玖楼国
小狼が渦から戻って来た。一人で――基となった小狼だ。
「わたしが……もうひとりの、わたしが……消えて」
涙ながらに状況を伝えるサクラに、小狼は渦の中で失っただろうもう一人のことを思い出しているようだった。
「わたしと小狼と、ふたりの記憶があれば……終わりじゃないって……だから」
小狼に手にももう一枚、模様のない羽根があった。二枚の羽根が光ると、小狼とサクラ、それぞれの胸に吸い込まれていく。力なく倒れ込むサクラを私が、小狼を黒鋼が受け止める。泣き腫らしたサクラの目元をファイが撫でる。サクラは眠っているようだが、小狼はどうだろうか。
コツ、と小さな音が聞こえて顔を上げる。
「あいつは殴られずにいきやがったからな。
おまえが受けとけ」
ああ、黒鋼が小狼を拳骨した音らしい。そんな生ぬるいの、私にはしてくれないのに。
「今は眠って、ふたりとも。
そこから、始めればいいから」
飛王との戦いは終わった。全く、笑えない終わり方で。
「……ありがとう……」
小狼の頬を伝う涙はすぐに止まった。大方、疲労によって意識を失ったのだろう。その刹那の休息が、せめて安らかであってほしいと願うことしか、できない。
先程までの戦いで魔力はほとんど尽きている。一行で最も負傷が目立つのは黒鋼の義手だったので、そこに回復魔法を掛け、私たちは一度町に戻ることにした。
「私がサクラちゃんを連れて行くから、ファイは小狼くんを」
「そうだねぇ」
そして抱き上げようとしたとき、遺跡の入り口方向から足音が聞こえてきて私たちは再度警戒態勢を取る。
予想に反し、階段から現れたのは長いウェーブヘアが印象的な女性だった。とても戦士のような体格ではないが、纏う空気感から彼女もまた強力な魔術師なのだろうと分かる。
「戻ってきたのですね」
「!!」
「あなたは……」
翡翠の瞳に見覚えがある。眠るサクラ姫と小狼に注がれる安堵と悲哀の眼差しが、敵ではないということを悟らせる。彼女の面立ちはサクラによく似ていた。小狼の話にあった王妃――サクラの母親だというのなら、これ以上の納得もないだろうと思うほど。
「話は城で。まずは体を休めてください」
私たちは顔を見合わせる。戦いを終えたばかりで警戒の抜けない彼らに笑みを向け、頷いた。
「よろしくお願いします」
微かに、空気が緩むのが分かる。
撫子と名乗った彼女が先導する後ろに続き、遺跡を出た。私たちは彼女がぽつぽつと玖楼国の状況を説明する途中、短く相槌を打つ。
サクラが七歳の誕生日を迎える時間軸に来たはずだが、彼女によれば今年十五歳になるという。小狼が羽根を探すために神官に送られてからは数日が経過している。幼少のサクラは死の刻印で呪われてはいない。サクラの両親は王妃・撫子と王・藤隆。小狼の両親を知る存在は居ないが、町には彼が一人暮らしをしていた家が存在する。
小狼とその両親――写身のサクラと小狼に関する歪みだけを残し、玖楼国の時間は流れていた。
話を聞きながら、腕に抱くサクラから伝わる温もりと重みが、私の渦巻いて沈みゆく気持ちを掬い上げてくれた。
遺跡を出てすぐの入り口で待っていたのは見覚えのある顔をした二人の青年である。
「お好み焼き屋さんだね」
「あははは」
「お、このみやき?」
「要らねぇことばっかり覚えんじゃねぇ」
きょとん、とする“王様と神官様”を前に、ファイと黒鋼が一層脱力したのをみて、撫子は誰かにそっくりな顔で微笑んだ。モコナが“小狼”を思い出したのだろう、私の肩口に擦り寄ってくるのを撫で宥める。サクラと小狼を覗き込む王子・桃矢と神官・雪兎の表情はさぞ二人を心配したようで、彼らの様子に私たちの最後の警戒心も溶けていった。
モコナは小狼に付き添うようで、桃矢たちに預けた。サクラは彼女自身の部屋に寝かされるのだろう。藤隆へ状況を伝えに行く撫子とも別れ、残った三人を先導するのは城の使用人である。私たちは名前を名乗っただけなのに随分信頼されたものだ。日本国の知世姫との邂逅でも感じたことだが、夢見の力でどこまで見抜いているのやら。
