ピッフル国に次いで一行が移動した先は“夜の繁華街”であった。明らかに仕事中の着飾った男女と、それを買う人々がネオンの輝く建物に入っていく。私はすぐさまサクラの目を覆ってからちらりと小狼の顔を見る。居心地悪そうにしているが、頭上のモコナに羽根の気配を聞く余裕は残っているようだ。



「強い力は感じる」

「じゃ、まずは宿探しかなー?」

「そう、ですね」



 朝になればこの空気も幾らかマシになるだろうとファイも予想を立てたようだ。

 道行く人々を眺めて宿のあてを探しているだけなのに、見目の目立つファイや黒鋼は女性に猛烈なアピールを受けていて大変そうだ。

 最悪その辺のキャッチに敢えて捕まって、宿だけ確保して帰してもいいのだが、そういうことを黙認していられる気質の彼らではないし。



「師弟コンビとそれ以外で別れて、安宿に入れないかな?」

「入れるわけねぇだろ」

「小狼君、どうー?」



 一番げっそりしている黒鋼の言葉に、ファイは苦笑しながら小狼に意思確認を図っている。



「どう、ですか?」

「黒鋼とラブラブ演技、できる?」

「ラブラブ」



 私の言葉で気を失いそうになっている小狼をみて、このペアは駄目らしいと考え直す。見た目で成人と疑われない組み合わせで行きたかったが、仕方ない。



「じゃ、私がサクラちゃんと組もう」

「えっ」

「ファイ、そっちは頼みます」

「そうなるんだー」



 軟派男を囲む女たち&ラブラブ師弟カップル作戦が無理なら、若い男子を取り合う男たち&少女を籠絡する女作戦しか残されないだろう。



「俺が小僧と行きゃいいんだろ」

「さっすが黒様ー」



 黒鋼と小狼が先に宿に入って行ったのを見て、残された私たちも親し気に距離を詰めながら時間を潰す。



「とんでもない国に来ちゃったねぇ」



 ファイの言葉に尤もであると深々と頷きながら、未だ地面を見させられているサクラを不憫に見守った。

 時間が経っても二人が宿から追い出されてこないのを確認し、私たちも続けて部屋を取ることができた。フロントは甘い香が焚きしめられていて、ネオン輝く街並みらしい怪しげな雰囲気である。巨大なベッド一台の部屋、スモークで何となく隠れたガラス張りの大きな浴室、気持ちばかりに置かれたソファとテーブル。



「サクラちゃん、お疲れさま。もういいよ」

「ごめんなさい」

「サクラちゃんが謝ることなんて何もないよ――」



 困り顔で顔を上げたサクラに返すファイの言葉に頷く。寧ろ、気を遣わせて申し訳ないのはこちらの方だ。彼女に汚れた性の世界を見せたくないというのは、こちらのエゴである。



「お風呂大きいー!サクラちゃん、一緒に入ろうよお」

「えっ!?」

「モコナも入る――♡」

「あはは、ごゆっくりー」



 然して大きくもないソファに寝っ転がるファイの脚は収まっていないが、スモークの甘いガラス張りの風呂を見ないようにしてくれる配慮であろう。風呂を念入りに洗い流してお湯を張り、浴室に入ってから衣類を脱ぎ去る。顔を赤くして硬直していたサクラも私の構わない態度に気が抜けたのか、タオルで身体を隠しながら入浴の支度ができたようである。

 ざっとシャワーを済ませて風呂に浸かってしまえばすっかり緊張も解れたようで、サクラの方からちらりと視線を感じる。



「小狼君たち、大丈夫でしょうか」

「うーん、黒鋼はカッカしてるかもねぇ」

「うふふ」



 私の返答とモコナの反応に首を傾げるサクラに、やはり街並みを見せなくてよかったと脱力する。耳を塞いでいた訳ではない。黒鋼と小狼に”ラブラブ演技”を強いたそもそもの理由がよくわかっていないのだろう。

 落とされたこの街は払うものさえあれば、身分証も無く名前も知らないままに宿がとれる風土なのだ。



「早く、次の世界に行きたいなぁ」

「……そうですね」

「モコナも頑張る!」



 ざばっと湯舟を出てシャワーで軽く汗を流してから、水気を取った身体を備え付けられていた肌触りのいいガウンに着替える。いいのは肌触りだけで、生地は薄手で心許ない。こんなものを姫に着せるというのか。



