東京


 地下にある水を奪い合っているのは何故か。



「水……」



「どういうこと?」

「水を盗りに来たんじゃないのか?」



 水泥棒と私たちを勘違いした彼らに攻撃を受けたことまでは理解したが、この国における水の貴重さはまだ理解が追い付かない。今まさに外に降っている雨水とは何が違うのだろう。浄水設備が発達していない建造物には見えない。何らかの災害に遭って飲み水にすら困る日々ということだろうか。



「その割には良くわかってないって感じdあね」

「泥棒にしてはぼーっとしてるよ」



「オレ達、ここに着いたばっかりなんですよー」

「どうやって?」

「防雨服はどうした?」

「どこから来たのかな?」



 やはり、あの刺激感のある雨はただの洋服では防げないらしい。草薙の問いに出て来た”防雨服”はレコルト国の洋服より簡素なつくりなのに私たちよりも傷みが少ない。そんな装いの私たちがどのようにこの都庁へ辿り着いたのか、不審に思われているようだ。

 警戒心の強い彼らに何と説明するのが最も信用を得られるのか答えあぐねていると、腕の中にいるモコナが「あのねあのね」と必死に説明を始める。



「モコナ達すごく遠い所から来たの。この国のこと全然わからないの。だから泥棒さんじゃないよ」

「何!?この生き物」

「モコナはモコナ!」



「突然変異なの?」



 モコナの存在はこの世界でも受け入れ難いものらしい。鋭い視線を受けている丸い頭を撫でて抱く力にそっと力を籠める。モコナは私たちの大切な仲間だ。



「それにしちゃ可愛いね」

「いやーん♡」

「それに喋ってる!」



 興味と好意を感じて近づいてくる男性と少年にモコナは嬉しそうにしているのでほっとする。



「霞月、不用意に近づくな」

「もー、那吒乱暴!」



 霞月と呼ばれた少年は、那吒と呼ばれた青年にモコナから引き離される。兄弟なのか、表情は違うが顔立ちがよく似ている。



「……さて、どうするかな。遊人」

「神威は任せるって言ってたけど」



 私たちの処遇を決めあぐねているらしいが、ここまで戦意が無いのに今更戦い合うことになるのだろうか。



「神威が殺さなかったということは、その必要はないって感じたということでしょう」



 彼らの奥に立っていた女性の言葉に彼らは振り向く。草薙はその言葉に微笑んだ。



「地下にあるものを守る為には、手心は一切加えないからな。神威は」



 地下にある水、ここに感じる強い力。調査させてくれる雰囲気ではないが。



「ってことは、無理に始末することもねぇな」

「草薙さん」



「表の死体を無駄に増やすこともないでしょう?颯姫ちゃん」



 事を穏便に済ませようとしてくれている草薙を咎めるような声を出したのは遊人に颯姫と呼ばれた女性である。渋々といった態度で「わかりました」と引き下がった彼女と遊人とのやり取りに、この世界の現実を悟りながら、胸の辺りが重たくなる心地がする。疑わしきは殺すべきだという彼女の考えが救う命だってあるのだろう。甘さが命取りになることは、これまでの旅でも痛感してきた。



「決まったな。行っていいぜ」



 釈放という形にはなったが、私たちの望む状況ではない。捕まってでも羽根の有無を確認したいほどだ。



「この辺りの大きな力、この下からしか感じない」

「ってことは、ここを調べない限り移動できないねぇ」



 モコナとファイが囁きながらやり取りをしている。物騒な国から移動したい気持ちは山々だが、私たちは安穏に過ごすことが目的で旅をしている訳ではない。ファイの言葉を聞いて、彼を見上げた小狼が何か言いたげにしながらも黙っている。



