東京への出張が決まった。その日が週末ということもあり、わたしは徹の家に寄ることに決めた。以前彼が突然わたしの家に来たような、そんな博打みたいなことはしない。事前に東京に行く旨を伝えると、彼はその日は何も予定はないからいいよと返事をくれた。本当に、彼はあの日よく突然来たなと思う。出張とはいえ、東京まで来て彼がもし居なかったら、新幹線で仙台まで帰る道のりはひたすら心が沈んでいただろう。


「待って待って、スルーしないで」

徹の家の最寄り駅にて。聞き覚えのある声がして、やや焦った彼に腕を捕まれた。待ち合わせの約束なんてしていなかった為、わたしは驚いて彼を見上げた。

「…どうしたの」
「いや、そろそろだろうから待っとこうと思って。一応さっき連絡は入れたけど」

鞄の中の携帯を覗くと、チカチカと光っている。電車に揺られていたから全く気づかなかった。

「スーツだ」
「徹もでしょ」
「んー、いやまぁ、そうなんだけどさ。ナマエのちゃんとしたスーツ姿は初めて見た」

大学の時の就活のスーツを除けば、確かにそうかもしれない。出張の時に徹の家に寄るのは今回が初めてだし、むこうでの普段の仕事ではスーツとまでかっちりとした服装はしていない。
珍しそうにじっとわたしを上から下まで眺めた後、まぁ行こうかと徹が歩き出すから、わたしもそれに続いた。
スーツの男女が仕事終わりに並んで歩く。きっとごくごくありふれた光景であるこの瞬間が、わたしにとってはとても貴重だった。


「お邪魔します」
「はーい、どうぞ」

わたしが徹の家に上がるのは一年ぶりくらいだろうか。久しぶりに見た室内は、わたしの記憶とほとんど変わっていなかった。
先程、駅近くのスーパーで買った食材を冷蔵庫に入れていく。今日は俺が作るよと徹は言っていたけれど、絶対途中からわたしに丸投げになる気がする。別にそれはそれで構わないけれど。

「ナマエちゃん、こっち」

最後の卵を冷蔵庫に入れ終わったと同時に徹がわたしを呼んだ。ちゃん付けでわたしを呼ぶときは、いつもと何かが違うときだ。それが何かは上手く説明はできない。
隣に座れとソファーをたしたしと叩く徹に従って、わたしも座った。

「スーツ着てるとあれだね。できる女っぽいね」
「…シワになったら嫌だから上着脱ぎたいんだけど」
「なになに、脱がせてほしいの?」
「そんなこと言ってない」

言葉とともにわたしのジャケットのボタンに伸びてくる手を制した。呆れ半分で徹を見やると、彼は小さく微笑んでわたしを見詰めている。咄嗟にわたしは視線をそらして俯いた。これは全てを見透かす目だ。人の弱いところ、卑しいところ、全部全部見透かす目だ。

「ねぇ、寂しかった?」

聞きながら、徹の手は再びわたしのジャケットのボタンに伸びてきた。

「寂しくなかったよ」

首を振って、そう言った。嘘だ。寂しい日もあった。あぁ、こんなときに近くにいてくれたらなと、思う日もあった。徹が突然わたしに会いに来てくれたあの日から、わたしは進歩をしていないようだ。相変わらず、可愛くなれない。
今日だって、会った瞬間から頭の中では徹から離れるまでのカウントダウンが始まっている。会うまではふわふわと浮かれていて、けれど会った瞬間そこから、少しずつ少しずつ悲しくなっていくのだ。なんて可愛くないのだろうか。会った瞬間から離れるときのことを考えてしまうなんて。会いたくて会いたくてやっと会えて、嬉しいはずなのに、そんなことを考えてしまう自分が嫌だ。

「ふーん」

頷きながら徹はわたしのジャケットのボタンをひとつふたつと外した。わたしはもう、彼を制さなかった。
すると彼は唐突に、耐えかねたのよう吹き出した。

「ふっ、ナマエってさ」
「なに」
「できる女っぽい格好しててもさ」

徹の手はボタンを離れて、ゆっくりとジャケットを脱がしにかかる。

「相変わらず中身は可愛いままだよね」

くすくすと笑いながらも慎重に、ジャケットからわたしの腕が抜き取られる。可愛くなれないわたしを、彼は可愛いという。そして、精一杯の強がりも容易く見透かされてしまう。わたしがひとりで勝手に寂しくなってることなんて、知らなくてもいいのに。

わたしのジャケットをハンガーにかけた徹が戻ってくる。今度は隣に座らずに、彼はわたしの前に立った。身体を屈めながら、ゆっくりと徹の手がわたしの肩を撫でて、背中へと降りていく。カットソー越しに彼の指先の熱が伝わって、細く息が漏れた。

「ナマエちゃん」

抱き寄せながら、彼はまたわたしをちゃん付けで呼ぶ。呼び捨てのときと何が違うかは、やっぱり上手く説明できない。


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