日本国


二度目の人生では沢山の魔法使いが存在していた。私と同じように回復魔法に特化した者は守護魔導士と呼ばれる職業に該当し、同じく使命を与えられた同志でありライバルだった。熟練した守護魔導士はその上位職として”次元天導士”という職業に分類され、私もその中の一人である。世界各地に存在しているが、そこまで熟達すれば世界を救うために旅に出ている者はほんの僅かになる。過酷な旅を乗り越える実力者たちだが、それだけ終わりの見えない時間と苦労を積み重ねる必要があったからだ。

 次元天導士のみが扱える稀少な魔法の一つに”テレポート”がある。これは本来、戦闘中に敵や味方を移動させ、戦略性を高める目的で使用することが多い。次元天導士の母数が少ない世界において、この魔法がどこまでの範囲で効果を発揮するのか、実際は不明瞭だ。



「腕を移動させたときの魔法で、ウィズちゃんは魔女さんの所に行ったんだよね」



 陽も昇る前。身支度だけを済ませて、朝食までの間に私はファイに杖を構えて向き合っていた。彼は昨夜”教えてあげたい魔法”という言い方こそしたものの、実際は必要に迫られており”意地でも詰め込みたい魔法”といったところだった。



「私は……”次元天導士”は数少ない魔法使いで、その魔法の実際は私たちですらよく分かってない部分が多いんです」



 改まって自分の話をすることに緊張しているのがよく分かる。



「確かに、次元天導士の扱う”テレポート”もその一つだけど、あまりにも魔力消費と見合わないような……」



 強力な魔力には、やはり強大な魔力消費が伴うものである。熟練した魔法使いだからといって魔力量が増える訳ではない。元々持ちうる器は変わらないし、私の器はその世界でも平均的だった。



「私の使った魔法がどれほどの威力だったのかよく覚えてないけど、自分以外の誰かの意志を感じたのは確か」



 ファイが紙に綴ったスペルを読み解くことはできないが、読み上げてもらえば判読ができるので、自分の左手に向けて詠唱を試みる。馴染みのない術式で構成された魔法は指示通りに発動しない。



「知ってる人?」

「……きっとね」



 二度目は手応えを感じながら詠唱する。そこで、覚えのある感覚だと気付いてしまった三回目。風を切るような音と共に左手が一瞬、青白い光を纏う。目当ての杖を想像しながら拳を握れば、そこには壊れかけの杖ではなく、真新しい杖が現れた。



「さっすがー」

「……これ、でも序の口なんでしょ」

「時間の許す限り、ね」



 ぱちぱちと小さな拍手のなんと乾いたことか。ファイがどれだけ優れた魔術師なのかはセレスで記憶を散々視せられて、とっくに理解している。歩き方どころか、呼吸の仕方を教わったようなものだろうと苦笑する。



「オレもウィズちゃんに教わったら、回復魔法を使えるようになったのかな」



 今、ファイの魔力は使う程死に近付くことが分かっている。彼がそれを知って、今私に教えを乞わないことが彼なりの意識の変容を感じさせる。



「目、返してもらったら教えてあげる」



 安堵するだけでいいのに、同時に寂しさが胸中に渦巻くのを抱えてはいられない。ファイが救いたくて救えなかった命のことを思い出しているのが分かって、寂しく思わずにいわれるだろうか。

 対価としての魔力を失っても、ファイの魔力は無くなる訳ではない。吸血鬼の血を打ち消すためには魔力を取り戻す必要があって、それはファイとて望んでいることだった。



「次は何の魔法?」

「……次はね」



 知っている魔法、知らない魔法。これほど長く一緒にいるのに、魔術師としてのファイと正面から話をするのは初めてで、朝食の声が掛けられるまではあっという間に時間が過ぎた。





知世姫の案内を受け、私たち一行はサクラの様子を見せてくれるという彼女に続いて城内を歩いていた。なだらかなアーチを描く橋はよく手入れのされた池を渡るように架けられていて、随所に並ぶ鳥居と静謐な空気がまるで紗羅ノ国で立ち入った陣社に似ていた。

 長い廊下を渡り切った先、突き当りの部屋に立ち入ると薄桃色の花弁が通路に見えてくる。太く重心の低いどっしりとした幹に、室内いっぱいに満ちる豊かな枝と花弁。桜の大樹であった。太い幹から枝が無数に伸びる分岐の箇所、室内の柱に括られた幾枚かの垂れ布に寝かされているのはサクラだった。



