玖楼国


 私は黒鋼とファイを部屋に置き、小狼とモコナが居る部屋に戻った。宿を提供してくれた彼女は、男女で部屋を分けることを想定したようだが、この状況で誰かが一人になるのは避けた方がいいだろう。

「腕、よくないのか」
「ピッタリとは合ってないみたいでね。また明日状態を診るよ」
「黒鋼、ちゃんと見せてくれるかな」
「ファイがとーっても怖い顔して怒ってたから、大丈夫だと思うよ」

 安心したようなモコナに反して、小狼はファイの態度に想像がつかないのか一瞬ぽかんとしていたが「おやすみ」と声を掛けるとはっとしたようである。

「……おやすみ」

 モコナには小狼のベッドで眠るよう促した。彼らの安らかな呼吸音を聞きながら、私も目を閉じた。


 ぐらりと目眩に似た心地が頭を襲う目覚めである。よく眠った心地はあるのに、寝覚めは頗る不良だ。小狼とモコナも間もなく目覚めて起き上がっているが、二人は比較的寝覚めがいいらしい。

「静かだね。家の中」
「……確かに」

 ファイと黒鋼は起きているのだろうか。手早く身支度を整えてリビングに出ると、もう一方の部屋からファイと黒鋼が続けて出てくる。

「お家のひと、誰もいないね」
「お仕事があるから、朝早かったのかもね」

 それにしては妙だった。昨日、卓上に置き去りだったはずのリンゴの皿も、サイドテーブルにあったリンゴのパーユも、どこにも見当たらない。いくら寝入っていたとしても、カーテン一枚隔てられた先の生活音を聞き逃すような一行ではない。

「料理が……」
「ないよね、跡形も」
「パーユ、食べたかったね」
「そうじゃなくて……」

 黒鋼とファイは気付いたようだが、モコナはピンと来ないらしい。

「変だね」
「あの親子の昨夜の様子で、朝飯も用意してねぇってのも妙だろう」
「……確かに」

 この些細な違和感が無かったとしても、彼らのもてなしぶりからして妙である。

「何かあったのかな」

 モコナの言葉を受け、小狼が玄関口に駆けて勢いよく開く。私たちも彼に続いて外に出れば、町の風景は昨日と何ら変わりない、人々の暮らしがあった。
 辺りを見渡していると、聞き覚えのある声が「あっ」と上がる。小狼に向かって飛び込んでくるように躓いた――リンゴの入った籠を持った少年。

「ありがとうお兄ちゃん!――旅のひと?」

 まるで初対面のような質問にたじろぎながら、小狼が「ああ」と返事をする。

「ほんとにありがと!玖楼国はいいとこだよ!」
「え!?」

 前日に掛けられた言葉と、僅かな乱れもない。

「……なんだ、今のは」

 朝から不在の母子、初対面のような態度、全く変わらないやり取り。黒鋼が低く呟いた言葉を皆同じく感じていただろう。
 警戒を強めて昨日と同じ町を歩く。

「お兄ちゃん!さっきはありがとう。お店の品物落とさずにすんだよ!」

 ただ黙って警戒を示しながら少年の様子を観察する小狼に、もう一つの聞き覚えのある声が掛かる。

「本当に有難うございます。この子慌て者で」

「その格好、異国の人かい?」

 人々が自然と集まって来るのも同じ。

「なんだか3人とも随分違った服だね。それぞれ別の国から来たのかい?」
「いいねぇ」

「あの子だけじゃない。みんな昨日と同じ事ずっと話してる」

 モコナがそう言い切ると、この異常事態を再認識して背筋が冷える。

「ゆっくりしていくといい。祭りも近いしね」
「祭りは遺跡で……?」

 小狼の問いに「おう、あの遺跡でな」と返され、話題が今夜の宿へと移る。私たちがただ聞き手に回って相槌を打たずにいたせいか“やっぱり誰かと一緒はいい”と述べたはずの声は無かったが、それ以外は前日とほとんど同じ言葉なのではないか。

「陽が暮れる」

 そう言った小狼の言葉にはっとして彼の横顔を見る。彼の向こうに見えるのは確かに夕陽だった。つい先程起きたばかりなのは間違いないはず。

「ヘンだよ。モコナ達起きてまだ全然時間経ってないのに」

 違和感を訴えるモコナが胸に飛び込んでくる。その頭を撫でるものの、安心させる言葉をかけてあげられない。
 夕食のメニューも同じ。更に盛られたリンゴの数も、サイドテーブルに置かれたパーユの数も。