「モコナ、これどう?」

「うん……」



 神妙な面持ちで頷いたモコナを見て、びちゃびちゃの髪のまま私はウェストポーチを引っ掴んで浴室を出る。



「おかえ……りー?」

「ん」



 がたがたと落ち着きなく縫物を始めた私が視線を感じたのは一瞬だった。大急ぎで仕上げたセパレートの着替えを手に浴室に戻り、未だ支度中のサクラに差し出した。



「有り難うございます!」

「ううん、あんまり可愛くなくてごめんね」

「今の一瞬で作ったの、すごいねぇ」

「”二人分しかない”から、サクラちゃんはこっちの方がいいかなーって思って」



 ベッドの下に押し込めた三組目のガウンをファイがちらりと見たようだ。

 入れ替わりで彼が入浴を済ませている間、私とサクラはベッドに潜って縫物の話をしていた。侑子さんへプレゼントした洋服の出来には本当に感動したのだ。温まった身体と急激な緊張から解放されたのもあってか、サクラはすぐにすやすや寝息を立て始める。



「サクラ、寝相悪いからウィズにぶつかるかも」

「抱いて寝ればいいってこと?」

「こらこら」



 頭上に降ってきた声に顔を上げる。ガウンを纏ったファイからは目眩がするほどの色気が漂っていて、私はモコナの目を覆って自分も目線を逸らした。



「ウィズちゃんも同じの着てるでしょー」

「……まって、黒鋼が着てるの見たいよね?」

「みたーい!」



 黒鋼たちの部屋番号が分からないので訪問できないのが悔やまれるが、明日にでも小狼に様子を聞いてみることにしよう。



「モコナが感じる力って、ここから近いの?」

「近い」

「すぐに済みそうだね」



 今夜できることはもう無いので、早めに眠って早朝から活動するのが効率的である。モコナをサクラの横に置いて、そちら側の布団を捲ると、ファイが首を横に振る。



「なんで?」

「ウィズちゃんに間に居てもらうならいいけどー」

「サクラちゃん、寝相悪いんだって」

「サクラ、落っこちないよ」



 二人に言われてしまえば敢えて反論する必要も無くなり、私はサクラを引き寄せて間に挟まる。モコナはサクラの腕の中で眠るのが定位置のようで、潜り込んでいった。右にサクラ、左にファイ。両隣から柔らかい香りと温もりに包まれている。



「……この位置すごくいいかも」

「ウィズ、現金ー」

「ほんとー。浮気者ー」

「えっごめんなさい……」



 そんなつもりが無かっただけに、二人から責め立てられて自責の念に駆られて謝罪すると、冗談だったようでくすくす笑われた。左の肩口にそっと埋もれる柔らかい髪の感触がくすぐったい。ぴくりと跳ねた指先を絡め取られ、触れ合った左半身が熱い。右半身はまだ大人しく眠っているサクラと触れ合っている訳ではないので、一層その差異を感じた。



「おやすみ」



 それにしても、穏やかな安宿だった。





 身体が重たく、全身が鉛のような感覚だが、動かない訳ではない。瞼は重いが開く。モコナは分からないが、左右の二人はまだ眠っているようで、横たわっている気配がある。ただ、身体の思わしくない重たさを晴らしたくて、起こしたら申し訳ないとは思いつつ身体を起こした。微熱があるような感覚で身体が火照っている。風邪なんて、この身体で引いたことがないのに。



「モコナ、起きてる?」

「うん!」

「……体調は変わりない?」



 予想外にあまり暴れていないサクラの腕から抜け出したモコナが、私の腿の上に跳ねて来た。こてんと首を傾げる様子はいつも通りだ。この部屋には時計が無く、時間が確認できるものは窓くらいだ。ベッドを抜け出して格子の掛かった窓の外を覗くと、夜程ではないが薄暗く、外を歩く人影も減ってはいるものの、様相はそう変わりない。娼婦や男娼が客を引いている。

