インフィニティ


 最終試合には緊張感を帯びた一行が現れた。関係者以外は立ち入ることのない会場のチェス盤のような舞台の周囲にはモニターが浮かび、高所に位置する試合の様子が観察できるようになっている。いっそ目立つだろう漆黒のローブを目深に被りながら、私はそのモニターをイーグルの側近たちと共に眺める。

 試合直前、ファイの誘導を受けながらマスターの席まで歩くサクラが放った言葉がぐるぐると脳内を占めている。



「ファイさん」

「なぁに?」

「言ってくれましたよね。わたしの望み通りにと」

「それが我が姫の望みならば」



「じゃあ、たった今これから。自分を一番大切にする、と約束してください」

「……サクラちゃん」



 ローブの下で握る杖は、ファイに魔法を掛けてもらったものではない。もっと上等な、これまでの旅で作ってきた――いや、今までで一番高品質な杖だ。なみなみと身体の中を巡る魔力を感じながら、私は二人のやり取りを経て、彼らの挙動を注視していた。



 イーグルの提案により最後のチェスは互いに一人の駒が選出されることになった。サクラ側からは小狼が、イーグルが駒として選出したのは機械人形(オートマタ)である。まるで少女の容貌をしているが、表情はなく虚ろな眼球は確かに人形じみている。



「ありゃ多人数戦闘用だぞ、まだ子供の相手に……!」

「子供だとしても己の意志で戦う事を選んだんだ。今ここで負けるなら、先に待つ更に大きな壁を越えられない」



 機械人形が駒として選ばれることを知らなかったのだろう。ジェオは狼狽している様子だが、ランティスはイーグルの意図を理解しているように冷静である。しかし、その言葉はさらに未来を予見しているようにも聞こえる。



「ランティス……?」



 ジェオは困惑したように彼の名を呼ぶが、始まった試合をモニターで眺めるランティスは返事をしなかった。

 機械人形の動きは機敏で、少女の容貌と油断すれば一撃で命を落とすほどの力をも兼ね備えているようだ。攻撃を受け流すことしかできずにいる小狼がどうにか反撃を繰り出し、一撃加えたかと思えば”痛みを感じない”故にその蹴りを受けながら脚を掴まれ、吹き飛ばされている。

 戦闘用の機械人形はなりふりを構わずその腕で小狼の剣を受けるが、ばりばりと電気を散らす様子をみるに、少しずつダメージは蓄積している様子がある。治癒したはずの傷すら開き血に汚れた小狼に対して、ふらつく様子も見せない相手の姿は戦意を欠くはずだ。



「目を、目を……閉じてろ。おれを見なくていい。

 ただ勝つ事だけを考えろ」



 焦りを隠せないサクラの心情が今誰よりも伝わるのは駒としてサクラと繋がっている小狼だろう。彼の言葉にサクラは小狼の名を呼び、目を閉じた。



「さすが。”彼女”を望むだけはある。

 まあ、それも当然といえば当然なんですが」



 機械人形は高く飛翔したかと思うと掌中を光らせ、盤上全域に及ぶ光線を放った。



「あんな機能使うなよ!怪我じゃすまねぇだろ!」

「イーグルは考えてやっている」

「手加減してるって!?」

「いや、本気だ」

「だから本気でやったら死ぬっつってんだよ!!」



 側近たちとイーグルの関係性が見えてくるやり取りだ。それぞれ重んじるものが違うのだろう。ジェオの怒気に構うことなく、ランティスは黙っている。

 モニターに目を戻せば、小狼は剣を構えて攻撃から身を守ったようで、怪我を負ってはいないが剣先の震えから衝撃の大きさを悟る。高所から舞い降りながら小狼を狙って着地する機械人形の攻撃から避けたかと思えば、横に回避した小狼の身体は間髪なく繰り出された蹴りに吹き飛ばされる。

 ふわりと微かに漂う魔力にモニターから意識を浮上させる。出所はファイだった。彼は試合に集中している様子もなく、しかし身体が強張っている。ここ数日、ぼんやりとして上の空なファイの様子が強まっているようにも見える。そこに、サクラの先ほどの言葉”自分を一番大切にしてほしい”と――きっと、ファイかサクラの身に何かが起こる。

