レコルト国


​​  前の世界から疲労を引き摺っているのか、顔色の悪い小狼を休ませるためサクラと近くの公園で待機を命じて、大人組とモコナが向かったのは洋服店である。新たに訪れたこの国での情報収集と資金調達も兼ねている。



「観光でしたら、図書館がいいですよ」

「どの辺にあるんですかー?」



 ファイの愛嬌で店員から難なく情報を仕入れ、試着室を借りて着替えを済ませた。そう遠くない道すがらでも、街並みと人々の様子から”レコルト国”の特色をまざまざと感じられる。



「黒鋼、こういうの馴染みないかと思ってたけど」

「こんだけあちこち行ってりゃ慣れる」

「あはは、それは確かに」



 蝶のような羽が生えた馬らしき生き物が馬車ごと引いて空を飛び、人は箒は勿論風船や傘で空を飛び。魔法の国と想像して浮かべる西洋の国だった。



「ウィズちゃんの国もこんな感じー?」



 二度目の人生は魔法使いの多い国が出身ではあったが、ここまで生活に魔法が使われてはおらず、魔法は飽くまでも生き抜く術で、利便性を見出す人はいなかった。街並みもレコルト国のように都会然というより、自然と融合したひっそりと佇む村のようなものかもしれない。この世界も美しいが“ウィズ”の景観も、良いものだった。



「さっさと戻るぞ」

「はーい」



 失ったものを思い出す時間は、もう少し後だろう。



 小狼とサクラが待つ公園に戻ると、彼らは離れたときと変わらずベンチに居た。ただ、座っているのは小狼だけで、その傍で腰を屈めたサクラに手を握られ、額を合わせている二人の姿は先ほどまでと違う光景である。

 体調の優れない小狼に彼女が何か声を掛けていることは想像に容易く、心温まる。



「ラブラブだ――!」



「いや、あの!」

「小狼君が怖い夢見たって、あのあの、だから!」



 無論、モコナの言うように”ラブラブ”に見えて、顔を赤くして慌てる二人を眺めながらにんまりしたい気持ちもある。



「おまじないしてたの?」

「でも、ラブかった♡ラブはいいねえ〜♡」



 ファイの優しい助け舟にこくこくと頷く二人を眺め、飛び移ってきたモコナを抱きとめて丸い頭を撫でる。ラブかったですね、私もそう思います。



「ど、どうでしたか?この国は」

「今まで行ったことのある国とはまた違ってた――」



 おろついたままの小狼の慌てた話題変更に乗ってくれるのもファイである。説明するより見てもらった方が早いだろう。説明はそれきりで、ファイは着替えを済ませている私たちを示す。



「服はね、こんな感じ――」

「ジェイド国と少し似てますね」

「でも、女の人ドレスじゃなかったよ。スカート長めだったけど」



 買ったばかりの服の包装を剥ぎながら、モコナの言葉に深く納得する。確かに、時代や国によってスカートの長さはかなり影響を受けているかもしれない。洋服とドレスの間を取ったようなレコルト国の服は、今の身体に馴染みがある。ピッフル国での服を三人分売却して得た資金で購入した洋服に二人が頭を下げる。



「羽根の気配は?」

「まだ分からないの。っていうか、この国不思議パワーいっぱいなんだもん」

「不思議パワー?」



 モコナはまだ羽根の気配を掴み兼ねているようだ。探知は秘術や魔力といった類の力に干渉を受けやすいのだろう。まだ街の様子を見ていない小狼たちはその言葉に首を傾げている。



「モコナが歩いて手もまったく問題のない国。でもって――小狼君にとっては凄く良い国かも――」

「おれですか?」



「ねー黒様」

「ふん」

「着替えたら早速行ってみよう」



 小狼にとって、洋服屋で仕入れた”図書館”は羽根の情報を得るにも、小狼の好奇心を満たすにもうってつけだろう。適当なレストルームで着替えを済ませて改めて合流した足で早速図書館に向かいながら、得た情報を小狼たちと共有する。

 レコルト国は”魔術”が数学や国語のように学問として広く学ばれている国であり、あちこちで見る馴染みのない生命体に紛れて、モコナも人形やロボットとしてでなく、自然に振る舞える。



「ああいうのもいるから、モコナもちゃんとお外に出られるね――」

「うん。ジェイド国の時は黒鋼の服の中で窮屈だったよー」

「って言いながら潜んな!」



 黒鋼の襟に潜りこんでじゃれるモコナを横目に、見えてきた大きな建物に足を進めるファイに続く。



「小狼君にとって良い国っていうのは……」

「こっちこっち――」



「ここは?」



 円柱状の壁にドーム型の屋根、段差の浅い長めの階段、よく手入れされている生垣と庭木が全て左右対称に造られている。中に入らなくても見応えのある図書館は、確かに観光先として店員が勧めたのも納得の景観である。

