セレス国


 砕けた魔法は、ファイのものだけではない。アシュラ王が私たちに視せている過去の記憶をも打ち砕いていた。



「茶番はいい加減にしろよ」



 その切っ先は、ファイの奥にいるアシュラ王にある。普段のファイならばすぐに反応できるはずなのに、冷静さを欠いている彼は黒鋼にその横をすり抜けさせてしまう。しかし、追いかけるように放たれたファイの魔法は黒鋼の足止めには十分である。僅かに散る血液が、魔法が黒鋼の体を掠めたことを知らせる。

 バラバラに砕けた過去の記憶を映す魔法。ファイは、ルヴァル城の魔術書を殆ど習得したが、治癒魔法が習得できないことを気にかけていた。自分が誰かを傷付けるばかりだと呟いた彼に、アシュラ王は「笑ってごらん」と声をかけている。



「笑って」



 少し大きくなったファイは、照れ臭そうに少し俯いた後、柔らかい笑顔を見せた。じわりと、胸があたたかくなる。ああ、確かに魔法だ。



「ファイの笑顔で私の心は十分癒された。これも魔法だよ」

「……あ、りが……とう」



 この記憶も、アシュラ王は私たちに視せたかったのだろうか。残酷な願いを課した自分を、赦すなとでも言うように。

 黒鋼をアシュラ王に近付けないよう、ファイは魔法を黒鋼に放つ。一進一退の鍔迫り合いを他所に、記憶が舞う。



 ファイはもう、出会った頃の成人の姿をしている。水底で眠るファイは、まだ幼い姿のまま。”チィ”と呼ばれたサクラの羽根をもとにした女性は、その状況をファイに報告している。その話を聞くファイの表情と言葉は柔らかで、セレスで過ごした日々を悟る。