 黒鋼の顔がファイに向いたかと思うと、その肘を強く掴んだ。はっとした様子で彼の方を見たファイを黒鋼が睨んでいる。睨む目が、私の方をちらりと見た気がして、目深に被るローブの下、見えるかは分からないが口元だけで笑っておく。もうすぐ、魔力が限界に届く。



「次で……決着をつける」

「はい」



 盤上の戦いも終わりが近い。小狼の言葉に、目を閉じたままのサクラが応える。彼の身体は傷だらけだが、その目は鋭く光を宿したままだ。心の強さはどちらの”小狼”も同じ。それがサクラを傷付けたし、安心させたはずだ。



「雷帝招来!」



 機械人形の放った光線に、小狼は真っ向から剣を振った。鍔迫り合いのように波動がぶつかり合い、小狼の剣がぐっと光線を押し込んだように見えた直後、盤上には光の柱が伸び衝撃波が階下までをも揺らす。

 光が消え、周囲を焼く煙も晴れると二つの人影が立ち尽くしている姿が見えてくる。



「まだ続くのかよ!」



「……いや」

「終わったな」



 ジェオの焦る声に反し、ランティスと――黒鋼の声は冷静である。

 凛と立っていたはずの機械人形は立っているのがやっとという様子から、ぐらりと後方に倒れ込む。それが地面に打ち付けられる前に支えたのは、マスターの席から降りたイーグルである。

 虚ろな目で膝をついた小狼の元にも、制御の鎖から解き放たれたサクラが駆け寄る。



「小狼君!!」



 正面から、彼の名を。サクラは呼ぶようになった。ぼろぼろに傷ついた小狼の肩を支え痛まし気に声を掛けるサクラに、小狼が微笑みで返す。



「……有り難う、小狼君。それから……」



 彼女の言葉の続きを遮るようなタイミングで、盤上より高く、機械人形が降りて来た天井から光が差す。長い髪の人影がゆっくりと舞うように降りてくる。黒いドレスを身に纏う――機械人形だ。



「チィ……?」



 それを見上げるファイの声は戸惑いに満ちている。



「次元移動能力を備えたこの国唯一の機械人形です。

 ”彼女”が貴方を他の世界へ連れて行ってくれます」



「……やっぱりな」



 黒鋼は予想がついていたのだ。相変わらず鋭い男である。機械人形に手を伸ばすサクラの身体もふわりと浮き上がる。一度きりの次元移動、サクラの狙いはまだ分からない。ただ、それを遮るだけが正解ではないことだけは感じ取っていた。



「姫を放すなよ!」



 サクラの手を握った小狼に黒鋼が吠える。一人で行かせてはいけないと彼は思うのだろう。サクラを止めるだけならば、私にとっては造作もないことである。



「ウィズ、ちゃん?」

「黒鋼、私をあそこに投げて」

「チッ……しっかりやって来い!」



 小石でも投げるように放り投げられた先、小狼がサクラを次元移動から引き離すように阻んで言い合っていた。サクラは私を見て驚いた表情をしたものの、沈痛な表情で首を振る。



「……放して。止めないでください」

「おれがいるからか?」



「違うの。貴方のせいじゃない。

 でも……行かなきゃ。間に合わない」



「ちゃんと説明してくれないと、うちの人達は納得しないよ」



 時間が無いことは分かっている。しかし、何の相談もなく独断でこの騒動を引き起こした彼女に、伝えておかなくてはならなかった。



「私も、ね」



 サクラを囲うようにしてもう一体現れたのは装いが異なるものの、機械人形と見目が全く同じ人影である。それぞれから一枚ずつサクラの羽根が引き出され、彼女の身体に吸い寄せられていく。小狼の身体はサクラから引き離され床を滑っていくが、私はまだサクラと触れ合える距離にあった。彼女の手を取れば、指先がひんやりと冷えている。



「サクラちゃん、何を視たの?」

「ウィズさん、知っていたんですか?」

「ううん、今分かったの」



「まさか、そんなはず……!だめ!!」

「気を付けて、ちゃんと帰ってくるんだよ。待ってるからね」



 サクラの手を握り、籠めたのは魔法ではない。魔力は、蓄えたままにしなくてはならない。羽根を吸収したサクラの身体には芳醇に魔力が満ちているが今の私ほどの魔力ではないようだ。本来のサクラには、日頃の私よりも余程魔力があったのだろう。