「サクラだ!」



 モコナの声が上がると同時に彼女のもとへ跳んで行ったのは小狼である。



「躰に傷が無いか確認させていただきました。問題ありませんでしたわ」

「ありがとう知世姫、でもどうして木の上に?」



 知世姫のもとへ躊躇なく飛び込んでいくモコナを彼女は受け止める。



「これは日本国で一番樹命の長い神木です。この樹なら魂がない躰に少しでも精気を送れます」



 樹齢千年を超える神木なのかもしれない。それだけ枝は先まで伸び、何よりも豊かに花を咲かせている。

 サクラの側に屈みこんでいた小狼が表情を柔らかくし、眠るサクラの頬に落ちた花弁をそっと払う。



「……桜だ。同じ名前の樹だな」



 サクラの療養環境としてこれ以上は無いだろうと一行が安堵したのも束の間、入口から衣擦れの音が聞こえてはっと振り向く。そこに居たのはここ日本国の帝であり白鷺城の城主・天照である。後ろには蘇摩も控えているが、天照自身も戦い慣れているのか、重たげで豪奢な着物を纏っているものの隙のない佇まいをしている。



「帰ったのですね。黒鋼」

「おう」



「少しはマシになって戻ったようですね」



 返事をした黒鋼をひたと見据えた彼女は何か追及することもせず、すぐ満足気に微かな笑みを見せた。



「あぁ?」

「客人達も歓迎します、この城で暫しの休息を」



 黒鋼のつんけんした態度にはもう慣れてしまっているのだろう。何の反応を返すこともせずに私たちを一見した天照の態度に戸惑いつつ、有難く頭を下げた。



「まだ旅は続くのでしょうが」



 私たちの旅が何故始まったのか、今一行が置かれている状況に至るまで彼女たちには見えているのかもしれなかった。



「それと、もうお一方客人が」

「だぁれ?」



 天照が後ろへ目線をやると、入口の陰から見知った姿が現れた。



「封真!」

「久しぶりだね」



 知世姫の腕の中から覗き込んでいたモコナが、東京で出会った姿とは異なる装いの封真に飛び込んでいく。その手には彼の脚よりも長く重たげな包みを持っていた。



「と言っても、俺と君達が同じ時間の流れを過ごしたかどうかは分からないけれど」



 次元移動に慣れた口ぶり。一人で各地を旅するのは危険も伴うだろうに、その姿は以前会ったときと変わりなく壮健である。



「日本国には何か探し物で来たの?」

「いや、届け物があったんだ」



 モコナは封真の言葉を聞いてその肩に移動する。包みから取り出されたのは、何らかの保存液に浸された長い機械の腕だった。それを見た小狼がはっと息を呑んだのは、それが誰のためのものなのかを理解したからだろう。昨日頼んだばかりで、もう今日の内に届くのだから、やはり封真の過ごしてきた時間とは違うのかもしれなかった。



「なんだ、それは」



 黒鋼が問うたのは、彼自身のためのものだと理解した上で、自身が頼んだ覚えのない届け物の出所に疑問を呈しているからだろう。



「義手だよ。必要だと思うけれど」

「なんでてめぇが持ってくる。いや、それ以前になんでおまえが知ってやがる」



「侑子さんに聞いたから。

 これが”東京”で言ってた侑子さんとのもうひとつの約束だよ」



 封真が次元を渡るための対価としたのは、侑子に頼まれたものを届ける事だと、かつて聞いたような覚えがある。東京でサクラの羽根を持っていたのも届け物の一つ、この義手もその一つだろうか。

 

「こことは別の高度に機械文明が発達した世界で手に入れた。

 ピッフルという国だ」



 なるほど、と胸中呟く。脳裏に浮かぶのはピッフルプリンセスカンパニーの若き社長、目の前にいる知世姫と同じ魂を持つダイドウジ氏である。



「……対価は?」

「貰ったよ。俺は侑子さんからね」



「オレは魔女に何も渡しちゃいねぇぞ」



 柔和な微笑みを崩さない封真に訝し気な目を向けていた黒鋼が、どこか焦りを含ませて振り向いたのはファイの方だ。向けられたファイは躊躇わずに黒鋼と目を合わせて微笑む。その表情は決意を示すように淀みがない。