「やっぱりここだったね」

「アシュラ王」

「城下の人達が珍しい果実酒を届けてくれたよ。君が凍った湖を溶かしてくれたお礼にと」

「お酒――♡」



 この頃から酒を好んでいたらしい。食べ物よりも酒を好むファイにちくりと苦言を告げるが、本人はどこ吹く風といった態度だ。



「血が……!」



 アシュラ王の手から滴る血液を見たファイとチィは怪我をしたのではと心配しているが、それを眺めるアシュラ王は表情を失くす。



「違うよ」



 獣の血だろうか。人間の、血だろうか。



「……はや、く……」



 小狼の声に、現実へ引き戻される。

 ファイが放った龍のような姿をした氷魔法が、黒鋼の身体に当たる前に砕ける。魔法攻撃を無効にする、一撃だけの障壁だ。ファイの目がこちらを見たのは、一瞬。



「谷に死体が。獣に引き裂かれたような」



 すぐに確認して討伐に乗り出すファイを、アシュラ王は「待ちなさい」と引き止める。後日、後日と先延ばしにされて、ファイはその度に引き止められる。



「今までセレスにいなかった獣かもしれません」

「いいや、違う」

「え?」

「セレスにはずっと居たよ」



 セレスに害をもたらす者をファイが滅することが、アシュラ王の願いである。

 ファイがかつて雪崩から救った街の少女ではないだろうか。街は”セレスに居た獣”に襲われ、その中にはどこか見覚えのある女性の死体もある。



「獣の討伐に行きます!何日掛かっても必ず倒す。これ以上セレスの人達が犠牲になるのは……」



 その足でルヴァル城に駆け、アシュラ王のもとへ着いたファイを出迎えたのは、彼だけではない。



「では、私を倒さないとね」



 数多の兵士の死体と、その血を指先から滴らせるアシュラ王である。



「さて。城内はもう誰も生きていないから、外に出て探そうか。殺す者を」



 ファイを、セレスを愛していたアシュラ王と同じ顔で、同じ声で、何かが違ってしまっている。それは、私たちが今相対しているアシュラ王の姿だった。



「王――――!!」



 ファイの悲壮な声が、過去なのか今なのか、分からない。

 身体が鉛のように重い。意識を失いそうなほどの倦怠感が、小狼とモコナを苛んでいるものと同じだろうと悟りながら、小狼に回復魔法をかける。



「君が頼りだよ、小狼君」



 ファイの魔法によってつくられたドームを断ち切った黒鋼が、ファイの顔を容赦なく地面に打ち付ける。まあ、相子だろう。



「言った筈だ。おまえの過去は関係ねぇとな。

 それに、俺達にそいつが見せたのがおまえの過去だというなら、辻褄が合ってねぇだろう」

「な……に」



 黒鋼はファイの魔力が使えば使う程強くなるのなら、アシュラ王が与えた文様はその呪いを発動し易くするだけだと指摘する。



「強くなるのを押さえてどうするんだ。あれがおまえの過去なら、何故おまえはそんな紋章を負った」



 黒鋼が頭を押さえる力を弱めたのか、ファイは少し顔を上げて宙を漂う記憶の破片を手にとる。



「……でも、それじゃ……」

「それで、いいんだよ。もう少し君が大人になって”その時”が来たら、私の魔力は君を越える。

 それまでに君の魔力があまり強くなっては困るんだ」



 アシュラ王の言葉を聞く幼少のファイの目は虚ろである。高度な、記憶を封じるような魔法を掛けられているのだろう。



「君にかけられた”君より魔力が強い者を殺す”という呪いは、一度きりで解けてしまう。

 その時殺して貰うのは、私でなくては」



 虚ろなファイを抱きしめるアシュラ王には、最愛の人を殺す気持ちが分かるだろうか。愛したセレスの人々を手にかけた王ならば、その痛みが分かるはずなのに。それとも、もう狂ってしまって分からないのか。



「考えなくていいんだよ、この事は。ただ、私が君に紋章を渡した事だけ覚えていてくれればいい」



「茶番はいい加減にしろよ。

 こんなすぐ綻びが分かる過去を見せて何を企んでやがる」



 睨む黒鋼の視線の先には、どろりと昏い瞳をしたアシュラ王がファイに微笑みかけている。



「願いを叶えて欲しいだけだよ。ファイ」



 ファイの呪いは解けている。正体が分からない残りひとつを除いては。ならば、アシュラ王を手にかけさせる必要はない。

 

「約束したね、ファイ。この国の人々に害をもたらす者は滅する。それが何者であっても」



 セレスの人々を手にかけながら、自身の終焉を望むアシュラ王。手にかけたいと思った訳ではないのだろう。しかし、それを食い止める術が無かった。

 ルヴァル城の長い階段にて、アシュラ王とファイが向かい合っている。これは記憶だ。



「民達は逃がしてしまったんだね。他の国に」



 残念だとでもいうような口ぶりだ。それをファイは険しい表情に痛ましさを滲ませて見上げている。



「私の魔力は人を殺めれば殺める程強くなる。もうそろそろ君より強いかもね、ファイ」

「何故……」



「さあ、何故かな。けれど分かっていた事だ。いつかこうなるのは」



 アシュラ王は自分がセレスを滅ぼすことを知っていた。恐らくは初めから、ファイの呪いが一度きりで解けることを知っていて、彼をヴァレリアへ迎えに行った。

 ただ、王はセレスとファイを愛し、ファイはセレスと王を愛していた。それが、一層の悲劇にするのだ。



「だからオレを連れて来たんですか。

 いつかこうなる貴方を……殺させる為に!」



 涙が、見えた気がした。

 アシュラ王はファイからの攻撃魔法を返しながらも、殺すことはしなかった。傷だらけになったファイが最後に放ったのはアシュラ王が教えた”人を眠りにつかせる為の魔法”だった。



