ピッフル国


 飛翔する私のマシンに相乗りするサクラは怯える様子を一切見せない。



「わあー!あんなに遠くまで見える!」

「結構飛べたねぇ」



 一人乗り用のマシンなので遠出はできないが、拠点上空を飛ぶ分には問題無かった。狭いシートに二人で並びながら、操作する必要がある場所を説明しながら一通り飛び回る。

 混戦が予想されるレース当日に必要そうな技術も伝えておくべきだろうと、縦回転や横回転、急上昇や急降下を練習する度、地上から呻く声が聞こえるのが申し訳ない。分かっています、この隣のお嬢さんは小狼の大切なお姫様です。



「これがゆっくり止まる方法」

「ゆっくりです」

「これがゆっくり降りる方法」

「ゆっくりでした!」



「おかえりー」

「おかえりなさい」



 見守っていただけなのにくたくたになっている小狼に苦笑してしまう、本番では、見守って居られない訳だが大丈夫だろうか。



「モコナも一回転やりたーい!」

「いいよお、おいでー」

「やった――♡」



 飛び込んできたモコナを抱いて、一旦サクラの様子を見る。



「今のを忘れる前に自分でもやってみよう!」

「一回転はまだ早いんじゃ……!」

「まずは普通に飛ぶとこからだろ」



 黒鋼と小狼が居れば大丈夫だろう。まあ、ファイも見てるだろうし。

 シートに座り、上着の胸元を開けるとモコナはくるりと方向を変えてすっぽり収まる。丸い後頭部ともちもちボディに癒される。私を見上げたモコナの耳がぺろりと首筋を撫でるのがくすぐったい。



「ウィズからファイの匂いがする」



 無言でエンジンを吹かして急上昇する。



「……モコナに隠し事はできないよねぇ」

「うふふ♡」

「モコナに聞いてほしいこと、いっぱいあるよ」



 夜魔ノ国から強くなった不眠のことは、モコナも気が付いていたようだ。経緯と現在の状況を伝えれば、モコナは「そっか」と納得したようである。

 拠点を高く飛んで離れ、ゆっくりと街の方へと滑空させる。もう仲間たちの耳に届く距離ではない。



「ファイの優しさに胡坐を掻かせてもらってるの。だから、昨日改めてありがとー、好きだよーって気持ちを伝えてたの」

「あのね、ウィズ」



 マシンを再び上空に浮上させる。ひゅう、と耳元で風が音を奏でる。ドラゴンフライのエンジン音は、走行次第では人々の耳障りにならないよう静音性が高く、会話を妨げない。



「ウィズが居て、ファイもありがとうって、大好きだって思ってるよ」



 モコナはこういうとき、お世辞や嘘を言わない。旅の仲間たちで一番ファイを理解しているのはモコナだし、そう言うのなら、そうなのだろう。

 私が一方的に好意を抱いていることを伝えたと思って、優しさだけでフォローした訳ではないのだと思う。



「ありがとう。でも、誤解しないで欲しいんだけど……ファイが言葉にするかどうかはそんなに気にしてないの」

「ウィズも、大好きだよって言われたくないの?」



「う……ちょっと、恥ずかしいってのもあるけど……」



 再びふわふわと滑空しながら、拠点方向へと旋回する。



「ファイは、まだ言えないでしょう」

「……待ってるの?」

「もしその時が来たら、ファイがきっと幸せになったんだなーって思うから、私は嬉しいかな」



 ファイの抱えている秘密が解けるまで、その時は来ないだろう。それを力づくで暴くことは私にはできない。昨日彼自身の意志で黒鋼と私に垣間見せたように、自然と解れていくのを待ってあげたい。

