レコルト国


 テラス席で待っていると、食事を運んでくれるのはウェイターだったが、紅茶は羽の生えたポットが運んできた。生き物なのか、魔術によって動いている無機物なのか、非常に興味深い。

 小狼たちが話している間に分かったことを彼らにも説明するのはファイである。まずは、小狼が体験した白紙の本についてである。



「記憶の本?」

「って呼ばれてるんだって――。手にした者の記憶を写し取って、次に開いた者にそれを見せる本」



 スイーツやサンドイッチなど、軽食がメインのメニューだが、品数は多く満足感がありそうだ。ファイの説明に、小狼は黒鋼に目を向ける。



「なんだ?」

「……いえ」



 そのやり取りを眺めていると、黒鋼もまたこちらをちらりと見る気配がしたが、気付かないふりをして紅茶を口に含む。



「なんだよ」

「んーん、なんでも――」



 ファイもまた彼らのやり取りを見ていたのだろう、咎めるような黒鋼の声にへらりと彼は笑うばかり。

 話は記憶の本の原本に移る。図書館で見たものは複本で、モコナが口からずるりと出したのは、原本の写真資料である。



「サクラ姫の羽根!」

「小狼君が手に取った記憶の本はこれの複本らしいよ。あの本の表紙にも羽根の模様に似たのが描かれてたけど、多分複本は研究熱心なこの国の人が、原本のこれに似せて作ったんじゃないかな」

「原本はどこにあるんですか!?」



 立ち上がった小狼に中央図書館についてファイが説明する。



「この国で一番大きい図書館でね、ちょっと大変な感じなんだよ――」

「遠いんですか?」

「乗り物に乗って移動しなきゃいけないんですって」



 頷いたサクラの説明に、本当に大変なことは移動方法や距離ではない。サクラの羽根を含む原本以外にも貴重な蔵書が多い中央図書館について、モコナがサンドイッチを咀嚼しながら伝える。



「盗もうとするのとかもいるんだって。だから悪いひとが悪いことしないように、すごい番犬さんがいるんだって」



 守衛機能と番犬に守られる中央図書館への移動方法は空飛ぶ列車が主流で安価らしい。腹を満たした一行はそれでも高価なチケット代に驚きながら、最も安い車両を選んだ。街の遥か上空を飛ぶ列車からの眺めはいいが、向かい合うシートの距離が近くて手狭である。



「うわ――お空飛んでるー」

「これも魔術で飛んでるんだねぇ」

「すごいです」



 モコナのコメントにはいつも羽を生やして異世界まで飛んでいるのではないかと思わずにはいられないが、こうして日常生活を便利にする魔術の恩恵を受けると他人事で感動する気持ちは分かる。

 二度目の人生は公共交通機関の発展が無かったので経験しなかったが、一度目の人生ではあらゆる交通の便が発展していたので、乗り心地としては電車の自由席のようなものである。窓の外をちらちら眺めていると窓際の席をファイが譲ってくれて、私とサクラは窓に鼻先が触れるほど顔を寄せて外を眺めていた。



