阪神共和国
探索二日目。前日ナワバリ争いを目の当たりにした付近を歩いてみるが、巧断らしき姿を街中で見ることは無い。モコナも反応せず、手詰まりを感じていたところ、正義の巧断が壁をすり抜けて小狼の前に姿を見せた。間もなく正義が走って来て、羽根探しの案内を買って出てくれる。
昨日の行動範囲内ではあるが、よく合流できたものだ。ファイが聞いてみると、正義は巧断の能力であると説明した。
「すごいですね」
「すごいすごーい!」
「でも……それくらいしかできないし、弱いし……」
褒められてはにかんでいるが、困惑している様子もある。正当な評価に対して謙遜する所を見るに、巧断の等級に彼なりの劣等感があるのだろう。彼の巧断が四級に留まっている理由は、何よりも自信を持てないことにあるのではないか。右も左もわからない私たちに親切にしてくれる彼の優しさにまずは感謝を伝えて、少しでも前向きになってもらえたら。
しかし、声を掛けようとした瞬間、空から高い鳥の泣き声が響き、こちらに近付いてくる。刹那、目前にいた正義とその肩に乗っていたモコナが巨大な鳥のくちばしに捕まって飛び去って行く。
「モコナ!正義君!」
小狼が足元に落ちた手紙を拾い上げて開封すると、そこには”阪神城で待つ♪”と癖のある字で短く書かれていた。阪神城がどこかは分からないが、鳥が飛び去った方向に向かえばいいのだろう。昨日の今日でモコナと離れ離れになってしまったのは大問題だが、昨日のうちにモコナの魔力を感知しておいたおかげで、見失うことはもう無い。問題は連れ去られた彼らの安否だが、余程のことじゃなければ危害は加えられないだろう、”待つ”と言っているのだから。
とはいえ、羽根探しに出かけたのに頼りの二人が居なくなっては困る。今日という日を無駄にしている場合ではないのだ。
「駅で場所を聞きましょう」
焦る小狼の肩に触れて落ち着かせるようにそう言うと、こくりと頷いた彼がファイと黒鋼に声を掛ける。
「この紙が落ち―――!―――――――……!」
「今―――鳥――何――飛――連――?」
「―――!!――――――――――――――」
「……ん?」
急に言葉が通じなくなった。そのとき、初日の空汰の話が蘇る。言葉が通じていたのにはやはり理由があったのだ。そして、このタイミング。小狼に至っては言葉の途中から全く分からなくなってしまった。あの鳥と共にモコナが飛び去って、一定の距離が離れたからだろう。
耳を叩いてみるファイ、耳に何か詰まったかのような仕草をする黒鋼、耳を澄ますような仕草をする小狼。その肩を叩いて、鳥の飛んで行った方向を示したあと、両手の人差し指同士を引き離すようにジェスチャーをする。
「モコナ!」
ぱくぱくと口を開閉するところを指し、もう一度同じジェスチャーをしてみせると、三人は目を見開いて各々納得の顔をする。
阪神共和国の全ての文字が読めるのは小狼と私だったので、駅に置いてあったフリーマップを覗き込みながら地下鉄に乗り、阪神城まで走った。道中は言葉が通じないわりにスムーズだったが、これまで同じ言語を話していると思い込んでいた相手が早口で急に他言語を話しているのは奇妙で居心地が悪かった。特に、ファイの話す言語は音がロシア語に似ているだけで全く異なるため、彼のへらへらとしたいつもの笑顔が無ければ多分目を回していた。
駅の出口を抜けてすぐに見えた阪神城の屋根の上の飾りに括り付けられたモコナと正義を目視すると「あんな所にいるよー」とファイが言う。
「ファイが喋った……!」
「楽しそうじゃねぇかよ。白いほうはよ」
「ずっと喋ってるよう――あ」
モコナを視認できる距離になると言葉が通じるのだろうか。
「ということはやっぱりモコナが……」
「翻訳機のかわりをしてたってことだねぇ。ほんとにすごいねーモコナは」
異次元に運ぶ、言葉が通じる、リンゴを丸飲みする――とファイが列挙したモコナの偉業は多岐に渡るが、一同の意見は即モコナ奪還で合致した。私たちの道中にモコナは不可欠だ。
