東京


 降り立った地は荒廃した都市だった。人々の気配は無く、頑強だったと思われるビルですら横倒しになって老朽化している。人が居なくなって久しいのか、はたまた何かしらの災害に遭った土地なのだろうか。空気も、あまり良くない。



「姫は……」

「寝ているだけだ」



 サクラの無事を確認している小狼を横目に、私や黒鋼の視線の先はファイに向いていた。



「何とか逃げられたねー」

「でも、ファイ」



 追求を逃れられないと分かってか、小狼の肩越しに覗き込んで自ら話を切り出したファイにモコナが気づかわしげに声を掛ける。



「魔法は使わないんじゃなかったの?」



 その言葉で、小狼もファイへと目を向ける。ピュー、と口笛を吹くファイは感情を読み取らせない。



「ん――。一応今まで使ってた魔法とはちょっと違ったんだけどねぇ。

 音を使った魔法で、オレが習ったのとは別系統の魔法なんだけど」

「魔力は魔力だろ」



「かなぁ」

「……」



 黒鋼はファイの”嘘くさい”笑顔を見て言いたげに眉を顰めている。確かに、言い訳がましいとは思うが、それがファイなりの精一杯の譲歩なのだろう。



「すみません。おれが図書館からの脱出方法をもっと考えてれば……」

「小狼君は精一杯やったでしょ――。ちゃんと記憶の羽根取って来たし」



 手を出したのは他でもないファイの意志だ。小狼が謝る必要はないと分かるが、彼は平気でいられる性格ではない。

 思案するように黙ってしまった小狼に飛び乗ったモコナが彼の怪我を案じている。



「もうほとんど治してもらったよ。ありがとうございました」

「うん。でも全部は治してないから、また後でね」



 ファイが作り出してくれたドームの中で、一瞬だけ掛けた魔法は実際ほとんどの傷を治しているが、この世界でも戦闘が待ち受けている可能性がある以上、しっかり確認しておきたい。怪我を隠しがちな黒鋼の無事も確認しなくてはいけないし。



「さて――今度はどんなとこかなぁ」



 黒鋼がファイから「頭に血が上がっちゃうよ」と注意を受けて俵担ぎから”お姫様抱っこ”にサクラを担ぎ直したのをモコナに冷やかされながら、一行は廃墟を練り歩いていた。



「しかし何なんだここは」

「壊れた建物ばっかり」



 少なくとも、カフェを開いてファイの手料理に舌鼓を打てる国ではなさそうだ。

 瓦礫を撫でる小狼にファイが「どしたのー?」と声を掛ける。



「この廃墟、瓦礫の角が丸いんです」

「それがどうした」

「風化したにしても、風だけでこうなるものなのか」



 小狼と同じ疑問を抱いていた私も頷いて、どこかで見覚えのある溶け方だと記憶を掘っていると、ぽつりと水滴が瓦礫に落ちた。



「あ!いたい!いたいよぉ。なんでぇ?」



 サァ、と静かに降り始めた雨はどうやら身体に触れると痛みを与えるらしい。



「秘妖の湖、柱溶けてた」

「あ!」

「モコナ、おいで」



 スカーフの中にモコナを押し込んでいると、小狼が倒壊していない建物を示した。



「あの建物はまだ倒壊してないみたいです!」

「黒たん急いで――」

「また走るのかよ」



 確かに走りっぱなしだ。サクラを抱えている黒鋼が文句を言うのは聞き流してあげよう。



「ウィズ、平気?」

「うん、私帽子あるし」

「良かった」



 帽子が無くても平気だが敢えて言う必要もあるまい。



「良かった――あの建物、雨宿り出来そうだよー」



 見上げた建物には見覚えがある。

 日本・東京都庁舎。一度しか見た事はないが、倒壊している近辺の建物とは異なり、そのままの姿で残されていた。いかにも不穏な世界に来てしまったと感じながら、小狼たちに続いて屋内に滑り込んだ。

 丁度雨脚が強まってきて、屋外に見える建物がボロボロと崩れていくのが見える。



「もうちょっと遅れてたら穴だらけになってたねぇ」

「セーフだ!」



「いや、そうでもねぇな」



 喜んで襟元から飛び出したモコナの声に反するのは黒鋼の言葉である。彼の視線の先を追えば、今まで何故気にならなかったのか不思議な程の死体が転がっていた。それだけ、一帯の空気は悪かったのだ。



