日本国


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​ 東京で左目を失ったファイよりも、損傷として重度なのは黒鋼だった。黒鋼自らが切断した左腕は勿論、アシュラ王の攻撃を受けていた脇腹の出血も響いている。モコナが移動してくれた世界は幸いにも合戦の最中といった様子は無かったが、文明の発達はそれほど進んでいないようで、医療技術に頼る術はない。

 意識の無い黒鋼を前にファイは見るからに狼狽えていて、モコナも泣きながら黒鋼を呼んでいる。



「ファイ、これ持って」



 本調子でないのは承知の上で、何かさせなければ落ち着かないだろうと仕事を任せる。黒鋼の左腕を肩に宛がわせて回復魔法を掛ける。骨が、肉が、血管が、神経が。全てが繋ぎ合うには魔力が足りない。それでも、血を止める蓋にするにはこれ以上のものは無かった。



「そこで、しっかり押さえててね。いい?」

「う、ん」



 覚束ないまま頷いたファイが、それでもしっかりと黒鋼の身体と腕を支えているのを視界の隅に収めながら、ぽろぽろ泣きながら呆然と眺めるだけのモコナにも声を掛ける。



「モコナ、小狼と一緒に周りを見てきて。黒鋼を休ませられる場所、探して、すぐ戻って来て」



 小狼にアイコンタクトを取れば、彼は力強く頷き、サクラを抱いて立ち上がった。怪我を負ってはいるが、セレスを出てから身体が軽いのは彼も同じらしい。

 直後である。駆けてくる蹄の音が多数近づいて来て、私たちは一斉に顔を上げて警戒した。



「探しに出る必要はありません」



 場の空気を掌握するような一声。聞き覚えはないが、その傍に控える褐色肌の女性には見覚えがあった。黒鋼が、桜都国で”蘇摩”と呼んだ彼女ではないだろうか。そして、籠から顔を覗かせているのは――知世姫だ。

 私は黒鋼一人に掛け続けていた回復魔法を他二人にも施すべきか迷ったが、籠から降りて来た知世姫の姿を見て、止めた。

 彼女は未だ黒鋼の安否に気が気ではないファイが、黒鋼を動かそうとする人々にまで警戒するその頬に手を添える。



「大丈夫です。黒鋼は死にません」



 同じだが、違う。ピッフル国で出会ったダイドウジ氏と。彼女は黒鋼のことをよく知っていて、とても大切に思っている。そして、信じていた。

 ファイは彼女の様子に落ち着きを取り戻し、黒鋼を運ぶ面布をした人々を見送る。



「素晴らしい力です」

「……」



 知世姫には未来が分かると黒鋼が言っていた。私が魔法を施さなくても、黒鋼の来訪を予見して彼女はすぐに迎えに来て、適切な治療を受けられただろう。



「有り難うございます」



 しかし、私の血や煤で汚れた手を取った柔らかい手は、冷えて震えていた。強く握り返して頷けば、彼女は眉を下げて笑った。どんなに、辛かっただろう。



 一行は黒鋼と共に籠に乗せられて白鷺城に案内された。城に着く頃には黒鋼の状態も窮地を脱していたが、無理に腕を接着した影響だろう熱が出始めている。熱に関しては魔法を使うことは適さないという判断が一致し、サクラと共に知世姫たちに預けることになる。

 私たちは各自湯浴みを終えた後、再び集められて食事を提供された。量は多くないが品数が揃っていて彩りが良かった。その後は休むようにと部屋に戻されたものの、黒鋼の体調が気がかりで仕方ないのは自分ばかりではないようで、部屋を出たところでファイと出くわす。



「黒鋼のところ?」

「……うん」



 言いたげな顔を見て、ファイを手招いて自室に戻る。座布団を示して卓袱台を囲むと、彼の方から口を開いた。



「腕、動くかな」

「黒鋼の体力次第だね」

「……あんなこと、するなんて思わなかった」



「それは、私も思わなかった」



 黒鋼は自己犠牲を厭う性質だ。しかし、片腕という犠牲を払ってでもファイを。



「でも、きっと、つれてってくれたんだと思うよ。ファイに、しあわせになって欲しかったから」



 黒鋼が覚えていたのかは分からないが、桜都国の”クローバー”で聞いた歌にファイは共感していた。セレスでアシュラ王が視せた記憶と繋がって、ファイがどんな気持ちであの歌を聞いていたのか、僅かでも片鱗を感じ取れる。