「座席も色々あるらしいんだけど、お金あんまりないから――」

「ごめんねぇ、おとーさん甲斐性がなくて――その上飲んだくれで――」



「うわーオレの声そっくりー」



 ファイの声が聞こえてくる場所がおかしいと気が付いて振り向けば、モコナが彼の肩越しに声真似をして好き勝手話しているらしかった。

 モコナはサクラの帽子の上に飛び乗るとそのまま手を合わせて演技を続ける。



「お酒ばっかり飲んでて全然働かないけど、お父さんはいいひとよファイかーさん!」

「全然お父さんのこと擁護してない」



「ファイかーさん!おれ父さんの分まで働くよ!」



 小狼の帽子の上に飛び乗ったモコナは彼の声も真似をして、拳を握る。



「黒鋼とーさんの分まで!!」



 ピッフル国の流れを汲んだ小芝居だったらしい。次は私の番だ、とわくわくして待っていると飛び乗ろうとしたモコナは空中で黒鋼に鷲掴まれ、じゃれ合いを始めた。



「きゃ――!まだ続きがあるのにー!」

「続きがみたいのにぃ」

「誰がやらすか!!」



 黒鋼が逃げ回るモコナを追って席を離れると、ファイはふらりと席を立つ。



「どこ行くの?」

「ちょっと身体を伸ばしにー」

「席、狭いもんね」



 同じ車両には他の乗客は居ない。駅までは好きに席を移動したらいいだろう。

 窓に再び張り付いて外を眺めていようかと思っていると、ファイに肩をつんと突かれたので、大人しく彼に続いてデッキに行く。用でもあるのか、はたまたサクラと小狼を気遣ったのか。揺れるデッキに立てば、ファイが両手を差し出すので首を傾げながら同じように手を出す。



「杖、出せる?」



 頷いてウェストポーチから杖を出すと、ファイの手に渡ったそれが淡く光って、左手の宙に彼が見慣れない文字を描く。描かれた文字と杖が一際強く光ると、杖は溶けるように見えなくなったが、決して消えた訳ではないと分かる。意識して軽く手を握ると、杖は再び現れた。



「……便利」

「でしょー」



 魔法の国、貴重な蔵書を守る番犬、守衛機能。サクラの羽根を取り戻す方法は穏便に済むとは限らない。とはいえ、これまで頑なに魔法を使わずにきたファイなのに。強いたわけでもなければ、真に必要に迫られたタイミングでもない。



「ファイ、無茶しないでね」

「ウィズちゃんに言われるなんてー」

「お互いに」



 私は彼らよりも丈夫にできている。そう言ったところで納得されないことは予想がつくので、折り合いをつけて返せば苦笑される。



「使う機会は無いのが一番だけど」

「本当に」



 杖を消して自由になった手で、ざわつく胸を押さえる。やるしかないのだから。ファイだって、覚悟を決めたのだ。私は躊躇っていられない。

 列車が減速し始めたのを感じ取り、デッキから車両に戻ろうと踵を返すと帽子を取られて、振り向きざまに前髪へ口付けが落ちた。驚いたし、嬉しいような気もするし、少し切ない。髪を整えて帽子を被せられるまで、ほんの一瞬の出来事だった。

 コートで厚みを増している腰に腕を通し、力強く抱きしめる。まだ着慣れていない洋服からは素材のニオイがするだけだった。



「ずっと、一緒だからね」



 ぱっと身体を離し、今度こそ車両に続く戸へ手を掛けた。

 ファイのことも、小狼たちのことも守る。私が傷つくことを憂いる人が居る。それも、忘れないようにして。たとえ過酷な旅だとしても、温もりを与えてくれた彼らに感謝しているから。



「……うん」



 小さく肯定する言葉に勇気づけられ、手を引いて車両に戻ると、小狼も丁度立ち上がったところだったようだ。黒鋼とモコナはまだじゃれ合っているが。



「着いたみたいだよ――」

「まだ遊んでたの?」

「黒鋼ったら、モコナを離さないの♡」

「ああ!?」



「降りましょう」

「はい」



 駅は立派な佇まいなのに人はそう居らず、紹介してくれた職員の言うように、観光地としてはニッチらしいことが感じられる。



「ここかよ」

「ビブリオって都市らしいよー、黒ぽん」



 駅で地図を手に入れたファイが、黒鋼の頭上で彼の声真似をしているモコナへ伝えている。



「……大きい」

「あれが、中央図書館」



 中央図書館も左右対称の作りだ。星と太陽、雲の模様が描かれたドーム型の建物を囲うように一面鏡張りの床が張られている。ドームからは幾本も柱が伸び、その天辺に人間を模した石像が置かれていた。レコルト国では逸話のある偉人たちなのだろうか。あちこちから魔力を感じる。これが守衛機能の気配なのかもしれない。