 歩けばくらりと目眩もするが、気分が悪い訳では無いのが不思議である。



「ウィズ、身体熱いね」

「そうだよね」



 未だ横たわったままのサクラに近付き、顔にかかる髪を払えばその頬も火照ったように赤い。



「……おかしいね。モコナ、何か感じる?」

「ううん、何も」



 彼女の肩に触れて、回復魔法を掛けても変わらない。試しに解毒魔法を掛ければ、魔力の消耗する感覚と共に触れた肩から熱が引いていく。あまりにも弱弱しい効力だが、慣れない身体や丈夫ではない身体には煩わしい”毒”に掛かっているようだ。しかし、一体どこで。

 ベッドの反対側に回り、ファイの顔を覗き込む。サクラほどではないが体調は良くないのだろう、薄っすらと顔が赤く、表情は険しい。



「ファイ、触るよ」



 解毒魔法程度なら杖を使わなくても問題ない。その頬に触れると、少し熱かった。



「……靄が晴れたみたい。ありがとー」

「いいえ。おはよ」



「これって、何かの呪い?」



 ファイの問いに、解呪はできても正体が分からない私は肩を竦める。



「これが何かは分からないんだけど、今のは解毒魔法」

「ウィズちゃんは平気なのー?」



 自分のことをすっかり忘れていた。さっと魔法を掛ければ身体が軽くなる。苦笑を向けられて居心地は悪い。



「物騒な街だけど、安全な場所は無いのかなー」



 緩慢に立ち上がったファイの細長い身体が振り向くと、乱れたガウンの裾から白い脚が覗いたので背を向けておく。そうだ、着替えよう。



 サクラが起きてから、私たちは宿を一旦チェックアウトして入口を出る。そこには既にぐったりとした小狼と彼を抱える黒鋼の姿がある。



「おせーよ」

「うん。ちょっと気になることがあって」



 ファイと黒鋼の陰に隠れて、朦朧としている小狼の頭に手を当てて解毒魔法を掛ける。そのついでに、念のため黒鋼の背中にも手を当てて魔法を掛けた。



「いやー、ウィズちゃんが居て良かったねぇ」

「すごいです」



 魔力消費もそう多くない簡単な魔法なのだが、確かに今はよく役立ってくれて助かった。しっかり褒めてくれるファイとサクラに照れ臭くなって思わずはにかむ。



「えっとー、街歩きだよね」



 無事降ろされて頭を下げる小狼と見向きもしない黒鋼のやり取りを眺めながら発した私の言葉に、振り向いた二人も頷いた。食事にありつけなかった一行の若人たちの腹の虫が響き、一先ずは酒場にて情報収集することになる。

 酒場は湿っぽい雰囲気が漂っていて、私たちのようにしっかり腹を満たしに来た客は少ないようだった。閑散とした店内ですれ違う客は、等しく宿で焚かれていた香のニオイを纏っている。あまり吸うべきではないだろうと息を詰めていると、視線を向けてくるのは黒鋼である。



「あの香が呪いの正体か」

「確信は無いよ」

「……なるべく嗅がないようにしろ」

「はい」



 頷く小狼とサクラに、予想が外れていたら苦労を掛けて申し訳ない。手早く食事を済ませた一行が向かったのは街の外れにある寂れた教会である。人の気配がほとんどしないのに、庭の手入れまでよく施されていて、中に入れば若い神父が振り向く。



「旅の方ですか」

「わかりますかー?」

「ええ。この街の人は、ここに足を運びませんから」



 突き放すような言葉なのに、感情を一切含まない声色である。闇に溶けるようなざらりとした祭服と低く重たげな声が陰鬱な雰囲気の男性だった。



「街で焚かれている香で体調を崩してしまって、暫く滞在できるところを探していたんです」

「街から出るのが一番いいのでしょう」



 サクラの肩をそっと引き寄せて言う私に、神父は断言する。この街の雰囲気がそもそも教会の方針に沿わないだろうことは想像に容易い。



「探しているものがあるんです」



 とはいえ、そう引いてはいられないのが私たちの目的である。小狼の言葉を受けて伏し目がちの視線を合わせた神父が、首を振りながらも話を続けてくれた。

 この地区はグラスキャット通りという”夜に賑わう繁華街”であり、街でも浮いた地区であるという。国が定める者とは別に、実質の統治者といえる存在が現れたのがもう三年も前らしい。元々ここまでの繁華街ではなかったところを、現在のような治安と形式にした張本人。