「あの――、色々大変な時に申し訳ないんですけど――」



 ファイがサクラを抱いたまま器用に手を振り、私たちが去るのを待っている草薙たちに声を掛けた。



「あ、この子小狼君って言うんですけど。オレがファイ、こっちが黒たん」

「黒鋼だ!」

「で、ウィズちゃん」

「ウィズです」



「このままだとちょっとつらいんで、治療っぽいことお願い出来ませんかね――」



 未だ矢が刺さったままの小狼の脚を指さしたファイに、那吒が「薬が勿体無い」と拒否する。颯姫も同意見のようで、得体の知れない我々の滞在を好ましくないと意見した。

 反して、遊人は人のよさそうな笑みを浮かべた。



「でも、泥棒でもないのに撃っちゃったしねぇ。神威が」



 その横をさらに一歩前に出て意見したのは、長い前髪で表情の読めない、雰囲気のある女性である。彼女は先ほども神威の判断を信じて私たちへの敵意を示さなかった。



「治療という程のことは出来ないかもしれませんが、どうぞ」

「牙暁」



「牙暁がそう言うなら、まあ安全なんだろ」



 噛み付く那吒に草薙が肩を叩いて宥めている。このメンバーの関係性が見えてくるやり取りである。こうして、彼らは過酷な環境を生き抜いてきたのだろう。



「ありがとうー。

 ……これで時間がかせげるよ。少しだけど」

「はい」



 ファイの囁きに、小狼も小さく言葉を返した。





 草薙を先頭に、メンバーに囲まれながら中へ案内を受ける。瓦礫や煤で外壁よりも汚れて見えるが、中には数えきれないほどの老若男女が居た。彼らは草薙たちとは違って戦い慣れた様子もない。



「す……すみません」

「そう思うならやられるな」



 草薙たちの前で魔法を使うのは控えておいた方がいいと判断し、小狼は矢に貫かれたまま黒鋼に背負われて申し訳なさそうにしている。



「黒鋼だってやられてたくせに」

「やられてねぇ」

「ふ――ん」



「他にも人いたんだね」

「このあたりじゃここしかいられないからね」



 モコナの言葉に答えてくれたのは霞月である。他のメンバーと一緒にいるせいか振る舞いは幼く見えるが、実際は見た目の年齢よりも大人びていると思う。



「攻めてきた奴らはどうした?」

「おっぱらったよ」

「そうか……」



 霞月に声を掛けて来た老人も、彼を心配するよりも状況の報告に安堵した様子を見せている。きっと、腕が立つのだろう。確かに、打ち込まれてきたボウガンはどれも狙いが良かった。



「怪我してない?」

「大丈夫だ」



 道すがら草薙に声を掛ける子供もいて、彼らが信頼を得てこの拠点を守っているのだと肌で感じる。



「ここだ」



 ドアは無く間仕切りにカーテンが引かれている一室は、十分な広さに一台だけ置かれているベッドが物寂しい印象を与える。メンバーのうち、草薙、遊人、霞月の三人がその一室に残った。私たちはこの部屋への滞在が許され、結局は救急箱まで取り出してきてくれた。少ない物資を使わせてもらうことは心が痛む。

 ファイは湿気のあるベッドへサクラを横たえ、黒鋼はその端に小狼を座らせる。救急箱を受け取った私は、小狼の足元でそれを開いて処置の準備を始める。矢尻がしっかりと埋まっていて、引き抜くときにも酷く痛むだろう。救急箱の中には清潔なガーゼは無く、適当な大きさの端切れが整然と収められていて、環境の過酷さを再び痛感する。

 たとえ魔法があっても、刺さったものは引き抜く他ない。それに、彼らの目がある内に魔法を使う訳にはいかないし、早く治り過ぎると”滞在する理由”が無くなって困る。



「ごめんね。いくよ」

「はい……ぐっ」



 引き抜くと共に傷を圧迫する。一瞬じわりと滲んだ血液の温度を感じるが、止血は上手くいっているようで、端切れに血が滲んでくる様子はない。抜いた後の矢尻を観察すると先端はまだ鋭利で、骨には当たらなかったのかもしれない。



「この矢、まだ使えそうですよ」

「肝が据わってるな」



 貴重な物資なのだろう。ハサミを渡す要領で矢尻を握って草薙に差し出すと「預かっておく」と苦笑して受け取った。



 小狼の脚を止血している間に、彼らはこの国の実情について説明してくれた。この地には十五年酸性雨が降り続き、川・池・湖どれも地上にある水が飲み水として使えなくなった。濾過装置もこの雨の影響で使えなくなったが、この近辺に元々ある地下水脈が生命線だった。しかし、酸性雨が腐食させるのは建物に限らず地面をも蝕み、建物が無くなれば地面を伝い、地下の水源も使えなくなる。