 圧倒されている小狼の言葉にファイは微笑むだけで、中に進んでいく。



「わぁ」

「本がいっぱい」



 館内に立ち入った小狼は感嘆の声を漏らし、きらきらと目を輝かせて辺りを見回す。

 館内も全て吹き抜けの対称的な造りになっていて、広い室内の壁一面に所狭しと並べられた本を、人々はときに浮遊するソファのような乗り物に乗って天井付近の階まで自在に飛翔し手に取っている。羽根に関する情報を得るのに網羅的に調べるとすると骨が折れそうだが、小狼は心躍る様子で頻りにあちこちの背表紙を眺めては喜色満面といった様子である。

 とはいえ、魔術に関する研究が盛んであるレコルト国の書物には私も関心があり、情報を集める傍ら何か発見があればいいなと浮足立っていた。



「この国の図書館は近隣国でも一番大きいらしいよ」

「小狼君、歴史好きでしょ」

「本も大好きだよね」



「はい!あ、でも読めるでしょうか」

「確かめてみれば――?」



 ファイの言葉にはっとして、本を手に取る小狼の横で私も頁を開いてみる。



「読めます!」

「良かった」



 小狼の弾けるような声を聞きながら、私は悲しみに暮れた。



「ウィズちゃんは読めなかったか――」



 アルファベットに似て非なる文字が不規則な文字列で並んでいるようにしか見えず、完全にお手上げである。ここまで言語が読み解けない国もそう無い。

 喜ぶ小狼の横で何を言っても気を削ぐだろうと無言で顔を覆った。ぽんと頭を撫でる手が逆に虚しさを誘う。



「全部は分からないんですけど、父さんと一緒に行った国の古語に似てます」

「小狼、夢中――♡」



 ジェイド国の歴史書を読み耽っていたときよりも年相応に見入っている小狼の姿にモコナはにこにこと楽しげである。



「はー、出来れば買ってあげたいねぇ。お父さん」

「いい加減そのネタから離れろ!」

「でもお金ないもんねぇ。あれ売っちゃだめだしね――」



 モコナの口に収納した小狼と黒鋼の武器のことを言っているのだろう、ファイの言葉に全く冗談じゃないと首を振る。いつ、また戦闘が必要になるか分からないし。



「アレ売り払っちゃお」

「すごく貴重なんじゃ」



 前の世界で手に入れたミスリルのことだと悟ったサクラまで焦っている。小狼の笑顔が見られるのなら等しい対価である。



「どうした?」



 本に夢中と思われた小狼が別の本棚に歩み寄るのを見て、黒鋼が声を掛けた。



「いえ、この本。背表紙に何も書いてなくて」



 彼が示した本を手に取った黒鋼を見て、その手元を覗き込む。背表紙には何も書いていないが、その表紙にはあまりにも見覚えのある模様が描かれていた。サクラの羽根とあまりにも似た模様である。



「それ」

「中も何も書いてねぇぞ」



 黒鋼の手を離れる瞬間、その本に魔力が宿っているのを感じ取る。しかし、羽根の放つ魔力ではないと私にもわかるほど微かな力だ。受け取った小狼がぱらりと表紙を開くと、のめり込むように頁を捲り始めた。

 その様子があまりにも没入的なので、少し恐ろしくなってそっと顔を覗く。瞬きもしているし、本を捲る動きもあって、何か呪いが掛かっている訳ではなさそうだった。ならば邪魔する理由もなく、私はそっと身を引いてファイと一緒にいるモコナに声を近づいていく。



「小狼くんが持ってる本の表紙、見覚えない?」

「わあ」



 ファイも一緒になって身を屈め、同じリアクションを取った。



「でも、この本からは羽根の気配しない」



 魔力を発する白紙の本。一体、小狼は何を読んでいるのだろう。気味の悪い感じは無いので、ひとまず付かず離れずの場所で各々調査を続けた。といっても、文字が読めないのでイラストや写真を頼りにするだけになってしまうのだが。





「どうしたの?小狼君……小狼君!?」



 時間にして一時間も経たないほど。立ち尽くしていた小狼に本を読んでいる素振りはない。サクラの慌てた声色に、方々に散っていた一行が駆け寄る。



「どうかしたー?」

「小狼泣いてる!」

「小狼君!!小狼君!!」



 表情を失って涙をただ流すだけの小狼の状態は平時では考えられない様子だ。怪しいのはその手に持つ本だろう。魔力を放つそれをファイが躊躇せず手に取る。



「……離れない」



 小狼が特別強く握っている様子には見えないのに、身体が揺らぐほどの力をこめて引き離そうとしても、その手から本が離れることは無い。私もその本と小狼の手に触れて意識を集中する。



