日本国


 神木の精気を受けながら眠るサクラのもとに、私たちは集まっていた。その幹に各々が足を掛けて、眠るサクラや、神木から感じ取れる異空間の気配に思いを馳せながら。



「……追いかけねぇのか」

「オレにはもう、魔力はない」



 かつてのファイならば、そうしたのかもしれない。



「それに。もしあったとしても……待つよ。辛くても」



 フ、と呼気だけで笑う気配がした。じんと胸が痛むのに、温かかった。サクラの頬に触れる。ほんのりと温かく、魂のない躰もまるで生きているようだった。



「小狼、大丈夫かな」

「私にはもう夢は渡れません。出来ることは信じるだけです。必ず帰って来てくださると」

「……モコナも、信じるよ」



 人を愛し、愛する者を見送り、無事を願い待つこと。かつて私たちを送り出してくれたサクラも、黒鋼を送り出した知世姫も、どんなに辛かっただろう。同じ痛みを抱えて、少しでも信じられるようになった。それでも私には、まだ出来ることがあるはずだ。

 封真と星史郎は久々の再会に他愛ない話を交わしている。ぽつぽつと聞こえてくる会話に耳だけ傾けていると、封真が道中でもう一人の小狼に再会した話が始まる。



「強かったよ。兄さんから聞いていたのとは、おそらく比べものにならない程」

「迷いのないものは強い。その上、心の痛みも体の痛みもないなら尚更だ」



「彼から奪った魔力も備わっているしね」



 ファイに残った右目の魔力は対価として払って彼には無いが、使えば使う程その命と力を減らすものだった。一方で、小狼に渡った魔力は使えば使う程強くなっていたようだ。



「使い続けていたなら、両目が揃っていたあの魔術師を凌ぐ、か」



 きっと、夢の中で戦うことになる。二人の小狼が対峙したとき、単純な武力でどちらが優位なのかは考えればすぐに分かるだろう。

 神木の太い幹が大きな音を立て、両断するように大きな亀裂が生まれる。



「!!」

「桜が!」

「夢で何かあったかな」



「小狼!サクラ!!」



 神木が割れるのは不吉な兆しだと考えてしまう。モコナの悲壮な声に、どくどくと心臓が早鐘を打つ。

 メキメキと音を立てて亀裂が大きく広がる。思わず覗き込むが、不穏に蠢く空間が広がるだけで、小狼たちの姿は確認できない。眠るサクラの手をしっかりと握りもう片手に杖を握り絞める。



「夢の中で……何が起こってるの!?」



 ゴポ、と沸くような音が聞こえた瞬間、私はサクラの体を抱き込んだ。蠢いていた黒い空間から溢れるようにして流れて出したのは、先ほど小狼を呑み込んだものと同じ。粘度のある水音と共に飛び出して来たのは、二人の小狼だった。



「小僧!!!」

「小狼君!!」



 羽根を握る小狼の手首を掴んで離さないもう一人の小狼、日本国の装いを纏う彼は傷だらけだった。奪い合いの果てに手中からすり抜けた羽根は宙に浮き、それを目掛けて二人の小狼が地を蹴る。



「小狼―――!!」



 モコナが二人を呼ぶ声に、返事はない。二人は互いに剣を、刀を突き合う。

 肉を貫く音を見上げる。



「さくら!!」



 貫かれていたのは、サクラの魂だった。小狼の刀に貫かれたところから花弁になって散っていく。庇うようにしていた小狼をサクラが振り向いて首を振る。



「貴方のさくらは、わたしじゃない」



 そう言って正面に向き合うサクラが、愕然としている小狼に向き直る。



「わたしも、同じだから」



 サクラもまた、写身だったのか。写身だからといって、消えていい訳じゃない。回復魔法をサクラに唱えるが、散っていく身体が修復されることはない。ああ、魂の傷は、治せないのだ。



「貴方も知っていたでしょう。わたしが本当のさくらではないと。だからあの時わたしに言った」



 東京で現れた小狼の言葉を思い出す。



『あのさくらを一番大事だと思ったのは”おれの心”じゃない!おまえだろう!!』



 彼は分かっていた。分かっていたからといって、サクラを大事に思っていない訳じゃない。居なくなっていいと思っている訳ではない。



「あなたのさくらが、待ってる。

 だからどうか、これからは……貴方の本当に大切な人の為に……自由に……」



 傾いていく、散っていくサクラの魂が、彼女を貫いた小狼の腕に消えて行く。



「わたし達は創りものでも……同じ……だから。あの二人が生きていてくれれば……おわり、じゃないから……

 貴方が……す………」



 サクラの魂が舞い散る無数の花弁の中に消えた。耳鳴りがするような沈黙は錯覚かもしれない。直後、空気を震わせる悲痛な叫びは彼女を最期に抱き留めていた小狼のものだった。