「感じる。微かだけど、サクラの羽根の感じ」



 建物に近付いていくと、モコナがそう呟いた。一行の表情が引き締まるのも束の間、強風が吹き荒れて一際強い魔力を感じ取る。警戒する最中、次第に現れたその姿を振り向いた。

 高熱を帯びた魔物。翼の生えた巨大なライオンのような姿をしている。牙を剥いて喉を鳴らす態度は私たちを真っ向から威嚇していた。



「さー、中入ろっかー」

「そう、本借りなきゃね――借りるだけー借りるだけー♪」



 すぐにでも攻撃を受けるのではと身構えたが、ファイとモコナは歌いながら階段を上り始める。小狼とサクラはこちらを睨む”番犬”を気にしている。当然の反応である。



「あれが番犬とやらか」

「やー、なんか怖かったねぇ」

「なんだか怒ってたような……」



 気にしている様子のサクラに寄り添うだけの心にもない共感を聞き流しながら、先を歩く小狼の背中に続く。



「分かっちゃったんじゃないかな」

「!?」

「黒鋼が悪いヒトだって♡顔だけで」

「顔かぁ」

「え!?」



 列車内のじゃれ合いに続いて再戦が始まった黒鋼とモコナが館内に向かって走って行くのをファイが「図書館では静かにね――」と手を振って見送っている。なんて呑気なんだろう。長い階段を歩くだけで十分な活動量なのに、黒鋼はここを全力疾走していくのだからその体力はやはり底知れない。

 階段を上がって辿り着いた館内にも石像が立ち並んでいる。蛇のような、ドラゴンのようにも見える生物が柱と交互に並んでいて、図書館というより美術館という佇まいである。真正面はガラステーブルに囲われた受付があり、職員が二人体制で案内をしているようだった。



「記憶の本を貸し出していただきたいのですが」

「貸し出しは禁止されています」



 小狼の申し出に、受付の女性は顔色一つ変えることなく返答した。



「”記憶の本”の原本はレコルト国の国宝書に指定されていますので。この中央図書館から持ち出すことはできません」



 いくら本に盗難防止として魔術を施したとしても、一度職員の目を離れて誰かの手に渡れば、取り返すことは容易ではないだろう。貴重な書物を館外に出さないことは最善である。



「困ったねぇ」



「では閲覧させてください」

「それも出来ません」



 サクラとその肩に乗るモコナに囁いているファイに然して困った様子はない。きっと、こうなると解っていたのだろう。しかし、閲覧も出来ないというのは随分厳重な管理である。



「”記憶の本”には強い魔力があります。過去に国外へ持ち出そうとした者も何人もいました。

 入口の番犬をはじめとする中央図書館の守衛機能がすべて捕まえましたが」

「ということで、レコルト記・三千四年より”記憶の本”原本は閲覧禁止です。勿論複本はありますので、そちらをどうぞ」



「……有り難うございました」



 職員の態度を見るに正攻法では暖簾に腕押し。一旦話し合うべく庭園に退散した一行は、思わずため息を吐くほどである。誰かの手に渡っていたとしても、国宝としてここまで厳重管理されていた前例は確かに無かった。



「どうするの?小狼」



 モコナの質問に小狼は顔を上げる。



「それでも取り戻します」



「どうやって?」

「盗みます」



 小狼らしからぬ言葉に目を丸くするのはサクラである。とはいえ、それ以外にあるまい。元々はサクラのものなのだから。真っすぐな小狼の眼差しに愉し気な黒鋼、今にも口笛もどきを吹きそうなファイ、大喜びのモコナ。