「でもこの建物は他に比べてほとんど崩れていないように見えます」

「だからこの地下にある水が貴重なんじゃない。あと、タワーね」



 小狼の疑問に、モコナとじゃれ合う霞月が答えた。都庁とタワーは建物が維持されていて、水がある。タワーは先ほど神威が戦っていた相手の拠点だ。



「もう少し前には他の建物もまだ崩れ切ってなかったんだけど。今ではこの都庁とタワーだけだね、十五年前とほとんど変わらないのは」

「何故か……な」



 都庁と明言されて、いよいよここが日本の東京と酷似している世界だと悟る。



「じゃあ、この国の水はもうここの下と、あの人達がいるタワーっていう所の地下にしかないんだ――」

「国っていっても、もうこの東京23区あたりしか人がいるところは残ってないだろ」

「まあ、言うなればここは”東京”っていう国かもしれないね」

「……”東京”」



 酸性雨によって汚染された”東京”。ここが都庁ならば、タワーとは”東京タワー”のことだろうか。だとしたら、もっと残っている建物があってもいいはずなのに。それを疑問に感じているのは何よりもこの国の人々だろう。

 きっと”何か”があるのだ。



 小狼の傷の出血が落ち着いて草臥れた包帯を巻き終え、救急箱を返却すると毛布まで貸し出してくれた。季節感が分からないが、雨が降り続いている影響か肌寒いかもしれない。

 彼らが部屋を出て行って、一行だけになった室内は静かだ。彼自身も早く休んだ方がいいのに、目を覚まさないサクラを心配して地べたに座って彼女の様子を見守っていた小狼が眠りにつくと尚更だった。



「小狼君、起きたらびっくりするねぇ」

「するねえ」



 抱き上げた小狼を、眠るサクラの横に帽子一つ分だけ開けて寝かせる。身体が熱を持っていて、レコルト国から引きずっている傷の影響で発熱しているのかもしれない。寒がる様子はないので布団を掛けるだけにして、小狼が座っていた地べたに私がすり替わるように座り込む。



「……サクラちゃん、まだ目覚まさないねー」



 ファイに毛布を掛けられながら頷く。今回は少し、長い気がする。



「この国にどれくらいいることになるか分かんないけど、出来れば眠ったままでいてくれると良いんだけど」



 凄惨な人々の暮らしを、外の死体を、見ないまま次の世界に行けたらいいのだが。都庁とタワーの探索は難航するだろう。東京の人々にとって、生きるために必要な水があるのだから。



「小狼君、熱ある?」

「上がるかも」

「オレ、起きてるよー。黒様もウィズちゃんも寝ててー」



「……」

「おーい」



 私が寝る訳が無いとさすがに分かっているだろう。黒鋼の体力は心配していないが、万が一に備えて彼は寝た方がいい。返事をしないでいればファイが黒鋼に手を振って「何か答えてくれないとー」と呼び掛けている。



