阪神共和国
顔を洗い髪を整え、歯を磨いて水を飲む。昨夜は眠気からか寝支度をほぼ無感動に行っていたが、スッキリした朝の頭は逆に何かやり残したことがあるかもと不安で居心地が悪い。
嵐が洋服をいくつか貸してくれた中で、歩きやすい靴に合って活動しやすいものを選んだ。前の世界では数回しか履いたことのないズボンである。前の閉じるところにはチャックがついていて、こんなところにも文明を感じる。ファンタジー世界には現代的な洋服もあったが、とても高価だったのだ。
朝早くからいい香りがすると思っていたら、初めに居たサクラと小狼の部屋に集められ、彩りのよい朝食が朝から活気溢れる空汰によって並べられていくところだった。小狼は少しでも眠れたのかすっきりとした顔をしている。装いは洋服に変わっていて、こうしてみるとただの少年である。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよー!」
微笑みと共に返って来た丁寧な挨拶に再び関心する。また、今日もモコナはまるまるすべすべとしている。
未だ眠り続けているサクラの傍に寄り、許可を得てまた手を握る。温かく、脈も落ち着いていて、まるでただのお寝坊さんといった穏やかな寝顔である。早く目が覚めて元気になりますようにと願いを込めて両手で握り直した。きらきらと光る魔力が吸われ、幾らかでもそれで回復できているようだとわかる。
「おはよ――」
ガチャンと音を立てて玄関扉が開き、昨日と変わらぬ無表情の黒鋼と、その奥からファイの間延びした挨拶が聞こえてくる。三人分の返事にへらりとファイは満足げである。彼らもまた着替えを済ませて洋服姿になっており、怪しげな一行の雰囲気は無い。
「いい匂いだね――」
「嵐が用意してくれたんだって!」
「朝から有難いですよね」
丁度食事は揃ったところで、嵐が小さな炊飯器を持って部屋に来た。
「お代わりはご自由にどうぞ」
「ありがとうございます」
「いただきまーす!」
「美味しそうです」
小狼、モコナに続いて私も素直な感想を感謝と共に伝えると、柔らかく微笑んだ嵐が頷いて退室していく。容姿端麗なのは勿論だが、彼女の笑顔には思わず胸が高鳴るような魅力がある。空汰が昨日黒鋼に言い付けていた、手出し無用のからかいは実際本気なのだろうと思わせる。
昨日のやり取りからか、我々の素性を”知っている”からか、箸だけでなくスプーン・ナイフ・フォークなど一見要らなそうな食器も揃えられていて、気遣いが細やかである。その恩恵を感じているのはファイのようで、他三人が箸を手に取る中、彼は少し小首を傾げてからフォークを選んでいる。
「嵐さんは本当に気遣いが細やかですよね」
「ね――ウィズちゃんの国は”おはし”があるの?」
「お箸もスプーンも、どっちも使いますね」
「本当にオレたち色んな文化圏から来たんだねえ」
和洋中様々な文化圏を織り交ぜられた前の世界ではあらゆる食器が使われていたが、日本では本来箸が主流だった。私の灰色の髪や紫色の瞳が、ファイから見ると文化圏が近いように感じたのだろう。黙々と食事を勧める黒鋼の慣れた手つきを眺める。どちらかというと、私の文化圏は彼と近しいのかもしれない。
嵐が用意してくれたご飯のお代わりを全て食べ尽くしてから、一度各自の部屋に解散して下宿の外で集合することになった。 空汰の勧めもあり、サクラの羽根を探すために街を探索する予定である。彼は仕事へ、嵐は宿でサクラの様子を見ていてくれるという。小狼はその言葉を受けても不安げにしているが、ずっと傍には居られないということを理解しているようで、何か言うことは無い。
「その白いのも連れていくのかよ」
「白いのじゃない――モコナ――!」
「モコナが白いのならこのひとは黒いのだよね――」
飛びつくモコナを拒否するものの払い落すことはしない黒鋼を、その肩に乗るモコナをつつきながらおちょくるファイ。前途多難である。