視認はできるが、距離はまだある。城の敷地内に入り小高い塀に立って、下に集まる大量のバンダナ集団を見下ろす小狼が声を張る。
「この手紙を書いたのは誰ですか!?」
彼らもまたチームなのかと思うほど、その装いは統一されている。バンダナとサングラスを身に纏う彼らは一見してクローンのように同じ人間に見える。
「あたしよ――ぉ♪」
小狼の問いに答えたのは、彼らの反対方向、背中側から聞こえる女性の声だった。その直後、バンダナ集団から地面が震えるほどの歓声で彼女の名が呼ばれる。城の一番上の階にいる彼女は小さな顔に大きな目、華やかなミニワンピースから覗く細い脚、ウェーブの掛かった髪は二つお団子を結っても尚腰よりも長いロングヘアである。プリメーラちゃんと呼ばれた彼女はバンダナ集団が推しているこの国の大人気アイドルのようである。
小狼は彼女の人気ぶりに構うことなく「モコナと正義君を降ろしてください!」と声を上げる。
「アレ”シャオラン”じゃないの?」
「小狼はおれです!」
「ばか――ぁ!思いっきり間違えてるじゃないのよぉ――!」
側にいたオタクをハリセンで罰した彼女は、小狼の要望に対して「返して欲しかったらあたしと勝負しなさい♪」と条件を出す。勝負をするよりも彼らを助け出すことを考える小狼に、ファイが彼の巧断で上に行けるかもしれないと言う。未だ見たことのない巧断の使い方を心得ている様子のファイの背後に眩い輝きを放つ大きな鳥が姿を見せた直後、ファイの背中に羽を残すように消えて行く。すぐにその羽も見えなくなったが、ファイの身体は軽やかに浮き上がり、あっという間に城の中腹まで飛んで行った。
「飛んだ」
「つくづく何でもアリだな、巧断ってのは」
ファイの行く先を眺めていると、プリメーラと同じ高さに到達した瞬間、彼女が取り出したマイクから「みんな元気――」と”視認できる文字”が彼目掛けて飛び込んでいった。
「ファイさん!」
空中に舞う煙、爆発音。悲壮な小狼の声にファイの無事を願う気持ちが強まるが、黒鋼は「よく見ろ」と緊張感のない態度である。
爆風は一瞬にして霧散し、その中から無傷のファイが浮かんだまま姿を現す。
プリメーラオタクの声援によってファイの声は聞こえないが、プリメーラがマイクを通して次々に放つ文字の攻撃からファイの優勢が見て取れる。
「負けないわよーぅ!!」
「飛んじゃだめ――!」
「よけちゃだめ――!」
掠らないギリギリで彼女の攻撃を避けるファイの動きには無駄がなく、緊張していた身体の力が抜けていく。ファイは巧断を使い慣れている訳ではないが、彼がプリメーラに負ける姿は最早想像すらつかなくなってしまった。
焦っているのは小狼だけで、そんな彼を黒鋼は「放っておいても大丈夫だろ」と言い置く。巧断の力によって飛ぶことができていても、体が変わった訳では無いと続けた。
「へにゃへにゃしてやがるが、あいつ……戦い慣れてる」
ファイを見る黒鋼の顔は険しい。それまで不安げにしていた小狼も肩の力を抜き、納得の姿勢を示す。
「驚かねぇな」
「ファイさんの何気ない身のこなしとか、あと……目とか見てて、何となくそうかなって」
「バカじゃあねぇらしいな」
一定の関心を抱いた様子で黒鋼は呟いた。小狼には武人を見抜く目がある。それは同時に、小狼自身が戦い方を知っているのではないかと思わせる。争いを好まない彼の性質が戦うことを選ばせないだけで。
「でも、手助けできるならしたいです」
「……けど、甘くてガキなのは間違いねぇと」
攻撃に当たる気配のないファイに痺れを切らしたプリメーラはそれでも諦める様子を見せない。歓声も一層強くなり、彼女は手に構えていたマイクをスタンド型に切り替えて不敵に笑う。マイクの姿を取ってさえいれば、形を変えることができるのか。
「みんなあたしに夢中〜〜〜〜〜♪」