「ならおまえも答えろよ」

「なにを?」



「あの口笛」



 違う話が始まった。黒鋼がだんまりなのはいつものことだが、振られた話題が気がかりだったために黙っていたようだ。



「高麗国とやらで死ぬかもしれない時でも、おまえは魔力を使わなかった。

 言ってたな。”もとに居た国の水底で眠っている奴が目覚めたら、追いつかれるかもしれない。だから逃げなきゃならない。いろんな世界を”」



 秘妖との戦いの最中、次の世界には行きたいが魔法は使わないファイに問う黒鋼にそう答えていた。あのときもファイは、死ぬことを恐れてはいなかった、



「黒りん記憶力いいねぇ、さっすがお父さん――」

「……」



「つっこんでよう――寂しいじゃない――」



 茶化すファイを構う気はないらしい。黒鋼は伝えるべきか考えているようだが、踏み込むことにしたらしい。



「おまえが罪人で追われてるのか、それとも別の理由があるのか、俺には関係ねぇ」

「黒様らしいねぇ」

「おまえがそう望んでるんだろ」



 黒鋼は断定的に指摘した。



「へらへらしながら誰も寄せ付けないように、誰とも関わらねぇように」



 それはかつてのファイの姿である。あれほど徹底的だったのに、次第にその壁が崩れて、今はもう境界が分からないほどだった。



「だがな、今のおまえは小僧の熱を気にして、姫がこの国の惨状を知ることを案じてる」



 ファイにとって、小狼やサクラは大切な人なのだ。かつての”命に関わらない程度のことならやる”という宣言は、とっくに超えているかもしれない。



「それに前の国で使ったあの魔力」

「……言ったでしょ?オレは死ねないって。だから……」

「おまえは”自分では死ねない”だけだろう。だが、誰かのせいで死ぬなら別だ」



 ピッフル国で、ファイが私にくれた”長生きする”という言葉は戯れのようなものだったかもしれない。ファイがもう死に引き込まれなくなったと確信していた訳ではない。今も尚どこか破滅を覚悟しているファイが、私の手をはっきりと取りはしないことが、黒鋼の言葉を真実にする。



「あのまま何もしなければ俺達は捕まるか、悪くすりゃ死んでたかもな。なのに、お前は自分から魔力を使った」



 死ぬ機会を自分から断った。自ら禁じていた魔力を使ってまで。



「自分から関わったんだ。あいつらに」



 外の雨音が大きくなったように感じるほど、重たい沈黙が続いた。それだけ黒鋼は辛抱強くファイの言葉を待っていた。



「オレは……オレが関わることで、誰も不幸にしたくないんだ」



 胸が、痛む。初めて聞く言葉だった。ファイが関わって、私たちが不幸になるとどうして思うのだろう。本当に、そう思うのだろうか。

 黒鋼と向き合うファイの表情は見えない。立ち尽くし、黒鋼を見下ろす背中だけ。それでも、沈んで硬い声から、嘘や冗談ではないことを悟る。ファイは自分が関わることで誰かを不幸にすることを恐れているのだ。

 続く言葉を待っていると、部屋のカーテンを開く音が聞こえてそちらに目を向ける。



「ちょっといいかな」

「おっと、もう寝てるか」



 遊人と草薙が室内を覗き込んでいた。



「大丈夫、黒様たちが聞きまーす」



 指名を受けて、瞑目する。これ以上を語る気はないのだろう。聞きたいことも、言いたいことも沢山ある。また、逃げられるのか。



「話そらせたとか思ってんじゃねぇぞ」



 立ち上がりざまの黒鋼が、ファイの肘を掴んで低い声で言った。



「いたいよーぅ」

「……言ったな。俺には関係ねぇと」

「うん、聞いたー。だから気にしないでオレのこと……」



「おまえの過去は関係ねぇんだよ。

 だから、いい加減、今の自分に腹ぁ括れ」



 黒鋼には、やはり何も隠せない。二人が眠る部屋に一人取り残すファイが心配で、ちらりと振り返ると、表情を失って立ち尽くすだけのファイが居る。

 今まで、誰かを不幸にしたのかもしれない。これからも、不幸にするかもしれない。それでも、もうファイは自らの意志で関わっている。ボロが出るように関わるのではなく、覚悟を決めろと言っているのだろう。



「寝てるなら外で話そう」

「おう」



 草薙たちの用は、明日の食料調達に同行してもらうという話だった。



「動物を狩りに行く。腕が立つみたいだからな」

「この辺りにそんなのいるのかよ」



 酸性雨によって生態系は破壊されたが、突然変異を起こした動物でも食べられるものが居るらしい。彼らの戦い慣れた様子は、対人戦闘だけで培われたものではないのかもしれない。

 タワーの人々が乗っていたような乗り物が都庁にもあるらしく、一行からは二名選出することになった。順当に行けば黒鋼と小狼だが、小狼はまだ怪我をしている。黒鋼は行くとして、私かファイが同行することになるが。



「メンバーは決まりだね」

「チッ」

「ガラ悪ぅ」



 さっきの今で、ファイが黒鋼と二人きりになりたがるとは思えないし。あとは、探索のため行きたがるだろう小狼の説得ができるといいのだが。部屋に戻るとベッドの傍に座り込むファイの姿があって、ひらりと手を振って「おかえりー」と笑う彼はもういつも通りだった。