「信じてるから」



 サクラは吸い込まれるようにして機械人形と共に姿を消す。軽やかな足音に振り向けば、虚ろな目をしたファイが立っている。



「待ってたよ」



 彼は足元に転がっていた小狼の剣を手に取り、こちらに駆けてくる。彼と私を取り巻く突風は盤上にいる小狼ですらも近寄れない激しさらしいが、内部は心地よく微風が吹く程度である。

 胸を貫通する長い剣が私の身体を持ち上げる。絶望に染まるファイの目を見つめながら、私は杖を握って魔法を唱える。



「つか、まえ、た」



 ファイの身に宿された呪いは二つある。根深く張り巡らされたうちの一つ、発動している瞬間ならば”消す”ことができる。自分を上回る魔力を持つ者を殺す呪い。誰を狙ったものだったのかは知らないが、少なくとも私で消費する羽目になったのは予想外だっただろう。

 私は刺された程度では死なない。ファイの呪いを死をもって解くことはできないが”黒印消滅”の魔法は有効だった。実力ある術者の複雑な呪いは、その全貌が見えない内に消すことは困難である。肉を切らせて骨を断つことが、不明瞭な状況では最善だった。

 蔦のように張り巡らされた呪いを引き剝がす。構えた杖がごろりと床に転がる。まだ。まだ呪いは残っている。今じゃ駄目なのか。ならば、次はいつ――



「ちょっと、寝る……」



 傾く私の身体はぶるぶると震えるファイの腕に抱き留められる。相変わらず、温かい身体だと思いながら沈む意識に身を委ねた。







 瞼の裏が眩しい。柔らかな寝台に寝かされていることに気付き、意識が鮮明に戻る。目を開いた直後にゴツンと音が鳴り、景色が回るほどの衝撃を額に感じる。



「黒鋼!!」

「っんの馬鹿!」

「く、うぅ」



 横たわっていても視界が回るほどの拳骨である。悲壮なモコナの叫び声に、止むを得ず身体を起こして額を押さえる。



「お、手当してくれてる……」

「当然です」



 ファイに貫かれたはずの傷はすっかり塞がっているが、ガサついたガーゼの感覚と血の滲む包帯が出血量を悟る。これを受けたのが自分でよかったと改めて思う。呆れたような声で返事をしたのはイーグルで、辺りを見渡せばサクラを除く一行と側近たちも室内に揃っているようだ。

 顔色の悪いファイがもう一台の寝台に寝かされていて、彼の方が余程重傷だろうと感じる。



「サクラは!?」



 モコナの言葉に、私は後ろめたくて自分の膝をただ眺める。その答えは、ホログラムで繋がった侑子が代わってくれるようだった。



「侑子!」

「姫はこの中にいるわ」



 その言葉に顔を上げてホログラムを眺めると、彼女の手には細かな装飾が施された筒がある。仕切られた空間の一方は淡く光っている。そこに、サクラがいるとは。次元移動で、その筒の中に。



「その中は……」

「見せがある所と違う」

「そう。”夢”の世界。さくら姫の魂は今夢の中にある。

 これは姫が望んだことよ」



 侑子の知るところならば、一先ずは飲み込んでもいいだろう。彼女はサクラをただ無意味に危険に晒そうはしていない。



「あのお姫様は夢で未来を知ることができたようですね。うちのランティスと同じく」



 イーグルの言葉を受けてランティスに視線が集まる。サクラが視た未来は、どんなものだったのだろう。



「チェスの最終戦、あの姫が彼に刺され死に。他の仲間を殺し、彼は壊れ、その後……」

「やめて!」



 サクラが視た未来がランティスの語るものだったというのなら、少なくともそれを回避することには成功したらしい。そのために、サクラが次元移動をする必要は、今となっては無かったのかもしれないが。

 モコナの悲鳴で中断された言葉の続きは聞いて気分のいい話ではないだろう。もう、起こらなかったことなのだから、聞く必要もない。



「そんな酷い事……」

「その夢を姫は変えようとした。命を賭けて」



 ちら、と侑子が私を見る。



「本来、それは回避出来ない程強い呪いよ。ウィズの機転が無ければね」



 黒鋼がぎろりと侑子を睨む。自分を犠牲にすることを厭う黒鋼にとって、私の判断は”機転がきいている”とは割り切れないのだろう。



「望む世界を目指すために姫は己の強運を対価にした。そして、貴方達が死なないようにもうひとつの対価を支払っていた」

「何を……」

「あの……右足か」



 黒鋼の言葉に小狼とモコナははっとした顔をする。私の魔法があって治らない足を、二人は相当重傷なのかと思っていたのだろう。インフィニティでの三か月、私が毎日診ていて治らないはずがない。