「……ごちそう、さま」
「母さんのパーユもね、美味しいんだよ」

 ファイは母親について“お料理上手なんだね”と賞賛したはずだが、今晩は柔和に微笑みながら黙ったきりだ。

「パーユって……」
「これ。中にね、市場で売ってるうちのリンゴが入ってるの」
「だよね……あのね、それ昨日も」

 言いかけたモコナの言葉は止まる。小狼の手へ昨日と同様にリンゴが手渡されるのを見て、言葉を続けられなかったのかもしれない。
 母親が同じ言葉を並べて休息を促してくれた後、私たちは今晩借りた一室へと移動した。

「……やっぱり繰り返してるね」
「一日すべてじゃない。夕方から夜までの数時間だ」

「これが切り取られた時間……?」

 侑子の言っていたことを、未だ理解しきれない。

「繰り返してたとしても、モコナ達が来たから何か変わっちゃったんじゃないのかな。このうちの子は小狼がいなかったら転んじゃってたのかも」
「何の為にこんな事してやがる」
「分からない。けれど、飛王の策である可能性が高いね」

 繰り返す時間を変えたらどうなるというのだろう。確かに少年が転ぶことは阻止したが、それが意味のある変化だとは思えない。

「もう一日確認してみる?明日も同じ時間を繰り返すか」
「……ああ」

 もっと大きな変化が必要なのか、小狼が気にしている遺跡に行かなければ始まらないのか。

「さて、腕はどうかな」
「おい」

 ファイによって、ベッドに座らされた黒鋼の外套が躊躇なく剥かれる。傷口は昨夜の治療前よりはマシだが、やはり一日の経過で悪化してしまっている。

「繰り返している玖楼国の時間の中でも、オレ達の時間は進んでいるってことだね」
「なるほど」

 その推測に関心しながら回復魔法を掛ける。
 各々寝支度を整えたものの、誰も眠る様子がない。

「……眠れないの?」

 モコナは小狼の横に立ち声を掛ける。確かに、先ほど起きたばかりだ。休めるときに休むことも必要だが、基本的に働き通しの一行は眠り続けるということに馴染みが無いかもしれない。

「どこで時間が繰り返しているのか、確かめようと思って……」

 小狼の言葉にファイも頷いている。彼も同じことが気になっていたようだ。
 ぐらりと、目眩に似た感覚が襲う。

「これは……」

「……なんだ?」
「目が開けてられないよ」

 寝覚めに感じたものと同じだ。時間を操作する魔法なのだろうか。対策をしていなければ防ぐこともできない。どうか無事に目覚めてくれと願う、この無力さといったら。

 意識が浮上すると、外はもう明るくなっている。起き上がるなり、私たちは顔を見合わせる。

「みんな急に眠くなったの?」

 モコナの言葉に一行の表情は険しいまま。
リビングに行っても、やはり母子の姿はない。

「夕方から夜までの、ある一定の時間だけを繰り返すことが、飛王の策だとして」

 街を歩きながら小狼が呟く。躓いた少年を支えて礼を言われる。

「この人達にずっと同じ事をさせているのだとしたら……」
「この人達の時間はずっと進まないって事……だよね」

 何のために?