「ホンモノ……だね」

「ああ……殺されてる」



 瓦礫に貫かれている死体もあれば、弓矢が何本も刺さった死体もある。それを見ていると鈍っていた嗅覚が研ぎ澄まされてしまうようで、嗚咽が込み上げる。



「サクラちゃん、眠っててくれて良かったよ」

「本当に」



 彼らとて人だったのだ。腐臭に顔を顰めてしまうことすら気が引ける。



「モコナ、中に入ってていいから」

「サクラの羽根の波動探さなきゃ」

「……ありがとう。羽根の気配感じるか?」



 小狼の手に飛び乗ったモコナは涙を浮かべながら目の前の現実を受け止めていた。



「分からない。でも、すごく大きな力を感じる」

「どこから?」

「……下」



 探索に向かう小狼の背中を追う。まだ、怪我が治ってないのに単独行動は危険だ。瓦礫に触れながら進んでいく小狼が不意にその場を飛び退く。彼が先ほどまで立っていたところには弓矢が刺さっている。



「なになに!?」



 相手は複数名だ。次々に跳んでくる弓矢を避ける小狼を見ている場合ではない。私を狙う攻撃も紙一重で避けながら、後方のファイと黒鋼のことも心配だ。いや、彼らはどうにかするだろう。目に見えて負傷している小狼の方が――

 弓矢を蹴り飛ばしていた小狼が急にバランスを崩し、ふらついた腿をそのまま弓矢に貫かれる。



「小狼!!」



 モコナの悲鳴に胸がずきりと痛む。動けなくなってしまった小狼を背中に庇い、私は見切りの体勢を取る。



「ここに足を踏み入れたってことは、死にたいんだな」



 聞こえて来たのは若い男の声だった。



「見ねぇ顔だな」

「蹴り格好良かったなー」

「何悠長なこと言ってんの、侵入者よ」

「その上泥棒」

「で、どうする?」



 声を発した者だけで六名。構えられているのはボウガンだ。全てを避けきることはできないが、黒鋼たちと合流すれば勝算はあるだろう。モコナの悲鳴を聞き付けてこちらに向かっている可能性もある。一方で、彼らも奇襲を受けている可能性も。



「神威」



 向こうのリーダーらしい男・神威が目深に被っているローブのフードを外した。黒髪の美しい青年だ。その正体さえ”ただの人間”だったなら目を奪われるほどに。



「……おまえ”エ”か」



 一瞬の間は躊躇ではない。命を奪うことに何の感情も抱かない攻撃がこちらを狙っている。向かって来た弓矢を蹴りで弾けば、こちらを一切見ることのなかった神威の目が向く。やはり、彼は人間ではない。

 他のボウガンも一斉にこちらを向く。今度は小狼を抱えて逃げないと。いつまでも避け続けられる訳ではない。



「おまえら、ちょっとそこらうろついただけでこれかよ」

「黒鋼さん!」

「白まんじゅう、刀」

「うん!出せた!」



 レコルト国で散々魔法が出せなかったモコナは嬉しそうだ。



「手出ししてきたのはそっちだぜ」



「まだいた」

「あの武器もかっこいー」

「どこの区よ」



 前に立ちはだかる黒鋼の背中の、何と頼もしいことか。

 神威を見つけた黒鋼が「おまえが大将か」と言う声色で、やっぱり戦いたいだけらしいと呆れた溜め息を吐いてしまう。



「……」

「偉そうだなぁ」

「神威に勝てると思ってるのかな」

「そりゃ無理でしょ」

「神威とやり合えるなんてあいつしか……神威!?」



 遠く高所から見下ろしていた神威は瞬きの間に黒鋼の懐まで舞い降りていた。息を呑む気配に、後ろに守られていた私も小狼を抱いて飛び退く。構えていたボウガンも手に持たず、素手で黒鋼の身体めがけて手を突き出している動きは俊敏である。その指先が頬を掠めると、僅かに血が舞った。

 抜いた刀を振った黒鋼だが、神威の身体は反動を感じさせず舞い上がり、剣先を左右前後と次々に避けていく。

 着ていたローブを半身脱ぎ去ることで黒鋼の視界が遮られたかと思うと、視認しきれないフェイントをかけた神威が、黒鋼の刀の腹を支柱にして跳び上がり、その腹を蹴り飛ばした。後方に跳んだ黒鋼の身体がコンクリートの壁にめり込んで瓦礫が飛散する。



 とどめを刺すように向かって行く神威に姿、目を閉じる黒鋼。いや、諦めた訳じゃない。黒鋼に限って。



「黒鋼さん!?」



 小狼ですら見ていて堪らない姿に叫んだ直後。躊躇いなく振るわれた神威の手が黒鋼の首筋に。そして、神威の首を今にも斬り落とさんと宛がわれた蒼氷の刃。信じていたとも。しかし、冷えた指先に戻る感覚は致し方ない。



「昇龍閃!」



「神威!」



 渦を巻くように剣戟が噴き上がり、神威の細い身体が後方の瓦礫に打ち付けられる。受け身を取っていたようだが、ばらばらと落ちていく瓦礫はその衝撃の強さを思い知らせる。彼の仲間たちの態度にも焦りが見える。