「オレが魔女さんに渡すって約束したんだ。君が眠ってる間に」



 黒鋼が何も言わないことを確認してから私は朽ちかけの杖を構え、ファイの残された右目にもう一方の手を向ける。ファイを中心に風が柔らかく渦を巻き周囲は淡く光る。目の蒼が少しずつ吸い出されて小粒の結晶が少しずつ大きくなっていき、右目は次第に淡いエメラルドグリーンへ、そして金色に染まった。



「ファイ、お目々の色が……金色に……」

「オレの目の蒼色は魔力の源だから」



 渦を巻く風と光が消えると同時にモコナが呟き、私が握っていた杖も割れる。丁度、潮時だったのだろう。彼が掛けてくれていた左手の魔法もすっかり消えている。私の手に渡った魔力の結晶をファイに手渡せば「ありがとう」と微笑まれた。

 魔力を取り出す魔法は、今朝彼から教わった二つ目の魔法だった。黒鋼の義手のため、ひいては私たちの旅を続行するために必要な取引と分かっていても、一つまた一つと失っていく彼を見ているのは、痛い。左手が悴むように感じるのは錯覚と分かっている。目を閉じて、一つの喪失感を胸の奥底に仕舞い込む。



「モコナ。これを魔女さんへ」

「でも……」

「大丈夫。ちゃんと見えてるよ。これはオレの最後に残った魔力だ」

「だめだよ!魔力がなくなったら、ファイ……!」



 使えば使う程、死に近づく魔力。手放した方がいいと思っていながらも、モコナが渋るのもまた、ファイの命を危ぶんでいるからだろう。使えば毒になる魔力でも、それを失うことが魔術師にとっては生命線となることもある。強大な魔力によって長寿であるといわれていたファイがその例だった。



「これを渡しても死なない。吸血鬼の血が、オレを生かしてるから」



 モコナを諭していたファイが黒鋼の方を見て、柔らかい笑う。



「自分の命と引き替えにするようなものは、渡さないよ。もう」



 黒鋼が。私も、何よりも待っていた言葉だ。じんわりと胸が熱くなる。

 満足気に微笑むだけの黒鋼の代わりにファイの頭をわしゃわしゃと撫で回せば、ふにゃりと笑ういつもの笑顔。



「……分かった。侑子に届けるね」



 モコナの口に結晶が吸い込まれ、取引は成立した。





 一同が見守る中、封真の指示に従って黒鋼の義手は装着された。ピッフルプリンセスカンパニーの技術力に、ほうと誰かの感嘆の息が聞こえてくる程である。



「妙な感じだが、悪くねぇ」



 ぴくりとも動かない黒鋼の腕に機械じかけの義手が絡みつく。外部的に動きをサポートするような仕組みになっているのだろうか。その断端部から伸びていたコード状の組織は皮下に潜り込み隙間なく密着した。掌を強く握り絞めた黒鋼の動きはスムーズである。義手の上を皮膚のような組織が覆い被されば、肩の接合部以外は何の違和感もない生身の腕に見えた。

 一同が緊張を緩めたのも束の間、この場に馴染みのある魔力――次元移動で参じた人影が現れた。



「星史郎!」



 どこか冷ややかな微笑みが印象的な黒髪の青年。モコナがその名を呼ぶと同時、周囲の人々がそれぞれ守るべき人の元へと身を寄せて警戒の姿勢を取る。黒鋼が知世姫の前に、私とファイは彼らの前に。小狼は眠るサクラを囲うように身を屈めた。蘇摩も天照の前に腕を広げ、大半が明らかな警戒態勢だ。彼の弟であるという封真を除いて。



「久しぶり、なのかな。君たちと僕が過ごした時間の流れが同じかどうか分からないけれど」



 星史郎の放った第一声はそんな封真と同じ文言である。モコナが毒気を抜かれてそれを指摘し「やっぱり兄弟だから?」と封真の肩で問いかけている。それに少し複雑だと微笑む顔は本当によく似ている。



「相変わらずそうだね、星史郎兄さん」

「封真もね」



 似ている気質があるからこそ、互いの差異もまた大きく感じるのかもしれない。短いやり取りからも透けて見えるこの兄弟たちの関係性に、あまり深入りすべきではないと思考を留める。



「そっちは相変わらずとはいかないようですね」



 こちらに目を向けたのは、見るからに見た目に差が出ているファイのことを指摘したのか、はたまた黒鋼が義手を装着した瞬間から見ていたのかもしれない。次元移動のとき、私たちは降り立つより少し前からその世界が見えるから。