攻撃方法は今までと変わらず、文字が形になって飛び出してくる。ファイを狙ったそれを彼は軽く避ける。しかし、文字は急激に動きを変え、ファイを追うように追尾した。プリメーラを見ると、彼女はスタンドマイクを振っている。あれで文字を自在に動かせるらしい。彼の眼前に迫る文字を見て、目が離せない。
その瞬間、目前を素早く飛び去る光を見た。直後、耳鳴りのような高音が一瞬響いたかと思うと、爆発音と共に落下してきたファイが目前の茂みの天辺に着地する。その身体はまだ浮いていて、直撃を免れたようだと分かる。
「ファイさん!!」
小狼の声に「大丈夫だよ――」と手を振って見せる彼の笑顔は平時と変わりない。怪我がないかとその身体を凝視していると、視線が返って来たので首を傾げる。
「ん――?」
「気を付けて!」
魔法での支援ができないことはもどかしいが、ファイは一人でも十分プリメーラに勝てるだろう。拳を握って声援を送ると、きょとんとした彼がへにゃりと緊張感なく笑った。
プリメーラに改めて向き合うファイは、彼女がサクラの羽根を持っているかを試していたらしい。要するに、敢えて泳がせていたのだ。
「うふふ、どう?もう降参?」
「降参したらどうなっちゃうのかなぁ――?」
「次の相手は”シャオラン”よ♪」
それを知らないプリメーラは、ファイが見せる引いた姿勢の真意に気付いていない。”勝てるけど勝っちゃっていいの?”という意味に。
「ファイって、意外と優しくないところあります?」
「えっ?」
「なんの話だよ」
「だったら!あたしに!」
「勝たなきゃだめね――!!」
プリメーラの放った文字は木の上に立つファイを狙う。先ほどと同様に飛躍して避けた彼はその文字の上に飛び乗り、地面のように自在に走って音の元――プリメーラの方へ駆けた。
「えっ!?」
あっという間にプリメーラの元まで辿り着いたファイは、接近されて巧断での攻撃手段を失った彼女に打つ手がないことを解っているのだろう。瓦屋根の上で覆い被さり、微笑みと共に何か話している。床――いや、屋根ドンだ。ファイの物腰でも怖いだろう。今までさんざん攻撃してきた相手からでは。
「くやしい――!!!」
敗北を見とめたプリメーラの言葉は彼女の意図に反してマイクを貫通してしまった。それは城の天辺に命中し、そこに吊るされていたモコナと正義が支えを失い落下していく。正義の悲鳴とモコナの歓声が遠くからでも聞こえる。
モコナはあの様子を見るに平気かもしれないが、正義はあのままでは無事では居られないだろう。しかし、あまりにも距離が遠くて魔法は届かない。
私の巧断は彼を救えるだろうか。光る甲羅を思い浮かべたが、それより早く二人を受け止める巧断が居た。見覚えがある――それは笙悟の巧断だった。
「何やってんだ?プリメーラ」
「笙悟君!!」
阪神城は破損しているが、落下していた正義とモコナは無事だ。プリメーラも戦意を喪失しているし、ファイに怪我もない。和解したようにファイが彼女を立ち上がらせている姿に安堵する。そして、役目は終えたとばかりに飛んで戻って来たファイを出迎える。かすり傷一つなしだ。
「おかえりなさい」
「ただいま――」
「なにモメてんだ、あっちは」
黒鋼の言葉が耳に入り、プリメーラの方を再度見上げる。会話は聞こえてこないが、何やら言い合っている。ファイはそれよりもオタクが泣いているのが気にかかるようで「何泣いてるのー?」と塀の下を覗き込む。
曰く、プリメーラが笙悟を好いていること、遊んでくれないため寂しがっていることを説明してくれた。彼らが何を思って泣いているのか理解に苦しんだが、考えるだけ無駄かと早々に思考を中断した。黒鋼はオタクが「見ろ!」と投げてきた”少年マガニャン”という漫画雑誌を興味深そうに眺めている。
言い合うプリメーラたちを他所に、 モコナが小狼に向かって屋根の上から呼びかけ、自身の開眼した様を見せる。