 小狼たちと私たちを隔てていた黒い渦が勢いを増し、所在なく浮いていた羽根がこちらに向かって吸い寄せられている。サクラの身体を抱きながらもう一方で羽根に手を伸ばすと、吸い込まれて行く羽根の先、神木に再び亀裂が生まれる。

 次は、一体。伸びてきたのは切っ先だ。羽根に手を伸ばし前傾していた身体を横に倒すが、狭い神木の上では避けきれない。首筋にざっくりと刃が食い込む。視界がぐるりと回る。悲鳴が一瞬だけ聞こえた。



 朦朧としてぼやける視界でも何事が起きているのかは聞こえてくる周りの話し声や物音で分かり、やはり最後に残るのは聴力であると実感していた。骨がどうにか繋いでいた首を誰かが支えてくれているようで、私の身体は生命の維持するため自然に修復を始めている。噴き出すようだった出血もじわじわと止まりつつあり、動かなかった手足もぴくりと動いた。身体は酷く重たいが、少しぐっすり眠ることができれば全快するだろう。

 半開きだった瞼を一度閉ざしてから、恐らくは心配をかけているだろう面々のためにこじ開ける。



「ウィズ!!」



 身体と首を支えてくれているのはファイで、お腹に埋もれているのはモコナだろう。彼らは全身血だらけなのに、それどころではないという様子だ。

 サクラや小狼の行方を確認したかったが、声を出そうとすると喉に溜まった血を吐いてしまってモコナをもっと泣かせた。黙ってモコナの身体を優しく撫でる。余った一方の手を首に押し当て弱い回復魔法を一発かければ、痛みは随分ましになった。流石に本調子まではいかないが、歩くくらいならすぐにでもできるだろう。



「どれくらい寝てた?」



 ぎょっとしている表情は日本国の知世姫たちと封真だけ。モコナを含めて一行は私の肉体に慣れているとして、残る一名は興味深そうにするばかりだ。



「ついさっき」

「サクラちゃんは?」



 割れた神木の枝にサクラの姿は無い。恐らく、私の首を落とそうとした者に連れ去られたのだろう。いち早く取り返さねばならない。サクラの魂が散っていく様を受け止め切れていなくても、彼女の体はまだ生きていたのだから。

 私が抱いていたサクラの体はカイルが攫って行ったらしい。つまりは、私の首を落とそうとしたのも奴ということだ。



 サクラが自分を写身であることを知ったのは東京だろうとファイが説明してくれる。共に旅をしていた小狼との別れは彼女に衝撃を与えたかもしれないが、だからといって今私たちと共にいる小狼を拒むような態度は確かに”らしくなかった”。その態度が小狼を拒むものではなく、写身であると認識した自分を周囲から孤立させるものだと今となっては理解できる。私たちを想う気持ちが無くなることはなく、それが彼女のインフィニティにおける行動と結果だったのだろう。



「サクラ……」

「おまえはいつから知ってたんだ」

「……最初から」



 セレスで垣間見た彼の記憶では、小狼が写身であることしか聞かされていなかったが、当然視せられたものが全てではないだろう。飛王は彼に、同行するサクラもまた写身であることを伝えてあったのだ。



「……だからこそ、オレに叶えられる願いなら、叶えてあげたかった」



 サクラが写身であると認識した東京の時点で、ファイはそれに気が付いていたのだろう。理由がはっきりと分からなかった急激な変化に戸惑いながらも、あのとき確かに感じた違和感は間違いではなかった。全てを飛王から知らされていたファイでなくとも、長く旅をしていた私だって気がついていた。なのに、何もできなかった。



「サクラちゃんは躰と心どちらも写された。だから飛び散ったあの羽根達は元になったサクラちゃんと同じものだ」



 散り散りになった羽根は写身であるサクラの記憶なのだ。



「何故小僧の時とは違えたんだ」

「……もし、写したサクラちゃんに何かあっても……元になるサクラちゃんがいれば……」



 言葉にすることすら躊躇われるような選択を、飛王は自身の夢のためには選ぶことができるのだ。

 サクラが真実を知って運命に抗う選択をしても、旅の途中で事故があったとしても、元になるサクラが居れば彼の夢への道が閉ざされることはない。どんな形であれ、サクラが旅を続けられればそれだけでいいというのだろう。