「魔法は永遠ではない。暫くすれば私は目覚めてしまうだろう。

 約束を守ってもらうのが少し先に延びるだけだよ」

「……できません」



 そう、出来るわけがない。眠りに落ちる間際のアシュラ王が、ファイの言葉を聞いて、どこか寂し気に微笑んだ。



「いつも君を最も傷つけるのは、君のその優しさだね。ユゥイ」



 完全に眠りについたアシュラ王をファイが水底に沈める。その横には、小さなファイの姿もある。

 アシュラ王がかつて言っていた”どこの世界で迷子になっても迎えに行ける”という言葉が、今は呪いのようだった――いや、こうなることを分かっていた彼が、願いを叶えるために敷いた布石でもあるのかもしれない。

 愛していること、その手で終わりにしてほしいと願うこと。ファイの呪いと、アシュラ王の呪い。



 セレスは既に滅んだといってもいい。人々を手にかけたアシュラ王が再び国を治めることはないだろう。しかし、彼をファイは愛している。



 ――誰かを治す為の魔法を使えないオレには……貴方を救う事もできない。ただ、眠らせて願うことしか



 ファイの心中が脳内に響く。



「せめて、眠りの中では。良い夢を」



 記憶の破片から目を離す。黒鋼に押さえ込まれたままのファイが「できない」と強くアシュラ王に言い放つ。



「貴方は……あの谷から、オレと……ファイを連れ出してくれた。

 たとえ貴方にどんな思惑があったとしても。貴方はオレ達に初めて……優しくしてくれた人だった」



 彼は殺せなかった。出会ったあのときから、それは決まっていたことだったのだ。



「だから……殺せない」



 その言葉を聞いて虚ろに微笑むアシュラ王が、封じられていたはずの水面に歩いていく。



「では。続けよう」

「!!」



「サクラちゃん!」

「さくら……」



 彼が手を挙げると共に水柱が上がる。水底から引き揚げられたのは、インフィニティの装束を着たサクラの体だった。



「不思議だね。この躰に魂はないのにまだ生きてる」



 魂のない身体はすぐに朽ちる。それは飛王がファイを連れて旅に行こうとするユゥイに告げていたことだ。



「君が人の姿に変えた羽根とやらの力か。あの子は既にこの躰に戻ってしまったようだけれど。

 そう、あの子は君の母上に似せて創ったんだったと教えてくれたね。ファイ」



 ただ掲げていただけのアシュラ王の手が形を変える瞬間、私はサクラに魔法障壁を張る。黒鋼は駆け出し、ファイも王に魔法を放つ。サクラに向けられていた手は離れるが、ファイの放つ魔法も防御魔法で防がれる。しかし、一撃は腕を掠めたようで彼の纏うローブに血が滲んだ。



「……君にとってこの少女は、とても大切な存在なんだね」

「……王……?」



 かつての王の声だ。いや、今は記憶の中じゃない。

 狼狽するばかりで考える暇もなくアシュラ王はこちらに向けてスペルを描く。私はあと何度魔法を使えるだろう。まだ何の攻撃も受けていないのに、息が上がって身体が重い。目の前に張られた魔法障壁はファイが放ったようで、直後弾丸のように無数に打ち付けてくる氷魔法を打ち砕く。何度か攻撃を耐えるようだが、すぐに消えてしまうだろう。

 止むを得ず私はアシュラ王に向けて魔法を唱える。ファイに、掛けたのと同じ。



 ぴたりと攻撃が止む。ばらばらと砕ける魔法の氷の音だけが響き、はっとファイが私を、アシュラ王の冷ややかな笑みもこちらに向いて、魔法よりも余程背筋が凍る。何か喋った様子の王は自分の喉を押さえてから、サクラの首に手を掛ける。間に合わない、と思った瞬間。



「やめろ!!」



 アシュラ王に向かって魔法を放ちながら一番に飛び込んでいくのはファイである。後を追うのは黒鋼と、よろめきながら立ち上がった小狼だ。一瞬緩んだファイの魔法が、再び魔法を使用できるようになった王に打ち消され、棘のように生えた氷が彼の身を貫く直前に、小狼が魔法を唱える。