「羽根がすぐそばにある――!!」
「どこに!?誰が持ってる!?」
「分かんない――!でもさっきすごく強い波動感じたのー!」
強くなったり弱くなったりする波動に疑問を呈する黒鋼に、小狼は空汰が”巧断は憑いているひとを守るもの”だと言ったのを引用した。
「つまり、やっぱり戦ってみないと分からないってことだね」
ファイの出した結論に異を唱えるものは居ない。
プリメーラとの話し合いに決着がついたらしい笙悟が、小狼に声を掛ける。
「俺が余計なこと言っちまったせいで迷惑かけて悪かったな――けど、気に入ったってのは本当だぜ」
小狼の心の強さを認めている笙悟が、小狼に勝負を望む。
戦ってみないと分からない。強い巧断と仮定した前日の結論。笙悟と戦わない理由は無かった。
「……その申し出、受けます」
小狼は昨日見せた炎の獣を再び従え、語りかけている。
「さくらを守るために、一緒に戦ってくれるか」
戦いを前にしているとは思えないほど、小狼の眼差しは柔らかである。しかし、その声は決意に満ちていた。
「READY!」
「GO!」
二人の巧断が打ち合った攻撃による爆風は凄まじい威力を発揮し、周囲の建物が崩れる。笙悟よりも下方に位置する小狼にその瓦礫が降り注ぐが、彼はそれを蹴り一発で破壊した。
「ヒュー、かっこい――小狼君」
「素直が取り柄のバカじゃあねぇようだ……おまえがただのふざけたヤロウじゃねぇってのも見抜いてたみたいだしな」
黒鋼の鋭い目線を受けても、ファイはにこやかな表情を崩さない。
「うん。遺跡発掘が趣味の男の子ってだけじゃないね」
ファイが戦い慣れていることを、黒鋼は咎めているように見えるのが疑問である。何か、他に思うところがあるのかもしれないが、分からない以上私には何も言えることはない。
「まだ子供だけど、色々あったのかもね。彼にも」
そうだろう。小狼にも言えることは、黒鋼やファイにも言えるのだ。まだ旅は始まったばかりで、私たちはお互いに明かしていないことが多い。それを明らかにするには、あまりにも私たちの関係性は他人だった。
しかし、居心地の悪いちくちくとした雰囲気に苛まれる必要もない。旅は雰囲気のいい方がいい。
戦いは激しいが、モコナはまだ羽根の波動をはっきりと感知できていない。小狼は再び攻撃を仕掛け、笙悟もそれを相殺するように攻撃を放つ。押し負けた笙悟が後方に吹っ飛んでいくのを見て、プリメーラのよく響く悲鳴が追う。緊迫した打ち合いの空気が緩む茶番が挟まるが、笙悟の戦意は高まっているようだ。
「巧断は心で操るもの。なんでそんなに強いんだろうな」
「やらなきゃならないことがあるんです」
「なるほど」
短い言葉で理解できるほど、特級たる強さを持つ笙悟にも心当たりがあるのだろう。
「みんな逃げろよ!!」
笙悟の声によってチームのメンバーたちは速やかに距離を取った。しかし、小狼は退く訳にはいかないのだろう。いや、避けるのも手だ。強力な一撃を紙一重で回避しても、モコナが波動を感知していれば問題ないのだから。
合図とともに笙悟の巧断が放った水流は荒れ狂う波よりも激しく、城ごと押し流してしまいそうな勢いだった。水が当たらない場所にいても、その波が生み出す風で身体が吹き飛ぶかと思う力だった。波の中に消えた小狼が打ちあがって来ることはない。
「大変だ!小狼君が流された!」
「小狼、いるよー」
ほど近いところに正義とモコナがいるらしい。上方から聞こえてくる声に次いで、波のひいていった地面で、小狼は炎に守られるようにして立っていた。
小狼は無事だが、建物は攻撃に耐え切れなかったようだ。バラバラになった城の上層から悲鳴が聞こえる。プリメーラとモコナたちがいる辺りからだった。
「だめだ!一人で逃げちゃ!守らなきゃ!!強くなるんだ――!!!」
強い決意の声と共に、一瞬眩い光に辺りが包まれた。次いで、辺りが巨大な影ができる。仰ぎ見たところには、見覚えのある巧断――正義の巧断が、城ほどの大きさに変化した姿でプリメーラたちを瓦礫から守っていた。
