インフィニティ


 降り立った地は炎に包まれていた。燃え盛る炎が建物を焼いて爆ぜる音、僅かな生存者の苦痛に咽び泣く声。



「どうして、どうして……あの羽根さえなかったら、あいつも……来なかった。

 こんな事にはならなかったのに……!!」



 美しい衣装も煤と血に塗れて一層の悲壮感を強めるばかり。女性が”羽根を求めた者”への恨みを紡ぐ。羽根はきっと富をもたらし、人々はそれを手離すことを快く了承はしない。私たちは真摯に向き合うよう努めてきた。しかし、これまで全てがそうだった訳ではない。レコルト国では、奪い取って命からがら逃げたばかりだ。

 羽根によって起きた悲劇と一言で語れば間違いはない。その羽根が”誰かの大切な記憶”だと人々は知らないからだ。立ち尽くすサクラの肩にそっと手を振れると、彼女は首を振った。あなたのせいではないのに。この世界を蹂躙した小狼の責を僅かでも負おうというのだろう。



「次の世界に、行こう」

「……」



 人々の痛みを刻み込んでいるようにも、ここでできることを探しているようにも見えた。私たちの知る小狼ならば、きっとそうするから。高麗国に降り立って、荒らしてしまった売り物を誰より早く片付け始めたのも、彼だったな。



「あいつだ!羽根を奪って逃げた!!」

「この国をめちゃめちゃにした!」



 瓦礫の上にいる私達を見上げるように、小狼に指先を突きつけたのは子供達だった。きっと、彼らにも喪ったものがあるだろう。投げられる礫を避けられない訳ではない。



「返せ!みんなを返せ!!」



 受けるべき憤り、痛み。そう思っているのだろう。目を閉じ、ただ礫を受けるべきと受けていた。彼ではない、小狼への怒りを。



「モコナ」

「う……うん」



 サクラが小狼の前に飛び込む。それを見ながら、私はモコナに声を掛けた。



「次の世界へ、お願い」



 今度こそ、世界を渡る決断をした彼女にも、礫がきっと当たっただろう。きっと、これ以上の痛みを、この世界の人々は受けたはずだ。



「……ごめんなさい」



 サクラが呟く。この世界の人々に、代わりに礫を受けた小狼に。ああ、朝食を食べなくて良かった。きっと、吐いたと思うから。





 亡国は一つではない。転々とした世界で、小狼が通って行った国を見た。ここにはまだ彼が訪れていないようだと、分かるほどには。

 脚の傷が治癒していないサクラを休ませるための拠点が必要だった。酒場にはギャンブルで荒稼ぎをするサクラに、ファイと黒鋼を残した。私と小狼はモコナと共に羽根の情報を探すため、酒場を出る。

 ここはインフィニティと呼ばれる世界で最大の観光都市らしい。誰もが一律にその豊かな恩恵を受けられる訳ではないのだろう。路地にはゴミと人間の腐臭が漂い、金や薬を求める声が疎らにも聞こえる。



「小狼君、平気?」

「ああ」



 襟元に隠れているモコナは、限界だろう。一帯でも比較的治安のいい区画に目途を付け、私たちは酒場に戻った。



「どうだったー?」

「東側の区画はまだ過ごしやすいかな」



 入居者を堂々と募っている住宅はないが、空き家はありそうだった。目をつけた付近の店をもう一軒周り、伝手を作って部屋を借りるのには苦労しなかった。何せ、サクラの稼いだお金がある。酒場の方でも情報収集をしていたようで、知識を擦り合わせるとこの国の実情が大抵掴めて来た。

 インフィニティの実権を握っているのは事業家のビジョン家。表向きは明るい会社だが、その裏では後ろ暗い組織――マフィアだという。この国では違法とされている賭博が盛況のようで、賞金をかけて”チェストーナメント”が毎夜開催されているという。



「どうにか入り込めたらいいけど」

「出りゃいいだろ、そのトーナメントとやらに」

「……」



 酒場で食事は済ませてきた。今夜は一旦保留として、各々休むことになった。借り手がいなかったという家は宿として時折貸し出していたようで、程々に清掃されている。十分な広さがあり、四つあるベッドルームにはそれぞれベッドが、リビングには革張りのソファもあり、ここでも一人眠れるだろう。



「黒鋼、ベッド使った方がいいよ。関節バキバキだもんね」



 先手を打ってぼふんとソファに転がりながら言うと頬を遠慮なく抓られた。痛すぎる。

 次々装備を外していく私を見て渋々引っ込んでいく黒鋼と小狼。サクラはもっと渋ったが、モコナを押し付けると彼女も下がっていく。



「ファイ、サクラちゃん見てきてあげて」

「……そうだね」



 ゆらゆらとバランス悪く歩く彼女を支えて部屋に消えたファイを見送ってから、私はソファに広げた装備をそのままに、洗面所で蛇口を捻る。少し出が悪かったのは一瞬で、そのあとは冷水が出てくる。顔を洗って嗽をして、明日の買い出しにお金がどれほど要るだろうと考えながらリビングに戻る。