 言い切ってすぐに一行は館内に戻った。人気のある館内を並び歩く。ここまでの大所帯で行動している人は少なく、少しでも騒ぎが起きれば注目を浴びるだろう。



「なんか面白そうな本ないかな――」

「そ……そうですね」



 いつかのように胡散臭さのあるファイの言葉に、潔くぎこちないサクラの相槌が続く。



「嘘くせぇ」

「どこが――?」

「その顔がだよ」

「えー、満面笑顔なのに――」



 わざとじゃないかと思う程ファイの笑顔は胡散臭い。長く一緒にいるから、怪しいと感じるだけなのか。



「ほらー黒たんも笑顔笑顔。じゃないと怪しまれちゃうでしょ――」



 黒鋼の両頬を無謀にも両手で摘まんで引っ張るファイの傍に近付いて、喧嘩をいち早く阻止するポジションにつく。



「わ――嘘くさ――い」



 言われたことの仕返しか、楽しそうで何より。



「……白まんじゅう。刀、出せ」

「だめだよ――刀なんか振り回したら。図書館から追い出されちゃう」

「だったら余計な茶々いれんな!!」



 初めに茶々を入れたのは黒鋼である。たとえファイの演技が嘘くさかったとしてもだ。そして、ファイも放っておけばいいものを、茶化しチャンスを見逃さないから良くない。



「でも、まだ図書館が開いてる時間なのにいいのかな……」

「夜のほうがもっと警備が厳しくなるでしょう。開館中ならあちこち歩いて手も怪しまれません」

「まずい所に入っちゃっても”迷ったんです”とか言えるしね――」



 話しながら歩いている内に、人気のない奥まった列まで来ている。この手のじゃれ合いを大変好むモコナは今集中して羽根の波動を探してくれている最中だ。あっちへこっちへと小狼の頭上で指示を出すモコナに従って私たちは歩いているだけ。



「小狼右行って」

「うん」

「次左」



 本棚はジャンル毎や年代別に分けられているのか、縦横自由に配置されていて、迷路のようにも思える。広い通りから行き当たりまで辿り着くと、壁の前まで歩いた小狼がモコナの言葉で立ち止まる。



「うん、この辺りが一番強い。サクラの羽根の波動」

「何もねぇぞ」

「壁よ、モコちゃん」



「でもここから感じる」



 羽根に関することでモコナが冗談を言うことはない。モコナの言葉通り、壁に手を当てると奥から確かに馴染みのある”サクラの羽根の気配”を感じる。ただ、あらゆる魔力に埋もれるようにしているが。



「ちょっといい――?」



 壁を眺めていた小狼の横から手を伸ばしたファイが、触れた壁から伝うように、横にある本棚へ手を滑らせる。



「あ――これ、魔法壁だよ」

「まほうへき」



「うん。黒っちこの本棚、こっちに動かして――」



 その指示を聞いて、ようやくファイの言う”魔法壁”はからくりのような仕組みかと悟る。



「ああ?なんで俺が。めんどくせー」

「お願い――おとーさん」

「あ、オレの声」



 小狼の頭上でファイの声真似をするモコナに黒鋼が額に青筋を立てる。



「しょうがないなぁ、かーさんの頼みなら」



 今度は黒鋼の声真似である。



「ささ、その怒りを本棚に――」

「くっそ――!」



 列車内から声真似関連でモコナとやり合っていた黒鋼の怒りが本棚を動かす。二百から三百冊程の書籍がぎっしりと詰まった本棚を肩で一押しだ。



「黒鋼様様ー」

「さっすが――」



 先程まで触れることができていた壁は霧となって晴れるように消え、館内に似つかわしくない洞窟に続く道が現れた。



「この本棚とこの本棚で魔法壁を作ってたんだよ――。

 だから、位置を動かすと魔法がズレて壁の向こうが現れる」

「凄いです、ファイさん」

「ん――ちょっとでも魔法の勉強したことあるなら分かるよ――」



 サクラの賛辞に謙遜の体をとるファイだが、当然それが誰にでもできる技ではないと私にはわかる。彼は実力ある魔術師だと初めから分かっていることだ。この手の場面で黒鋼の追求を避けてきたファイなりの誤魔化し方なのだろうが。