「あった!羽根!!この巧断の中!!」
モコナの声を聞いて、黒鋼が驚愕の声を上げる。ファイは以前モコナが羽根の波動を感じた時のことを振り返り、あのときも正義が危ない目に遭っていたと指摘した。それは、小狼が彼を看板から守ったときのことを思い起こされる。そして、今は崩れる城から正義を守ろうとしているのだろうと言った。正義の巧断は彼をその掌に拾い上げている。
一同がその様子を眺めていると、巧断は正義を手に持ったまま大きく口を開け、空気を吸い込んでいる。次いで、あらぬ方向に向かって巨大な光線を放った。呆然とそれを眺めている間に、プリメーラはその余波を受けて城から落下していく。息を呑んだ直後、彼女を巧断に乗って笙悟が受け止めて救出する。
その後も当てもなく次々光線を放つ正義の巧断に、正義自身が制御しきれず泣き出している声が聞こえてくる。
「どうなってんだ?あの巧断は」
「羽根の力が大き過ぎるんだなぁ」
一同の視線は小狼に集まる。
「さくらの羽根を取り戻します」
「あのでかいのとどう戦うつもりだ。ヘタしたら死ぬぞ」
「死にません」
黒鋼の問いかけに、小狼は迷いなく答えた。淀みなく続ける彼の目は真っすぐに黒鋼を見据える。
「まだやらなきゃならないことがあるのに死んだりしません」
目を合わせる二人に対し、ファイは「んん」と切り出す。
「ここは黒ぴーが何とかするから行っておいで」
「って!俺かよ!!」
「……行ってきます」
小狼は穏やかに微笑んでいた。
迷いなく走って行く小狼と炎の巧断の背中を見ながら、ファイは感慨深げに口を開いた。
「小狼君は強いねぇ、色んな意味で。……彼にどうして炎の巧断が憑いたのか、分かる気がする」
ファイの言葉に含まれるすべての意味を理解できるわけではない。しかし、炎の巧断が憑いた理由ならば分かる気がした。いかなる困難をも成し遂げる覚悟は、いっそ痛ましいほどの愚直さがある。誰もが持っているものではないし、持っていていいものでもない。小狼は、やらなければならないことが終わってしまったら―――考えたくもないことだった。
ぐらぐらと足元が揺れるような心地がする。しかし、今は不安に苛まれている場合ではない。たとえ苛まれていても、やらなければならない。暴走する巧断の攻撃に見境は無い。あちこちに放たれる光線から人々を守ることが先決である。胸元に手を当て私の巧断に語り掛ける。
「やっぱり、その子はウィズちゃんの巧断だったんだね――」
正義の巧断が放つ光線を空に向けて弾くのは夢で見たときよりも大ぶりな白い甲羅である。溜めのある光線を弾くことはそう難しいことではないが、サクラの羽根による影響か、その威力に耐えうる巧断は稀なのかもしれない。この街の人々が巧断を呼び出すとき、手の届く範囲に呼び出すことが多いようだが、笙悟やモヒカンのリーダーのように大型の巧断は離れた距離に呼び出す姿もあった。それを応用し、巧断を光線の先に呼び出して攻撃を弾いては引っ込めることを繰り返す。何だか酷い労働を亀に強いているような気もして不憫だが、現状この方法が最も効率的である。
光線に狙われなくなったことも影響しているといいが、あっという間に小狼は正義の巧断の傍まで届いたようだ。正義と対話している内容は聞こえないが、巧断の巨体の真ん中に一際輝くものが見え、それを指している。小狼が羽根と思しき光目掛けて飛び込んでいくと、周囲へ攻撃を放っていた巧断はその手を止め、自身を攻撃している彼を炎に包み攻撃を始めた。