 そこには既に戻って来ていたファイの姿があって、散らかし放題のソファの上、荷物を寄せた端に座っていた。言葉もないのに、促されるようにして隣に座る。もう一人、間に座れるくらいの距離感だった。



「……寝ないの?」

「ウィズちゃんが寝たら寝るよ」

「そこ退いてくれたら寝るけど」



「ベッド使って。オレ、ここで寝るから」



 黒鋼も小狼も納得したのに、こいつ。



「こんな所で寝たら落ち着かないでしょ?」

「それはお互い様」

「……私は寝なくてもいいの」



「眠らないで、食べないで」



 びくりと肩が震える。低い声が、咎めるような温度を含んでいたから。



「オレも、そうしたらいい?」



 息が詰まる。ファイは、関係ないのに。私のせいで、そんな選択をさせるくらいなら。



「だ、め」



 ぴくりと跳ねて伸ばしかけた手を強くソファに押し付けて、握る。



「ベッドで、寝るから。ご飯も、食べる」



 広げた荷物を手早くまとめ、上着を抱えて逃げるように部屋に走った。酷い脅しだと思った。顔を見ることもできないまま、後ろ手に扉を閉める。荷物ごとベッドに横たわり、ぽろぽろと伝う涙の意味を考えていた。もう、何も分からない。

 目を閉じたって、閉じなくたって。もう、恐ろしくてたまらなかった。







 インフィニティに来て二日目の夜。サクラが稼いでくれたお金で日用品が揃った家には、少し生活感が出た。

 外食中心の都市のようで、食材は種類が多くないとファイが話していたのをぼんやり思い出しながら、自分の皿に盛られた食事を少しずつ飲み込む。出来合いの食事は塩気と油が多くて、美味しいといえば美味しいが、好みの味付けではない。

 それでも、食べ進めなければならない。私が口に入れるたび、同じテーブルを囲うファイが一口食べ進めるから。私が手を止めれば、彼の手も止まる。目の前で交わされるインフィニティやチェストーナメントに関する情報に集中できない。どれくらい食べればいいのだろう。お腹なんて、空いていないのに。



「ウィズさん?」

「……どうした」



 サクラと黒鋼の問いかけに無言で首を振る。口の中にある食材が、飲み込めない。グラスを手にして、流し込もうと口に含む、途端。ああもう駄目だ。席を立って背中を向けながら、そのままグラスにぶちまけた。ああ、食事中に、申し訳ないな。

 すぐに立ち上がったサクラが背中を摩ってくれるのが申し訳なくて、首を振る。もう一度吐く。もう、何も無いのに。



「ご、めん」



 一旦謝って、無事にグラス内に収まった吐物を持ってトイレに向かう。後ろに続く気配を悟り、すかさず鍵を閉めた。グラスの中を捨ててしゃがみこみ、込み上げる胃液に呻く。ああ、ゲロって魔法で止まるのかな。胃の辺りに手を添えて回復魔法をかけてみると、多少はマシかもしれなかった。

 どうして吐き出してしまったのだろう。記憶を辿れば、あの塩気と油の味が戻って来て、再び嗚咽する。でも、美味しかったはずだ。一口進める毎に、目前で鏡のように食べ進める手元を、飲み込む姿を、思い出して嗚咽する。ああ、そうでしょうね。最悪の脅し、拷問みたいな食事。喉を通る方が不思議だ。

 胃の中に何も無いのならば、あとは記憶から消すだけだ。滲んだ汗を拭い、レバーを引いて吐物を流す。扉を開いたその横で、壁に凭れて立っているファイの目線を受け流す。横を通り過ぎるとき、掴まれた手を見つめてから、顔を背ける。



「うがい、してくるから」



 両頬を掴まれると、半開きの口が重なる。う、と小さく呻いたのは私の声で、目を見開けば金色に染まる隻眼に覗き込まれる。正気だろうか。べろりと口の中に残る吐物を絡め取られ、再び嗚咽する。ぼろぼろと流れる涙が、グラスを持つ手に落ちた。



「う、ぅ」



 崩れ落ちるように座り込んだ身体を追われるように口付けたまま、嗚咽しながら絡む舌にただ翻弄される。ごろん、と転がったグラスが音を立てる。唇が離れて、額をこすり合わせられる。しゃくりあげているのが、涙のせいか、嗚咽のせいか分からない。頬を伝う涙を、べろりと舐められる。ざらりとした感覚が、吐物が頬に擦り付けられたことと、その吐物がファイの口の中にあったものだと悟らせる。