「雷帝、招来!!」



 ファイを狙った氷の棘は小狼の魔法によって砕ける。それによって行く手を遮られていた黒鋼が飛び込んでいく。遠退く意識を保つのが精々で、杖を構えることができない。地面に転がる杖をどうにか手放さずにいるだけで、黒鋼の脇腹を抉るものを防ぐことも、できなかった。



「く、ろ」



 声にならない息が漏れる。ゆっくりと傾いていく身体が脱力するようにどさりと重たげに着地するのを見て、私は遠くにいる黒鋼に目掛けて回復魔法をかける。効いている、ということは生きているのだ。

 声にならない叫びの声は、ファイのものだ。アシュラ王に向かって再び魔法を構える表情に冷静さは無い。彼から目を離さないようにしながら、私は黒鋼のもとへと半ば転がるように駆け寄る。

 先ほどの負傷ならば臓器が損傷していてもおかしくないのに、そういう傷は一切なく深く肉が傷付いたような状態である。身体を診れば何らかの防御魔法が役目を負えて解けていくのを感じ取る。彼を想う人がかけた呪いだろう。



 頭上で打ち合うファイとアシュラ王の魔法が消滅し合う。ファイの気配は後方にあり、王のもとにサクラの体は無くなっている。きっと、サクラをファイが取り戻したのだ。間もなく戻って来た足音が後ろから近づいてくるのを感じながら、黒鋼の頬を抓れば、小さく唸る。意識が戻ったらしい。ファイが横をすり抜けて、王と向き合う。



「オレは優しくなんかない。ただ弱いだけだ。

 そのオレの弱さが、今のこの現実を招いた」



 黒鋼が血を吐く。口の中を切っただけかもしれないし、内臓も傷ついていたのかもしれない。小狼とモコナにはもう動き回れる元気はない。サクラも、空っぽなまま。

 王はファイの言葉を受けても薄く微笑むだけ。



「……終わらせましょう、王。貴方の願いを。

 そして……オレの願いも」



 空気が魔力を帯び、二人の刻むスペルに収束する。形を成した魔法がぶつかり合って光る。

 アシュラ王の手がぐったりと膝をつくファイの首に掛かっている。



「言っただろう。私の魔力は人を殺めれば殺める程強くなると。

 それに君は魔力の源である眼を片方失っているようだね」



 眼帯の上をなぞる手つきは愛でるような優しさなのに、ファイの口からは血の混じった咳が出る。



「もう魔法は使えないのではないかな」



 黒鋼のもとで動けずにいる私がそれでも杖を握るのを、アシュラ王は見ていたようだった。魔法を使えば使うほど重たくなり、効力が落ちていくのはお見通しらしい。



「雷帝……!!」



 風が吹いたのは一瞬で、アシュラ王が軽く指を一振りすると、小狼の詠唱は打ち消されて身体が氷によって縫い留められた。



「私と一緒に死のうとしたんだね。たとえ両の眼が揃っていても、それでは私には勝てないよ。

 君はいつも終わりを願っていた。大事な兄弟を死に追いやった自分の生の終わりを。私の願いを知ってからは、更に」



 終わりを望んでいた。見送る立場が虚しくて、守れない自分が何よりも憎くて、無力感と孤独に支配されていた。



「けれど、君は死ねない。ファイを生き返らせなければならないから」



 光の矢が王の腕を抉り、ファイの身体が地面に落ちる。咳き込みながらも呼吸をするファイを見ながら、私はふらつく身体で立ち上がった。



「それなのに、私と共に自ら終わりを迎えようとしたのは、彼らの為かな」



 血の滴る腕を気にすることもなく、王は私たちを順に眺めている。



「ならば彼らを殺せば、その怒りで私に勝てるかもしれないね」



 ファイが死ねないのは彼の意志だ。しかし、私が死ねないのは私の意志ではなく、世の理だ。

 放たれる氷の棘を受けても、魔法攻撃に耐性のある私には然程効果が無い。後方の小狼たちに飛んだ魔法は、今一番元気そうな黒鋼が弾きに行った。それを見た王が「守護印か」と納得した風に呟く。