 彼が自分の幸せのために、手を伸ばしてくれるのを。



「でも、黒鋼みたいな強引さが必要な時もあるって、ちょっと思ってるよ」

「うん、モコナもそう思う!」

「黒鋼もファイのこと好きよねぇ」

「黒鋼、意外と優しいとこあるの」

「うん、私もそう思う」



 モコナも黒鋼も私も、結局はファイに幸せになってほしいと思う気持ちは同じである。若干一名素直じゃないが。

 拠点が見えてきて、加速してモコナご所望の一回転に続けて急旋回をしてあげる。



「きゃ――♡」

「はは、飛んで行かないでね」

「うん!」



 襟元を引かれる感触で、しっかりと掴まってくれていることを悟る。



「あのね、ウィズ」

「うん?」

「モコナも、ウィズとずっと一緒に居るからね」



 優しすぎるモコナの言葉に、一瞬集中が途切れる。少しだけアクセルを踏んで上空に再び浮上させる。



「……モコナも今日一緒に寝る?」

「やだー、ウィズ、モコナにもエッチな事するつもり!?」

「ちっ……ちがう!ファイにもしてないから!!」



「冗談だよ♡」

「あぶなー……」



 浮上していなかったら幼気な子供達の耳にも入ったし、事故っていたと思う。やつれて帰還した私と元気いっぱいのモコナに、何も知らないファイがご機嫌そうに笑っているのがちょっとムカついた。







 マシンの調整と運転の練習を重ねる忙しない日々はあっという間に過ぎ、一行は花火や紙吹雪の舞う大盛り上がりの会場でエントリーを済ませた。会場は勿論、高層ビルの屋上や窓からフラッグを振る人々の姿もある。老若男女問わずこのレースに注目が集まっている様子だ。



「で、出るんだな」

「まだ上手に飛べないけど頑張ります!!」



 サクラは努力を重ねて十分上手くなった。それを上回る人が周りにいるから実感が無いだけだ。



「頑張るのはいいが、側で見てる奴の事もちったぁ覚えておいてやれ」

「……え?」



 前向きなサクラを引き止めたい訳ではなく、寧ろ応援の気持ちもあるのだろう。あの黒鋼が”いい”とまで言うのだから。同時に、彼女を想う小狼のことも心配してのけるのだから、黒鋼という男は性根が優しい。

 真剣な話を茶化したい訳ではないので、口元をもにょつかせて我慢していたのに、結局頭を小突かれた。何も言ってないのに。



「エントリーして来たよ――」

「よ――」



 ファイとモコナの言葉に、小狼たちが戻ってきたことを悟り私たちは振り返る。



「なんかねー、レースって二回あるみたい――」

「予選と本選の二回ですわ」



 ボディガードを引き連れて現れたのはダイドウジ氏である。今日行われる予選で勝ち残れば本選に進み、本選での優勝者が”エネルギーバッテリー”つまりサクラの羽根を手に入れる事ができると述べる。予選でこの盛り上がりならば、本選はどうなってしまうのだろう。



「と、いうわけで。さっそく撮らせて頂きますわー♡」

「モコナも撮ってー♡」



「……」

「黒鋼、顔こわーい」

「あはははは」



 サクラを超ズームで撮影しているダイドウジ氏と、二人に飛び込んでいくモコナを遠巻きに眺める。あの映像はテレビで放送されるのだろうか。

 主催の彼女はやはり多忙のようで、泣く泣く別れることとなったが、私たちもマシンのもとに行かなければならない。スタッフの誘導に従って向かう場所はレースの開始地点だ。落下時の事故防止のため安全装置を付けられてはいるが、常人ならば足が竦むほどの高所である。そこには蟻のように無数のドラゴンフライが並べられている。開始位置は自動的に決まっているのか、私たちは最前列と二列目に配置されていた。



 開始を告げる音楽が響き、司会が声を張る。



「さあ!始まります!”ドラゴンフライレース”!!」

「今回は豪華賞品の為か参加者も過去最高!

 しかし、この予選で二十位以内に入らなければ本選には進めません!」



 ドラゴンフライレースは技術があっても天候の影響を強く受けるため危険なスポーツという認識をされているようだが、ざっと見ただけで倍以上の人数を蹴落とさなければならないのではないか。この世界に来てひと月も経たない私たちが勝てるものだろうか。いや、やるしかないのだ。十分に練習はしてきた。



「なんか見た事ある顔いっぱいだね」

「え、ええ」



 モコナとサクラが言う通り、見渡すだけで龍王、グロサム、正義の姿がある。春香やカイルと思しき姿もあり、試合前から動揺を誘う。小狼も龍王の名を呼んでは首を振っている。



「なんかこの国は別の世界で会った人に妙に会うなぁ」

「絶賛、気が散ってる」

「集中しろ」



 それが出来たら苦労しない。



「お待たせしました!皆様!時間です!!