 草薙たちからされた話を伝えると、メンバーは明日に小狼の体調を見て決めることになった。



「今日はもう遅いから休もっかー」

「……そうだね」

「……」



 空気は最悪だ。





 ファイと黒鋼は大人しく眠ってくれたし、小狼の傷には回復魔法を一度かけただけだが、あれから熱は上がらずに済んだ。外は薄暗いがそれでも少し白んでいて、夜が明けたことは分かる。



「どうだ」

「いい感じだよ。まだ少し痛むと思うけど」



 活動を始めた黒鋼に返事をしていると、歩み寄ったその腕を掴む腕が背後から伸びて来た。小狼の腕だ。起きたのだろうか。



「小僧……じゃ、ねぇな」

「え?」

「前の国で本を手に入れた時現れた奴か」



 レコルト国の原本を取りに、洞へ降りたときのことだろう。小狼じゃない奴、と言われてその腕の先を辿って顔を覗き込む。



「誰だ?」

「ずっと待ってた……小狼」



「!」



 冷たい、虚ろな目。小狼じゃないという黒鋼の言葉が腑に落ちる。ゆらりと立ち上がった小狼を唖然と眺めることしかできない。小狼の身体だ。血の滲むズボンも、纏う香りも。中身が、違うのはどうしてだろう。



「小狼君とサクラちゃん、起きたー?」



 部屋に入って来たファイも、彼の背中を見ただけで”違う”と分かったのだろう。困惑しながら彼の名を呼ぶ。その呼び声に振り向いた彼は、まだ冷たい目をしているのだろうか。



「……つっ!」



 黒鋼が自身の腕を掴む小狼の腕を掴み返すと、痛みに呻いた小狼がはっと顔を上げた。その表情はもう、いつもの彼になっていた。



「……黒鋼さん、ウィズさん。ファイさん……」



 きょとんとしている彼は、私たちの顔を見ながらその名を確かめるように呼んだ。不安げな表情を押し込んだファイが、いつもの笑顔を繕ってこちらに歩み寄った。



「おはよー。暗いけど朝だよー」



 小狼に体調を聞いて、草薙たちが貸し出してくれたという服を見せてくれる。その中には防雨服もあり、昨夜言っていた狩りのための装備なのだろうと分かる。



「ここにいるつもりなら、これ被ってやって欲しいことがあるんだってー。

 ちょっと大変そうだから、小狼君は休んでて……」

「いえ、行きます。羽根のことが何か分かるかもしれないし」



「無理しないようにって言っても聞かないよねぇ。小狼君は」



 促されて着替えのため別室に消えて行く小狼の歩き方はまだ痛みのせいでぎこちない。



「……あれ、小狼君……」

「じゃねぇな」

「さっきが初めて?」

「いや、前にもあった」



「本人、自覚はないみたいだね」



 以前、小狼が体調を崩して看病をしたとき、小狼の右目にかかった魔法が気になったことがある。



「なんだか……凍ったみたいな目だった」



 小狼の身体がそもそも何らかの魔力や魔法を感じる。それが、小狼ではない何者かと関係があるのではないか。



「二人にお願いがあるんだー」

「あぁ?」

「……内容次第」



 感じない、敵意は。でも、何者かの纏う気配が酷く冷たいことが、この状況を飲み込ませてくれないのだ。

目覚め



 狩りには小狼とファイが行くことになった。黒鋼は折角のバトルチャンスを逃したくないのでごねたが、ファイも譲らなかった。ダル絡みをされた黒鋼がようやく諦めたのだが、残された私も機嫌の悪い彼にはもう慣れっこである。