「ウィズの魔法があれば治ったはず。けれど、もうあの足が二度と動かなくても貴方達を、そしてファイ自身を死なせないように、かけられた呪いを解きたかった」

「もう、足は治りますか?」

「……そうね」



 結局、ファイの呪いを解くのに成功したのは私だ。サクラが払った対価は返してもらってもいいだろう。彼女が背負い続けた痛みだけで、十分な対価のはずだ。



「……知ってたんですね。サクラちゃんは」



 沈んだ、硬い声に振り向く。ファイだった。少しましになったが、顔色はまだ青白い。



「オレが嘘をついていた事を。

 オレが、元いた世界。セレス国にサクラちゃんの羽根があるのを知っていた事を」



 予想外の言葉に、動揺する。自分の罪を自白するファイは、決して許されようとする態度を取らず、淡々としていた。



「え!?」



 モコナが驚く声に次いで、侑子はサクラが東京で羽根が戻ってから”夢で先を視る力”を取り戻し、ファイの事を知ったのだと述べた。黒鋼の世界でいう”夢見”にあたるようだ。彼はすぐに納得する様子を示す。確かに、サクラの様子が変わったタイミングと重なっている。



「昔セレスに落ちて来た羽根でオレはチィを創った。

 貴方の所で小狼君達に会って、彼らがそれを探していたのを知っていたのに、オレは教えなかった」



 初めは黙っていようと思っていたのかもしれない。私たちはそのとき、他人だったから。



「君ならもうひとつ知ってるよね」



 ファイに見上げられた小狼が少し重たげに口を開く。



「……もう一つのおれを通じて見た。玖楼国の遺跡で姫の記憶の羽根が飛び散った時、神官が言っていた。”散った記憶は既にこの世界にはない”と。

 けれど、その後最初の国に移動した時」



 そうだ。ファイは”小狼”の身体を探って、羽根を一枚取り上げた。”君にひっかかってたんだよ。ひとつだけ”と言って。



「もしそうなら、神官は分からない筈がない」

「そう。オレは最初から羽根を持っていた」



 ファイには秘密が多い。二枚の羽根を持っていて、一枚の羽根はセレス国へ。もう一枚は知らぬ素振りで返した。怪しまれないために取ったのだろう行動が、ファイにとっては自責するべきことの一つらしい。それでも、あのとき。羽根があってサクラが助かったのは事実だ。

 モコナは侑子の店から羽根の波動を感じていたようだが、誰が持っているかは分からなかっただろうというファイの指摘に言葉を飲む。



「だから君はオレと距離をとっていた」



 ファイはそれによって小狼が敢えて距離を取っていたのだろうと指摘した。それは恐らく、敵か味方かを見定めるために。小狼は何も言わない。



「貴方も知っていましたよね。オレがついていたいくつかの嘘を。

 初めてオレが貴方の店に現れた時、雨が降っていて、貴方だけは雨に濡れていなかった」



 ただ雨に濡れないようにしていたわけではないのだ。



「あの時、貴方の魔力は両目が揃ったオレより強かった。だからオレと別の空間にいたんですよね。

 自分より強い魔力を持つ者を殺すという、オレに掛かった呪いを知っていたから」



 ファイの言葉に一番驚いたのは黒鋼だった。納得いかない様子だったが、ファイの様子を見て言葉を飲んでいる。



「知っていたのに。何故、オレを一緒に行かせたんですか?」



 行かせなければ、傷付けずに済んだ。サクラも離れることはなかったかもしれない。ファイが考えていることは想像に容易い。いかにファイが嘘を重ねても。



「それが貴方の願いだからよ」

「それが仕組まれていた事でも?」

「そうだとしても」



 ファイは”止めてくれれば”と思わずにいられないのだろう。自分が周りを不幸にすると考えてしまう彼の悪癖が、この現状が、そう考えさせる。



「出逢って、一緒にいて、そしてどうするか。選ぶのは貴方自身よ」



 それは呪われたファイにとっては厳しい言葉だった。仲間が傷付くことを恐れるファイにとって、あまりにも酷な呪いだ。それが解けた今となっても、彼を縛り付けるほどに。でも、もう一つ呪いは残っている。その実態が、まだ掴めていない。