「随分変わったらしい。色々と」



 彼の弟子たる小狼は、この小狼とは違うと星史郎も分かっているのだろうか。彼は後方にいる小狼へ一瞥しただけでこちらをすぐに見返して、ただ一人を興味深そうに見つめている。居心地が悪くなるほどの視線を浴びているのは、ファイである。



「魔力を失って別の力を得たようですね」



 私は横にいるファイの手を取り杖を握る。



「吸血鬼の血を」

「ファイ!」



 ほぼ一息で目前に到達する星史郎から、ファイを抱えて飛び退く。初撃は回避できても、それが続けられる訳ではない。二撃目を受けるところでファイが私から離れて星史郎と組み合う。明確な殺意が無いことは分かるが、だからといって油断していい相手ではない。脇目も振らずにファイを狙う星史郎に注意を払いながら、私は杖を握って彼らを見守る。



「神威の血ですね」

「だとしたら?」



「二人は何処にいますか」



 星史郎が桜都国で出会ったときに探していた吸血鬼・昴流とは東京で出会っている。情報を渡してもこちらに得は何も無い。劣勢になったファイが腕を薙ぐように振れば、伸びた爪が星史郎の腹部を微かに掠めて二者は距離を取った。

 軽やかに後方に着地した星史郎は余裕の表情だが、どこか焦燥も透けて見える気がする。



「お兄様ですか」

「ええ。困ったひとで」

「うちの姉も……」



 後方にいた知世姫の問いかけに封真が返している、そのやり取りは呑気なもので思わず気が抜けそうになる。知世姫が続けた言葉にぴくりと反応した天照が「どうだというのですか」と冷ややかな視線で割って入っている。蘇摩は一連のやり取りをどうすべきかおろおろと困った様子で見ているが、黒鋼はすっかり慣れているようで「外野うるせぇ」と言い放つ。



「人にものを尋ねる態度か、それが」

「君がいうか?ハハハ」

「うるせぇ!」



 星史郎に言えた立場ではない黒鋼の言葉にファイが尤もな指摘をする。流石に否定できない黒鋼に対し、天照や知世までもが「まったくですわ」と賛同し彼は「だからうるせえってんだ!!」と顔を赤くして怒っている。黒鋼をよく知る面々に生ぬるく囲まれて、話を戻したかっただけの本人はやりにくそうだ。



「失礼、では改めて」



 一連の流れをただ眺めていた星史郎は焦燥の気配を微笑の下に隠して仕切り直した。



「双子の吸血鬼に、会ったんですね」



 星史郎の目的が穏便なものには思えないが、ここで嘘を吐いても彼には見抜かれるだけだ。



「こことは別の世界。”東京”で」



 東京で別れて以来の小狼は、変わらず羽根を探しているのだろうか。東京のことを思い出そうとすると、彼らと少しずつ積み重ねた時間が、築いた関係性が、音を立てて崩れるような心地がある。



「ふたりはまだ”東京”に?」



 星史郎の質問には封真が答えた。昴流と神威は私たちが旅立った後に間もなく移動したらしい。元々、神威は星史郎に追いつかれることを懸念して早くに旅立ちたいようだったので、想像に容易い。間髪入れずに「どこへ?」と問われれば、封真は兄とよく似た隙のない笑顔を見せる。



「弟の俺に教えてくれると思うかな?」



 確かに、肉親の封真が知っていれば星史郎の耳にも入ると思われておかしくない。聞いてはみたかもしれないが、教えてもらえないだろう。そっくりな笑顔を無言で返す星史郎と見つめ合う彼らには、交わした以上の言葉が伝わっていそうだ。