「トランヴェルという酒場に行けばそのスターに会えますよ。夜の始まる頃合いになりますが」



 情報を得た一行は教会に黒鋼とサクラを残し、街へ更なる情報収集へ向かった。



「昼間なのに薄暗いねー」



 ファイの言う通り、酒場にあった時計では既に昼を過ぎていた。曇っている訳でもなく終始太陽を見せることは無い。



「極夜というんだそうです」

「通年そうなのかな」

「おれが聞いた国では、季節によるという話でした」



 異なる世界ではあらゆる別の世界での常識は通用しない。苦笑する小狼に笑い返し、街並みを眺める。薄手のオーガンジーをボディラインに添わせた艶っぽい女性のドレスは官能的で、素材感とアクセサリーで飾り立てられた華美なスーツは遊びがあってビジネスシーンらしくない。

 トランヴェルのスター・ロコウがどういう人物像なのか、今想像し得る限りでは気が重たくて仕方がなかった。



 夕暮れまでには必要な情報を仕入れ、昨夜とは違う宿のルームキーも確保することができた。夜の酒場には大人組三人とモコナが行くことにして、私は背中に刺さる視線を感じながら久々に化粧をしていた。



「綺麗です、ウィズさん」

「ありがと。良く思ってない人、いるみたいだけどね」

「だって〜〜」



 ロコウの好みに合わせたミニ丈のドレスを諦めて、スリットの入ったロングドレスに譲歩したのは、服屋で何となく機嫌が悪かったファイへの配慮である。恥じらう乙女のような無垢っぽいメイクに大人びたドレスが寧ろ倒錯的な仕上がりになっている気もするが、今更ドレスを買い直す時間も無い。

 髪を巻くためサイドへ寄せたとき、露出した背中をなぞる指にびくりと身体が跳ねる。



「モコナ、鉄槌」

「おう!」

「わーっ」

「きゃあ!」



 軟派男め。



 合流した黒鋼も怪訝な顔をするのでヒールの爪先で蹴っ飛ばそうとしたら見事に避けられて腹立たしい。



「そんなもんで蹴ったらいてぇだろうが!」

「黒鋼、痛いとかあるんだ」

「なんだと思ってんだよ!!」



 宿からトランヴェルはそこそこ距離があるが、エスコートしてくれるファイには大いに甘えた。その方が機嫌がいいからである。



「綺麗だけど、嬉しくないよう」

「ありがとう」



 綺麗だという言葉は単純に嬉しくて、満足して笑いかける。いつもより高いヒールのおかげで、少し近い顔も新鮮である。



「も〜〜」

「余所でやれよ」

「はあい。帰ったらもっと褒めてよー」

「わかったから、本当に気を付けて」



 確かに、モコナが強い力を感じる相手なのだから警戒しておくに越したことは無い。とはいえ、ロコウが私を目に留めるとは限らないし、二人とモコナが居てくれて事件に巻き込まれることも早々ないだろう。



 酒場に着くなり、座る席も無い程混雑した店内に気圧されつつ、私たちは注文を済ませてから客が熱心に眺めているステージ上を見る。



「結構遠いね。モコナ、この距離で大丈夫?」

「うん!近くに力感じる!」



 もうロコウが裏に控えているのか、はたまた別の何者かが真実なのか。

 店内の照明が部分的に落とされ、ステージ上に人影が現れる。頭上のライトが点灯して見えた姿は、あまりにも見覚えがあり過ぎた。その目が客席を見渡せばその視線が合ったように錯覚してしまうもので、咄嗟に目線を逸らしてファイにぴたりと寄り添う。



「どうしたの?」



 トランヴェルに現れるスター・ロコウは、二度目の人生で旅を共にした仲間の一人・ジャコウの別人だった。

 ステージ上で愛想よく手を振って観客にサービスしている笑顔が、かつてムードメーカーとして旅を明るくしてくれた彼と重なる。流れ始めた曲に合わせて歌い始めた声は、曲調に合わせているためか少し感じが違うのが、気が紛れて救われる。

