黒鋼は、羽根が集まるまで旅に着いてきてくれるのだろうとそのときに感じたのだ。

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