「狩人は獲物に引き寄せられると言うけれど。僕はなかなか本当に会いたいものには会えないようだ」



 興味が失せたように目を逸らす彼には、もう双子の吸血鬼しかいないようだ。



「次の世界へ行くとしましょう」

「待て!」



 魔法陣が完全に描かれる直前。星史郎に声を張り上げたのは小狼である。彼はサクラの眠る神木から降り立つ。



「……君も小狼だね」

「羽根はどうした」

「あるよ。ここに」



 星史郎が胸元に手を添えると淡く光る。小狼はそれを見て表情を険しく「返せ」と続けた。



「桜都国――いや、実際は桜花国だったね。そこで手に入れてそのまま持って行ってしまったけれど。

 ひとつの架空世界を現実にしてしまう程の力だ。返せと言われてどうぞ、と言えるものかな」

「……返せ」



 小狼は印を結び剣を握る。星史郎の立ち居振る舞いを見ていれば、求めているのが説得ではないことは容易く察しがつく。欲しいのなら奪い取ってみせろというのだろう。



「話し合いで解決する方法はない?」

「ずっと見て来たからな。貴方がどういうひとか」



「もう一人の君を通じて……ね」



 星史郎の手にも見覚えのある長剣が現れていく。



「……そういう所はお父上そっくりだな。本当の親子だからこそなのかもしれないけど」



「小狼と一緒に旅してたお父さんのこと?」



 封真の肩に乗るモコナが、星史郎の言葉に疑問を口にする。



「……いや。藤隆さんと小狼君は血は繋がっていない筈だ」



 小狼は藤隆という養父を”父さん”と呼び慕っていたが、実の両親について言及したことは一切無い。星史郎は実父について、その人柄がよく分かるほどに親交があったのだろうか。

 双子の吸血鬼にしか関心がない星史郎が小狼の実父についてよく知っている理由は何だろう。二人の小狼のうち、一人は彼の弟子である写身の小狼で、もう一人は今出会ったばかりだと明言した初対面の小狼。父と呼ばれたのが後者の小狼だったとしたらこじつけられる言葉だが。

 目の前にいる小狼が星史郎の言葉に一切の動揺を見せていない以上、彼自身は誰について語られたのか理解し、気持ちに区切りを付けているのだろう。ならば、私たちは彼に寄り添うだけだ。



「……では。始めよう。羽根を賭けた戦いを」



 星史郎は胸元に仕舞われていた眼鏡を掛けた。剣を構えて向き合う二人を私たちが黙って眺めていると、二人を渦巻く魔力に「お待ちなさい」と手をあげて制したのは天照である。



「そのまま始められたら白鷺城が壊れてしまいますわ。戦いは結界の中で」



 城主の言葉は尤もである。視線を受けた知世姫が頷いて両手で印を結び、向き合う二人を囲う十分な広さの結界を生み出した。その様子をファイが物言いたげに眺めているので、疑問に思いながらも口を噤んでおく。

 結界の中には小狼と星史郎だけでなく封真とモコナ、天照と黒鋼が居る。中に入ろうと思って入れるものではない。知世姫にちらりと目線を向けるが、優しく微笑まれるだけで説明は特にない。



「お二人の戦いは黒鋼とお姉様に見届けてもらいましょう。貴方は私にお話がおありでしょうから」



 ファイはそのようだが、私は心当たりがない。星史郎と小狼がやり過ぎないか心配でたまらないので、余計な茶々を入れないように除外されたのかもしれない。



「貴方は夢見だと伺いました。夢で未来を視ることができると。けれど、日本国に来て、貴方に会って。

 オレは貴方から夢見の力は感じられなかった」



 その言葉を聞いてはっとする。この世界に降りて触れた、冷えて震えた知世姫の手。未来を視ていながらも不安だったのではなく、彼女は本当に”一切分からずに不安だった”のかもしれない。



「貴方と同じですわ。あの方にお渡ししました。対価として」

「……それは、オレ達を……」



 彼女は最も価値のある夢見の力を手放して、黒鋼の無事を願ったのではないだろうか。



「オレ達をセレスの次に日本国に移動させるためですか。

 あの時、あの人が言っていたのは貴方のことだったんですね。知世姫」



 ただ微笑む知世姫の態度は肯定を示している。同時に、ファイがインフィニティからセレスに移動する間、侑子と何らかの取引を目論んでいたことを知る。眉を顰めて見上げれば苦笑に見下ろされるので、溜め息をどうにか飲み込んだ。



「私達未来を視る者は先を読むことしかできません。だからこそ、少しでも愛する者が幸せな道を歩めるように願う。

 できることはとても少ないのですけれど。貴方の王のように」



 ファイを見上げて続けられた知世姫の言葉に、彼の目が見開かれる。



「……アシュラ王をご存知なんですね」



 死に別れたばかりの、彼が愛した人。その横顔は複雑さもありながら、やはり寂しさが色濃いように感じる。



「夢は繋がっています。その夢で先を視られる夢見もまた、その夢の中でお互いの存在を知ることができる」



「王は夢で未来を知っていたんですか」

「王は先を視、少しでも貴方に救いの道はないか探し続けていました。壊れていく中で」



 アシュラ王はファイを殺すためだけに愛し、見守ってきた訳ではない。それがはっきりと知世姫の口から語られることが、心で分かっていたとしても、ファイにとっては救いになるだろう。