 ファイをセレスには置いて行くまいと黒鋼が選んだ道は、私たちの思いもよらない方法ではあったが、底抜けに黒鋼らしい。



「黒様には敵わないねえ」

「……そうね」



 今更、とは思うが。ファイの頑固さとお人好しは折り紙付きと分かったので、黒鋼という男を呑み込むのには苦労が要るのだろう。ここで小言を挟むと余計に事態が絡まりそうなので、私は一旦は同意の素振りを見せて目を閉じる。

 衣擦れの音が、彼の身動ぎひとつすら奏でている。視線を感じて顔を向ければ、眉を下げたファイが少し難しい顔をして黙り込んだまま私を見ている。



「ん?」

「……あの、ね」



 いつになく重たげな語り出しに、こちらも緊張しながら首を傾げる。



「たくさん、傷つけてごめん。それでも、一緒に……いてくれて、ありがとう」



 優しくて、柔らかくて、臆病な――いつものファイだ。ずっと一緒に居たのに、ずっと会っていなかったような感覚もある。



「抱きついてもいい?」

「……もちろん」



 返事を待って、強く抱きしめる。思っていたより薄くない、温かい身体。着物からは慣れない香りがするが、背中に回る腕の感触も抱き返す力も、同じ。



「ファイ。……だいすきだよ」



 水底にいたファイを、アシュラ王を、セレスを、愛し愛された人々を失った。この長い一日も、淡い夢も、悪夢のような現実も、終わる。

 震える背中を抱きながら、私だけは彼を見送ってあげたいと願ってしまう。



「オレが愛した人は、みんな」

「……ん」

「違うって分かってるのに」



 どこまでが飛王の企みなのか、ぐちゃぐちゃに絡み合ってファイを自罰的にさせる。



「愛してなかったら、もっとずっと早くに、失われただろうね」



 双子のファイは塔の上から出られずに朽ちただろうし、アシュラ王ともすぐに死に別れただろう。セレスの険しい生活で、人々は無事に日々過ごせただろうか。人はいずれ死ぬが、それは時に早すぎることがある。今回のように、そしてそれはもっと早くなっていてもおかしくなかった。

 勿論、ファイを共に連れ出したのも、王を眠らせたことも逃げだったのかもしれないが、彼と同じ過去を過ごして誰がそれを”逃げ”と言い捨てられるだろう。

 ファイが皆を愛したから、皆がファイを愛したから、ここまで来られたのだ。



「皆の分、私が生きてファイを最期まで見送るよ」



 過ぎ行く人々を見送る側に立つのはいつも自分の役目かもしれなかった。それが何よりも苦しかったのに、いつしかその苦しさを上回るものができた。痛みも、苦しみも受け入れようと決めた今が、何よりも幸福だと感じるのだ。



「オレ、すごく長生きなのに」



 黒鋼の血液が無ければ生きられないと思っているファイに、東京で神威が言っていたことを伝えるべきか迷った。ファイは私の血液さえあれば、吸血鬼として生き長らえることはできる。



「長生き、してよ。黒鋼共々、もう無茶しないように」



 しかし、言わないでおく方がいいこともある。いがみ合っていたばかりの二人を繋ぐ絆に、敢えて水を差すことは言うまい。私の言葉を受けて、背中に回った腕から力が抜け、柔らかく、困ったように笑っているファイと向き合う。



「お返し、しに行かないとね」

「もちろんです」



 どちらともなく手を取り合い、進む足取りは先ほどよりも軽やかである。私たちが来るのを悟っていたように、黒鋼の休んでいる部屋の前に来ると中から蘇摩が出てきた。外で待っていたのはほんの数分だったが、彼女は中に居る黒鋼が既に目を覚ましていることを教えてくれたので、ファイの不安も少し解けたようだった。



「お待たせしました。どうぞお入り下さいな」



 中に居た知世姫の声に、ファイが間髪入れずに戸を引く。無言のままゆっくりと中に入るファイは少し緊張した足取りだった。後ろから続いて入ると蘇摩が戸を閉め、中に居るのは四人だけになる。

 上身を起こしている黒鋼の視線が私に向いたのは一瞬で、こちらが特別口を開かないのを見た彼は爪先が布団につくほどの距離に来たファイを見上げて「おい」と声を掛けた。



 鈍い、骨同士がぶつかる音が響く。振り抜いたのはしっかりと握り固められたファイの拳、それを額に受けた黒鋼の身体はぐらりと大きく傾き、後ろ手についた腕で身体を支えた程の威力である。