 ようやく緊張が解けて、ファイに首を振って返した。



「……こっちに来るぞ」

「客降りかな」



 サービスの一環なのだろう。黒鋼の言葉に余所事と思いながら、届いたカクテルを煽っていると、頭の奥を揺らすような甘い香りが漂う。その香りは、宿で嗅いだ香をもっと濃くしたようなものだった。



「キャー!ロコウ!」

「こっちよー!」

「なんて美しいんだ」



 どうしてそれだけ人気なのか分からないが、この香りにそういった力があるのだろうか。黒鋼の襟元に隠れるモコナは顔を出せないので、宿に帰ってから真相が分かるかもしれない。

 ファイと黒鋼は耐性があるようだが、グラスキャットの人々はそうではないのだろう。頬を紅潮させ、目も虚ろだ。



「初めて見る顔だね。ゆっくり話したいな」



 私の目の前に来たロコウは足を止め、人々にそうするように愛想のいい微笑みで声を掛けてきた。漂う香りでぐるぐると頭が回るような心地になるが、私は目を少し閉じてから微笑みを返す。



「機会があれば」



 手を取られその甲に口付けられたとき、小さなルームキーホルダーを握らされた。離すなと言わんばかりに手を丸められて。



「もう一曲あるので」



 終わったら来いということなのだろうか。慣れた様子で店員に目配せをしたロコウは少し迂回してステージに戻っていく。

 両隣から見下ろされる視線は、決して”よくやった”という意味合いを含まないのが分かる。とはいえ、ミッションを達成したのだから、評価してほしいものだが。



「えっちな展開になるってこと?」

「お前はほんっっっとに余計なことしか言えねぇのか?」

「冗談だよー」

「冗談で済まないんだからね」



 確かに、かつての旅の仲間・ジャコウが善人だったからといって、トランヴェルのスター・ロコウがどうかは分からない。あの手慣れた誘いと店員への指示出しを見るに、この流れは常習犯なのだろう。

 とはいえ、またとないチャンスでもある。



「モコナ、どうだった?」

「強い力だけど、羽根じゃない気がする」



「……何だろうね?」

「羽根じゃないなら、無理して行かなくてもいいんじゃないかなー」



 ファイの言葉にも一理ある。危険を冒して旅の続きが遅れるのは本意ではない。しかし、小狼はこれが本当に羽根ではないなら何だったのか、気になるだろう。



「気になるなら行きゃいいだろ。困ったらさっきみてぇに蹴り飛ばしゃいい」

「まあ、行ってみよっかな」



 せっかく役に立てる訳だし。不安げにゆらゆらと瞳を揺らしているファイの手を握り、微笑みかける。



「大丈夫だよ、ちゃんと戻って来るからね」

「おら、行くぞ」

「うう〜〜〜」



 店員からの視線を受けて私は手を離す。奥に案内されながら、背中に刺さる視線にひらりと手を振った。

 てっきり店外に案内されると思っていたが、酒場内の階段を上り、廊下の一番奥の部屋の前で立ち止まる。部屋番号の書かれたキーホルダーを手に取った店員がそれを捩じると鍵の先が出てきて、鍵穴に差し込まれた。



「え、あ、帰るんですか?」



 一言も発することなく踵を返していく店員に思わず声を掛けたのに、それにすら返答が無いまま置いて行かれた。

 怖いとは思わないが、緊張はする。知った顔だが、得体のしれない相手である。モコナを隠し持てる装いならばまだしも、私は今一人で、ドレスに隠した杖ぐらいしか頼るものが無い。

 階段を上って来る他人の足音が聞こえて、慌てて中に入ってドアを閉める。中には例の香りが染み付いていて、思考が澱む心地になる。



 トランヴェルのスター・ロコウはステージから気に入った相手を見つければ声を掛けて夜を共にしてくれる。それが真実だとして、彼がこのグラスキャットを夜の繁華街にしてしまったのはどういう経緯なのだろう。ただの女好きというだけで、街全体を変えてしまえるほどの”何か”を隠しているに違いない。

 後ろのドアが開いて、鍵をかけ忘れたことに気が付いて慌てて距離を取り振り向く。



「あ……ロコウ、さん」

「来てくれないかと思ってた。嬉しいなあ」



 ずいっと身を寄せられて、呼吸が混じるほど距離が近くなる。自然と彼の纏う香りを吸い込むことになり、眩暈がする。苦笑しながら後退り、鍵を閉める動作に背筋が冷える。いや、大丈夫だ。私には魔法がある。