「先を急ごう。多分もうバレてる」



「モコナ」

「うん、サクラの羽根こっちにある」



 洞窟は靴音が響く。カツーン、と反響する音はどこまで響いているだろう。

 目立ったブザーが鳴ることも無く先を進んでいくのが余計に不穏である。凹凸のある地面だが整備されていはいるようで、二列になって歩いても十分な広さがあり、道の両脇には入口付近でも見た蛇のような石像が並んでいる。



「国宝だとか言ってた割には入口の仕掛け以外はなんもねぇのかよ」

「そんなワケないでしょ――」



 機械が電気を通されたように、石像がパキパキと破片を落としながら蠢き始める。微かだった魔力がはっきりとした気配に変わる。



「ほら、さっそく登場――」

「登場じゃないよお」



 どこまで並んでいるのか先も見えない石像が順番に動き出すのは思わず詰みを感じる程なのに、呑気なコメントである。

 一斉に動き出す石像は地鳴りのような振動と音をさせて私たちに向かってゆっくりと近づく。



「姫、下がっていてください」

「は、はい」



 モコナはサクラと共に後退し、小狼がその背に庇うように腕を広げた。牙を剥く石像は三体同時に彼を襲うが、蹴り二発で破壊された。ファイが「ぴゅ――♪」と口笛らしき音を出す。



「あ、今ちょっと口笛っぽい音出てなかったー?ね、ね。黒たんってばぁ」

「ちっとはおまえも手ぇ出せ!」



 向かって来る石像を殴り上げたり肘を打ち込んだりと忙しい黒鋼にする話ではない。



「や――小狼君と黒様が対応してくれれば十分かなーっと。ぴーっぴゅ――♪」

「上手になったね」

「えへへー」



 おろおろとしているサクラの傍に立つ。一旦は退いたと思われた石像は次々に動き出し、やがて羽搏く音とともに、飛行タイプのドラゴンも目覚めたようである。



「わ――。ピンチっぽ――い」

「走って!!」



「まあ、相手するより逃げちゃったほうが早いよねぇ。キリがないっぽいしー」



 サクラの手を引いて走り出した小狼の後を追う。後方から食らいつこうと口を開けた石像たちが飛んできている。速さでは勝ちようがないが、攻撃は一辺倒で読み易い。風音に合わせて身を翻せば避けられないことはない。

 一本道を走って暫く、突き当りには波紋の広がる何らかのゲートが見えた。



「モコナ!」

「うん!サクラの羽根に近付いてるよ!」



 その言葉を聞いて一行は躊躇うことなくそのゲートを潜った。暗かった洞窟内から、眩しいほどの陽光を浴びて目が瞬く。後ろから追ってきていた気配は消えていて、数秒で慣れた視界で辺りを見回す。

 一面の砂漠、目前に聳える二対の翼のような建造物。



「玖楼国の遺跡!?」



 声を上げたのは小狼である。



「玖楼国って、小狼とサクラがいた国だよね」

「ええ……」



 モコナの疑問を肯定するサクラに続いて、小狼は動揺を隠せない様子で「戻ってきたのか?」と呟いている。その呟きにモコナは移動していないことを伝えているが、ならばここはどういう場所なのだろう。



「これは”記憶”だよ」



 答えたのはファイだった。



「”記憶の本”の中にある記憶。あの本はサクラちゃんの羽根の力で出来てる。

 だから、本を守る為の仕掛けもサクラちゃんの記憶で出来てるんだよ――」



 見せられている景色が魔法によるものだと分かると、ここで休憩している場合ではないことを改めて悟る。羽根が見せている幻というよりかは、羽根の力を利用して、羽根を守るためにレコルト国の人々が考えた魔術なのだろう。ここでもたもたしていると、きっと先ほどのように襲われることになる。