その横では空汰がモコナの存在について、この世界では”ありがちな光景”と捉えるだろうと言う。サクラの羽根を感知できるモコナを置いて行くわけにはいかないし、この国に生きる空汰がそう言うのだから、置いて行く必要もない。
昼食代としてカエルのがま口財布を小狼に託した空汰へ、黒鋼が目を細める。
「なんでそのガキに渡すんだよ」
「一番しっかりしてそうやから!」
「どういう意味だよ!!」
困惑する小狼に対して”しっかりしてそうにない”認定を受けた私たちはもう少し慎重にならなければいけないのだが。異論なしと頷く私と笑うだけのファイ、不満げな黒鋼という顛末である。
通勤・通学と思しき人ごみ、大小様々なビル、目を惹く広告。下宿を出てからの景色はこの世界に落ちて見た夜の景色とはまた違う賑やかさがある。
「小狼君はこういうの見たことある――?」
「ないです」
少し振り向いたファイの視線を受け、私は無いことは無いか、と頷く。私の横を歩く黒鋼に、ファイは変わらぬ笑顔を向ける。
「黒たんは――?」
「た……」
「ねえよ!んでもって妙な呼び方するな!!」
黒たん――
黒鋼の怒る横顔をその呼称を反芻し眺めていると、あまりのミスマッチと怒号に目が回る思いだ。とうとう目を向けられなくなった頃、道行く女子高生と思しき二人組がモコナを見て所謂「かわいい〜」といった笑いを向けるので、黒鋼が愉し気に指摘する。
「笑われてっぞおめぇ」
「モコナもてもてっ!」
「モテてねぇよっ!」
まあ、確かにモテとは違う。女子高生の”かわいい”に深い意味はない。思いがけず黒鋼のツッコミは的確である。当てもなく街の様子を練り歩いて観察していると、余程暇そうに見えたのか八百屋の店主から引きとめられた。彼が売りたいのはリンゴらしい。
小狼の国の林檎は店主の持つものと異なるようで、その特徴を聞いた黒鋼が「梨だろ」と言い、梨と聞いた小狼の説明にファイが「ラキの実でしょ?」と連想ゲームをしてどんどん脱線していく。
売りたくて声を掛けた店主は焦れているようで、見ていてこちらが落ち着かない。黒鋼の横から店主の前に立ち四本指を立てる。
「4つください」
「え!?」
「まいど!」
困惑する小狼へ支払いを頼み、受け取ったリンゴを三人、そしてモコナに渡す。
川の流れる橋の上で三人は一旦リンゴを食べることにしたようだが、モコナはまだ手に持ったままだ。
「ウィズは要らないの――?」
「うん。まだお腹いっぱい」
「ありがと!」
一口で噛まずに丸呑みしたモコナを眺め、この身体は異次元へつながっていそうだなと観察する。
「リンゴ一つでも、全然違うんだねぇ」
ファイの言葉に改めて実感し、頷く。小狼が自分のリンゴを器用に割って、大きめの一口を分けてくれる。まったく優しい子だ。本当に空腹ではないのだが、礼を言って食べる。”日本”のリンゴと同じ味がした。
ファイが話を次元の魔女のもとへ移動した方法について切り出し、小狼へ質問する。
「おれがいた国の神官様に送って頂いたんです」
サクラと小狼、二人を同時に移動させるのは大変なことだとファイが評する。
「ウィズちゃんは?」
「……手伝ってもらった、感じです」
「へぇ――黒りんは?」
「だからそれヤメろ!」
自分自身、異世界に移動する方法なんて知らないのだから、誰かの手を借りたのは事実だろうと予想している。そして、テレポートを唱えたタイミングで移動したことも間違いない。理解できている範囲での説明は確かに不足があるが、ファイはそれ以上言及することはなく黒鋼に話を向けてくれた。
「うちの国の姫に飛ばされたんだよ!無理矢理」
「悪いことして叱られたんだ――?あははは」
「しかられんぼだー!」
黒鋼は簡潔な説明だったが、指を差して笑うファイとモコナは大喜びだ。
「てめえこそどうなんだよ!」
