日本国


 傷だらけの小狼と病み上がりの黒鋼とは治療のために別れた。私は知世姫が言っていた”導きの声の主”ルピが夢見だったという話を聞くため、彼女に案内されて別室に居る。気がかりなことがあるようで、室内には三人が膝を突き合わせていた。



「ルピは世界の崩壊を悟りながら、一方で貴方が孤独になることを何よりも恐れていました」

「……私が”違う”ことを知っていたから?」



 含みのある微笑みが、私の答えが満点でないことを悟らせる。



「ルピに課された使命とは異なる願いを、彼女は叶える術を持ちません」

「だから、店を」

「はい」



 ルピは侑子の店にコンタクトを取ったのだろう。夢見の力で知世姫と邂逅したのであれば、その選択肢を選ぶことができたはずだ。



『あたしへの依頼で、この旅に同行することは決まっていた』



 飛王によって、ファイと黒鋼がもう一人の小狼と共に旅の同行者として集められたことを聞いたのは東京でのこと。そのとき、私の名前は呼ばれなかった代わりに、侑子はそう言った。

 私が旅に同行すること自体がルピの願いではなかった。旅の始まりで私が侑子に払うことになった対価は不自然なほどに軽かったが、旅への同行を対価と決めたのが侑子だとするのなら、杖一本は手間賃のようなものかもしれない。



「ルピは、いま何処に……」

「案外、近くに居るんじゃないかな」



 ぽつりと呟いたファイが、私の襟元にそっと手を触れた。



「ウィズちゃんが死にかける度に、馴染みのない魔力を感じてた。居なくなった訳じゃなくて、視えなくなったか、聴こえなくなったのかも」



 この旅で死を覚悟したのは桜都国で穴だらけになったときと、先ほど首を斬られたときくらいのはずだが、確かにどちらのタイミングでもファイが近くに居た。彼は確信を得るべくこの話に同席したのかもしれない。今は何も感じないという言葉を聞きながら、まだ熱の残るところへ自分の手を辿らせる。



「ルピという名前を与えたのは貴方だと聞きました」



 そう、彼女は名乗らなかった。あらゆるしがらみに縛られた彼女には名乗る名前も無かったのかもしれないし、名乗ることができなかったのかもしれない。知世姫には随分饒舌だったようだ。

 与えたというには捻りもない。私が初めに降り立った街の愛称を彼女につけただけ。疎外感に苛まれていた私が、誰かと共にいるときも、一人でいるときにも傍に居てくれた彼女に。

 私はまた、会える日が来るのだろうか。







 魔力を探知する能力は戦いの中で必要になったことがほとんど無く、伸ばしてこなかった分野である。危うく首を落とされるところだった前夜はすぐに休むよう促されたが、早朝には再びファイから魔法の指導を受けていた。彼は魔力を失ってはいるが、これまで吸収してきた知識を失った訳ではない。魔力探知は飽くまでも基礎であるという彼に途方もないことを始めてしまった自覚はありながら、それでも自分がやるべきことを見つけられた気がしていた。

 自分と共にあるというルピの存在を認知し、分離させること。ファイが魔力を取り戻したとしても、彼には為せないというが、彼が一つ嘘を吐いたことに気付きながら目を瞑った。混じり合うものを正確に分離させる魔術について説明を受けているうちに確信を得たのだ。第三者による分離魔術は正確性に欠け、魔術を受ける対象に危険が伴う。それをファイに負わせることは、私にはできない。指導をしてくれることだけで感謝しているのだ。

 とはいえ、ルピとの再会は飽くまでも二の次である。サクラを取り戻すために切り取られた玖楼国に居る飛王を、きっと――討つことになるだろう。回復魔法や補助魔法に偏っている私の魔法を伸ばすこと、そして専門外である攻撃魔法も拡充していく。



「ウィズちゃんは風魔法との相性がいいね」



 ファイの指導によって、限界を感じていた攻撃魔法が裾野を広げながら、その属性別で偏りがあることを指摘される。後方支援に傾きがちな役職柄、仲間への誤射を起こしにくい風魔法は活用されがちである。水魔法の応用が必要となる氷魔法については壊滅的で、詠唱した魔法は「涼しいー」と称されるただの冷風であった。セレス国で見せられた本物の氷魔法とは全くの別ものである。



