「話しとは、なんですか?」

仕事終わりのわたしをわざわざ出待ちしていたのだから余程のことだろうと、わたしは彼の部屋に入って開口一番、そう聞いた。

「まぁ、そうせかせかしなさんな」

彼はわたしを諌めるようにそう言うと、ゆったりと椅子に座って長い足を組んだ。火急の事態ではないのならと、わたしは緊張していた身体を解いて、彼の机の前に立つ。

「とりあえずさぁ、聞いてくんない?」
「はい」

いつも以上にダラっとした調子で、彼は頭の後ろで手を組んだ。先程会った時からなんとなく気がついていたが、本日の彼は気怠げで少し疲れているようにも見える。珍しいことだ。

「最近忙しくてね、あちらこちらへ連れて行かされてさ」
「はい」
「ちょいと疲れてるワケよ」
「はい」
「てことで#name1#ちゃんのこと、襲いたいんだけども、いい?」
「はあ?」

真面目に聞いていたが、あまりにおかしい流れに思わず間抜けな声が出た。大将相手に無礼だとは思うが、さすがにこれは許してほしい。

「ええと、疲れてるから?なんですって?」
「襲ってもいいかって」
「誰が、誰をです?」
「おれが、#name1#ちゃんを」
「…そんな冗談言う為にわざわざわたしを待っていたんですか?」

呆れながら言うと、彼はため息を吐きながらやれやれと被りを振る。わたしがおかしい奴みたいな雰囲気を出してこられるのは、かなり心外だ。本来ならわたしは今頃、自室に戻って身体を休めていたというのに。

「んなワケないでしょ」
「…疲れているなら、休めば良いのでは?」
「わかってないねぇ。可愛い女の子に癒やしてもらいたい夜だってあるでしょうが」
「それ、わたしである必要ありますか?」

"元"上司と部下。それがわたし達の関係だ。恋人ではないし、身体を重ねたこともなければ、そもそも彼に触れたことすらない。にも関わらず、そりゃもちろん、と彼はあっさり頷いた。
襲ってもいいかと言う割には、そんな空気はいっさい出してこない為、疲労で頭がおかしくなっただけなんじゃないかと、失礼ながら思ってしまう。

「けっこう前からファンよ」 
「それは…知りませんでした」
「ただねぇ、#name1#ちゃん真面目だから、おれの部下のうちはさすがに手を出すのやめとこうと思ってたワケ」
「はぁ…」

いちおう説明をしてくれているつもりなのだろうが、姿勢がダラけすぎていて、なんとも信じ難い話だ。椅子から崩れ落ちそうな格好でファンだと言われても、嬉しい女性はそういないのではないだろうか。

「あらら…残念。信じてないね」
「少々、急過ぎて」
「まー、ゆっくり進める訳にもいかなくなってね。ほら、もうすぐ、あれだ。行くんでしょ?」

手をひらひらさせながら彼が言う。行くってなんのことだと考えて、すぐに思い当たった。

「3日後の遠征のことですか?」
「そー、それそれ。」
「遠征と今までの話と何の関係が?」
「関係大ありよ。男と一緒に長期間出るんでしょ?勘弁してほしいよ、うちとしては」

今回の遠征では、同期の准将と任務にあたる予定で確かにその人は男性だ。普段はほぼ接点の無いわたしの任務の詳細まで、なぜこの人は把握しているのだろうか。しかも言い分は10代少女の嫉妬のようなそれだ。

「わたしは自分の船で行くんですよ。勿論、部下もいますし。別にその人と2人で航海するんじゃありません」
「何かあるかもしれないじゃないのよ」
「任務なんですってば。だいたい、別にわたしじゃなくても、他の女性に相手してもらえばいいじゃないですか」
「ノー、話聞いてた?#name1#ちゃんを襲いたいのよ、おれは」
「あー、そうですか…」

なんだかもういよいよ面倒くさくなってきて返事が適当になった。3日後に迫る遠征の準備もしなければならないし、わたしだって仕事を終えてそれなりに疲れている。この人の相手はここで終わりにしようと、机から一歩距離をとる。どうせ寝てすっきりすれば、こんなことは言い出さなくなるだろう。まともに付き合うだけ無駄な話だ。
そろそろ失礼しますね、と口を開く直前、彼は今までの気怠さが嘘のように、ぬっと動いて長い腕を伸ばしてわたしの左手を掴んだ。急な動きに驚いているわたしを、机に手をついて立ち上がった彼が見下ろす。立ち上がられると威圧感が出てきて、居心地が悪い。

「ちょっと、今帰ろうとしたでしょ」
「…しました」
「せっかくここまで聞いたんだから、最後まで聞いていきなさいよ」

わたしから手を離した彼は、机を回ってこちらへ来る。表情は先程までと特に変わらないが、纏う空気がじわじわと警戒すべきものに変わってきているような気がした。

「短期間で意識してもらうには、1番手っ取り早い方法だと思うのよね」

襲ってもいいかという彼の側をいつまでも離れなかったのは、わたしだ。なぜ、勝手に本気じゃないと決めつけてしまっていたのだろうか。この人はきっと、ずっと最初から。

「あらら…その顔。ようやく本気にしてくれた?」
 
扉までは遠い。指先が震えるのは恐怖からか緊張からか、よく分からなかった。
彼が上司だった期間は7年ほど。いったいいつから、この人はわたしのことをそんなふうに。

「さて、#name1#ちゃん。もう一回聞いてみるんだけど、襲ってもいい?」


back


ALICE+