「いつまで経っても明日が来ないなんて、それってなんだか……凄く悲しいよ」

「お兄ちゃん!さっきはありがとう、お店の品物落とさずに済んだよ!」
「……」

 母子のやり取りを眺めていると、ファイが口を開く気配がしてその横顔を見上げる。

「でもひょっとしたら、時間が進むほうが悲しい事もあるのかもしれない」
「どういう事だ」
「たとえば……進んだ先に、何か起こったのかも」

 推測の域を出ないが、これが飛王の策だとしたらそれが真実に思えた。

「その格好、異国の人かい?」

「……会話は同じだが、変わってるところがある」
「なぁに?」
「人が減ってる」
「!?」

 黒鋼の言葉を受けて周りを見渡す。言われてみれば、確かに。モコナもそれに同意した。

「なんだか4人とも随分違った服だね。それぞれ別の国から来たのかい?」
「いいねぇ」

「確かに……この会話の後に“一人旅もいいけど、やっぱり誰かと一緒はいい”と言ったひとがいない」

 気のせいではなかったのだ。相槌を打たないから言葉数が減ったのではなく“その発言をした人がいなくなっている”なんて。

「ゆっくりしていくといい。祭りも近いしね」
「……何の祭りですか」

「玖楼国のお姫様、桜姫のお誕生日を祝うお祭りだよ!」

「!」
「サクラ姫って、サクラの事!?」
「姫は姫だよ!」

 モコナの質問に答えるのは件の少年である。愛らしい姫だと続ける母親の表情も、その姿を思い浮かべているのか柔和な笑顔を浮かべている。

「……これはいつの時代の玖楼国なんだ」

 サクラが生まれてから、まだ戦いに巻き込まれるよりも前の時代か。

「さくら……姫は今度の誕生日で何歳になるんですか」
「えっとね!もうすぐの誕生日で、七歳だよ!」

 この時代のサクラは予想よりもずっと幼い。

「だったらこの玖楼国は過去なのか」
「確かめるにしてもここじゃ分からないね」

 七歳のサクラの誕生日に、何かが起きたのだろう。小狼は表情を険しくしている。

「サクラに会うならお城かな」
「桜姫はお城にいないよ」

 モコナの疑問に対し、母子はサクラが誕生日前の潔斎の儀式のため遺跡にいると言った。

「……さくら。あの時に……やっぱり……」
「やっぱりって?」

 小狼の言葉にモコナが疑問を投げかける。それに彼が答えるよりも先に、人々の話が前日同様に進んでいく。

「宿はもう決めたのかい?」
「だったらうちに来て!」
「そうですね……」

 少年の提案に賛同する声を上げた母親の――身体がどろりと溶けていく。

「!!」

 一同が声もあげられずに唖然とする中、瞬きの間に全身が溶けて地に飛散したかと思うと、煙を上げて蒸発するようにして跡形もなく消えてしまった。彼女の手料理の味を思い出す。玖楼国での暮らしを、少年との日々を語った声を鮮明に思い出せるのに。

「そうすりゃいい。旅の途中……」

 何も気づかないのだろうか。黒鋼が鯉口を切る音を耳が機械的に拾う。何事も無かったかのように言葉を続けた男性の身体も溶けていく。
 ファイの身体も強張った。溶けて消えて行く人々を警戒するように小狼を背に庇うように囲う。

「それにこの国、夜はすっごく寒いよ。外で寝るなんて無理だよ」

 少年の明るい声色を背景に人々が溶けていく。言葉を失う私と小狼、警戒で口を引き結ぶファイと黒鋼。モコナがようやくはっとして声を上げる。

「何!?な、なんで急に!?モコナ達、何もしてないよう!!」

 小狼は肩に乗り混乱しているモコナを宥めるように手を添える。

「いや。変わったんだ。
 同じ時間を繰り返していたこの人達の中に、おれ達が現れて流れが変わった」

「あ!で、でも、溶けちゃうなんて!!」
「それで人が減ってたのか」

 雑踏の中に消えて行っていたのだろうか。私たちですら気が付くこともない内に。先ほどの、少年の母親のように。

「こいつら……生きてるな」
「少なくとも幻の類じゃないね」
「って事は、モコナ達がここにいて何かする度に、この人達はこうなっちゃうって事!?」

 小狼が強く歯を噛み締める音が聞こえてくる。
 これもまた飛王の企みなのだとしたら、やはり奴は手段を選ばない非道なのだろう。生きた人々の時間を支配し、私たちの介入がある想定を踏まえて、彼らの命が潰えた道を踏み越えさせようとする。