悲壮に小狼の名を呼ぶ正義の声が聞こえていたが、次第に巧断の手中で姿が見えなくなった正義に、彼自身が小狼が巧断に与えているダメージを受けていることを悟る。それと同時に攻撃の手を弱める小狼だったが、姿の見えない正義と目を合わせ、再び羽根を求める腕を潜らせていく。小狼の身体は炎に包まれ、そのまま焼け落ちてしまうのではないかと思われるほどだったが――その腕を引き抜いたと共に、正義の巧断はみるみる小さくなり、少年の大きさに戻っていく。着地した小狼の手には羽根と思しき光が握られている。彼らの身体に打ち付ける雨は、笙悟の巧断によるものである。小狼の炎の巧断と、正義の巧断が発していた炎による二次災害を防いでくれているらしい。
「さくらの羽根……さくらの記憶……ひとつ、取り戻した……」
絶対に手放すまいと握っていた羽根を、そっと指を開いて眺めている。彼の表情は見えないが、声に滲み出る温度は熱く、湿っていた。一枚目の羽根だ。これから先、どれだけ集めなくてはならないのだろう。”幸運だ”ということが信じられない程、小狼の身体は傷だらけだった。
後処理はプリメーラと笙悟が請け負ってくれたので、ファイが小狼に声を掛けると私たちは真っ先に羽根をサクラに戻しに行くことになった。小狼の表情は逸る気持ちがありありと浮かんでいて、私はそんな彼を見て、心臓が不穏にどくどくと脈打つのを居心地悪く感じていた。地下鉄に乗って、空汰夫妻の宿から最寄りの駅についてから、小狼は「先に行きます!」と言って走って行った。こちらの返事を待つこともしない様子は、出会ってから初めてみる彼の姿だった。それは恐らく、私たちが知らない――サクラと過ごしてきた本来の小狼の姿なのかも知れなかった。しっかり者で礼儀正しいだけではない、少年の小狼。
走って彼を追いたい気持ちを押さえながらも、残された一行もまた足早に宿へ向かう。
「お――おかえりー皆!なんやえらい剣幕で小狼が帰ってきたけど――」
「はい……っただいま」
「羽根がみつかったらしいな!良かったなぁ」
そう、良かった。階段を駆け上り、開け放たれたままの玄関扉、脱ぎ捨てられた靴を見つける。まさに吸い込まれていく羽根と、サクラの手を握る小狼の姿。出会った初日、サクラを決して離さなかった小狼のことを思い出させる。彼はあの晩、サクラの傍でずっとこうして手を握っていたのだろう。
「さくら!」
小狼の声で、サクラが目を覚ましたことを悟る。
「……あなた、だあれ?」
直後、残酷な問いかけに凍る小狼の表情も、見えてしまう。
小狼は握っていたさくらの手をそっと布団に置いて、離した。見開いていた目は俯いて視えなくなる。言葉を失い、沈黙が続いた。何か言いかけた彼が、再び顔を上げたとき、その表情は柔和な微笑を纏っていた。
「おれは小狼、あなたは桜姫です」
「どうか落ちついて聞いてください。あなたは他の世界のお姫様なんです」
サクラは「他の……世界?」と呟いた。
「今あなたは記憶を失っていて、その記憶を集めるために異世界を旅しているんです」
「……一人で?」
「いいえ。一緒に旅している人がいます」
小狼の声は終始穏やかだった。”何も知らない”サクラを安心させたい気持ちが籠っていた。
「……あなたも……一緒なの?」
「はい」
「……知らない人なのに……?」
「……はい」
悲しげに染まった声に、未だ眠たげなサクラが気づくことはない。いや、たとえ意識ははっきりしていたとしても、小狼との関係性を失ったサクラには――もう、分からないのかもしれなかった。
「サクラ姫、はじめましてー。ファイ・D・フローライトと申します」
座っている小狼の肩に手を触れ、その仕草に彼は立ち上がり部屋を出ていく。
「で、こっちは――」
「黒鋼だ」
去りゆく小狼の背中がぼやける。小狼はぼろぼろだった。
「で、このふわふわ可愛いのが――」
「モコナ=モドキ!モコナって呼んでっ」
「この子はウィズちゃんね――」
背中にとんと当たるのは、ファイの手なのだろう。気を遣われている。
目を閉じて、そっと深呼吸をする。大丈夫だ。
立ち尽くしていた足を動かし、サクラの傍に膝をつく。閉じていた目を開いて、彼女を不安にさせないよう優しく微笑みかける。