 チェッカーフラッグを振るのは我がピッフル国が誇る総合商社”ピッフルプリンセスカンパニー”の若き社長、知世=ダイドウジ嬢!



 ”ドラゴンフライレース”のスタートだ――!!!」



 身の丈ほどの大きなチェッカーフラッグを振り上げた彼女の合図でレースがスタートする。

 参加者のマシンが飛び立つ瞬間はエンジンの轟音が歓声も実況の声すらも掻き消す。



「さあ!豪華賞品を手に入れるのは一体誰なのか!?」



 先頭集団を追うように飛びたい。他のマシンが起こす風に煽られないよう位置取りながら食い付いていく。



「ドラゴンフライ達、綺麗に飛び立ちま……!!

 さっそく一気失格か――!?」



 サクラじゃありませんように。いや、大丈夫。立ち直り方は教えてある。



「いや!持ち直しました――!!」



 後方を確認する余裕はない。というのに、サイドミラーをちらりと見て、遅れて進みだしたサクラとそれに寄り添う小狼のマシンの姿を目視して安心する。



「混戦模様のこの予選、おーっと飛び出して来たのは――!?

 やはり”ドラゴンフライレース”上位入賞常連組だー!」



「っと、続いて飛び出して来たのはー!?」



「ウィズちゃん、速いねぇー」

「う、うん」

「あははは、ガチガチだねぇ」



 だいぶ後ろにいたが、恐らく後方二人の様子を見ていたのだろう。



「今回初エントリーの三人!

 ”ウサちゃん号”、”ツバメ号”、”黒たん号”だー!!」



「なんつう名前つけてんだてめぇ!!」

「ウサちゃん」

「可愛い名前のほうがいいかな――って。オレのほうの名前はモコナが付けてくれたんだー」



 私の方は黒鋼からのもらい事故な気がする。いや、文句を言うのは後で。



 風の流れが変わり、先を行く先頭集団のマシンがブレている。



「突風です!!ドラゴンフライは軽量です!その為風の影響を受けやすい!!」



 上位常連と呼ばれたマシンが前方で衝突している姿を実況が解説している。しかし、前方にマシンがある状態ならば風の動きも読み易い。ひらりとマシンを回して向かい風を避ける。