「嫌われているのかと」

「会ったばかり、なのに?」



 話したこともない、姿を見たのも初めての相手に嫌われることがあるとしても、それは気にする程のことだろうか。これほど自信に満ちた彼が。

 振り向いて一歩二歩と近づく彼から、自然と距離を取るように踵を返して室内に入ると、部屋の作りは昨夜の宿と似ていた。大きなベッドが一つと、少し立派なソファとテーブル、広い浴室。



「目を逸らして、距離を取るでしょ?」

「初対面ですし」

「オレ、結構人気者なんだけど。嫌われたことがないんです」



 過言だろう。彼のような自信家を嫌う人は一定数居るし、私もかつてのジャコウは好ましく思っても、このロコウには苦手意識がどんどんと根付いている。



「好きなところに座っていいよ」

「ああ、はい」



 入口からは遠くなるが、それでもまだマシだろうとソファに浅く腰かける。



「そんなに警戒しないで。仲良くなりたいだけだから」

「その香……焚かないでもらえますか」



 ロコウが火を点けようとしていた香に、すかさず願い出ればその手は止まった。



「この香りが嫌いだからですか?」



 躊躇いなくそこを離れたロコウが、私の座るソファの背もたれに手をつく。彼が側に居るだけで、香を浴びているかのように目が回る。



「あまり、好きな香りではないです」



 甘い香りが嫌いな訳ではない。私がいつも安心する香りだって甘くて、でももっと優しい甘さなのだ。



「どうして効かないのかな」

「何がです?」



 ジャケットの内ポケットに手を入れたロコウが、私の拳程の大きさの半透明な石を取り出した。それが薄っすらと光り輝くと共に、眩暈が一層強くなる。



「あ、効いてるんだ」

「それ……」

「これ?昔拾って、大事にお守りにしてたんだ。宝石に見えるけど、金属らしくて。お金になるけど売らずに――」



 ぐらりと傾いた身体にロコウの手が伸びてくる。石はテーブルにそっと置かれている。特殊金属。ハイレベル杖生成に必ず必要になる貴重な素材。魔力を含有していて頑丈。



「一人で眠りたくないんだ。今夜だけでもいいから、側にいてほしい」



 背中の開いたドレスの縁に滑り込む指を感じて、ヒールの爪先で鳩尾を薙ぎ払う。



「げっほ、えっ、っげほ、何!?」

「そうやって最初から誘えばいいのに。ミスリルを利用して洗脳するなんてゲス過ぎない?」



 かつての旅の仲間・ジャコウならばそうしたはずだ。確かにスケベな所はあったが、愚直で明るい男だった。壁に吹っ飛んでずり落ちるロコウは私の意識がはっきりしているのが不思議でたまらないようで、目を丸くして見上げることしかできないでいる。



「この石はミスリルといって魔力を含有する特殊な金属。貴方はそれを媒介にして人々を洗脳し、この香りと関連付けさせることでグラスキャット全体を掌握した」

「洗脳なんて。でも、皆喜んでくれてた」

「貴方は私にツレがいるのを知って手を出した。本当に、皆が喜んでいたと思う?」



 ファイが散々嫌がっていたのが良い例である。洗脳はいずれ解ける。ロコウの望む夜が明ければ、彼に奪われた人を想い悲しむ人がいたはずだ。彼の存在を辟易する教会の神父のように、失われた街を想う人だって。