入浴を済ませて再び合流すると、ファイと黒鋼がそれぞれソファに座り、医者であろう見知らぬ人物によって、傷の手当を受けていた。義手の接合部についてはやはり応急処置にしかならないようだ。黒鋼の傍に歩み寄りながら杖を取り出そうとすると、黒鋼自身にその手を押さえられる。
「おめぇは寝とけ」
「もうちょっと治した方がいいよ」
当てたばかりのガーゼには今にも血が滲んで来そうで、頭を抱える医者も不憫に思う。向かいに座っているファイに援護を頼む視線を向けた。
「休んだらいいよ。黒むー、こう言ったら聞かないでしょ」
ファイが味方をしてくれたら、黒鋼も言うことを聞かざるを得ないと思う。しかし、彼がこう促すということは、それが最善なのだろう。
「起きたら、やるからね」
黒鋼の処置をする邪魔にならないよう離れ、ファイの横に深く腰掛ける。座ってしまうと眠気はすぐに襲って来た。
「確かに、ねむ」
眠い。言い切らない内に目が閉じていく。髪を撫でられる感覚を最後に、意識も途絶えた。
〇
無限に広がっていると思い込んでいた中に、一粒の光が見える。阪神共和国で出会った亀の巧断を思い出しながら、眩いそれを眺めていた。その光はゆらゆら、ふわふわと浮いている。
「ルピ!」
輪郭が鮮明になる。振り向いたその小さな妖精は、紛れもなくルピだった。崩壊する世界から私を弾き出し、侑子のもとへと誘った彼女。
「また、会いに行くから」
いつも通りの微笑みが、少しだけ深まったように思う。
「待ってて!」
暗闇の中で、自分自身の輪郭までもが鮮明になった。見えた指先を彼女へ伸ばす。まだ、届かない内にぐにゃりと空間が歪む。
〇
は、と呼吸が乱れる。どくどくと早鐘を打つ心臓の音が耳まで響く。暑い。それに、苦しい――
「う―――ん……」
「!?」
頭上から聞こえる声、嗅ぎ慣れた匂い、やや暑いが、これは。
ファイだ。まだ熟睡中の。
夢の中でルピと再会した衝撃によって脳内が混乱する中、どうにか記憶を辿る。黒鋼の治療をファイの進言も受けて断念したところで意識が途絶えている。いや、確かにあのときは強い眠気に襲われて、座るなり眠りこけたのだろう。
すっかり脱力して暫く腕の中に収まっていたものの、あまりにも起きる気配がない。ファイも疲れているのだろう。負傷の程度が大きい黒鋼のことも心配である。放っておいて死ぬような男ではないが、あれだけの傷なら痛みで眠れずにいるかもしれない。
首を丸めて腕の中から抜け出そうとした瞬間、身体を引き上げられた。
「もうおきるの?」
眠たげな声はいつにも増して柔らかく、抜け出そうとした気力を根こそぎ削り取ってくる。まだ覚醒しきっていない可能性――はないだろう。
「うん」
「えぇ――」
それっきり返事もない。一層近くへ抱き直されたその首筋に擦り寄る。
「カメさんなの?」
「……ちょっとだけね」
長い戦いだった。一行の中で、飛王との確執が最も長い年月に及んだのはファイ以外に居ないだろう。強大な魔力故に長寿であるファイが幽閉されていた期間は正確に分からないが、そのかつてから考えると、数十年以上かもしれない。
ようやく、終わったのだ。守りきれなかったものが沢山ある。それでも、一つ終わりを迎えたのは事実だった。
強く引き止める気はないのだろう。身動ぎを制されることはなかった。巻き込まれていた腕を抜いて、伸びた彼の髪を梳き、優しく抱き締める。
掛けたい言葉は尽きない。一つ、ファイへ伝えたい言葉があるとするならば、そう。
「一緒に、旅をしてくれてありがとう、ファイ」
腕の中にいるファイの呼吸が僅かに乱れる。阪神共和国で初めにそう伝えたとき、私は確かに彼にとって望ましくない言葉として、それを選んだ。あのとき、旅はまだ始まったばかりで、ファイはそうして言葉を濁した。小狼が私たちに起きた不幸を背負おうとしたことを、ファイは傲慢と称して取り上げた。自分がかつて背負っていた自責の念を下ろしたときのように。