「お返しだよ。”黒様”」

「……ぶっ飛ばすぞてめぇ」



 殴られたというのに恨み言には喜色が滲み、黒鋼の表情も満足げに笑みを浮かべている。晴れやかな、喧嘩の始まりのような終止符である。

 先ずは休息をと私たちはすぐに部屋を辞することになった。



「腕、どう?」

「もう血は止まってる」

「でも、動かないでしょ」



 ファイの指摘を聞いて、私は自分の左腕に触れてみる。指先から前腕にかけて、ファイの魔力が感じられる。知世姫に視線を向けてから、黒鋼の左手に触れてみても、もうその魔力は感じられない。黒鋼の腕は肩にしっかり繋がっているのに腕だけが飾り物のようで、動くことがない。バツの悪い顔をして目を逸らす男の、なんと気の優しいことか。私の横で責任を感じているもう一人も、同様に。



「腕を斬るなら、私の腕を斬ればよかったのに」



 ずっと言いたくて我慢していた言葉を、一切の感情を乗せず放り出せば鋭く睨む二人分の視線を浴びる。



「ちゃんと言っておく」

「おー、そうしろ」



 追い払うように手を振られ、私も肩を竦めながらファイと共に部屋を辞する。戸が閉まる前に知世姫がくすりと笑ったのが聞こえてきて、僅かに救われた心地になる。黒鋼の傷を、彼女が誰よりも憂いているだろうから。



「小狼君の様子も見てくるね」

「一緒に行く」

「もう休んだ方がいいよー、疲れたでしょ?」



「だって、一人じゃ寝れないし」

「………」



 ここに来て、一人であれこれ考えているファイにべっと舌を出す。どうせ、小狼と一緒にいるモコナを通じて、侑子と連絡を取るつもりなのだろう。東京からインフィニティと、どうやら悪い癖が抜けないらしい。

 モコナも小狼もぐっすりと眠っていた。ファイが二人を起こさないようこっそりと忍び入って、モコナだけを抱いて部屋を出る。



「こんにちは、魔女さん」

「あら。今回は二人なのね」



 もう休むつもりだったのだろう侑子はリラックスした雰囲気である。



「動かせる腕が欲しいんです」

「それは、貴方の願い?」

「はい」



 黒鋼が望んだわけではないが、この旅はここで終わるわけではないのだから必要になることは明白だった。



「対価はどうするつもり?」

「……残った、右目の魔力を」



 ちら、と私を見たファイの意図が伝わる。彼が魔力を対価にすれば、私の腕に掛けられた魔法も消えてしまうのだろう。まだ魔法を使うことを控えていたファイがレコルト国で掛けてくれたのは、きっと私を案じてくれていたから。それを失えば身の危険があると分かっていても差し出すこと、それが対価としての価値を上げることを私も理解している。



「いいでしょう。後日届けさせるときに対価も受け取るわ」

「有り難うございます」



 通信が切れる。サクラの魂を追うことは急がねばならないが、戦力が削がれた一行のままで旅を続けるのは危険だと痛いほどに感じたばかりだ。しばらくは休まざるを得ないことが、焦りを落ち着かせてくれるのは妙な心地だった。

 静寂に包まれる一室で、私はファイが動かないのを悟り勝手に布団を捲る。



「モコナを間に寝かせよう。起きたらきっとびっくりするよ」



 自分が言ったことなのに、想像してくすりと笑ってしまう。びっくりしたあと、すごく喜ぶだろうと思ったから。

 ころんと布団の隅に転がって目を閉じていると、乱れた髪を撫でられる心地がある。



「杖を出す魔法、ウィズちゃんに覚えてもらうよ」

「……ん?」

「簡単だから、大丈夫」



 ファイは教えるのが上手い。それは桜都国でサクラと私に料理を教えてくれたときに実感したことだ。しかし、魔法に関しては。



「私、人から魔法を教わったことって、無いんだけど……」

「他にも教えてあげたい魔法はたくさんあるんだよー」

「……お手柔らかに」



 今夜はとりあえず休ませてくれるようだ。

 間違いなく朝から修行が始まる。優しいのは今のうちだけかもと思い、私はようやく隣に寝そべった胸にこれでもかと擦り寄っておいた。もう少し起きてまだこの温もりを堪能したかったのに、疲れていたのと久しぶりに気が抜けて、何を言う間もなく眠ってしまった。

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