「貴方ならミスリルなんか無くても、傍に居てくれる人がいるよ」



 テーブルの上のミスリルを手にして、座り込んだままのロコウの頭をそっと撫でる。

 一人寝の寂しさには覚えがある。私ならば眠らなければいいと思う反面、人間の身体を持っている彼はいずれ眠りに落ちてしまう。



「私はこの香りと洗脳は認めないけど、貴方の歌声と笑顔は好きだよ」



 これ以上罪を重ねず、幸せになってほしい。昔の仲間に会ったなら、それは妬ましく羨ましく思うだろうという予想は外れ、私は彼らの幸福を願うことができる。

 それは紛れもなくファイや今の仲間のお陰だった。私は孤独に怯えていても、幸せだから。



「お互い、頑張ろうね。ジャコウ」

「えっ!?」



 窓を開けて外に飛び降り、店の前側に回り込めばファイと黒鋼が言い合っている。



「おまたせぇ」

「おっかえり!」

「やっと来たかよ」

「ウィズちゃん!」



「ファイ、すごく心配してたの」



 ファイにぎゅっと抱きしめられ、困惑しながらも抱き返す。黒鋼の襟元から顔を覗かせるモコナが至極分かり易い説明をしてくれた。



「ごめんねぇ。でもこれ、モコナの言ってた強い力じゃない?」

「そう!」

「んだそれ」



 ポンポンと背中を撫でながら、もう片方の手でミスリルを掲げて見せる。



「特殊金属、ミスリル。魔力を含有しているのに丈夫で大変貴重な素材!私も初めて手にした!」

「お、おお」

「勝手に貰ってきた」



 その言葉に、一瞬の沈黙が流れる。



「泥棒したの?」

「だから、早く逃げよ。ファイ、ダッシュ!」



 モコナの言葉を肯定するように微笑み、未だ抱きしめられたままのファイの腰に足を回せば、抱き直されて景色が遠のいていく。



「も〜〜〜」

「牛さんだ」

「牛さんだ〜じゃないよう」



「あはははは」

「こっちの気も知らないでー」



 遠い宿までファイに運んでもらい、後ろをついて走る黒鋼のさらに後方から追いかける影はない。ただ、ロコウらしき人影が見えた気がするが、それを確かめる術はなく私たちは角を曲がって、その姿も見えなくなった。



「ちょっとお話があるから」



 宿に着くなりその文言と共に、モコナがサクラを連れて黒鋼たちの部屋に退避したのが大変不穏な夜だった。



 ドレッサーの前に座らされた私の後ろで、ファイは乱れた髪を直してくれている。鏡越しに機嫌を窺うように眉を下げて微笑みかけるが、目すら合わない。口を開くことすら許されないような緊張した空気で、ミスリルとの邂逅に浮かれていた気持ちがだんだん萎んでいく。



「ファイ……」



 懇願するように小さく呼びかけると、伏せられていた蒼い瞳が鏡越しにひたと見据えた。いつもの笑顔もなく、寧ろ今までに見たことが無いほどの負の感情が透けて見える無表情である。



「ごめんなさい」



 心配を掛けたことは理解している。それに構わずミスリルに浮かれていたのは、確かに無神経だった。するべきことはまず謝罪だった。



「……オレも、ごめん。モコナが気にする力の正体、ちゃんと確認しておかなきゃいけないのは分かってたんだ」



 緊張感が和らいで、固まっていた身体から力が抜ける。



「でも、心配で。行かせたくなかった。黒るんにも怒られてたんだー」

「ああ、そういえば」



 ロコウの部屋を後にして彼らと合流したタイミングでギスギス言い合っている様子があった。まさかそういう話をしていたとは思わず、へらへら第一声を放った自分を後悔する。



「ごめんね」



 また謝罪すると、ファイが首を振る。鏡の中の私を眺めながら、飲み物を飲んだ時に少しリップが落ちたようだとぼんやり考える。鏡の向こうの手が私の頬を撫でている。くすぐったいくらいの弱い力で、思わず目を閉じる。呼吸が触れ合う。あ、と小さく発したはずの声が籠って、柔らかい感触に飲み込まれていた。驚いて開いた目が、蒼い瞳と絡み合って、身体が沸騰したように熱くなる。握り絞めていた手を取られて、指先まで絡み合うと頭の天辺から指先まで痺れるようだった。

 熱くて、ぐらぐらと目眩がして、そのときに理解した。あちこちで焚きしめられていた香の効果を。でも、今香るのはファイの優しく甘い香りで、それが尚更頭をぐらぐらと揺らす。考えていたことがどろどろに溶けて、伝えようとしていた言葉がバラバラになって、ただそれを受け入れるのか、拒絶するのかということしか浮かばない。どちらが正しいのかも、分からない。



 長く時間が経ったような、ほんの一瞬だったような気がした。ただ、触れ合ったところから、絡め合った視線から、一つに溶け合うような感覚が心地よかった。



「もういっかい、して、ほしい」



 何も考えられない私が紡ぐ言葉は欲求の第一優先をただ伝えるばかりで、どこか俯瞰する自分が”馬鹿だな”と思っているのに、ファイの瞳が同じ温度をしているから心臓がどくどくと強く速く打つばかりだったのだ。