「来るな」



 一切の動揺を感じさせない声色は神威のものである。未だ肩に掛かったままのローブを翻しながら着地する姿はふらつきもない。ただ、纏う気配は先ほどまでと異なり、所謂殺気に満ちていた。一撃を受けて、本気になったのだろう。



「……痛みを感じてねぇのか」



「やるなあ」

「神威を吹き飛ばしたよ」

「武器ででしょ」

「でもすごいよ」

「何おもしろがってるの」



 複数名いる彼の仲間の内、誰が喋っているのか分からないが、先ほどの焦りに反して悠長な態度である。

 次なる攻撃に警戒する私たちの空気を霧散させたのは、近付いてくる何らかのエンジン音だった。向き合っている神威もその音を感じ取ったようで「来た」と一言、顔を背けて私たちが来た道へ踵を返す。



「タワーの奴らだ」



 私たちの相手をするよりも優先順位が上らしい。

 

「まだ終わってねぇぞ」

「神威飽きっぽいからな――」

「あぁ?」



「終わりでいいでしょ」

「チッ」



 おろおろしている小狼の足元に屈んで脚を確認すると、矢は上手く刺さっているようで動かなければ出血は続かないらしい。



「ちょっと神威!一人じゃ駄目よ!」

「聞いてねぇし」

「ああ、もう!」



 彼らはバタバタと神威を追って瓦礫の向こうに消えて行く。

 誰の目も届かない今のうちに小狼の傷を治すことは簡単だ。しかし、モコナが感じる強い力の所在を確認すべきか、それとも彼らが向かった先を確認すべきか。



「おい、行くぞ」

「はい」



 本当に困ったお父さんだ。飛び込んできたモコナと顔を見合わせてため息をついて、二人の後を追った。

 矢が刺さったままの小狼の歩みを追うのはそう難しいことではない。肩を貸して黒鋼の後を追えば、神威と一人の男が互角にやり合っていた。纏っているローブは違うデザインをしていて、相手が”タワーの奴ら”の一人なのだと分かる。神威によって投げ飛ばされた男は空中で体勢を整え、砂埃を上げながら後退した。その両足はしっかりと地面に着いていて危なげない。



「投げ飛ばされちゃった」

「かっこ悪いな――封真」



「ほんとにな」



 柔和そうに笑って返す男・封真の名を呼んだのは空汰だ。護刃も封真の仲間のようだが、そのやられ様を見ても案じる様子がなく、彼も相当の手練れと認知されていることが分かる。



「客か?」



 ぴたりと目が合うなり、にこやかに手を振ってくる封真が薄気味悪い。小狼と黒鋼の反応を見る限り、この場で誰の知り合いでもないだろうに。



「何手なんか振ってやがんだ」

「……」



「タワーのメンバーじゃないみたいだね」

「とぼけているのかも」



「いや、初対面だ。話を聞く気は……」



 私たちと封真の関係性を彼自身が説明した直後、神威は再び攻撃を開始する。無論、封真に対してである。



「ないみたいだな」



 封真の手には銃が握られているが、それを撃つことはない。撃つ暇がないというのが正しい表現かもしれない。神威の動きは速く、近接攻撃に持ち込まれているし、発砲してもどうせ当たらない。



「封真、タワーから連絡。他の区が攻めて来たそうよ」

「残ったメンバーで何とかしろって伝えて下さい」



「無理みたいですよ」



 無線を手に取ったタワーのメンバーの言葉に戦いながら返事をする封真には余裕があるようにも感じる。

 既に彼の仲間たちはタイヤのないスクーター状の乗り物に乗ってエンジンをかけており、このやり合いにも慣れた様子だ。



「遊んでんと帰らんと、こっちの盗られてまうで」

「仕方ないな」



 退散する気配を察した神威が地面を踏んだ瞬間、その足元に封真の弾丸が撃ち込まれる。追っても撒かれるのだろう。終わりの合図となった銃声音と共に、神威は遠のく姿を見送るだけだ。

 後ろに居た仲間にも、先ほどまで戦い合っていた黒鋼にも見向きせず神威は奥へ進んでいく。



「てめえ素通りかよ」

「任せる。隠れてる二人も」



「!?」



 ファイとサクラの存在にも気付いていたらしい。私たちは一切気にする素振りを見せなかったというのに。



「だとよ」

「困ったね、神威にも」



「あはは、見つかっちゃったねぇ」



 瓦礫の陰から姿を見せたのは長い体躯を小さく屈めていたファイと、抱えられて未だ眠るサクラだ。神威が立ち去り、戦意も見られない他のメンバーの様子に、彼は緊張感もなく小狼の怪我を検分している。



「小狼君また怪我してる――いたそー」



「しかし、地下に何があるってんだ?」

「何言ってるの?」

「とぼけてるにしちゃ本気っぽいな」



 まだ幼い少年がきょとんとした顔をして答えた。



「決まってるじゃない。水だよ」

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