「黒鋼、本取ってみて」



 小狼の額に手を当て精神治癒の魔法を掛ける。虚ろな目をしていた小狼の目に光が戻り、直後に黒鋼が本をあっさりと取り上げた。表紙の模様が輝き、小狼の身体がぐらりと傾く。身体を支えながら座らせると、彼はその身体を微かに震わせながら、涙を流し続けているようだった。



「小狼君!」

「小狼!」



「……黒鋼さん」



 意識を失いそうになっている小狼が掠れた声で黒鋼を呼ぶ。



「ごめんなさい……」



 気絶した小狼を支えながら、傍に座り込むサクラの焦燥した表情に微笑みかける。私とてよく分からないが、彼女をこれ以上心配させる訳にはいかないだろう。



「眠ってるだけだよ。でも、少し休ませてあげよう」

「……はい!」



 心配そうな気持ちを精一杯切り替えたサクラに、後ろでファイが微笑んで頷いている。騒ぎを聞きつけたのだろう、館内の職員が足早に来てくれた。



「医務室をご利用されますか?」

「はい。すみませんが、お願いします」



「んじゃ、黒様は小狼君運んでー」



 何も言わずに小狼を担いだ黒鋼が、職員の後ろに続く。

 案内された医務室は仕切りのカーテンの間にベッドが数台並ぶ小さな一室で、他に利用者は居ないようだった。



「お困りでしたら、お呼びください」

「ありがとうございました」



 私たち以外に誰も居なくなった一室に、この国のセキュリティはどうなっているのだろうと一握の疑問もあるが、魔術によって管理されているのかもしれない。

 ベッドに横たえた小狼を眺めるサクラは不安げな表情で、側に立つ私を仰ぎ見た。



「あの本について、図書館の人に話を聞かないとね」

「何か分かったのか」

「……私は小狼君を”起こした”だけで、本の仕組みはよくわからない」



 推測に過ぎない話を真実かのように語るのは苦手だった。ただ、黒鋼の手を渡った本が小狼を引き込み、その終わりもまた黒鋼の手によって齎されたということだけが真実だ。夢か、幻覚か、妄想か――はたまた、記憶のようなものを小狼は見せられていたのではないだろうか。

 黒鋼が小狼を担ぐ際にその手から受け取っていた本を開けば、白紙の頁がある。ぱらぱらと捲り、閉じる。サクラを、ファイを、モコナを、黒鋼を。辿るように見てから、誰に託したものかと苦笑するしかない。もし推測が当たっているのなら、私の記憶には何が見えるのだろう。



「じゃ、言い出しっぺ。開いて」



 黒鋼にその本を差し出せば、顔をしかめながら受け取り、表紙が再び魔力を放つ。背表紙を捲った瞬間に、黒鋼の様子もまたあのときの小狼のように、どこか硬直したような様相になる。ぱらぱらと捲られていく頁を眺める。



「黒鋼さん」

「はい、回収」



 不安げに呼ぶサクラの声を合図に私がその本を引っ張れば、容易く黒鋼の手を離れた。黒鋼の身体は少し傾いた程度で、然して動揺した様子もない。時間にして五分未満、大して長い時間ではないのが関係しているかもしれなかった。



「……あれが”ウィズ”か」



 黒鋼は本から、私の本当の名前か、出身国でも聞いたのだろう。それがこの本の見せるものが、紛れもなく私の”過去”であることを確信づけた。



「”最後”まで見た?」

「見覚えのある顔が出てきて終わった」

「わかりやすい。初めから一年前後くらいかな」



 グラスキャットのスター・ロコウのことを黒鋼は知っている。私のかつての旅の仲間であったジャコウとの出会いのことを示しているのだろう。彼との出会いは旅を始めて間もない頃だったので、黒鋼が見た記憶は特に気まずい時期もないはずだ。



「一度目に開いた人の過去を、二度目に開いた人に見せる本なのかな」

「なるほどね――」



表紙の模様といい、本の持つ力といい、サクラの羽根に関連している可能性が高まるばかりである。



「小狼、目開けたよー!」

「大丈夫?気分悪い?」



「ここ、図書館の中の医務室だよ――」



 晴れない表情で横たわったまま首を振る小狼に、ファイが医務室に来るまでの状況を説明してくれる。



「黒鋼さん……話が、あるんです」



 あの本の見せるものが何なのか予想のついている私たちは、小狼の言いたいことも察しがついていて、ファイと顔を見合わせて頷き合う。



「オレらちょっと出てよっかー」

「……はい」



 小狼の傍にいたサクラとモコナを呼び、医務室に小狼と黒鋼を残した。

 不思議パワーによってサクラの羽根の探知が上手くいかないが、あの本の存在によって、この世界には羽根自体が存在する可能性が極めて高い。私たちは彼らが話し合っている間、少しでも調査を進めるべきだろう。



