雨の匂いがする。そう思って視線を窓へと向ければ案の定、しとしとと雨が降っていた。雨は風が無いから真っ直ぐに落ちていく。

彼氏に振られた。付き合って丁度一ヶ月という、今日の日に。
目が覚めてすぐのこと。チカチカと点滅するスマートフォンの光に気付いてメッセージを確認すれば、そこには"別れよう"という味気ない文字。正直返事を返すことも面倒だったけれど、別れることを承諾していないように思われるのが嫌だったから、さようならと返しておいた。
向こうから告白してきて、向こうから振ってきた。噂によると、わたしのことを"思っていたのと違った"と言っていたそうだ。ご期待に添えず申し訳ありません。もともと気の進まない合コンで会った男だった。たった一日、それも数時間しか話していないわたしの何を知ったつもりになって、付き合おうと言ったのか。

電話帳から一回もこちらから掛けたことのなかった、男の番号を消去する。
そして、ある相手に電話を掛けた。出てくれるだろうか。

『もしもし』

あぁ、出た。

「岩泉、来て」
『は?』

淡々と告げると、彼は思った通りの反応をした。

『お前、彼氏いるだろ。他の男を部屋に呼ぶなよ』
「もういなくなったよ」

ねぇ、だから来て。もう一度そう言うと、岩泉はため息をついて電話を切った。あぁ、来てくれるんだなと思った。雨だから気を付けてと言いそびれた。じゃあ呼ぶなよと言われそうだけど。

わたしと同じく一人暮らしをしている岩泉とわたしの家は、徒歩五分。出迎えはしなくていい。合鍵を持っているから彼は勝手に入ってくるだろう。身体に巻き付いた布団を広げ直してから、わたしは目を閉じた。


「おい、呼びつけておいて寝てんじゃねぇよ」

あぁ、寝てしまっていた。岩泉が不機嫌そうに立ってこちらを見下ろしている。

「おはよ、岩泉…」
「何時だと思ってんだよ、まったく」

そういえば時計を見ていなかった。スマートフォンに表示された時刻は午前七時四十五分。電話越しの彼の声はまったく眠そうなものではなかったから、休日のこの時間にも既に起きていたのだ。さすが岩泉。

「ごめんね」

素直に謝ったわたしに、岩泉は脱力したように深いため息を吐いて、その場に腰を下ろした。未だに寝巻きのわたしと違って岩泉はちゃんとした私服だ。

「で、どうしたんだよ」
「彼氏にフラれた。思ってたのと違ったって」
「何回目だよ…」

呆れた声音で岩泉が言う。何回目だろうか。

「四回目…?」
「その度にお前に呼ばれてるからな。そんなもんだろ」
「度々すみません」

三回目に呼び出した時に合鍵を岩泉に渡した。一方的に。

岩泉から目を逸らして、寝返りをうつ。真っ直ぐ落ちていた雨がいつのまにか横殴りになっていた。そういえば岩泉の肩が少し濡れている。

「思ってたのと違ったって…わたしどんなのだったらいいんだろう」
「あ?知るかそんなこと」
「ですよねー…」

岩泉ならそう言うと思っていた。
一人目の男も二人目の男も三人目の男も、そして今回の男も全く同じことを言って去っていった。何を期待されて、何が期待に添えていなかったのかわからなかった。
否、ほんとは気付いていた。
そんな感じなのに、経験ないの?と言われた。そんな感じってどんな感じ。経験の無さから、そういう行為に後ろ向きになるわたしを男は一様に面倒くさがった。
そして言う。思っていたのと違った。

ギシリとベッドが軋んだ。顔だけそちらに向けると、岩泉がベッドに座ってこちらを見下ろしていた。

「そいつらが何を思ってんなこと言うのか知らねーけど」

言い終わるか終わらないかのうちに、ベッドに投げてあったわたしの右手を岩泉が掴む。そのままぐいっと引っ張られ、わたしの身体も起こされる。

「わっ、なに…」

訳も分からぬうちに腕の中に閉じ込められた。こんなの初めてだ。わたしが振られた数だけ呼び出した岩泉は、いつもわたしの話を淡々と聞いてくれるだけだった。こんな岩泉をわたしは知らない。

「俺は言わねぇ」

何をと聞くまでもなかった。

「……うん」

抱き締めるというより、わたしを胸に押し付けているようなこの感じが岩泉らしい。それでも、誰かにこんなに安心して身体を預けるのは初めてだった。

「そのままでいい」

岩泉のシャツを握る。背中に回されたままの岩泉の手が、不器用にとんとんとわたしをあやすから、涙が溢れた。


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