「ファイ、凄い!よく分かったね!」

「ん――これも魔法の一種だからねぇ。ちょっと勉強してれば、ね」

「さあ」



 過ぎた謙遜は良くない。黒鋼の鋭い視線から逃れたいらしいファイに同意を求められたが、先を歩き始めた小狼とサクラをモコナが追っていくのを眺めて、肩を竦める。



「なんか言いたいことありそうな感じだねぇ、黒りんた」

「……さっきの壁といい、ちょっと魔法をかじったくらいで分かっちまうことが守りになるはずねぇだろ。

 仕掛けを見破るには仕掛けた以上の力が要る。それも魔法とやらは使っちゃいねぇみてぇだしな」

「買いかぶりすぎだよぅ」

「……嘘くせぇ」



 魔法関連に疎いはずの黒鋼だが、その洞察力が全てを見通しているらしい。



「……んとに黒様って、いらないトコばっか見てるんだから」



 黒鋼は間と口は悪いが、要らないところばかり見ているわけではない。嘘くさい態度も、隠し持っている実力も、見えるものが真実か否かを見極める目に長けていることがファイにとっては良いことのように思えた。

 遺跡に触れているサクラが、玖楼国と同じだとモコナに告げてから、取り戻した記憶の断片をぽつぽつと語る。



「遺跡には発掘隊の人達がたくさんいて……みんな良い人ばかりだったんだけど、中でも色んな国を巡っているっていう考古学の先生がとても優しい人だったの」

「……」



 ふと、サクラと小狼の父は面識があるのだろうかと疑問が湧く。各地を旅して小狼に知恵を授けた彼の父と、サクラの言葉が重なって見えたからだろう。



「遺跡に遊びに行こうとするといつも兄様に叱られてたんです」

「発掘途中だし、危ないからかなぁ」

「ええ、それもあったんですけど。……どうしてだったんだろ」



 ファイの予想が間違ってはいないことを肯定しながら”それだけではない理由”を考えているサクラの横顔が引っかかった。



「なんかちょっと不思議な感じだね、この遺跡。道が広かったり狭かったり」



 サクラの肩ほどの高さに座面があるベンチに飛び乗ったモコナを見て、ファイがコンパスのようなものを摘まみ上げた。



「時計かな。ちっちゃいねー」

「へえ……」



 薄い円盤に針がついているそれは確かに見ようによっては時計である。



「サクラちゃんの記憶だから、強く印象に残ってるところが強調されてるのかも――」



 それを眺めているサクラの記憶にはまだ存在しないようで、彼女の言葉が紡がれることはない。しかし、彼女を眺める小狼には思うところがあるようで、時計を覗き込むファイとサクラをぼうっと眺めていた。発掘作業に携わっていた小狼と玖楼国の遺跡はあまりにも関連が深い。きっと、彼とサクラとの思い出がある場所なのかもしれない。この羽根を取り戻しても、その記憶は――



「行こうサクラ」

「あ、はい」



 サクラの手に飛び乗ったモコナが先を急がせた。



「羽根の波動、この下から感じる」



 段差の浅い階段を降りて辿り着いた先は、入口で見た二対の翼を思わせる紋様が床に大きく描かれた広い空間だった。モコナが言い終えるなり、遺跡は激しい地響きを起こす。



「何だ!?」



 眩い光を放つ紋様と、天井から降る破片のどちらにも注意を向ける。ただの床かと思われた紋様の部分が左右に割り開かれ、光が消える。開かれた空間は底が見えないほどの闇が広がっている。視界を埋めるほどの暗闇が思い出したくない記憶を掘り起こす。ここは羽根が見せる玖楼国の遺跡で、私が閉じ込められていた闇ではない。