「よけられるか――!!?」



 サクラが心配だが、この調子ならば実況が全て教えてくれるだろうし、彼女にはモコナもついている。私は、集中していいのだ。



「これはすごい――!初エントリーの”ウイング・エッグ号”見事なターンです!!」



 実況付のサクラの雄姿、私も見たかった。いや、ダイドウジ氏が撮ってるはずだ。



「おお!知世社長にスポットが!?こ……これは!」



 ダイドウジ氏が出るくらいだから、レースの解説があるかもしれない。先頭集団のマシンを数えながら実況にも耳を傾ける。



「今回の優勝賞品、エネルギーバッテリーだー!」



 前方の目立つ塔に光の筋がつながる。



「あの光の指し示す塔が予選のゴールだぁ!」



 なるほど。まだ米粒程の小ささだが、障害物の無い空を飛んでいると方向が分からなくなるので有難い。



「さあ!あのバッテリーは一体誰の手に――!?」



 司会者はモバイルバッテリーに注目を集めるが、ダイドウジ氏が今手にしているらしい物は”模造品”であるという。本物の羽根は優勝賞品ではないのだろうか。



「皆さんが競って下さっている優勝賞品、何かあっては大変ですもの。

 本物は我がピッフルプリンセスカンパニーが厳重に保管していますわ」

「さ、さすが巨大会社を率いる若社長!!」



「って、いきなり後ろからぶっちぎりだ――!強引に飛び出したのは”黒たん号”――!!」

「だからその名前は呼ぶな!!」



 黒鋼が先にいるなら、私も続いていいだろう。アクセルを踏み込みそう遠くないマシンを追う。



「”ツバメ号”、”ウサちゃん号”それに続きます!今回のレース初参加で優勝もあり得そうだー!」



 本当に気の抜ける命名である。まあ、緊張が和らいでいいか。



「さて中盤はどうだ!?おおっと、あれは!?”モコナ号”だ――!!」

「なんだそりゃー!」

「あははは」



 距離が近いのもあるし、黒鋼の声が大きいのもある。小狼のマシンだろう。さっき、サクラのマシンは読み上げられていたし。



「そろそろ先頭集団はー!!ゴ――ルです!!」



 ダントツ一位の黒鋼に少し遅れてファイと私、上位入賞組が続く。残る二人に何かあればマシンで飛んで行きたいところだが、それは不正行為になる。一旦マシンを降りたものの、来た方向を振り向いて逸る気持ちを押さえ込む。



「後十人――!おおっと!どうしたー!?」



 ゴールからマシンが目視できる距離で破裂音を上げて傾き、次々墜落していく。装着されているパラシュートで降りていく人の姿もある。そこに、小狼とサクラの姿はない。



「調整に問題があったか――!?」



 そう言うしか無いのだろう。

 もくもくと煙が立ち込めてきた中から見えてきたのはモコナ号――小狼だ。



「十一人目が入った!」



「やった――」

「……サクラちゃん」



 二十位以内じゃなくたっていいのだ。それよりも、無事でいてほしい。ゴールを喜ぶこともせず振り向く小狼とて、同じだろう。



「すごい煙だ!!巻き込まれると方向を見失うぞ――!」

「後二人!」



「!!」

「サクラちゃんだ!」



 サクラのマシンが煙から出てきたとき、グロサムがゴールし、後一人となった。サクラが無事で居たことを喜んでいる場合ではない。もしかすると、本選にサクラも行けるのかもしれない。

 並走しているのは護刃のようだ。桜都国では友人のように親しかった二人だが――



「サクラちゃーん!!」



 両手を振り上げ、声を上げる。ふと目が合う。彼女は満面の笑みを見せ、ゴールを大きく過ぎて行く。



「二十人目はどっちだー!?カメラ判定です!」



 私には見えていた。しかし、緊張した面持ちで判定を見ているサクラを邪魔したくない。



「最後の一人は!!

 ”ウィング・エッグ号”だ――!!」



「やったねサクラ!!」

「ありがとモコちゃん!!」



「サクラちゃんもさっすが――」



 モニターに映るサクラと護刃は笑顔で握手を交わしている。この世界でも、彼女たちは笑顔を向け合えている。世界が違えば、本当に友人のように続いた関係なのかもしれない。駆け寄ってきたサクラが、私に向かって飛び込んできた。



「ウィズさん!」

「わあ、おかえりぃ」

「私、予選通過できました!!」

「うんうん」



 興奮冷めやらぬサクラを抱き返し、ぽんぽんと背中を撫でる。



「かっこよかったよー」

「有り難うございます!」



「これで予選とやらは通ったな」

「五人ともね」

「後は決勝ですね」



 次を見据えている三人を見て、私たちも表情を引き締めて頷く。

 ダイドウジ氏のご厚意で用意されたお弁当をいただきながら本選の説明を受けた一行は、マシンの損壊も無かったためスムーズに帰宅し、汗や煙や塵だらけの身体をシャワーでさっぱりさせてリビングに再度集合していた。



「五人揃って予選通過ということで」

「かんぱーい♡」

「かんぱーい!」



「よし」

「”待て”させられてたの黒わんわん」

「黒鋼だっ!!」



 乾杯の前に口を付けようとしている黒鋼を渾身の力で止めていた私、それを笑うファイ、キレる黒鋼。大人三人はビールで、小狼たちとモコナはジュースで、小さな祝勝会である。こんなに大変だった一日でも添えられているライムを落として泡を眺める。