「……あの野郎」



 左手を思わず広げる。ファイがかけてくれた魔法が刻まれていて、彼がまだ生きているのだと安心できる。



「クローバーで聴いた歌を覚えてる?」



 ちら、と返された視線が肯定している。



『しあわせになりたい あなたとしあわせになりたい あなたのしあわせになりたい
 だからつれてって 遠くまでつれてって ここじゃないどこかへ』



 小さく、呟くように歌うと、黒鋼が鼻を鳴らす。



「他人に頼まず、自分で行けばいいって黒鋼は言ったけど。

 そのくせ、黒鋼は引っ張って行ってくれるから、有難いなーって思うんだよ」



 私がどれほど言葉を掛けても、ファイの胸の内は明かされないことが多い。だから、隣にいたって、分からないことばかりなのだ。



「……私は、誰かの幸せのために、自分の幸せを諦めることが良いとは思わないよ」

「そう言やいいだろ」

「言ったよ。桜都国のときから、何回も」



 何を言わされてるんだ、と思いながらも黒鋼にファイに関する話を続ける。



「何かあるんだと思う。ファイも、小狼も、何かに呪われてる」

「小僧も?」

「前に一晩看病したとき、視えた。右目もそうだけど、小狼の身体そのものから、魔法の気配がする」



「それを、アイツが知らない訳ねぇよな」

「……今、小狼君と二人になった理由は一つじゃないかも」



 私たちを守るために禁じ手の魔法を使ったファイが、小狼にかけられた魔法をそのままにしておくだろうか。負傷している小狼の外出を敢えて引き止めなかったのは、本当に彼の意志を汲んだだけなのか。

 衣擦れの音が聞こえて、私と黒鋼は同時に背後のサクラを振り向く。まだ目を閉じているが、表情は険しい。眠りから覚めつつあるのだろうと思うが、覚めないでいてほしいというファイの願いには私も同意見だ。

 起こさないようにその顔を眺めていると、不意に違和感が湧く。



「おい、姫!おい!!」



 サクラを揺さぶり始めた黒鋼の様子に、私はだらりと垂れるサクラの手を取る。記憶が戻る前のように、ひんやりと冷たい。



「……息、してねぇぞ」



 視線を感じ、一先ず杖を出してサクラの手を握るが、回復魔法が掛かる様子が一切ない。肉体に損傷はない。眠りや精神異常をきたしている訳でもない。でも、死んでいる訳でもない。



「どうなってる!?」

「それは治療で治せるものではありません」



 部屋に入って来た牙暁の言葉を聞いて、私たちは彼女に目を向ける。黒鋼はサクラを抱きながら片手には蒼氷を握っている。



「貴方達は異世界、別の次元から来たんですね」

「何故そう思う」



「夢で視たんです。貴方達が来るのを。

 未来が視えるんです。いつもじゃありません」



 牙暁はこれまでに東京に大きな変化が起こるときに夢を視るといい、神威が来たときにも同じだと説明した。



「……おまえ、夢見か」

「貴方の国ではそう呼ばれているんですか?」

「ああ。結界を張る姫巫女の中に、夢で先を見るのが希にいる。

 その巫女を夢見と呼んでいた」



 もしかすると、知世姫がそうなのかもしれないと漠然と思った。



「その子は眠っています」

「寝てるだけで息が止まるかよ」

「体ではありません」

「体じゃねぇ?」

「眠っているのは魂です」



 何故、魂が眠ってしまっているのだろう。何もきっかけは無かったはずなのに。この世界に来てから、サクラは一度も目を覚ましていない。この国になにかきっかけがあるのだろうか。いや、レコルト国で得た羽根に原因があるのか。

 分からないことだらけだ。



「!!」

「なんだ」



 不意に、牙暁が弾かれたように振り向いた。彼女の反応と同時に、私は違和感だけを肌で感じ取る。



「都庁を守っていた”結界”が……消えた」



 その言葉にはっとする。



「サクラの、魂はどこに?」

「地下です」



 青い顔をした牙暁が走り出すのを見て、私と黒鋼もサクラを連れて彼女を追う。

 現在地から地下までは階層が違う。しかし、下るだけならば然して気にする必要はない。



「牙暁さん、案内してください」



 私は彼女を抱き、左手で握った杖で自分と黒鋼に敏捷の魔法をかける。階段を飛び降りるようにして下りながら、牙暁は地下の貯水槽に何かが起きていて、私たち一行の仲間や彼女の仲間もそこにいると説明してくれた。地下の大扉の前に辿り着く。



「ここだな」

「許可なく武器を持ってこの中には入れません」



 融通の利かないことだ。刀を投げるようにして置いた黒鋼が、サクラを抱いたまま室内に入る。私も杖を掌中に仕舞いはしたが、これを解く術を知らないのだからいつだって出せるのは変わらない。

