続々と出勤する人の波に負けないように、早足で歩く。

時刻は8時少し前。
8時15分が出勤時間とされているこの会社では、今の時間に出勤してくる人が一番多い。
人より身長の低いわたしは、早足で歩いても他の人達に抜かされていく。
それが何となく嫌で、パンツスーツにヒールを履いて大股で歩くのが朝の日課。

自分の部署のデスクに付き、パソコンを起動する。
パソコンが立ち上がるまでの間に、家からタンブラーに入れてきたほうじ茶をすする。これも朝の日課。
パソコンが立ち上がったら社内メールのチェック。
広報部であるわたしの元へは、主に企画開発部からの商品に関することが多く送られてくる。
その中に『先輩、聞いてください〜(;△;)』というあまりにも場違いなメールを見つける。
他部署にいる後輩からだった。
仕方なく開いてみると、『また振られちゃいました…。今度話聞いてくださいよぉ(T^T)』とある。

やれやれとため息をつく。
言いたいことは分かったが、社内メールでこんなこと送ってくるんじゃない。
携帯から彼女のアドレスに『今度の昼休みにね』と返事をする。

時計が8時15分を差したのを見て、わたしはメール画面を閉じ、朝礼の為立ち上がった。


「ナマエさん、悪いけど企画開発がこれ取りに来いって言うんだけど…いいかなぁ」

作業に没頭していると、上司がメモを手に申し訳なさそうに声をかけてきた。

「いいですよ、行ってきます」

キリのいいところで作業を止めて、わたしは企画開発部へ行くため席を立った。


「前が…」

階段を上りながらひとり呟く。
まさかこんなにあるとは思わなかった。
重たいわけではないのだが、積んだ箱が目の高さまできていてほとんど前が見えない状態だ。
低い身長が悔やまれる。

階段で躓かないように一歩一歩慎重に進んでいく。
ふと、箱の隙間から綺麗に磨かれた革靴が目に入る。
箱をずらして、その靴から視線を上にたどっていくと、仕立てのいいスーツに薄い水色のストライプのシャツに藍色のネクタイ。

階段の踊り場に立ってわたしを見下ろす彼は、

『元』わたしの後輩。
『現』企画開発部部長。

「箱が歩いてる」

フッと笑って言う彼を無視して、わたしはわざとカツカツと音を立てて残りの階段を上りきった。

気に入らない。

最初はわたしの後輩だったくせに、他部署に引き抜かれてあっという間に部長にまで上り詰めた彼が気に入らない。
会うたびにこうやっておちょくってくるのも気に入らない。
モテるくせに、浮いた話はいっさいないところもまた気に入らない。
社内メールを飛ばしてきた後輩も、かつてこの男に振られたことがあるはずだ。

「持ってあげようか?」

企画開発部にいなかったから、よしよしと思っていたのにまさかここで出会うとは。

「結構です……って、ちょっと何ですか」

横を通りすぎようとしたら、スッと前に立たれた。
積み上げた箱から余裕で整った顔が見えるのもまた腹が立つ。

「よそよそしい」
「はい?」
「おれに、対する、態度が、よそよそしい」

聞き取れなかったわけじゃないのに、もう一回言われた。

よそよそしいも何も部長と平社員だ。
それも他部署の部長と平社員。
確かに彼がわたしの後輩として広報部にいた時は、もっとくだけて話をしていたけど。

「そう、言われましても…」

口ごもるわたしの手から荷物を奪い取った彼は、ジッと視線を向けてくる。

「ナマエさんってさ」
「はい」
「変に真面目だよね、変に」
「はぁ…」

なぜ突然そんな言葉が出てくるのか全く理解できなくて、中途半端な受け答えになる。

「相変わらず、パソコンの前で毎日おんなじようにお茶飲んでるとことか」
「はぁ。……はい?」
「おれが昇進した瞬間敬語になるとことか」

そりゃあ部長だ。敬語にはなる。
それよりもお茶の方が気になった。まさか、見られているとは思わなかった。

「いっつもパソコンばっかり見て、おれが見てても全然気付かないし」

そう言って彼は唐突に歩き出した。
広報部とは全く違う方向に。

「えっ、あの…どちらへ?」

足の長さが違うため早足で追う。
すると彼は、今はほとんど倉庫のような状態になっている昔の資料室へと消えていった。
荷物は取られたままなので、仕方なくわたしも中へ入る。

「最近ずっと考えてるんだ」

荷物を近くの机に置くと、彼はくるりとこちらを向いた。

「どうやったら前みたいにナマエさんが普通に話してくれるか」

言葉とともに一歩近づいて来られて、思わず一歩後ろに下がる。
背中にドアが当たって動けなくなったわたしの横に、彼はそっと手を付いた。
端正な顔が間近に迫ってきたので慌てて俯くと、くすりと笑われた。

「上下関係があるから敬語になるんだったらさ、それ以外の関係を作ればいいんだって」

思ったんだけど。と俯くわたしの顎をすくった彼は、少し屈んで目を合わせてくる。

「ねえ、ナマエさん?」

小さく首を傾げながらゆっくりと言葉を紡ぐ彼に、 身体中が熱くなったわたしは、ただただまばたきを繰り返すしかなかった。


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