「オレは自分であそこへ行ったんだよ――」
「だったらあの魔女頼るこたねぇじゃねぇか。自分でなんとか出来るだろ」
「無理だよ――オレの魔力総動員しても、一回他の世界に渡るだけで精一杯だもん」
異世界に誰かを渡すには想像以上の魔力を要するため、ファイの予想では一度きりのものだと言う。だからこそ神官は、サクラの羽根を探し複数の世界を渡り歩くため、それを可能とする次元の魔女・侑子のもとへ送ったのだ。
ファイの言葉を受け、手元のリンゴを見つめる小狼は思案に耽っている。彼の背負うものはあまりにも多く、その真意を察することは困難である。
小さく「さくら」と呟いた彼の声色から想いを汲み取るより早く、喧騒を切り裂くような悲鳴が思考を断ち切る。
群衆は地面より高く視線を集めていて、その先を追えばゴーグルが印象的な集団がビルの上から私たちの立つ辺りを見下ろしていた。周囲を確認している内に少し距離を置いた前方から、ビルの上の集団に吠える声が聞こえる。
「今度こそお前らぶっ潰してこの界隈は俺達がもらう!」
後ろ姿が群衆の合間から覗くだけだが、何やら敵対関係にあるらしいこちらの集団もまた作業着に帽子を被って、仲間と見て分かる服装をしている。
何のやり取りかとゴーグル集団の出方をみると、挑発的に親指を地に突き立てて見せている。わかり易く喧嘩が始まる合図のようである。
「またナワバリ争いだ!」
「ヒュー、かぁっこいー」
横で呑気な野次を飛ばすのはファイだ。人々が彼らを遠巻きにしている中、警戒を強めている様子はない。あれだけ昨日今日と強面の黒鋼を相手にのらりくらり笑って構うだけの肝が据わっている。
ゴーグル集団の挑発に帽子の集団はボルテージが上がっている。
「このヤロー!特級の巧断憑けてるからっていい気になってんじゃねえぞ!」
巧断という言葉に胸元がざわめく。昨夜の夢を思い出す。光る亀、この世界の者には必ず憑くと言われた巧断。彼から悪意は感じられなかった。彼が私のこの世界での手立てだというのか。
ビルの上から降りてきたゴーグル集団が着地よりも早く何らかの生き物を出し、帽子の集団と共に光線を撃ち合う。見たことのない生き物が攻撃し合う様子に、“大阪”と“阪神共和国”の大きな違いを実感する。全く規格外の差異である。
「あれが巧断か」
「モコナが歩いてても驚かれないわけだーー」
平然としている二人は異質だ。撃ち合いは激化しており、関係のない民間人にも攻撃の余波が飛散している。“また”と人々が言うように日常茶飯事なのか、時にある事件なのかはわからないが、治安がいいとは言い難い。本当にこの国に来たことは幸運と言えるのかーーいや、考えるのは後だ。
全員とコンタクトを取り一度引き返そうと周囲を見ると、モコナがいないことに気が付く。
「モコナ!?」
「あ?」
「モコナが居ない!」
この騒ぎでどこかに逃げたのならいいが、巻き込まれて怪我でもして、いや、あんなにか弱いのだからーー
「チッ……お前は自分の心配をしとけ」
足元にあたる水飛沫と程近くで響く爆発音に焦りを押し殺し周囲を警戒する。逃げ惑う人々の中で出遅れた少年が目に留まり、私が行くよりも早く前方にいた小狼が飛んでいく。少年の頭上に落下していく看板から庇うように飛び込んだ小狼の背中から噴き上がるように炎があがる。看板は燃えて跡形も無くなり、炎が収まると同時に無事を確認できる。
駆け寄ろうとしたところを、肩を引かれて止められる。びくとも動かず、睨むように振り向けば小狼の様子を見ていた黒鋼の目が一度だけちらりと私を見下ろした。すぐに視線は逸れる。そこで初めて、私はまだ戦う術を失ったままだと思い出し、脱力する。私には黒鋼のように鍛えられた身体もないし、小狼のような瞬発力を持っている訳ではない。自分の巧断が何なのか、今の自分にできることが何なのか、改めて考えなくてはならなかった。