「ウィズです。サクラちゃんって呼んでも大丈夫ですか?」
「はい……ウィズ、さん?」
「目が覚めてよかったです。これから、よろしくね」
よろしくあくしゅ、とモコナと交わしていたそれを私も彼女と交わす。あのときと違い、サクラの手は温かかった。小狼が、温めた手だった。
喉の奥がぐっと熱くなる。飲み下して、もう一度微笑みかけて、部屋を辞する。もう少ししたら、空汰夫妻が夕飯の声を掛けに来るだろうし、そのときに状況の説明をしなくてはならない。ファイにばかり、任せていては悪いから。
外は雨が降り始めていた。外を掃いていた空汰夫妻も姿が無い。小狼は、どこに行ったのだろう。傷だらけだった――そう、もっと深い傷を負っているはずなのに。
どうして、こんなに傷つかなければならないのだろう。
あの場にいた誰もが、大なり小なり小狼の感じた痛みに気が付いている。皆、口数が少なかったのがそれを物語っていた。それぞれが払った対価は最も価値のあるものだと侑子さんは言ったが、小狼が払ったものと、私のただの杖が同じ価値である訳がないのだ。
巧断の亀がひとりでに出てきて、私の肩に乗り首元に擦り寄っている。
「ありがとう……」
泣いて済むのなら、泣いてしまうのに。世界は泣いても変わらない。二度も終わりを迎えていて、私はよく知っていた。
亀を胸に抱え直し、硬い甲羅に頬を擦り寄せ、冷たい感触を頬に感じる。
降り頻る雨音は心安らぐが、いつまでもここに居る訳にはいかない。そう思っている内に、後ろの扉が開いてファイと黒鋼が出てきた。
「あれ――ウィズちゃん、ずっとここにいたの?」
「小狼くん、戻ってこないから心配で」
「ほっとけ」
普段なら、黒鋼の言葉にファイが”冷たい”とか言うのだ。でも、今は言わない。
「あ――」
「なんでお前が泣く」
デリカシーに欠ける黒鋼はいつも通りなのに、声に棘が無いのはいつもと違う。
「泣いてない。私は」
多分、小狼は泣いている。涙が流れているかは重要ではない。心が、泣いているのだ。胸に抱いていた亀を一度強く抱き直してから、小狼の気配を辿った先に呼び直す。
「小狼くん、風邪ひいちゃう。嵐さんに、お茶もらいにいく」
「一緒にいこっかぁ。黒たんは――?」
「……黒鋼だ」
それだけ言って黒鋼は部屋に戻っていく。いつも通りを演じるのが下手過ぎる。
「ファイは面倒見がいいですね」
「そう――?」
「この世界では沢山助けられました」
そんなことは無いと言っているファイに、行き過ぎた謙遜をする人だなと思う。
「旅の仲間に、ファイが居て良かった」
「……まだ始まったばっかりだよ」
「……そうですね。でも、ずっと思っていたので」
お茶を貰いに行くと言ったのは、黒鋼とファイから離れる口実だった。その場に残られて居心地が悪いため、ファイがあまり言われたくないような感謝を伝えると、彼もこちらから目線を逸らし始める。
「夕飯までに小狼くんが来なかったら、ファイが迎えに行ってくれるでしょ?」
「そう言いたかったんだ――?」
きっと彼はモコナと一緒に小狼を迎えに行くだろう。追い払うようにファイを黒鋼の待つ部屋に戻し、私も自室に戻る。窓から外を眺めると、黒鋼とファイの巧断に身を隠されるようにして、小狼が雨の中立っていた。その中に灯る炎の巧断もまた彼に寄り添っている。亀は炎の巧断の背中に乗って彼なりに慰めの意思を伝えているようだ。
少しでも小狼の傷が癒えることを願い、両手を握る。魔法が届く距離ではない。ただ、安穏であれと願うだけの行為だった。
〇
正義と再会したのは以前にも訪れたお好み焼き屋だった。既に焼きあがったそれを黒鋼とモコナは相変わらず奪い合っている。お好み焼きは一枚多く注文したというのに。
「僕も……巧断も、ずっと弱いままだったから。だから……!ちゃんと渡せてほんとに良かったです!!」
「弱くなんかないです。戦うことだけが強さじゃない。誰かのために一生懸命になれることも、立派な強さです」