「でもサクラちゃん頑張ったねー」

「ありがとうございます」

「モコナも楽しかったージェットコースターみたいで」



 やはり、周囲に沢山のマシンがある環境で飛ぶのは練習とは異なる。予選を無事勝ち抜けたことは勿論、その経験が本選までの練習でも活きてくるだろう。

 サクラがモコナに”ジェットコースター”について聞いている横で、ファイは途中で墜落していったマシンについて触れた。



「ドラゴンフライは調整が難しいらしいですし」

「んーでもね――。後で予選通過した人に聞いたんだけど、あんなにリタイアが多かったのはないって言ってたよ」



「なんか仕掛けでもあったってのか?」

「それはわかんない――リタイア続出したの、オレ達がゴールした後だったしー。

 小狼君何か気付いた?」

「いえ」



 小狼は周囲から飛んでくる他のマシンの破片を避けるのに必死で、気がかりなことは見つからなかったと言う。



「んー、集中してたもんねぇ。じゃあサクラちゃんは?」

「キラキラしてました!」



 にこにこと語るサクラは未だ興奮が冷めやらない様子である。



「キラキラ?」

「キラキラ!」



 サクラの手元にあるグラスを掴み、くんと嗅いでみる。



「やってる?」

「やってるねぇ」



「煙がね、キラキラしてたの!風に乗って飛んでたの!

 その中をびゅーんて飛んだの!!」



 いつぞやのダイドウジ氏を思わせる勢いで立ち上がり両手を広げ、演説のように説明してくれるサクラ。と、同調するモコナ。びゅーん、びゅーんと歌い踊る二人に小狼がおろおろと声を掛ける。



「ひ、姫!?」

「そうだ!飛ばなきゃ!!」

「飛ぼう!!」



「姫!」



 モコナと共に出て行ったサクラを追う小狼という図で拠点の中には大人三人が残る。



「お酒入ってるの」

「小僧と姫には飲ませるなっつっただろ!!」

「モコナじゃない?」

「あははは、そうだね。モコナのにも入ってるー」



 外からエンジンを吹かす音と共に慌てて制止する小狼の声も聞こえてくる。



「だめです!姫!!」

「小狼君も一緒に飛ぼう!」



「わ――!」



 ぷすんぷすんと最近じゃ聞かなくなったエンジンの音が聞こえる。声が聞こえる方向の拠点の壁にさっと物理防御壁を張る。ガラスが割れるような音に次いでガシャンとマシンが落ちた音がした。



「押さえてろよ小僧!」

「お父さんの出動だ――いってらっしゃーい」



 足音荒く外に行った黒鋼を見送ってから、ビールを煽る。



「今のすごいねぇ」

「効いたね」



 どんな些細な物理攻撃でも破壊される代わりに、どんなに強い衝撃でも一撃は耐えるという魔法である。魔力消費の効率が悪いので、使うことはほとんど無いが、こういうのが命綱になるものだ。



「違う世界の魔法って新鮮だよー」

「高麗国の秘術はもっと知りたかった」

「そうだねー」



 ファイは本当によく話をしてくれるようになった。魔法の話だって、以前ならばしなかっただろう。外でサクラとモコナがはしゃいで逃げ回る声、慌てて名前を呼ぶばかりの小狼、黒鋼の怒号が響いている。それを聞きながら、残り少ないビールを眺める。



「ウィズちゃんの魔力の仕組みも、オレは気になるよ」

「そんなに、変わった仕組みはないよ。時間が経てば戻るけど、連続して大きい魔法は使えないし」

「次元移動もその一つ?」



 ファイの追求に、ふと押し込めていた疑問が浮上する。確かに、私を異世界に渡したのは誰なのだろうか。



「……私”異世界”に渡る魔法は使えないの」

「手伝ってもらったって言ってたよねー」



「確かに、私は魔法を使ったけど。誰が、私に……」



 あのとき、襟首を掴まれたような感覚があった。



「まあ、私の魔力だけで、移動した訳じゃないんです」



 考えて分かることではない。私は私にできることをやるしかないのだ。一先ずは、連行されてくるだろうサクラの安否確認とか。



「ごめんね。本当に、分からないの」

「ううん。オレこそ、ちょっと気になって」



 へにゃりと笑うその瞳が、どう考えても不審な私に警戒を一切向けないのが、いっそ心配なくらいだった。



 俵のように担がれているサクラは先ほどまで元気に跳ね回っていたのが嘘のように寝入っている。どかどかと階段を上る黒鋼を小狼が追う。私とファイはマシンを仕舞ってから二階を覗いた。