浅黄笙悟と名乗ったゴーグル集団のリーダーらしき人物に対し、小狼は何故か撃ち込まれた追加の一撃を凌いで尚毅然と立っていた。小狼の傍には炎を纏う四つ足の獣が守るように寄り添っている。暫し睨み合ったかと思うと、浅黄たちは到着した警察から逃げるように撤退し、小狼の巧断も燃え盛っていた炎が小さく収束し彼の胸元に吸い込まれるように消えていく。
戦いが一時落ち着き、小狼の無事は見て分かるのでいち早くモコナを探さなければならない。こんなことならば、モコナにもっと触れておけば所在を探すくらいの役には立ったのに。魔力による探知はまったくの素人だが、よく知っている相手を辿るくらいならばできる。あまりにも迂闊で無力を実感する。
小狼たちとはぐれないよう、傍からは離れず周囲を見渡すと程近いところで女子高生たちに愛で回されてご機嫌なモコナを発見できた。手を振れば返してくれるので、こちらを見失ってはいないようだ。
ならば深追いはしまいと、小狼が救出していた少年をファイの後ろから覗き見る。中華風の装いをした双子のようにそっくりな連れの子供が風のように掻き消えるところを見て、彼もまた巧断だったのだと悟る。小狼が困惑し思わず声をあげているのに対して、ファイは柔軟に納得しているようだ。この手の不思議には魔法使いの方が慣れているのだろう。黒鋼も声は上げないが目を丸くしている。しかし、先ほどの戦いにおいて巧断は沢山見たが、ここまで宿主と瓜二つの、人間に模した巧断は初めて見る。
「そういえば、うちの巧断みたいなのはどこ行ったのかなぁ」
のんびりとしたファイの声にハッとした様子の小狼がモコナを呼んで辺りを慌てて見回すが、黒鋼は熱心に探すこともなく「踏みつぶされてんじゃねぇのか?」と興味のない態度である。私は所在を知っているので、女子高生の群れにそっと近寄り小さくモコナを呼ぶ。
「モコナ、見失ってごめんね。戻ってきてほしいな」
「ウィズ!迎えにきてくれたの?」
「うん、おいで。みなさん、モコナを見ていてくれてありがとう」
女子高生たちからモコナを貰い受け、胸に抱えてとりあえず笑顔を向ける。
「いやされましたぁ」
「かわいいですねーー」
「モコナ、モテモテ[V:9825]」
アイドルと化したモコナを引き剥がすように彼女たちにぺこぺこと頭を下げて踵を返す。手を振ってお別れをしたモコナを小狼たちのもとへ連れて行くと、ファイがモコナにどこにいたのか確認している。どうやら黒鋼の上にいたようだが、騒ぎの中で転落してしまったらしい。不満を訴えられている黒鋼はどこ吹く風といった態度だ。
状況を説明したモコナは小狼の手に飛び乗り、糸目を“めきょっ”と見開いてみせた。
「モコナさっき、こんな風になってたのにーー!」
「さくらの羽根が近くにあるのか!?」
「さっきはあった、でも今はもう感じない」
真っ先に反応したのは無論小狼である。しかし今は反応が乏しくなり、誰が持っていたかまで分からなかったという状況を確認し肩を落とすのも彼だ。モコナも先程までの上機嫌からは一転、俯いて悲しげな表情を見せる。
ファイは冷静に“さっきここにいた誰か”という大まかな条件に絞り、それを聞いた小狼は顔を上げ気持ちを持ち直したようだ。
「近くの誰かが持ってるって分かっただけでも良かったです。また何か分かったら教えてくれ」
「おう!モコナがんばる!」
小狼の言葉にやる気を出したようでモコナは胸を叩くような仕草で応えた。二人はいい関係性だな、と傍目に思う。両者ともに人柄がいいのだろう、気持ちのいいやり取りだった。
「黒っちがモコナ落とすから悪いんだぁー」
「なんで俺のせいだよ!ってゆーか、その呼び方ヤメろ!」
飽きもせず言い合いしている大きい人たちとは正反対である。
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