 階段を滑るようにして降り切ったところには都庁のメンバーたちの姿が見える。後ろで黒鋼が「消えたぞ!!」という声に振り向けば、彼の腕の中に居たはずのサクラの姿が確かに消えて行くところだった。



「おそらく、この水の中にある魂の元へ移動したのだと……」



「黒鋼!ウィズ!!」



 悲痛なモコナの呼びかけに目を向ければ、霞月に抱かれて涙を滲ませる姿がある。



「小狼とファイが水から出て来ないの!!」



 ああ、水に入ってすらいないのに、どうして身体がこんなに悴むのだろう。

 嵐のように巻き上がる渦を前に、黒鋼は躊躇うことなく進んでいく。ただ茫然と眺めることしかできない都庁の人々を押し退けるその横に並び立つ。そのとき、あちこちに水滴は飛散し、中に居たのだろう人間の姿が目視できる。

 壁に四方八方根を張る巨大な繭の枝に座り込んでいる小狼。ファイは意識もないのか地面に伏している。二人共、血だらけだ。



「……なん……だ……」

「は、あ」



 ハアハアと荒い呼吸が自分のものだと気付くのに随分時間が掛かった。震える足は迷いなく二人のもとに進む。



「小狼君、いま、なに」



 今、彼が何かを口にした。血まみれの手で口にした何かを、咀嚼した。もう一方の腕は意識のないファイの襟を掴み、まるで人形でも連れているように引き摺っている。

 ダラダラと広がる血だまりの中心はファイの顔だった。



「ファイ?」



 小狼は歩けるだけの元気があるらしい。ファイはでも、駄目みたいだ。どうしてそんなに乱暴に連れ歩くのだろう。見て居られなくて、随分下にいる二人のもとへ飛び降りる。

 駆け寄った私を真っすぐに見つめるその二つの目が、左右で違う。でも、どちらもよく知った色だった。



「目が……青い……」



 黒鋼の声が、遠いはずなのによく響く。両手を差し出し、ファイをまず受け取ろうと微笑みかけることにした。



「小狼君、ファイを」



 返事をしない彼が、ファイを乱暴な所作のまま目線の高さまで持ち上げて、その顔にもう一方の手を伸ばす。



「”やめて!!”」



 魔力を帯びた声が、小狼の動きを静止する。目を見開いた彼が私に視線だけを送る。ぴくりと動くだけの彼からファイの身体を強引に預かって、震えながら後退する。どくどくと私の肩に血液が流れていくのを感じる。身体が冷たいのは、水に浸かっていたせいだろうか。