「……姫は何の為にその中に行きやがった」



 鋼は言葉を失うファイを気にしながらも話を進める。



「サクラ姫の羽根があるの。夢の中に。夢もまたひとつの世界だから」

「それもサクラが夢で?」

「ええ。それを得る為にもう一人の小狼が夢の中に来ると」



 サクラの本当の目的は羽根ではなく、小狼との邂逅なのだろう。モコナはそれを聞いて焦ったように声を上げる。



「サクラ一人で小狼と会うなんて無茶だよ!」



「……会ったらぶん殴ってやる」

「え!?」

「駄目だよ!黒鋼が殴ったりしたらサクラ大怪我しちゃうよ!!」



 黒鋼の言葉に驚く小狼と非難するモコナを見ていると、彼女を止めなかったことへの拳骨が先ほどのものかと悟る。



「……そうしなさい」

「侑子!!」



 薄く微笑んでいるように見える侑子の言葉にモコナは彼女にも非難の声を上げている。黒鋼もサクラと再会することを信じている。それは私を何より勇気づけてくれた。



「体と魂か。急ぐのは体だな」



 サクラの体に刻まれた記憶を求める飛王に、先んじられる訳にはいかない。



「でもでも!追いかけるにしてもモコナ次に行く世界は選べないよ!」

「……お願いがあります」



 手立てを探す一行のうち、誰よりも早く口を開いたのはファイである。彼は立ち上がり、自身の残された右目に手を当てる。



「この目に見える全てを対価に」

「右目の視力を渡すと?」

「はい」



「その対価で何を望むの?」

「セレス国へ、戻ります」



 元いた世界には戻りたくない。そう願っていたファイの言葉に驚くことはない。私たちの知るファイならば、そう言うだろうと、もう分かっている。

 サクラの体はセレス国にあるのだろう。ファイはそれを分かっていて、取り戻しに行こうとしているのだ。



「だめ!絶対だめ!そんな事したらファイ、何も見えなくなっちゃうよ!!」

「オレが渡せる対価はそれくらいしか、」



 私は渾身の力でファイの足を踏む。ガンッと大きな音が鳴ってファイの身体が僅かに傾く。その身体の向こうで拳を構えていた黒鋼までぽかんと口を呆けてこちらを見ているので肩を竦めた。



「黒鋼、続けて」

「……姫の身体がセレス国とやらにあるなら、行くのはおまえだけじゃない」



 立ち上がったファイをちらりと見た黒鋼に、彼はまだ「でも」と口ごもる。その首にかかったままの駒用のリングに指を通してファイの身体を乱暴に引き寄せた黒鋼が、ファイを睨んで凄む。