 もう一度触れ合った唇の柔らかさを忘れないように、そっと食む。とろりと溶けた思考で、記憶の引き出しにまた一つ、仕舞う。驚いたように開いた唇に、触れ合っていた私の唇も一緒に開いて、熱い呼吸が混じり合う。絡み合った指先も跳ねて、それがまたくすぐり合うようで、唇も身体も熱くなる。



「ウィズちゃん」



 その、優しい呼び声が好きだ。



「ん」

「これ以上は、ダメです」



 ぎゅっと力強く手を握り直され、頬を支えられていた手が離れるとぎゅっと頭を抱えられる。息が苦しい。



「……ん?」

「ほんっとーに、我慢できなくなっちゃうから」



 馬が駆けているような鼓動の音が聞こえる。確かに、ダメっぽい心音である。



「がまん……」



 思考回路がつながると、頭が爆発するように熱くなる。



「うん」

「ありがとう」



 何のありがとうだろう。でも、ファイと触れ合うのは気持ちがよかったな。

 少し緩んだ腕の中で、頬を擦り寄せる。



「ダメ」

「嫌」



「嫌じゃない」

「いつもしてるじゃん」

「いつも、我慢してるの」



 それ、言っちゃっていいのかな。

 ファイの腕に囲まれて、香りに包まれていると堪らなくてうんうん唸っているとそれも”ダメ”と言われた。全部ダメじゃん。



「本当にダメ?」

「こっち見るのもダメ」

「……寂しい」

「……も〜〜〜」



 牛だ。

 私はファイにされて嫌なことは無いが、ファイはあれもこれもダメらしい。



「好きだよ、ファイ」

「……ん」

「だいすき」

「……ダメかも」



 緩んだ腕の中で、ちらりとファイの目を覗き込めば困った顔をした蒼い目がゆらゆら熱を灯して揺れていた。

 もうその唇に触れられなくなっても、私はファイのことが好きなまま。いずれその温度も柔らかさも忘れてしまったとしても、この想いは永遠に続くのだろう。



「好き」



 伝えられる内に、伝えておきたい。その背中に腕を回して、気持ちが伝わるように抱きしめた。その瞬間、身体が強く抱き返されて浮遊感が続く。ぎゅんと室内の景色が動く。いや、私は運ばれていた。ぎしりと軋むベッドの音。柔らかく着地した背中。身体に落ちる影。

 いつも眠るときのような、でも少し違う景色だ。もう寝ようと言われるのか、はたまた”我慢”をやめたのか。



「もう一回、してほしい」



 そして与えられるものが唇だろうと、抱き締められることだろうと、私にとっては”勝ち”だった。







 酒場で朝食をとりながら特殊金属・ミスリルに関する説明を端的にすると、小狼は一行の中で最も興味を持って話を聞いてくれた。発掘作業に携わっていた彼にとっては、これがただの石ころではないと解るのだろう。



「ミスリルは何に使いますか?」



 小狼と黒鋼は彼らの剣を持っているし、私の杖もまだ予備がある。誰かの武器が壊れたときに加工してもいいし、金銭に困ったときは売り払ってもいいだろう。その機会よりも旅の終わる方が早ければ、それはそれで何一つ悪いことではない。

 もし使うことが無かったのなら、一行の誰かだったり、侑子さんに贈答したりしてもいいだろう。



「いざという時までは、このままモコナ預かりでどうかな?」

「任しとけ!」



 胸を張るモコナにミスリルを収納してもらい、一行は席を立った。

 酒場の外で羽を広げたモコナを見上げていると、サクラを引き寄せていた私の手が不意に取られる。慣れた温度、ファイの手だった。



「やっと終わるような、あっという間のようなー」

「……本当に」



 微笑みが向けられたのは一瞬だが、指はまだ絡まったまま。反対の手で黒鋼と小狼を巻き込んだファイに、一方は声を荒げ、もう一方はおろおろしている。



「離れないように。ねー」

「はい」



 サクラの相槌と笑い声を最後に、グラスキャットの景色は掻き消えた。

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