「けれど、先を変えるのはとても難しい事です。ほんの少しの言葉、動き。そして心。未来はそれをきっかけに道筋を変えていく。まるで水面に描かれる波紋のように」



 紗羅ノ国で、かつて小狼が放った一言が大きく未来を変えた。婚礼の儀式で陣社は幸せそうな人々が溢れていたが、光があれば闇があるものだ。陽が当たるようになった人々の陰で誰かが辛酸を舐めているかもしれないし、一歩何かが違っていたら陣社と遊花区の人々の溝はもっと深まっていたかもしれない。



「サクラ姫も、それを知っていたからこそ、貴方達に何も告げられなかったのでしょう」

「……」



 サクラに未来を知る力があることは、インフィニティでイーグルが言っていた。最悪の事態を回避するために取ったサクラの行動は突飛ではあったが、それでもアシュラ王ほど辻褄が合わないものではない。



「王の行動や色々な事は、理に適っているとは思いがたい事が幾つもあります。それはやはり……」

「その理が崩れてきているのです。飛王・リードの夢の為に」



 世界は揺れ幅を許しながら均衡を保ち、その秩序を失えば壊れる。私がいた二度目の世界のように。



「いいえ。その理を壊す事こそが、飛王・リードの望み」



 母を喪った春香が。夜叉王の剣を抱く阿修羅王が。痩せぎすのユゥイが。



「そう、あの人の望みは誰しもが願う事。けれど、それは誰にも覆せない理でもあります」

「……オレと同じ望みですね。死んだ者を、生き返らせる」



 飛王自身の望む人が生き返った世界では、ユゥイとファイが共に笑う未来もあったのだろうか。

 崩れた、理の上だとしても。



「ルピも夢見の一人でした」



 聞き覚えのある名に、弾かれるようにして顔を上げる。ルピは、私に二度目の人生で世界救済を指示した”導きの声の主”だ。しかし、彼女はそんなこと一言も明らかにしなかったのに。



 その子細を聞き出すより早く、結界が大きくうねり知世姫が表情険しく天を仰ぐ。結界を打ち破ったのは星史郎の手にある羽根だったようだが、彼の表情にも困惑が見てとれるため、桜都国で述べていたようにこの力は制御できていないのだろう。

 星史郎の手から制御できずに離れた羽根へ、小狼は当然手を伸ばす。それを握り絞めた途端、墨のような漆黒の波動が羽根を中心として小狼を吞み込まんばかりに広がっていく。サクラの羽根は強大な力を持っている。不穏な気配にぞっとして私は杖を手に詠唱を試みるが、小狼が羽根から手を離す気がない限り、救う手立てがない。

 羽根の広げる波動が神木にまで及んだかと思うと、枝がうねるように伸びて小狼の身体を雁字搦めに拘束していく。



「小狼君!」



 もう構うまい、と小狼の手中にある羽根にテレポートを唱える。



「戻って来る、サクラ姫と一緒に!」



 その声に、詠唱を思わず止めてしまった。小狼はあっという間に神木に吸い込まれるようにして姿を消す。同じようなことを、東京やインフィニティでもサクラ相手にしてしまった。私はまた、彼らを一人で行かせる選択をしたのだ。

 ざわめく神木と一層舞い散る桜の花弁が、平時ではないことを嫌でも悟らせる。



「サクラちゃんと……?」

「小僧は!?」



「夢の中へ行かれました」



 夢もまた一つの世界だと、インフィニティに居たときに侑子が言っていた。サクラの魂が在るはずの場所だ。



「……そうか。あの羽根は仮想空間である桜都国を現実化させたもの」

「そして、この神木が夢の入り口となったのでしょう」

「夢の中にいる姫の魂を連れ戻すつもりか」



 魂でなければ夢の中には入れないと言っていたはずだが、桜都国を現実化させた羽根があれば立ち入ることができるようになるということか。なんとも、偶然が重なった結果だと思わずにいられないが、侑子から言わせれば、これもまた必然なのだろう。

 杖を掌中から消し、私は冷えた指を組み、無力にも願う。夢の世界に居るだろうサクラの、いずれ訪れると言われていた小狼の、今しがた戻ると誓った小狼の、無事を。

アメジスト TOP