「これまで姫とおまえの好きにさせたんだ。今度は俺の好きにする。

 おい魔女」

「失礼極まりない上にセンスの欠片もない呼び方ね」



 泳がせていたしっぺ返しを受けたファイが黙ったのを見て、黒鋼が侑子に声をかける。



「うるせぇ。姫の魂のほうはどうなんだ」

「追うとしても今は無理。夢の中には魂しか行けないから。

 それにもう一人の小狼が来るにはまだ時間がある」



「サクラ、夢の中で寂しかったり辛かったりしてない?」

「……姫は独りじゃないわ。夢の中で出逢う者がまた未来を変える切っ掛けになる」



 小狼はそれに心当たりがあるようで、はっとした顔をしている。それを見て侑子は彼に微笑みかける。



「大丈夫よ。四月一日も消えていない。そしてあの子の未来も変わって来ている」

「誰だそれは」

「今はまだ関わりのない話よ。今はね。

 それで?」



 侑子の口から語られた”四月一日”と呼ばれる人物の存在が、サクラや小狼に関連があることは分かったが、今は考えなくてもいいことなのだろう。



「やっぱり急ぐのは体か」

「モコナも行く!」

「おう」

「私も」



 黒鋼の珍しい、微かな微笑みにニヤけていると頭を小突かれる。



「おまえはどうする?」

「セレスへ行く」



 問いかけられた小狼も迷いなく頷いた。



「おれを閉じ込めていた者が姫の次元の記憶が刻まれた体を欲しているなら、何をするか分からない」



 その言葉は私の危惧していることと一致している。小狼と目を合わせ頷いた。黒鋼は敢えて声を掛けないのだろう、ファイには。自ら、同行を申し出てほしいから。



「ファイ、一緒に行こう」



 彼に声を掛けるのは、モコナだ。小狼の腕の中に居たモコナはファイに飛び込み、彼はそれを当然のように抱きとめる。



「ファイと黒鋼、ウィズと”小狼”とモコナ、みんなで5分の1ずつ対価を払って、一緒に行こう。サクラを助けに」



 皆の視線を受けて、ファイが「けれど」と口ごもる。それきり口を開かないファイに、小狼が躊躇いながらも近づく。



「……おれが知っていたのに何も言わなかったのは、さくら……姫が貴方を信じていたからだ。

 嘘をついていたとしても、その嘘ごと姫は貴方を信じてた。だからおれも貴方を信じる」

「ファイが独りだったらサクラきっと悲しいよ。みんなと一緒だったら、サクラきっとすごくすごく喜ぶよ」



 サクラと再会したとき、彼女が喜ぶ姿を想像するモコナに肩の力が抜ける。それはファイも同じようで、彼はそれ以上躊躇う言葉を続けずにモコナと寄り添っている。本当に、モコナが居てくれてよかった。



「その前にぶん殴るけどな」

「だからだめだってば!もー!黒鋼、野蛮人!!」

「うるせえっつんだ白まんじゅう」



 黒鋼の頭上に飛び移ったモコナが暴れている。可愛くて、優しくて、温かい。ここにサクラがいたら――小狼も、揃っていたら。どれだけいいのだろう。淀む思考に目を閉じる。一呼吸して目を開く。

 サクラは、彼に会いに行った。つまり、取り戻すつもりなのだ、彼を。彼女たちを信じて、私はできることをしよう。



「着替えをご用意しました」



 イーグルの言葉に訝しみながら、私たちは彼に促されて出ていくジェオを見送る。



「小狼君、今のうちに怪我治そうか」

「いや、おれは」



 ちらりと私の包帯に受けた視線に「ああ」と納得の声を漏らしながら、包帯を剥ぐ。着替えさせられていた病衣の前を開けば彼は首が折れるほどの勢いで顔を背けた。



「治ってるよ」

「傷痕一つありませんね」



 感心した様子のイーグルは目を逸らすこともしない。サクラとの会話を盗み聞きする条件は、私の身体の検査させてほしいという依頼だった。毛根一つから爪先まで見られているので今更だろう。

 自分自身より早く病衣を閉じたのはファイだった。その表情は変わらず険しいが、言いたげに口を開いて、すぐに閉じる。私に限ってその動作を見逃したとは思わないだろうに、無かったことにするように無言で彼は襟元を直した。



「足、痛かった?」

「……全然」

「私も、全然痛くなかったよ」



「……嘘つき」

「お互い様」



 私だって分かっている。彼が私を貫いた剣と、私が彼の足を踏んだ痛みは比べるものではないと。それでも、ファイが望んで剣を取った訳ではないと分かっているのに、どうして責められるだろう。誰よりも、傷ついている彼を。



「置いていかないよ」



 躊躇うファイを強く抱き締めれば、モコナも頭上に飛び乗って、ファイに抱き付いているようだ。

 脆くて、優しい人。貫かれていた背中をなぞる手が震えていた。たどたどしく紡がれた「ごめんなさい」という呟きの方が、余程胸が痛かった。



 ジェオが戻って来て着替えを渡されるまでファイにくっ付いていた私とモコナは「早く着替えてこい」と黒鋼に引き剥がされた。私は自分の装備があると伝えたが、厚意に甘えておくべきだと側近たちに諭されて有難く頂戴した。

 戦闘用機械人形を作るほどの技術力を持つビジョン家が拵えた特注の洋服は、セレス国の寒冷な気候に合わせて防寒機能に優れているらしい。インフィニティで着用していると暑いくらいだが、軽くて動きやすい。



「貴方達の事情を知っていて黙っていたお詫びです」

「監視してた件もな」

「やっぱり気付いていましたか」



 隠すつもりもなかっただろう。関わりにくるのを待っていたようだった。



「おまえ達以外にもいたようだがな」



 私達の旅を監視している、飛王のことだろう。黒鋼の呟きに小狼の表情が強張る。いつも視られている訳ではないのだろう。私には分からないが、黒鋼やファイがそれに気づくことはよくある。