「遺跡へ行こう。そこにさくらがいる」
「それは……どのサクラちゃん?」

「おれが会ったさくらだ」

 ファイの質問に答えた小狼の後ろに続く。

「それは、その目を通してか」
「……いや、違う。囚われるまで、ずっと側にいたさくらだ」

「!?」

 私たちと旅を続けてきたサクラの元になった“サクラ”。

「お兄ちゃん達どこ行くの」

 引き止める、少年の声。

「町を出たら危ないよ。泊まりにおいでよ。泊まりにおいでよ。泊まりにおいでよ」

 同じ言葉を繰り返す少年の異様さに誰もが振り向いた。少年の背後で無数の人々が溶けていく。

「この人達、元に戻らないの!?このまま死んじゃうの!?」
「泊まりにおいでよ、お兄ちゃん達。お母さんの料理、おいしいんだよ」

 モコナの悲壮な叫び声に構わず私たちを引き止める少年の笑顔がどろりと溶けていく。その手を、駆け寄った小狼が掴む。

「……進まない時間は死と同じだ。
 けれど、これからおれがとる行動は、その事に対する何の免罪符にもならない」

 概念的な死に対する救済ではない。小狼が、私たちが為そうとすることは、エゴイズムだ。

「おれは、おれの願いを叶える為に行く。その報いは……すべて、この身で受ける」

 小狼は少年を強く抱きしめた。そっと離れ、踵を返す。ぽたりと滴の跳ねる音が背中から聞こえてくる。

「リンゴでね、パーユを作るの。きっと好きになるよ」

 たとえば、今からでも、今夜も少年の家に泊まると言えば。彼は形を取り戻すのか。母親もその声をまた聞かせてくれるのか。リンゴのパーユを夜に食べたいと言ったなら、終ぞ味わうことのなかったそれも堪能できただろうか。
 そうしたら、サクラを、飛王の罠に翻弄される彼らのような人々を、誰が救うというのだろう。

「行かないと。世界の均衡を、これ以上崩させないために。
 まだ、この世界は終わっていない」

 震える小狼の背中にそっと触れる。私の世界は崩壊を迎えたが、玖楼国はそうではない。まだ、終わってはいない。喪われる人々が居たとしても。
 はっとして私を見た小狼はその琥珀色の瞳を揺らす。

「傷になるよ」

 固く握り絞めていたのだろう、小狼の手にファイがそっと触れた。

「確かに、進まねぇ時間の中で生きるなんざ死んでるのと同じだ。
 それに、おまえに罪があるなら俺も同罪だろ」
「オレもね」
「もちろん私も」
「モコナもだよ!」

 サクラを救いたいというのは、一行の総意だ。彼らの命は、小狼だけが背負うものではない。私たち全員で負うものだ。

「急ごう」

 歩きながらぽつりと呟いたのはファイである。確かに、体感時間として巻き戻りが近いだろう。見る見る内に沈んでいく夕陽が見えなくなって暫く、これまでならば眠気に襲われ巻き戻っていたはずだ。小狼の肩の上で寒さに震えるモコナが、フードで風除けをしてくれた彼に「ありがと」と柔らかく礼を言っている。

「もう少ししたら、また急に眠くなって、時間戻っちゃうのかな」
「……いや。遺跡に入ればおそらくそれはない」

「何故分かる」
「おれの考えが正しければ。あの日のまま、遺跡の中の時間は停止まっている筈だから」

 見覚えのある紋様の扉を押し開けようと小狼が手を翳した。触れるより先に押し開いた中は、町明かりの届く夜の砂漠よりも暗い。

「勝手に開いたよ……!」
「歓迎されてるみたいだねぇ」
「上等だ」

 言葉だけなぞればいつも通りに余裕を残す二人の言葉に、私は唇を噛み締める。彼らもまた、敵地に来たと、肌で分かるのだ。声色はいつもより幾分硬く、警戒を感じ取れる。

「誰もいないの?」
「潔斎の時、遺跡に入れるのは神官と儀式を受ける王族の者だけだ」

「その王族は……君が昔一緒にいたサクラちゃん?」
「……ああ」

階段を昇って辿り着いた先の室内は明るい。人工的に整備された多方面の階段がある広場の中心、大きな水溜まりへと水が流れ落ちるようにして――その一切が停止まっていた。

「この砂漠の地でこれだけの水を、それも建物の上に維持してるって事は……建築技術も勿論だけど、余程の魔力でこの場を支えてるって事かな」
「ああ」

 ファイの言葉に小狼が頷く。

「それがこの国の神官の大切な任のひとつだ。
 そしてさくらは現王族の中で最も魔力が強くて……次の神官候補だった」

 サクラと小狼を共に次元の魔女のもとへ移動させた神官よりも、サクラの魔力は強大だった――もしくは、伸びしろとして強大になり得るものだったのだろう。その記憶が戻ったサクラが、夢見としてファイの呪いを知ったのなら、そう。インフィニティでの行動を取ったことは想定ができる。

「小狼はいつまでそのサクラと一緒にいたの?」
「……ずっと」
「え?」

 その“ずっと”に含まれる意味を図り兼ねるモコナへと、小狼が続ける。

「ずっと一緒だった。
 初めて出逢った七歳の誕生日の七日前から、おれがこの姿の年になるまで、ずっと」

「で、でも、小狼捕まってたんだよね。小さい時から」
「時間を巻き戻したんだ。対価を払って」
「……あの魔女にか」
「ああ」

 七歳の少年期から、青年に足を踏み入れる今まで共に過ごし、その後は時間が巻き戻り囚われたということか。

「侑子に」
「理由を聞いてもいいのかな?」
「あの日のさくらを、取り戻す為に」

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