 吸い込まれそうな感覚が恐ろしくて、そっと下がる。



「真っ暗だねぇ。この下、何があるかサクラちゃん覚えてる?」

「いいえ」

「でも、サクラの羽根の波動、ここから感じる」



 行くしかない。空間の広さを感じさせるように風が通る音が聞こえる。風があるのなら、ここにあるのは虚空ではないということだ。大丈夫。

 小狼がその洞の縁に立つ。



「小狼君!」

「行きます」

「何があるか分からないのに!」



 彼の腕を掴んだサクラが「わたしが行く!」と真っすぐに告げる。この闇に、サクラが。そう思うと恐怖するが、実際彼女にはそれだけの勇気があった。



「姫は待っていてください」

「でも!」

「おれが行きます」



 小狼に迷いがないのは初めからだ。



「……どうして?どうしてそんなにまでして、わたしの羽根を探してくれるの?」



 サクラの手を優しく離した小狼が、私たちに目を向ける。



「姫をお願いします」



 一人で行く気の小狼に、黒鋼が並び立つ。



「この世界にはあの蝙蝠の刀のヤツはいねぇようだからな。だったら用はねぇ」



 黒鋼の口から語られた聞き覚えの無い言葉に疑問が一つ増える。きっと、小狼が覗き見た記憶の一つなのだろう。黒鋼には、探している相手がいるのだ。



「羽根が手に入りゃ白まんじゅうは次の世界へ行くだろ」

「黒鋼さん」

「行くぞ」

「はい!」



 洞に降りて行った二人を今にも追いそうなサクラの肩を掴んだのはファイである。そして、私も行こうかと覗き込むが、腕を掴まれて引き戻される。驚いて見上げるが、視線は合わない。



「ったく、困ったお父さん達だねぇ」

「……」

「わたし……わたし、何も出来ない……」



「出来るよ」



 焦燥感に駆られたサクラの声に被せるほど躊躇いなく、モコナが返す。



「小狼と黒鋼が帰ってくるのを、待ってあげられるよ」

「……うん」



 待つことの辛さもある。望んで送り出している訳ではないから。

 ちら、とファイを改めて見上げれば、視線がかち合った。逸らしたのは私の方だ。一瞬だけ闇に染まる洞を眺めて、向こう側の壁へと目を向ける。



「ウィズ、大丈夫?」



 モコナに声を掛けられて、言葉に詰まる。



「うん、大丈夫」



 サクラとその腕に抱かれるモコナが心配そうに見上げてくるので、微笑んで返す。彼らに心配を掛けるのは”お父さん達”だけで十分だ。



「まあ、座って待ってようかな」

「そうしよっかー」



 震える脚はスカートに隠れてどうせ見えないが、体力を温存するのは悪いことではない。



 とはいえ、地べたに座って待っていたのはほんの数分である。けたたましい警報音と共に景色が揺らぐと、私たちはすぐさま立ち上がって周囲を警戒することになる。玖楼国の遺跡内の景色は溶けるようにして消え、石像たちに追われていた洞窟の中に戻されていた。

 立ち尽くす私たちの横には黒鋼とボロボロになった小狼の姿もある。



「小狼君!!」

「……サクラ姫!」



 いつになく殺気立っていた小狼がハッとしたように駆け寄った彼女を受け止めると、その手に持っていた羽根がサクラに吸われていく。

 倒れ込むサクラを抱きとめた小狼にモコナが飛びついて「小狼手当しなきゃ!」と半ば叫んでいる。



「その前に早く次の世界へ移動を!」



「黒様……?」



 普段ならば、あれだけ負傷している小狼を見て、サクラを抱えるのを代わるのが黒鋼である。遠目から眺めている険しい表情に首を傾げてから、小狼の身体に手を当てる。左手に意識を向けて握れば杖がすらりと出てきた。小狼の肩に触れながら回復魔法を掛ける。