正義が憧れている小狼の言葉はそれでなくても真摯に伝わる。涙を拭って正義は少し誇らしそうに笑った。和やかに――とはいってもお好み焼きは奪い合いだが――食事が進むと思った直後、正義の頭上に聞き覚えのある声が掛かった。
「笙悟さん!」
「うちのチームの情報網も捨てたもんじゃねぇな」
正義の横に笙悟が座り、どんどん奥に詰められて私と小狼は半ば潰れている。お構いなしといった風でしっかり注文し、鉄板の面倒まで見始める笙悟に疲弊し食事の手が止まる。
「ケガとか大丈夫か?」
「はい」
ちら、と小狼の視線を感じたが、敢えて目線を合わせずにおくと構わず話を進めてくれている。ケガなら私が朝に治したばかりだ。
「戦いの途中ですみませんでした」
「いや、あの状態じゃ仕方ねぇだろ。……どれに、あのバトルは完全に俺の負けだ」
笙悟の勝敗に彼のメンバー達は賭けをしていたようで、主にブーイングが多かったが、そこから彼への信頼の深さが窺い知れる。
狭い座席に集中が途切れるが、食べられる内に食べておかなければという思いだけでお好み焼きを一枚どうにか食べ終えた。笙悟の注文したモダン焼きがもう少しでなくなるというところで、ようやくである。その間にも向かいの席では黒鋼のお好み焼きに手を出したモコナが焼きまんじゅうにされかけるなど事件は起きていたが、無事ふわふわすべすべのまま店を出ることができたようだ。
「バトルだけじゃなくあちこち案内してやったりしたかったんだけどな」
プリメーラも小狼たちを気にかけていたようで、残念がるだろうと笙悟は言った。小狼は彼と握手を交わした後、正義とも手を握り合っている。
「またこの国に来たら会いに来ます。必ず」
「元気で―――!!」
涙ぐむ正義と笑顔の笙悟たちに見送られ、一行は商店街を抜ける。その背中で、わっと歓声が上がったのが聞こえて振り向くと、笙悟のチームのトレードマークであるゴーグルを掛けられた正義が、顔を赤くして泣いているので状況を察するのは容易だった。
最後に宿に戻り、借りていた洋服から各々着慣れている装束に戻る。
「もう行くんか」
「はい」
「まだまだわいとハニーの愛のコラボ料理を堪能させてへんのに――」
空汰のふざけ半分本気半分の言葉にも、ここ数日で幾らか慣れた。
「どのお食事も美味しかったです」
「ありがとうございます」
滞在中借りていたカエルのがま口財布を返す小狼の横から、嵐に感謝を伝える。彼女のささやかな微笑にもよく気が付くようになったな、と感じる。
うとうとと未だ眠たげにしているサクラをファイが気にかけて声を掛けている。言葉を交わす二人を遠くから眺めている小狼に、黒鋼が「下を向くな」と言って続ける。
「やらなきゃならねぇことがあるんなら、前だけ見てろ」
「……はい」
黒鋼の言葉は、阪神城での小狼の言葉を受けたものだろう。黒鋼なりに、この旅への小狼の覚悟を認めたようだ。
モコナが次元移動の準備を始めると、複雑な魔方陣がその足元に描かれ、その体よりも大きな翼が広がる。魔方陣の中に全員が収まり、光に包まれる。
「ほんとうに有り難うございました」
「なんの!気にするこたぁない」
「次の世界でもサクラさんの羽根が見つかりますように」
向かい合う空汰夫妻は寄り添いながら、旅の無事を願ってくれた。
光に[D:21534]まれていきながらも、阪神共和国の風景をしっかりと目を開いて目に焼き付ける。羽根は一枚、渡った世界は一つ目。この世界に辿り着いたのが”幸運”だったと言うのなら、これからの旅は過酷なものになるだろう。
過ぎゆく景色の中に、私の巧断となり支えてくれた亀の姿も見えた。本当に彼にも救われた。そして、それはこれからも、彼の存在を思い出すだけで救われるときがあるだろう。笑顔を向け、手を振る。短い手がぴこ、と上がって振り返されたように見えた。可愛らしくて、くすりと笑ってしまった。
アメジスト TOP