「酔っ払いのくせになんですばしっこいんだ。おまけに前より早いんじゃねぇのか、酔うの」

「予選通過したのすごく嬉しそうだったから、早めに酔っちゃったんじゃないかなぁ。

 サクラちゃん、本当に一生懸命だったし」



 マシンの方は怪しいが、サクラは至って元気のようだ。疲労も溜まっているだろうとその手を取ってはみたが、ぐっすり眠っているだけ。初めの頃が嘘のように彼女の体力も回復していた。



「寝るぞ俺ぁ」

「おやすみー」

「そうだねぇ。本選に備えて”ドラゴンフライ”の整備しないと。小狼君も寝なね――」

「はい」



 眠るサクラを見守っている小狼の面持ちも穏やかである。

 部屋を辞したのは三人だけで、まだ小狼は出てこなかった。彼女を見守っているのだろうなと思いつつ、私も奥の部屋へと踵を返す。その身体が再度くるりと回って、ぽすんと額を打つのは、ファイの胸である。



「ん?」

「あの、そんな毎日……」



 毎日寝なくても問題ないと言おうとした口を噤むのは、日頃柔和な彼の表情が寂しげになるからで。脅すでもなく、敢えて弱さを出して来るのはこちらの心中読まれているようで、かといって抗えず。あの夜から、この調子である。

 あまり粘っても無駄と気付いてからは物申さず、仲良く手をつないでついて行っている。モコナも初めこそからかうように笑っていたが、結局私とファイが居ても一緒に布団に入ってくれるので、そういうときは一層癒される。



 まあ、いいかといつものように心地よい温もりに包まれた。瞼を閉じても、この匂い、温度、鼓動があれば平気だった。

 今日までは。



 首が詰まって意識が浮上し、ふと匂いが消え、体温が消え、音が消えていることに気付く。目を開けたのに、暗い、いや、黒いのだ。ああ、ここは。そうだ。”どうやって来たのか分からない”ならば、知らない内に”戻される”ことだってあるだろう。生き物の気配がしない空間、寒さもない温度、耳鳴りすらしない無音。自分の輪郭も分からなくなり、自分の呼吸の音すら聞こえなくなる。ああ、でも、寒い。あの温もりが無いのだから。夢みたいだった。こんなに痛いんだ。みんな、大丈夫かな。レースはどうなるんだろう。せめて、羽根が全部集まるまでは見届けたかった。嘘だ。本当はもっと、一緒に、過ごしたくて。吐きそうだ。



「ウィズ」



 ぐらぐらと揺れる視界によれたシーツが見える。薄暗い室内、嗅ぎ慣れた匂い。生きた人の気配。震える身体に寄り添ってくれる温もり。



「大丈夫、夢だったから」



 誰よりも自分に言い聞かせたのだと思う。あれはいつ襲ってきてもおかしくはない未来だが、今見たものだけは、ただの悪夢である。



「夢だから」



 現実があまりにも甘やかで、夢を見るのが怖いだなんて、贅沢だろう。いずれ失う現実だとしても。いずれ襲い来る未来だとしても。今は幸福な現実に居てもいいのだから。



「起こして、ごめんね」

「ううん」



 もう部屋を出てもいいのに、このまま眠るように横たえられて、眠りにつく前よりもしっかりと抱きしめられる。もう、いいのに。



「ウィズちゃんが、どこにも行けないようにしないとね」



 そんなことも、あったかも。ジェイド国のときも、ファイはそういうこと、言っていた気がする。

 本当は私がファイのことを連れ出して、幸せにしてあげたいと思っているのに、いつもままならない。



「どろどろだよ、もう……」

「全然だよ、まだ」

「えぇ……」



 ファイの歴代彼女の行く末が心配すぎる。いや、決まった相手が居なかったのかも。親切心と軟派の大売り出しなだけで。



「笑ってるしー」

「んん……ありがとう、ファイ」



 何にしても、優しさに罪はない。首筋に擦り寄って、落ち着く香りに包まれる。



「おやすみ」

「おやすみ、ウィズちゃん」



 前髪に口付けられたのは分かる。それに安心してしまうから、私はまた眠れた。

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