「何だろ」



「図書館の人達が来る!早く!」

「うん!」



 ガバ、と大きく口を開いたモコナが「あれ?」とその口を揉む。



「だめ!魔法陣が出ない!!」

「図書館から本を盗んで逃げたり出来ないように、移動魔法に対する防除魔法が働いてるんだ」

「うん、こっちの魔法もいまいち」



 止血程度にしかならない治療を掛け続けていると、小狼の腕からサクラを取り上げた黒鋼が「行くぞ」と声を掛けてくる。



「本を盗んだのはとっくにバレてる。白まんじゅうが移動できる所まで逃げるしかねぇだろ」

「はい!」



 負傷が激しい小狼の脚すらまだ治り切っていない。杖を握ったまま洞窟を駆け抜け、館内に戻るまではあっという間である。



「やっぱ待ってたか――ぴゅー♪」

「本当に大きなワンちゃんだ……」



 押し開いていた本棚に覆いかぶさる巨大な番犬に見下ろされながら、上達した口笛を呑気に吹いているファイに苦笑する。本棚にかかる鋭い爪の一薙ぎで全員の首が飛ぶだろう。

 物理攻撃に警戒している私を裏切って、番犬が口を開くと熱がじわりと肌を焼く。慌てて目の前から飛び退けば、今まで立っていたところには炎が噴き出された。



「犬、人間、食べる?」

「この国のワンコは食べるのかなぁー?」



「小狼!」

「大丈夫だ!それより本が……!」



 これくらいならば本の心配が先んじるらしい。ちらりと本棚を見やると、本は勿論本棚にも焼け焦げ一つついていなかった。



「本は全然こげてないよ!」

「本を守る為の番犬さんだからねぇ。攻撃魔術も本には効かないようにしてあるんだよ――」



 知識を発揮してくれるファイの心境の変化に思い耽りたいというのに、忙しない状況がそれを許さない。



「……良かった」

「小狼、ホントに本好きなんだね!」



「……」

「黒鋼、平気?」

「……ああ」



 平気じゃなさそうだ。サクラを抱える黒鋼の後ろについて逃げ回りながら、襲い来る炎に水魔法を試みるが、ぽたりとも水が出てこなかった。



「魔法全般弱体化してるかも」

「まんじゅう!刀出せるか!?」

「駄目!出ない――!」

「ぴゅー♪武器にも防除魔術有効か――」



「小僧!足!!」

「はい!」



 小狼の飛び蹴りが番犬の前足を押し退け、体勢を崩した一瞬の隙に一行は入口へ駆ける。



「”記憶の本”略奪者逃走中。逃走中。捕獲しろ!外へ出すな」



 聞き覚えのある声――受付で対応してくれた職員だろう。何となく後ろめたい気持ちになるが、そもそもサクラの羽根はサクラのものだ。そう伝えて彼らが渡してくれたとも思えない。

 いかにも魔法使い然とした集団が飛びながら魔法を飛ばして来るのを身体能力だけで避けるのはしんどい。



「外だ!」

「!?」



 長い階段の先、鏡のような地面があったはずなのに。荒波となっているそこを呆然と眺める私の横で黒鋼は「飛び込むぞ」と言った。



「駄目だよ」

「溶けた!」



 それを否定したファイが、彼の帽子をその海へ放る。煙を上げて溶けた帽子に、ぞくりと背筋が冷える。ここで移動魔法は使えるのだろうか。



「これも防除魔術だよ。ぴゅ――」



「きゃ――!」



 後ろからは魔法使いたちが、海側からは先ほど小狼の蹴り飛ばした番犬が。それが遠くに感じられるほど――横で吹かれる口笛が、次第に魔力を乗せて紡がれていくのを、食い入るように見ていた。



『ピュ―――――』

「!?」



 そよ風が一行の身体を包むように舞って、ドーム型に紡がれたシールドが番犬の吹いた炎を弾く。杖を握る手が軽くなったので、小狼の肩を掴んで回復魔法を掛けると傷が見る見る治癒していく。



「あ……」

「モコナ、次元移動できる」

「この中なら大丈夫だよ――」



 不安げにしていたモコナだが、ファイの言葉を受けて再び羽を出して飛翔する。その足元に広がったのはいつもの魔法陣である。



「出たよ、魔法陣!」



 大きく口を開いたモコナによってあっという間に吸い込まれるのを感じながら、ファイの腕を強く掴む。強張った表情の彼が、また遠くに感じるのはどうしてだろう。

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