 間もなく現れたファイは侑子の店で会ったときの装いを纏っている。



「大丈夫?」

「大丈夫だよ」



 浮かない表情は、モコナが心配して声を掛ければ安心させるように微笑む。下手くそな笑顔だと思うのは、もう随分長く一緒にいるからだろう。白い装いに浮いた黒い眼帯が、初めて出会った彼の印象を遠い記憶に感じさせる。長く伸びた襟足がフードの奥から垂れているのを見ると、時の流れを感じ入る。



「では五つの対価を」



 ホログラムの侑子が要求したのは”チェスの優勝賞金”だった。



「チェスは姫だけじゃない。貴方達みんなで三かしたもの。己の力で勝ち取ったものだから対価になるわ」



 ファイが差し出そうとした対価が視力だったというのに、拍子抜けしてしまう。確かに命を賭して勝ち取ったものだが、一連の騒動を経て一行は賞金の存在など忘れてしまっていたくらいだったからだ。



「……モコナは参加してないよ」

「私もです」



 モコナが申し出た以上、私も黙っている訳にはいかず小さく手を挙げる。



「いや。ちゃんと一緒だった。

 待ってくれてると分かっていたから。帰るために頑張れたから」

「小狼……」



 優しい小狼の眼差しにモコナがじわりと涙を浮かべる。彼らしい言葉に、黒鋼とファイも口元を緩めている。



「もうひとつ条件があるわ。

 モコナが移動する時、ファイ。貴方も一緒に移動魔法を使いなさい」

「……はい」



 きっと、セレス国に縁のあるファイが魔法を使うことで次元移動の精度を上げるのだろう。



「ごめん。これも、嘘ついてたね」

「いや……」



 ファイの魔力では移動魔法は一度きりだというような話を、確かにしていた記憶はある。阪神共和国で、店に来た方法について話していたときだ。あのときは、まだ彼の嘘に気付けなかったのだ。こうやって嘘を見つけるたびに、ファイは傷つくのだろう。



「モコナ。蒼氷出してくれるかな」

「え?」



 蒼氷は黒鋼の刀だ。彼をちらりと見たモコナに黒鋼が何も言わないのを見て、モコナは口から蒼氷を出してファイが手に取る。

 黒鋼にもう一方の手を差し出したファイを見て、使われる魔法の見当がついた。



「手を」

「……」



 こういうとき、黒鋼の名前を以前ならば呼んだだろう。それは黒鋼がファイに血を分ける前は勿論、それ以降であっても。呼ばないようにしているということは、ファイはまた踏み出そうとしているのだろう。もう少しだけ、勇気が必要なのだ。

 黒鋼の手に向かって描かれたスペルがくるりと円で繋がって輝き、蒼氷が輝いてその掌中に吸い込まれた。レコルト国で、私と杖に掛けてくれた魔法だ。



「モコナが側にいないとき、剣がないと困るから」



 ファイは魔力をもつ小狼も同じように手から剣を出していることを例に挙げる。私には魔力があってもできないが、そういうものらしい。



「……いいのか」

「もうたくさん使ったからね。魔力」

「……」



 あれだけ渋っていたファイが、黒鋼のために魔力を使った。その手を握り絞めて眺める黒鋼の姿に、ファイの魔力を感じているのか、何か別の事を考えているのか私には分からない。戦いを好む黒鋼ならば勝気に喜んでいいくらいなのに、険しい表情をするだけなのが違和感を覚えた。きっと、何か思うところがあるのだ。



「モコナ」

「はい」



 侑子の呼びかけに応じたモコナがふわりと浮き上がり魔法陣を広げる。ファイはそれに倣うようにして宙へスペルを描き出す。モコナとファイの魔力を感じながら、私は一定の距離を保って立つ三人を寄せるように、小狼と黒鋼をファイの元へ引き寄せる。



「はぐれないように」



 そう言うとファイがふと、少しだけ笑ったように感じた。



「行きなさい。セレス国へ」



 穏やかに旅立ちを見守るイーグルを視る二、インフィニティを牛耳るマフィア・ビジョン家の企みは成功したのだろう。物騒な都市、物騒な試合だったが、サクラは目的を為し、私たちも一先ずは欠けることなくこの世界を後にすることとなった。侑子とは知人関係にあるようだし、彼らも何かの取引をしたのだろうが。



「ありがとう」



 サクラを傷付けることなく送り出すことができたのは、彼らの協力あってこそである。小さく微笑んで呟くと共に、景色は変わる。

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