「次、お願いします」



 居た堪れなくても、続けるしかない。侑子の言っていた数日後は、待ち遠しいが、あっという間に来る。サクラを取り戻す。そして今度こそ、飛王の手から彼女を守り通すのだ。

 もう何も失わないため、少しでも力をつける。







 鍛練の場として貸し出された道場には黒鋼も姿を見せた。



「もう腕はいいの?」

「ああ。動かねぇと身体が鈍るからな」



 そうは言うが、黒鋼の動きはぎこちない。義手の感覚が掴めないのだろう。傍で見ていたファイが無言で放った弓矢が掠めるとぎゃんぎゃん吠えていたが、以前までの黒鋼ならば難なく避けたはずである。



「二対一かよ!」

「小狼君はまだ怪我してるでしょー」



「おめぇが加勢しなきゃいいんだろうが!!」



 時々二対一になりながら訓練は続き、黒鋼の細かい傷を治していると、義手の接合部に一番損傷が酷く、勿論これは今回の訓練でついた傷ではない。



「ここ、ちょっと痛いでしょ」

「あ?別に、違和感はあるくれぇ、っだ!」



 ぐっと肩を握ればじんわり血液が滲むような感覚がある。回復魔法をかければ一度は治癒するが、根本的に肉体と義手がかみ合っていなければ、いずれ同じ傷になるだろう。



「また明日見てみよう」

「チッ」

「知世姫に言い付けちゃお」

「見せねぇとは言ってねぇ!」



 ファイと顔を見合わせて肩を竦める。全くこの男はお姫様に弱いらしい。







 侑子からの連絡を待つモコナは小狼と一緒にいることが多い。食事の席で見るモコナの落ち込みようは目に見えて分かるが、それを感じ取らせまいと普段通りに振る舞ってくれる健気さには感謝しなければならない。

 入浴時、着いて来てくれたモコナと風呂に浸かっていると、首元をぺたぺたと触れられる。



「傷、もうないね」



 一行の深い傷は全て治癒している。この数日で私が回復魔法をかけたのは勿論だが、白鷺城に在籍する医師が丁寧に具合を見てくれているためである。



「寝たら治るからねえ」



 私の身体のように、サクラの身体が丈夫だったなら。失われたファイの目も、黒鋼の腕も、私に起こったことならば、何事も無く再生しただろう。



「でも、痛いよ」



 モコナの声に、はっとする。



「ウィズが怪我したら、みんなの心が痛いよ」



 震える白い身体をそっと抱く。私はどれだけ、モコナを傷付けただろう。



「ごめんね」



 ぽろぽろと胸元を辿る熱い滴が、その痛みを物語る。



「そうだよね」



 モコナは私たちのことをよく見てくれていて、想ってくれていて。



「大好きだから、心配になるんだよね」



 ピッフル国で、サクラがレースに出場することが心配で堪らなかった私に、モコナがそう声を掛けてくれた。



「私もね、皆で一緒に居たいよ。傷付いてほしくない。私が傷付くことで皆の心も痛いなら……そう言ってくれるモコナが居るから、出来る限り怪我もしないようにする」

「モコナも、ファイも、黒鋼も。小狼も……サクラも、そう思ってるよ」

「そうだね」



 ここに居ないサクラが、自分を取り戻すために誰かが怪我をしたり、失われることを決して望まないことは想像しなくても分かることだった。



「皆、分かってるとは思うけど……改めて伝えに行こっか。怪我しないでね、って」

「うん」



 涙声のモコナがこくりと頷く。



「みんなに、ぎゅーってしに行ってあげよ」



 きょとん、としたモコナは次第に表情を和らげ、にっこりと笑う。



「うん!」



 あのとき、モコナが声を掛けてくれなかったら。私はこうして伝える言葉を持たなかっただろう。そして、ファイや黒鋼、小狼やサクラにも踏み込むことができなかったはずだった。



「モコナ、ありがとう。大好きだよ」

「モコナも、ウィズのこと大好き!」



 強く抱きしめ合ってから、皆が眠ってしまう前にと湯舟を上がるモコナに、もう憂いの表情は無い。

 急いで身支度を整えまず赴いたのは無論、彼のもとである。





「ファイー!」

「わ、モコナ?どうしたのー」



 扉を開けるなり飛び込んできたモコナを難なく受け止めたファイが、モコナの熱烈なチューを頬に受けて笑っている。ぎゅーどころの話ではないが、モコナが楽し気に笑っているのでこれが最適解である。