「ファイに、嫌われちゃうな」



 私が放った光の輪はアシュラ王の身を絞るように包む。温かな光は彼を抱きしめるように引き絞ると四方八方に飛び散る。ぐらりと傾くその胸の中心を貫く刃。それが倒れかけた王の身体を支えるようにして立ち上がらせていた。

 声も出ずに呆然とその姿を眺めているファイを見て、私は杖を握り直す。



「その印が君を守ったんだね」



 王はまだ息があるらしい。貫かれたまま、穏やかに微笑みかける姿は、同じはずなのに、違う。ファイの記憶の中、どこか悲し気なアシュラ王だ。憑き物がとれたようだし、諦めがついたようだとも思う。



「剣を抜きなさい」



 黒鋼の視線を受けて、私が魔法を唱えようとする手を王に制される。



「魔法も使ってはいけない」



 それは有無を言わさない口調で、温かいからこそ一層それを許されなかった。

 ぐっと唇を噛んで頷かなかった。黒鋼が刀を引き抜けば、こちらに傾く身体。胸に空いた穴からは血が噴き出すように出てくる。

 言う事を聞く義理もなしと詠唱を始めようとするのに、魔力が籠められずに狼狽する。はっとして王を見上げれば、彼は悪戯っぽく笑っていた。ああ、”沈黙”の魔法を返されたのだ。



「私などの為に泣いてはいけないよ」



 荒い呼吸のまま、ファイの涙を掬う手つきは慣れた素振りだった。こうして、彼を慰めたことがあるのだろう。



「出来れば君に殺されて、最後の呪いは消してあげたかったのだけれど。

 彼らとなら呪いを越えられる」



 ファイに掛けられたもう一つの呪いについて言っているのだろう。その狙いがアシュラ王なりの愛情だとしても、そんな残酷な愛があるだろうかと思わずにはいられない。



「……お、う…………!!」



 私が、アシュラ王を――ファイの大切な人を殺した。黒鋼がその痛みを分けてくれようと追撃をした意図は分かっている。

 沈黙の魔法が、付近に飛散していた氷が消える。王の命と共に。私が殺し、王自身も死を望んだ結果だ。許されなくても、いい。その目を閉ざしてあげているファイの表情は見えない。見えなくても、分かる。いつもより荒い黒鋼の呼吸を聞きながら、それを眺めていた。

 ファイと目が合う。悲しみと、痛みを感じ取る。私が、与えた結果、感情だ。謝らない。謝っては、いけない。悲しむ権利も、傷つく権利も無い。受け止めるだけだ。

 視線が逸れ、ファイは何かを呑み込むように目を閉じた。



「……さく、ら……」



 小狼の声に振り向けば、淡く光るサクラの体が浮き上がっている。何に反応しているのかと周囲を見渡すと、瓦礫に隠れた水面からファイの身体が浮き上がってきた。祈るように組まれた手の中にある”フローライト”がひび割れて輝く。この波動には覚えがあった。