 私に向かって蹴りが繰り出され、それを受け止めたのは黒鋼だった。



「下がってろ」

「……うん」



「右目も貰う」



 眼球を失った場合の対処なんて、知らない。持続的な回復魔法を掛けながら、ファイの体力にまだ余力があることを確認する。



「魔力の源は両の蒼い目。両方取り出せば用はない」



 私に目線が剥いていることは分かっている。小狼はファイが――ファイの目が欲しいのだ。でも、渡す訳にはいかない。きっと、それを”小狼”も望んでいない。

 こちらに飛び込んできた小狼を、黒鋼が投げ飛ばすのを見ると、じくじくと胸が痛む。黒鋼だって、小狼を傷付けたい訳じゃない。



「腕が……」

「折れた音がしたぞ」



 腕から壁に打ち付けられた小狼は、痛がる素振りも見せずに姿勢を正す。



「体の痛みを感じていないみたいだ」

「……心の痛みも」



「小狼……黒鋼……ウィズ……ファイ……」



 モコナの悲しみに染まる声が、小狼に聞こえているだろうか。



「おまえ……小僧じゃねぇな。”気配”が違う。けど、違う奴じゃねぇ」

「羽根は取り戻す。必ず」



 その言葉は、小狼の意志に違いない。しかし、その温度は、小狼のものではない。

 宙に向けられた小狼の指が、スペルを描く。見覚えのある文字列、ファイの魔法だった。きっと、強力な魔法が放たれるだろう。

 黒鋼にファイを押し付け、私は杖を握る。自分に防御力を強化する魔法を掛け、小狼を見据えた。爆発音と共に瓦礫と爆風が吹く。使い慣れない魔法は直撃しなかったらしい。



「ファイの感じがする、今のファイの魔法なの?」

「こいつの魔力も喰ったのか」



「羽根を取り戻すために、必要なものは手に入れる。

 邪魔なものは消す」



「こいつは……!」



 一切の感情を乗せない小狼の声に、黒鋼の熱を帯びた声が返す。



「おまえとあの姫の為に変わったんだ。

 お前たちが少しでも笑ってられるように」



 黒鋼はよく見ているのだ、本当に。いけ好かないと思っていても、少しずつ間違っていくファイを、いつしか彼らの幸せを支えたいと思うようになったファイを。



「聞こえねえのか、小僧!!」



 黒鋼の呼びかけに次いで、場の響いたのは”何者か”が現れる魔法の発動音だった。魔法陣に浮かび上がる人物は、知らないはずなのに同じ顔を、知っている。



「小狼君……?」



 装いは違う。見慣れない紋様の装束を纏った、左目に眼帯をあてた小狼が、青い右目の小狼と対峙した。



「みんな……!」

「サクラ!!」



 輝く繭の中、サクラの姿がある。彼女が私たちを呼ぶ声も聞こえて、目覚めてしまったのだと感じる。ファイの願いは叶わなかったな、と思うと同時に黒鋼の腕の中に居る彼の青白い顔に目を落とす。



「どういう事だ!?」



 ファイの左瞼に手を宛がい、回復魔法を掛ける。失った右目は、戻らない。小狼から、取り戻さない限りは。



「ファイ、起きててね」



 ぴくりと眉が動いたのを確認して、その頬を撫でる。多少の痛みがあった方がいいときもあるのだ。回復魔法を一旦止めて、小狼たちに目を向ける。



「心の半分。おれが昔、おまえに渡したものだ」



 青い右目の小狼から、眼帯の小狼へと陰陽模様の――心がふわりと渡って、吸収されていく。サクラの羽根が戻るときのような、まるであるべきところに戻るように。



「一度封印が切れたものを、その魔術師がおまえに戻そうとしたんだな。その奪われた右目と共に」



 小狼の心と、ファイの魔力の目を渡して、彼は――小狼を、留めようとしたのか。



「けれど……切れた封印はもう、どんな方法を使っても戻らない」



 やはり、ファイは分かっていたのだろう。確信したのは今朝だったのだろうか。私たちに、それを伝えなかったのが、彼らしくて、痛い。



「魔術師は分かっていたはずだ。それでも賭けたんだろう。可能性に」



 眼帯を外した小狼が、青い右目の小狼を睨む。見た目も、声も同じなのに、何もかもが違う二人だ。

 私たちを呼ぶサクラの声が、繭を叩くサクラの痛ましい音が聞こえてくる。



「おれはおまえの右目を通して、ずっと見て来た。おまえが出逢った出来事や人達を。

 あのさくらを一番大事だと思ったのは”おれの心”じゃない!おまえだろう!!」



 青い右目の小狼が、装束の小狼に攻撃を始める。体術で、魔法で、手段を選ばない彼に対して防戦一方だった装束の小狼も、蹴りを繰り出す。その体術も、見覚えがあって。



「刀!」

「え!?」

「刀出せ!!」



「は……はい!」



 霞月の腕から緋炎を出したモコナだが、その刀は青い右目の小狼のもとへ飛んで行く。彼の元にはスペルが刻まれていて、恐らくは魔法で緋炎を引き寄せたのだろう。



「!?」

「黒鋼に刀渡そうと思ったのに、小狼に魔法で緋炎取られちゃった!!」



 すらりと魔法によって鞘が抜かれ、そのまま一振りされると炎が渦を巻いて襲って来る。小狼の、緋炎の剣戟だ。



「小狼君!!」



 炎は装束の小狼だけに留まらず、離れていた私たちをもその熱に包み込んだ。ファイを抱く黒鋼ごと抱え込んで、炎から彼らを守る。



「きゃあ!」

「崩れるぞ!」



「サクラ!黒鋼!ファイ!ウィズ!小狼――!!」



 降り注ぐ大小様々な瓦礫に視界を埋められながら、モコナが私たちを呼ぶ声が、燃え盛る炎の音に紛れて痛ましいと思った。

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