緩めた腕の中、額を合わせる。
「だいすきだよ」
一歩でも、幸せに近づけただろう。ゆらゆらと揺れる蒼い双眼が私を見上げ、柔らかく細められた。すっかり気が抜けて、珍しく朝寝坊をしようとして、くすぐったそうにはにかんで微笑み返してくれる。その顔を見れば、言葉など無くても分かる。
「オレも、大好きだよ」
聞き間違えようのない、はっきりとした言葉をどうしてか頭が処理できなかった。
目を丸くしたまま言葉を返せずにいると、唇が触れ合った。停止していた思考を現実に引き戻されたような衝撃で、頭が沸騰したように急激に熱くなる。
「ん!?」
「もう、誰も見てないからね」
悪戯っぽい笑顔が愛しくてたまらないが、油断しきった心臓がキャパオーバーで暴れている。腕を突っ張り距離を取ろうとするのは生物としての本能である。とっくに眠り直すつもりもないだろうに、ファイは混乱する私をもう少しいじって遊ぶつもりらしい。攻守入れ替わりながら片やじゃれ合い、片や逃走の体で暫く。
時間の経過とともに外気温が上昇していくのを感じ取った、どちらかというと暑がりなファイが白旗を振って攻防は終わった。
ファイから聞いたところによると、城内の行動は制限されなかったようである。サクラの父・義隆を交えて挨拶を済ませ、簡単な状況説明をすると彼はすんなりとこちらの事情を受け入れた。
「サクラ姫を助けてくれてありがとう」
夢見の力でサクラに起こる不幸を知っていた撫子らの苦悩にも、一つ終わりを迎えた。
城内で過ごすこと僅か数日である。サクラの兄・桃矢は剣の腕に優れているらしい。本調子ではない黒鋼が手合せを提案され、嬉々として応えようとするのを止めるのは大変だった。桃矢は親友だという神官の雪兎に諫められていた。
安静にするということにほとほと向いていない黒鋼という男は、もう少し城内で休むよう言い伝えられていたものの「ずっと寝てばっかで飽きた」などと吐き出し、既に安静解除されている私とファイと共に城下へ降りて来ている。
「本当にしょうがないねぇ、黒たんは」
「小僧も抜け出してっただろ」
「小狼君の怪我は黒鋼ほど酷くないんだよ」
要するに、出かけていった小狼を心配しているのだが。ファイが笑いながら黒鋼の肩を軽く叩けば痛みに呻くくせに。
「前に住んでた家に行くって。
この世界ではほんの数日留守にしていただけなんだろうけど、小狼君にとってはもうずっとずっと前の事になるんだね」
広がっていく死の刻印を見ながら過ごしたサクラとの時間は、巻き戻して流れていった。空白の期間、彼は飛王のもとでただ眺めていた。もう一人の小狼が過ごした時間も、私たちの旅路も。
「……もうひとりの小僧と姫は、消えた……のか」
黒鋼が重々し気に出した疑問へ、ファイが「躯はね」と返す。
過行く町並み、人々の笑顔、活気ある市場。彼らと一緒に守った世界の姿だ。
「あの時サクラちゃんが解けて羽根が残った。小狼君が閉じ込められた所でも同じだったそうだ。
あれはあの子達の記憶――というより、君のいた日本国の言葉でいうなら、魂のほうが近いかな」
「なら、あの羽根がそれぞれの中に入っていったのは……」
「写されたものが基としたものに戻った、とも考えられるけど」
含みのあるファイの言葉に、黒鋼が「けど、なんだ」と硬く続きを促す。
「小狼君は、そうは思ってないと思う」
「納得しねぇだろ、小僧は」
「うん。だからあの対価を選んだんじゃないかな」
ファイの視線を感じて見上げれば、悲しげに歪む表情が見下ろしていた。
「世界は元に戻ったけれど、一度壊れたものは完全にはただせない」
閉じたセレス国には帰れない。ルピと出会った世界も、戻ることはないのだろう。傷を抱えているのは、私だけではない。それでも、私たちは孤独ではない。ファイの少し冷たい指に自分のそれを絡ませる。彼は少し微笑んだ。
「……飛王は破壊した理も同じ。そのひとつが、小狼君自身なんだ」