「ウィズちゃん、良かったの?」

「……まあ。黒鋼には、何隠してもバレる気がするし」

「……たしかに」



 あれで小狼をいたく可愛がっている黒鋼である。何か分かっているのに、それを伝えないことが許される状況ではなかった。幸い、一度目の人生の終わり方や二度目の世界の終焉までは見られなかったようだし、結果として最良となった。



「さて、小狼君には黒ぴーが付いてるし、オレ達は二人がお話してる間に色々聞いて回ろうよ――」

「サクラの羽根、探さないといけないしね」



「はい」



 心配そうに扉を振り向くサクラにファイとモコナがかけた言葉に、彼女も表情を引き締めて頷いた。

 図書館の外にある庭園に出ると、モコナは噴水の縁石に飛び乗った。



「モコちゃん?」

「モコナちょっとここにいる」

「分かった――じゃ、待っててね」



 例の本に関する情報収集はモコナが居なくてもできる。何かを悟った様子のファイが心配そうなサクラを呼んで、噴水から離れた。

 小狼と黒鋼も中に残っているため、あまり離れないように庭園の範囲内で話を聞いて回ることとなり、景色のいい庭園で一休みしている老人にファイが声を掛けていく。



「こんにちはー」

「やあ」



 老人は話し好きのようで、天気の話に始まって庭の話、街並みの話、食事の美味しいお店などころころ話題を転じながら、ファイは白紙の本について然も自分が体験したように語ってみせた。



「記憶の本かい?初めての人は驚くよね」

「有名なんですか?」

「ああ、有名すぎるくらいさ」



 この国の魔術を賞賛しながら”記憶の本”についての情報を掘り下げるが、結局羽根の在り処までは辿り着けない。



「文字が読めないから、自分たちで調べるのは難しいよね」

「本を持ち出せたらいいんですけど」

「図書館で聞いてもあの本が出てくるだけだろうし、もっと街中で聞いてみたらわかるかなー」

「職員さんに聞いてみよう」



 一度館内に戻り、職員に聞いてみてもいいだろう。魔術の研究が盛んということは、図書館で資料を探す学生だって少なくないはずだ。



「モコナ――本の事わかったよ――」

「はーい」



 変わらず噴水の傍にいたモコナを回収し、館内に戻ってフロントで話を聞いてみると”中央図書館”に記憶の本の原本があるという情報を聞き付けた。



「原本を見たことがありますか?」

「この国に居ても、見た事がある人はほとんど居ませんが、資料として見たことはありますよ」



 印刷されたものを差し出してくれた職員に重ねて感謝を伝える。資料にはガラスに閉じられたサクラの羽根を表紙のようにした本が写されている。欲しかった情報を得られて口角がぴくりと震える。



「中央図書館は、少し行きにくいので……」

「アクセスが悪いんですか?」

「守衛機能が。入口には番犬がいますし、心臓に悪いんです」

「それはまた、興味深い」



 厳重なセキュリティに守られているとなれば、いよいよ真実味がある。そこに”原本”があるということだろう。



「いいお土産話ができたねー」

「はい!」



 職員と別れ、医務室に向かうと中からは黒鋼の元気な声が聞こえてくる。



「もう良さそうかなー?」

「一応ノックしとこ」



 ノックをすると中からは小狼の返事が聞こえてきて、その声に張りが戻っているのでファイがサクラに微笑みかける。ドアノブを捻って中を覗き込めば、すっかり身体を起こして普段通りの小狼がこちらを見ていた。



「お話終わった――?」

「はい」



「サクラの羽根について情報仕入れてきたんだ」

「小狼君、大丈夫――?」



 モコナが私たちの状況を説明し、ファイは小狼の体調を確認する。二人の声掛けには抜け目がない。きゅるるるる、と高めの腹の虫が鳴く音に辺りは一瞬沈黙に包まれた。



「モコナ、おなかすいた――」

「ご……ごめんなさい」



 再びきゅるるると鳴る音は、今しがた謝罪するサクラの方から聞こえている。モコナがサクラを庇おうとしていたのは明白だが、それに甘える彼女ではなかった。大変健気で可愛らしい。お腹の音も。



「そろそろ空く時間だもん、仕方ないよ――」

「すみません、おれが起きなかったから」

「この世界のご飯は美味しそうだねぇ」



「そうだよねー。話はさっき見つけて来た所でしよ――」

「わーい」



 そういえば、庭園で会った老人に食事の美味しい店を紹介されていた。値段も手頃で量も満足できるところをしっかりリサーチ済みだ。ファイの手料理に勝るのか、見物である。

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