 もう一度近付いた唇が、離れていく。脱力する身体を抱え上げられた直後、リビングに続く扉が開く。



「着替えさせて、休ませてくるね」

「……大丈夫か」



 助けて、と言おうとした口が、ファイの肩に押さえ込まれて塞がれた。震える身体をそっと抱き絞められて、黒鋼とは終ぞ目を合わせることすらできなかった。

 当然のように服を剥かれシャワールームに押し込まれれば、大人しくシャワーを浴びる他はなく、口の中に残る吐物もそのままシャワーで流した。買ったばかりのシャンプーとボディーソープを使えば、身体だけはさっぱりとした。

 真新しいタオルで水気を取り、下着から寝間着まで用意された物を身に着ける。今更とは思いながら歯を磨いていると、今更なノックと返事を待たずに入室する姿がある。



「……ありがとう」

「声、掠れてるねぇ」



 誰のせいだろう。まあ、でも。もう、自業自得なのかもしれない。



「ファイも、歯磨きしたら」

「そうだね」



 横に並び立つ距離は、触れ合うほど近い。壁際に寄ったのは無意識で、とんと触れ合う反対側の肩が熱くて――怖い。



「調子が悪いなら、無理しなくていいのに」



 でも、食べないと。

 うがいを済ませて、出て行こうとした腰を引き寄せられ彼のうがいも待たされる。置きっぱなしのタオルで口元を拭ったファイが、私の身体を抱き上げた。



「ウィズ、大丈夫?」

「大丈夫だよー」



 心配するモコナの声に返事をするのも、私ではない。寝室に入ってもまだ降ろされない。鍵を掛けられる音に、びくりと身体が震える。布団を捲って、彼も一緒に滑り込んでくる。



「い、い」

「んー?」

「……だい、じょぶ」

「大丈夫じゃないでしょ」



 温かい温度も、匂いも同じ。声だって、同じはずのに、違う。



「おやすみ」



 どろりと、重たい、声。どうして、違うの。







 彼女はどうしてもオレを拒絶しない。それが焦燥を掻き立てるのに、仄暗く満たされる心地にも胸が掻き乱された。彼女は、オレを生かそうとしなかった。あれだけ共に生きたいと願っていながら、生きてほしいと願いながら、その選択をしなかった。それはオレの願いを悟っているからに他ならず、その諦めの良さが痛ましい。

 サクラちゃんが躊躇いなく口にした思いを、彼女は吸血鬼の血を受けた自分にはもう伝えられないのだろう。それは彼女自身に”生かし続ける”力があり”生かされてきた”からだろう。無理矢理に生かされれば、黒鋼のように拒絶することだってできたのに、彼女がそうしなかったことが、自分の立ち位置を曖昧にさせる。



 サクラちゃんを庇護することはどちらにとっても正しく在れるのに、彼女にはそう在れない。薄々気付いているだろうに、彼女は引いた一線を越えることはせず、目を背けることもしない。目の前にある距離を寂しげに眺めるだけで、いっそ、非難してくれたら。とは、誰が願えるだろう。散々、目を瞑ってくれる彼女に救われた。



 従順な彼女を、飽くまでもこの旅の駒として。嘘でも、優しく触れてあげたいのに。恐怖と悲しみに染まる目を見ると、上手くできない。







 チェストーナメントに出場し、賞金を前の世界の復興費用にあててもらう。侑子と通信を繋いで行われた取引だ。羽根を追ってくるだろう小狼を待ちながら、復興のための費用を稼ぐ。その間にも、きっと小狼は数多の世界を蹂躙しているだろう。鼬ごっこだろうと思いながら、サクラが言い出したことである以上、反論はできなかった。

 伝手は既に作ってある。ルールを確認した一行のうち、出場するのは私とモコナ以外。マスターとしてサクラが、駒として他の三人が出場することになった。チェスではマスターの精神力に駒の動きが左右される仕組みになっており、精神力で私がサクラに敵うはずもない。怪我をして帰宅する可能性を踏まえ、私はモコナと留守番をして必要時に四人の治療にあたる形になった。

 しかし、メインのトーナメントが開催されるのは二か月後。直近なのも困るが、既に身体が仕上がっている一行には時間が余るほどだった。トーナメントに向けて武器を調達したり、資金調達をしたり、やろうと思えばすることは沢山ある。気が急くのは、こうしている間にも世界が滅んでいく感覚があるからだった。