小狼は写身のサクラと小狼を父母として産まれたが、二人は消えて小狼と四月一日という二人だけが、どの輪にも繋がらない“独り”として取り残された形になる。
「姫は」
「サクラちゃんの両親は別にいるから、小狼君とは違うよ」
「……」
「もし同じなら、小狼君は別の対価を選んでただろう」
私たちは願いを叶えるために、あらゆるものを切り捨ててきた。
修正された世界で彼ら二人が存在するため、小狼が払った対価は“旅をし続けること”だった。四月一日は“ひとつの場所に留まり続ける事”を選んだという。私たちは四月一日に、侑子の店で出会ったことがある。あらゆる世界から隔絶されたあの店に、きっと居るのだろう。いつまで、二人はその対価を払い続けるのだろう。
「あいつは消えたのに、小僧達は対価とやらを払い続けなきゃならねぇのか」
「……それが終わる日が早く来ればいいと思うよ。本当に」
飛王は消えた。しかし、小狼たちはまだ囚われているようなものだった。
「しかし、なんであいつは砕けたんだ。斬った感触は確かにあったのに」
「写身、だったのかなって。飛王自身も」
クロウ・リードを越えようとした飛王は、侑子を生き返らせようとした。写身の小狼たちを本物には敵わないと言いながら。
「……ひとというより強い想念、強い魔力を持った誰かの願いの残像だったのかも」
「正体がなんだろうが、滅したんだろう」
「うん。……いないよ」
「ならいい。これ以上あいつらが苦しまないのならな」
ファイと顔を見合わせる。黒鋼の、こういう真っすぐな言葉をもっと本人たちに聞かせたらいいのに。肩を竦めていると、後ろから弾丸のように飛び込んできた“もの”を黒鋼が躱してその掌中で受け止める。
「ぷうっ!」
「モコナ!」
「ウィズー♡」
今朝ぶりに感動の再会を果たし、頬を寄せ合う。
「おまえ姫と一緒じゃなかったのか」
「サクラ、小狼の所に行った」
サクラが“夢を視た“というモコナの説明にファイが眉を提げて微笑む。サクラの感じる痛みを、想像しているのだろう。
「そう。知っちゃったのかな、サクラちゃん。
だったらオレ達も決めなきゃね。これからどうするか」
私たち四人は向き合う。すっかり決まったような表情で。
モコナの魔力探知に頼りながら、私たちはサクラたちのもとへ向かっていた。見晴らしのいい展望台の天辺に二人は居て話し込んでいた。ファイが私たちをまとめて囲むようにスペルを描く。静かにするようジェスチャーをするなり、階段をそっと上り始める。話が終わるのを待つ気はないらしい。
二人は小狼があの空間から出るために払った対価と、サクラが視た“共に行けば険しい旅になる”という夢についての話をしていた。
「もう、これまでみたいにみんなが辛いのはいやだから、いいの」
涙ぐむサクラの声に、今すぐ駆け寄って抱きしめたい気持ちだが、それは私の役目ではない。
「あのね、その前にひとつだけ言いたい事があるの。長い間ずっと、言いたかった事」
雲行きが変わり、私は腕の中のモコナと顔を見合わせる。ファイの掌に口を塞がれた。
「わたし、貴方が……」
「さくらが……好きだ」
風にはためくだけではない、衣擦れの音。頭上ほど近くにいる二人が、多分抱き合ったのだろう。口を塞がれていなければ危うく絶叫するところである。
「わたしも……大好き」
「むぐぐ」
「ええっと、まだ出ていくのは早いんじゃないかなぁー」
「黒鋼って本当に空気読めないよね――!」
「あぁ!?」
「!?」
耐え切れず萌え悶えた私に、ファイが魔法を解除しながら、モコナもこれ見よがしに存在をアピールする声を上げてくれた。黒鋼は急に矛先を向けられモコナといがみ合っている。
「どうして……」
「やあ!モコナがここに来てるって教えてくれて!」
「おまえ魔法で音と気配消して覗く気満々だったじゃねぇかよ」
こちらを見下ろす小狼にファイが爽やかに笑いかけて誤魔化そうとしている。作戦が失敗したのは私のせいだが、一番いい所は見られて悔いはない。いや、嘘だ。もっと見たかった。