 割れた意志から羽根が現れ、引き寄せられていたサクラの体へと吸い込まれる。



「約束して。必ずユゥイをこの谷から出して」

「では、塔の下の子供を外へ」

「一緒に行けなくてごめんね、ユゥイ。どうか、自由になって」



 不思議だった。アシュラ王に見せられた断片的な記憶では不明瞭だった箇所が、羽根の光を受けてはっきりと見えてくる。



「……あれは、ファイの……記憶、だった……?」



 フローライトに包まれた羽根を失ったファイの小さな身体が朽ちていく。伸ばされたファイの長い腕を、黒鋼が強く掴んだ。



「眠らせてやれ」



 アシュラ王を、ファイを失った。セレスには、もう人は居ない。彼が守りたいと思った人達はもう、居ない。

 でも、そう。彼らに眠りという終わりを与えることが、追悼かもしれなかった。



 ごめんなさい、と。言葉にすることはとてもできなかったけれど、胸の中で呟かずにはいられなかった。



「オレのせいで……ずっと……眠らせてあげられなかった……ごめんなさい、ファイ……」



 思い合っていたもう一人の双子。知っている訳ではないのに、きっと、仕方がないと赦してくれるのだろうと思った。



 泣き暮れる暇もなく、一帯は再び光に包まれる。地面に蔦のように広がっていく黒い紋様は邪悪な魔力を放ち私達を取り囲む。



「おい!!」



 黒鋼はファイが何かしたのだろうと声を掛けているが、ファイ自身目を見開いて状況を理解できていないようだ。

 ドーム状に上空まで囲う紋様に再び杖を力強く握りしめる。



「世界が……」



 小狼の焦った声が聞こえてくる。



「これが……もうひとつの……」



 荒く呼吸をしているファイの肩に触れる。魔力の消耗が激しい。ただ、もう一つの、と言うのならば。



「もうひとつの呪いが、ファイの魔力を媒介に?」

「どういう事だ!!」



「世界が、閉じる……オレの魔法で……」

「!!」



 崩壊したセレスに一行を閉じ込める。飛王の目的に気付いて阻止せんと動く者を振り落とす目的なのだろうか。どこまでも用意周到らしい。



「解くよ」

「ウィズちゃんもう魔力、使えないでしょ」



「出りゃいいんだろ、ここから!!」



 ファイの魔力が尽きるまで発動を続けるだろうもう一つの呪いが完成するのが先か、私が彼の呪いを解くのが先か。それは負けの見えた運試しだった。

 黒鋼の言葉にファイは首を振る。



「無理だ、みんなは……オレの魔力は、使えば使う程強くなるものじゃなかったみたいだ。

 おそらく魔力を使う程オレは……死に近付いてる」

「な、に……」



 ファイの死をもって呪いが止まるというのなら、これより最悪なことはないだろう。



「けれど……まだ魔力は残ってる。小狼君、サクラちゃんとモコナを離さないで」

「何をするつもりだ!」



「ここから……出る」



 ファイのスペルに囲まれた小狼とモコナ、サクラの姿が消える。次元移動させたのだろう。次いで黒鋼の身体に向けてスペルが刻まれていく、途中。魔法が弾かれるようにして切れる。



「どうした!?」

「足りない……魔力が……」



 血を吐いたファイの姿に、私は冷え切った指先で杖を握る。



「……出ればいいんでしょ、ここから」



 紋様に向けて魔法を放てばどうにか一人分の穴が開く。黒鋼が通過してファイの身体を引き上げようとするが、魔法発動のための温床となっているせいなのか、足が離れない。次第に閉じようとする穴に焦燥感が高まるが、外側から降り注いだ光によって一層大きく開かれる。

 とん、と背中を押されたかと思えば私の身体も紋様を通過する。ファイはまだ中に残されたまま。黒鋼が絶対に手放すまいと腕を掴んでくれては、いるが。



「行け!」



 置いて行ける訳がない。

 ファイの足元全体に”黒印消滅”の魔法を重ねて掛ける。掛けては絡め取られる鼬ごっこだ。黒鋼の腕が離れる一瞬。ファイの腕を慌てて掴む横で、血しぶきが上がる。



「は……」



 むせ返るほどの血のニオイ。



「ばか」



 ゴトン、と紋様の中に落ちて行った腕を瞬間移動(テレポート)で引き寄せる。いや、この腕、くっつくの、かな。

 ファイと、その身体を引っ張り上げた黒鋼。先ほどまでくっ付いていたはずの腕を持った私はぐらりと揺れる視界でモコナの姿を見た気がした。

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