「釘をさしに行くところ」

「大好きだよーってしに行くの!」

「全然違うねぇ」



 お返しチューを順番にかましたファイが「オレも行くー」と列に加わる。暫く歩いてから、黒鋼の部屋の前、扉越しに声を掛ける。



「黒鋼」

「なん……あ!?」



 すとんと戸を開いたところからすかさずモコナが飛び込んでいく。顔面に無事着地したモコナが引き剥がされたかと思えば、追いかけ回し合っている。



「つかまえてごらんなさーい!」

「ちょこまかと逃げやがって!!」



 活き活きと逃げ回るモコナが「モコナについてきてー!」と声を張って部屋を出る。黒鋼がその姿を追っていく。きっと小狼の部屋に向かって行ったのだろう。



「小狼君、びっくりするんじゃないかなー」

「びっくりさせちゃおう」

「いいねえ」



 小狼は未だ一歩、一行と距離を置いている。私たちの旅を知っていながらも、そこに居たのが自分ではないから。

 打ち破らんばかりにモコナが捻じ込んだ隙間を黒鋼がスパンと勢いよく開いた。



「!?」

「小狼!!」



 その胸元に飛び込んだモコナがしっかりと小狼の着物の襟に縋り、彼はその身体を抱き留める。鬼の形相で追っていただろう黒鋼の姿を見てきょとんとする顔には見覚えがあった。



「小僧、そいつを渡せ」

「え」

「ダメだよ!」



 後ろから覗き込む私たちに状況説明を求める視線が寄越されるので、私は黒鋼の帯を掴んで引き留める。



「モコナのこと、離さないでね」

「そう!ぎゅってしててね!」

「あ!?」



「まあまあ、ここはモコナの言う通りに。ね」

「逃げろー!」

「逃げる……!?」



 一切の状況説明をされず、しかし素早く走り出した小狼、腕に抱かれたままのモコナを追う黒鋼。夜も更けていく白鷺城内を走り回る一行がその戦いを終えたのは、天照による「体力が有り余っているようですね」という言葉が掛けられるまでのことである。







 モコナのもとに侑子から連絡があった。決行は本日の正午。モコナを通じて各々の服が返されたようだ。サクラが侑子に贈った洋服を対価に、質に出されずに済んだ物だ。

 一行はそれぞれが着替えを済ませてから桃色の花弁が舞う神木の間に集まるよう言い伝えられた。知世姫らは既に集まっていて、ファイと黒鋼も間もなく到着した。侑子とはホログラムで既に通信を繋いでいて、モコナは「黒鋼もファイも、元の服だね」と呟いた。



 最後に踏み入った足音にはっとする。靴の音で、来たのが彼だと思ってしまった。横で呼吸が微かに乱れたファイも、きっと同じだったのだろう。

 背格好も装いも”小狼”のものだ。それでも、彼とは違う。



「……その服……」

「預かっていた小狼の服よ」



 ずきり、と痛む胸に、目を閉ざすことはしなかった。受け止めて、進むために。



「モコナ」

「はい」

「玖楼国の止まった時間に行ける機は一度しかない。

 四月一日が記憶を対価に貴方達に渡した、飛王の居場所とこの機を逃さないで」



 私たちの旅に関わっている人は想像よりもずっと多いのだ。犠牲になってきたものも同じだけあるのだろう。モコナは表情を引き締め、こくりと頷いた。



「では、行きなさい。玖楼国へ」



 通信先から爆発音が聞こえる。しかし、それを確認する間もなく侑子は「今よ」と切迫した声色で告げた。

 魔力による光に消えゆく知世姫らの表情は硬い。



「有り難う」



 何から何まで、便宜を図ってくれた彼らへ礼を言ったのは小狼である。ファイと私も小さく頭を下げた。黒鋼は倣うことこそしないが、その目線はしっかりと知世姫を収めていて逸らすことはない。



「貴方達の大切なものが、その手に戻りますように」



 こくり、と小さく頷いた。できることをやる。かつての小狼も、きっとそうしただろう。

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