 体調は、よくは無いが。悪くなるような身体にはなっていない。二日目に嘔吐してからというもの、ファイは再びキッチンに立ち始め、貴重な食材を食べやすく調理してくれる。問題なのは食事の内容ではないと、彼だって分かっているはずなのに。だから、これはままごとのようなものだ。

 家にいると息が詰まるようで、一人でふらりと外出したことがある。それはいけないことだったらしい。まるで、脱走を諫められる愛玩動物だ。四六時中見張られて、また自分の胃に回復魔法をかける羽目になった。一人になるとファイに絡まれるから、私はできる限り誰かと過ごすようにしていた。モコナがいればモコナを抱くし、くつろいでいる黒鋼が居ればすぐ隣に座った。



「何があった」



 ファイがシャワーに消え、サクラはモコナと自分の部屋で休んでいる。小狼が手洗いにでも消えたタイミングで、黒鋼が聞いて来た。私だって聞きたかった。



「もしかしたら……」



 インフィニティに来た初日、寝食を疎かにしていたことを咎められてからだろうか。自分なりに努力して眠ったし、食べていた。それが十分じゃなかったから――いや、関係、ないだろう。私が、ファイを避けているから、なのか。黒鋼は何が聞きたいのだろう。



「おめぇまでおかしくなるなよ」

「それって、貴重なデレかな」

「っんとに余計なことしか言わねぇな」



 そうだ、しっかりしないと。靄が掛かっている頭を振る。状況はそんなに悪くないはずなのだ。様子がおかしいのは、サクラとファイだけ。二人が何を考え、何をしようとしているのか、見逃さないようにしなくてはならない。

 サクラはこの世界で何かを為そうとしている。寄付以外にも、トーナメントの開催を待っている理由がある。それを念頭に置いて、日々彼女の機微に目を配らなければならない。

 ファイのことを考えると、頭が痛くなる。離れたと思った距離感が急にまた詰まって、それなのに何か一物抱えたまま。彼もきっと、悩んでいるのだろう。どう接するべきか”納得のいく形”を探している。自分にする言い訳にハマる形を。



 では、私は何をするべきなのか。



「あれ、小狼君はー?」

「用でも足しに行ったんだろ」



「ふーん。じゃ、先に寝よっかー」



 手を取られながら、ちらりと黒鋼を見れば”さっさと行け”とでも言わんばかりにひらひらと片手を振られる。協力するつもり、皆無らしい。



「おやすみ、黒鋼」

「おやすみー」

「早く寝ろ」



 黒鋼語の”おやすみ”に癒される日が来るとは。扉一枚に遮断されただけなのに、まるで別の世界に来たように静かだ。夜に脱走してからというもの、ファイが別室で眠ることは無くなって、自分で自分の首を絞めたようなものだ。

 それは、これからも。どこまでも、自分の首を絞める。

 先に布団に入って、いつもは顔を伏せて眠る体勢になるところを、まだ身を屈めただけのファイに向けて腕を伸ばす。隻眼が見開かれ、薄暗い街明かりを蒼い目が散らした。



「ファイ」



 ゆっくりと瞬きをして、首をそっと引き寄せる。ゆらゆらと揺れる色が迷いを隠せていないから、抱き締めながらそっと囁く。



「痛くしてくれる?」



 ぴくりと震えた身体が、強張って、ゆっくりと解れていく。



「髪、伸びたね」



 長い髪が私とファイだけの小さな世界を作ってくれる。ゆらゆらと揺れる蒼い瞳がぽろりと落とした滴が、私の目尻に落ちた。濡れた垂れ気味の目元を辿って、涙の痕跡を有耶無耶にする。

 何もかもが変わってしまった訳ではない。これまで過ごした時間は現実で、交わした想いは真実だった。臆病な私たちは言葉を交えることができなくて、冷たく暗い感情に沈んでいる方が余程楽だと思うこともある。それでも、自分の大切な人が同じように沈んでいることは見ていられなくて、手を伸ばす。



「ファイのこと、私が食べるんだからね」



 不意をつかれたように乱れた呼吸を感じ取り、僅かな距離を引き寄せてそっと口付ける。また同じ距離だけ離れて、背中に潜り込んだ腕に引き寄せられて人形のように抱き締められた。絡みつく両腕が、一切の隙間を埋めて温度が溶け合う。一つになっていくような感覚が心地いい。



「大好きだよ。ファイ」



 縋るように抱き返して、微かに震える背中を指先で撫でる。優しすぎて、脆い。可哀想な人。私はその弱さをとっくに愛してしまったのだ。



「だから、痛くしてね」



 優しさも、痛みも、悲しみも、恐怖も。全て、鮮烈に。私に刻み付けて。

 抱き締められた身体が、きしりと音を立てた。

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