「……姫の魂は……消えたのか」

「サクラ……!!創られたとか関係ないよ!サクラは、サクラだよ!!!」



 黒鋼の確認するような問いにファイが答えるより早く、モコナが叫ぶ。その通りだ、と私も腕の中のモコナを抱いて頷く。



「……そうだ」



 力強く答えたのは小狼である。



「おれはずっと見ていた。みんなの旅を」



 私たち共に旅を続け、全ての時間を、思いを重ねて来た。写身だったとしても”サクラ”という彼女には違いないのだ。



「だからこそ、取り戻す」



 小狼に頼まれたモコナがすぐに侑子へ通信を繋いでくれる。

 私は身体を支えてくれているファイに礼を言ってから起き上がり、傷だらけの小狼の横にふらつきながら座り直した。まるで侑子の店に訪れたときのようで、懐かしい、と思う。



「願いがあります。さくらの居場所を教えてください」

「……どっちのサクラ(さくら)なのかしら」

「どちらもです」



 元になったさくら、写身のサクラ。



「さくらは絶対死なせない」



 侑子は小狼から目を離す。言われる前から続けられる問いが分かる。



「教えたとして、他の三人はどうするの?」



「行く」

「行きます」

「行かせてください」



 彼女が瞬きをする一瞬が長く感じる。



「では、対価は」



 何を要求されるのだろう。目的地を指定する対価は軽微ではない。差し出せるものなど、何も思い当たらなかった。侑子の言葉を繰り返すように「対価は」と問い返した小狼に、彼女は暫し言葉を止めた。



「……既に受け取っているわ」



 一行は言葉もなく、それぞれが動揺を示す。誰がいつ、何を対価に。



「誰に?」



 いち早く侑子に反応を返したのはモコナだった。



「小狼と誰よりも近いひと。そして、貴方達と一緒に旅した姫と同じ対価を、過去にあたしに払っていた」



「姫と同じってことは……」

「記憶……?」

「誰よりも近いひと……?」



 困惑する私たちに対して、小狼は侑子の言葉に何か気が付いた様子で、続けられる説明をどこか痛まし気に聞いている。



「そして本人は、自分の過去も両親の名前も、この対価を渡したことさえ忘れている。

 貴方と同じ願いの為に」



 素性の分からない”誰か”の差し出してくれた対価のためにも、私たちはサクラを必ず取り戻さなくてはならない。痛まし気に顔を俯かせていた小狼も覚悟を決めた様子で侑子と目を合わせた。

 飛王のもとにサクラが居る。飛王自身を追うことはできずとも、夢の為に集められた人の魂が向かう先を追えば居場所が分かると侑子は説明した。



「知っていたのか」

「少し前の事だけれど」

「……そうか」



 もっと早くに分かっていたら、防げたことはどれだけあるのか。例えば、サクラが離れる前に。例えば、共に旅をした小狼が離れる前に。黒鋼の考えていることの予想がつくくらいには、同じことを私も考えずにはいられない。



「魔力を持つものが相手の居場所を知るという事は、自分の居場所も知らせる事になります」

「……ええ」



 侑子が飛王の居場所を探れば、通じた道から報復があるだろう。



「この店は来たるべき日の為につくったもの。そしてあたしもその日の為にここにいる」



 侑子にも、願いがあるのだ。これもまた彼女の願いを果たすための”来たるべき日”の一つなのだと思うと、それは長い道のりだろうと感じる。この旅は幾度も彼女の導きを経た。私たち以外にも、彼女が導いた者は沢山いるはずで。



「飛王がいるのは……玖楼国よ。”切り取られた時間”の中の……ね」



 彼らの故郷へと戻るのかと考えるのも束の間、続けられた言葉に目を細める。紗羅ノ国へ訪れた際、その過去――夜魔ノ国へ更に移動を続けた。サクラが、飛王が居るのは玖楼国の中でも限定された場所なのだろう。しかし、”切り取られた時間”という言葉には引っかかりを感じる。



「詳しいことは、言えないんですよね」

「……ええ」



 侑子に干渉値を越えることはできない。限られた情報の中から、私たちが考えるしかない。



「今すぐに貴方たちを移動させることはできない。”その時”が来たらモコナを通じて伝えるわ」

「”その時”はいつ来る?」

「待って数日よ」



 もどかしい時間を過ごすことになる。その数日で、サクラの身に何かあるかもしれない。散ったサクラを抱いて、悲痛に叫んでいた小狼にだって。



「それまでは、白鷺城でお過ごしください」



 一行がそれぞれ足踏みする心地で広げていた沈黙を破ったのは天照の一声だった。伏せていた目を彼女へ向ける。その表情は至極冷静に私たちを諫めるような色を含んでいた。待つしかない、それを受け止めるしかないのだ。



「ありがとうございます」



 真っ先に彼女へ礼を言ったのはファイだった。私も彼女へ「よろしくお願いします」と頭を下げる。ファイが場を回してくれるのは、旅の始めから同じだ。

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