「で、旅に出るんだろ」
「……ああ。みんなは」
階段を上りサクラたちの居る天辺に集まると、まるで全員が揃ったようなのに――そうではないのだ。
「オレね――知っての通りもう帰る場所ないしね。
魔法も戻ったし料理も出来るし、お買い得だと思うんだけど、どうかなぁ」
「俺は行くぞ」
「日本国は?」
「知世には暫く留守にするって言ってあるしな。
それに、あいつも姫も、今度こそぶん殴ってやる」
帰るところのないファイや私が旅に同行するのに理由は最早不要だが、黒鋼も話を付けてきているようだ。まだ、一緒に居られる。小狼が旅を続ける選択をした時点で薄っすらと感じていた期待が現実のものとなった。
「黒鋼が作ったタンコブは、私が治すよ」
「タンコブ作っちゃダメだよー!」
「そうだよねぇ」
確かに。私はよく殴られているが、本当はダメだった。
「モコナも行くよ、だってモコナ行かないと次元移動できないよ。ファイがいるけど」
「あれ結構大変だからねぇ」
疑わしい目線を思わず向けてしまう黒鋼と私に、ファイは涼しい顔である。
モコナは「それにね」と言葉を続けた。その口から出て来たのは、かつてモコナの耳についていたものとよく似た一つの魔法具である。
「これは今は離れてるモコナがずっと守ってたものなの。中にはね、記憶が入ってる」
どこまで侑子は想定していたのだろう。
「色んな人達の大切な大切な記憶。この中の記憶が、小狼達を覚えててくれるひと達の所へ導いてくれるよ。
一番記憶がいっぱい入ってる今、サクラの中にあるサクラの記憶が、旅に出る小狼達をどの世界よりも多く玖楼国に還してくれる。
みんな待ってるよ、小狼達に会えるのを」
私たちには視えない世界の人々が、モコナには視えているのだろう。旅の無事を願ってくれた人々の顔が、それでも浮かぶ気がする。
「サクラの次に多いのは四月一日の記憶だから、店にもだよ。モコナにも会えるから、心配しないで」
店にいたもう一人の黒いモコナのことだろう。会いたい人に、もう会えなくなる訳ではない。モコナが自信を持ってそう言い切ることで、サクラと小狼の邂逅をこれが最後ではないと伝えてくれる。
「……ありがとう」
「みんなが一緒なら、絶対大丈夫……ね」
憂いを残していた小狼も、悲し気にしていたサクラも微笑んでくれる。黒鋼もファイも、私も。二人の表情を見ればその憂いが少しでも晴れたことが分かる。
新たな門出に備え、一行はさらに数日玖楼国に滞在した。その間、サクラの父母が私たちのボロボロな装束に代わるものを用意してくれた。
「お洋服ありがとう!」
サクラが着ている服と似ている。質のいい生地は軽いのにしっかりと身を守ってくれそうだ。モコナ用の小さなローブも作ってくれて、それはもう可愛らしい。
「どうかこの衣装が貴方がたをこの国へ導き、そして守りますように」
サクラに見送られるのは、寂しい。でも、彼女だって共に来たかったのだ。待つことの辛さを知る彼女が、それでも待って祈り、願っていてくれる。それに応えない訳にはいかない。
「またね」
「はい、また」
ファイの言葉に勇気づけられる。サクラも同じ言葉を返してくれた。最後ではない。また会えるのだ。
モコナが翼を広げる。
一度の別れと分かっていても、名残惜しい。サクラが小狼へと手を伸ばす。
「おれの本当の名前は」
「わたしの本当の名前は」
小狼が伸ばした手と、サクラの手が触れ合った。
真名、というのがあるのを知っている。きょとんと見合った二人が微笑み合った。彼らの本当の名前が何だったのか、魔力の波動に掻き消されて聞こえなかったが、小狼とサクラが愛し気に微笑み合ったのを見れば十分だった。
消えゆく玖楼国の景色に、サクラに、彼らの親しい人達に。
「ありがとう」
刹那の別れを、祈るように囁いた。
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