遠い遠い東の国では、"夏風邪は馬鹿が引く"という言葉があるらしい。暑い夏に風邪を引く愚か者という意味もあれば、冬に引いた風邪を夏に気が付く愚鈍な者という意味もあるのだとか。どちらにせよいい意味ではない。
この人はどちらも当てはまりそうだなと思いながら、苦しそうに眠る彼を見やる。

コラソンの様子がおかしい。それを聞いたのは今朝、ベビー5とバッファローからだ。昨日の夕方から食事に出てこなかった上に、部屋に声を掛けてもいつもなら返ってくるノックの返事が全くなかったらしい。もしかしたら体調が悪いのではないかと、このファミリー戦闘員兼医師であるわたしの元へ来たと、そう言っていた。
コラソンの部屋に行き、ノックをするも案の定返事はなかった。開けるよと一言断って中に入ると、閉め切られた部屋は物凄く暑くて空気も悪かった。ベッドに寝転がる彼を見ると、触れるまでもなく熱があるのがすぐに分かった。それも随分高そうな。

部屋の換気をし、医務室から必要なものを取ってきて、冷たく絞った布を彼の額に乗せたところで現在に至る。
汗に濡れた服を着替えさせて、薬も飲ませたいが果たして自分にこの大男を起き上がらせることができるだろうか。
そう思っていると、小さく唸り声を漏らした彼の目がゆっくりと開いた。あぁ、良かったと思いながら、わたしはその瞳を覗き込む。

「コラソン、わかる?」

小さく頷く。そのしぐさがなんだか子どもみたいに感じた。

「夏風邪ね。どうせいつまでも夜風に当たってたんでしょ」

ばつが悪そうに目を逸らされた。そんなところだろうとは思った。バルコニーで長時間タバコをふかす彼の姿はよく見かけるから。日中はまだまだ暑い今の季節だが、夜の風は少しずつ涼しくなってきている。

「これ、汗拭いて上着替えてね」

絞った布と、勝手に引っ張り出したコラソンのシャツを渡して後ろを向く。見つめていたらやりにくいだろうし、何よりわたしが目のやり場に困るからだ。
ほどなくして、トントンと肩を叩かれる。着替え終わったらしい。

「じゃあ、これ食べて薬飲んでね。わたし、水替えてくるから」

ゼリーと薬、それからベッドサイドのテーブルに丁度よく冷めたであろう白湯を置く。薬を見て、コラソンは一瞬嫌そうな顔をしたけれど、もう一度「飲んでね」と念を押すと素直に頷いた。

厨房でぬるくなった洗面器の中身を捨てる。暑いからか水道からの水もどことなくぬるい。新たに水を入れて、先程は慌てていて忘れてしまった氷も入れる。
今日は随分静かだ。若様も幹部達も、皆どこかへ出掛けてしまったのだろうか。
窓から見える瓦礫の山。ここは草木がないぶん余計に暑さを感じてしまうが、今日は適度な風があり、ここ数日のうちでは幾分か過ごしやすい。

部屋に戻ると、丁度薬を飲んだところだったのか、ベッドに座ったコラソンが顔をしかめていた。だから何でそんな子どもっぽいのと口元が緩んでしまう。道行く人が思わず後退りするほどの大男のくせに。
布を持ってきたばかりの氷水に浸す。氷がカラリと音を立てた。

「はい、乗せるよ」

横になった彼の額に冷たい布を戻すと、彼はふぅと小さく息を吐いたあと、ありがとうと唇を動かす。最初よりも幾分か顔色が良くなったようだ。

「どういたしまして。他に何かしてほしいことある?」

そう言うと、少し考えたコラソンは、おもむろにわたしのシャツの裾をちょんちょんと引っ張った。

「ん?」

首を傾げると、彼は自分の掌をわたしに見せる。あぁ、なるほどとわたしは、右の掌を彼の方に差し出した。湿った大きな指が、わたしの掌にゆっくりと文字をなぞる。くすぐったくて少し手が震えた。

『いっしょにねてほしい』

一緒に寝てほしい。そうきたか。
何をしてほしいか自分から聞いた手前、そういうのは無しでとは言えなかった。決して嫌ではない。恥ずかしいだけで。
じーっとわたしを見つめてくるコラソンに、わたしはしぶしぶ靴を脱ぐ。すると、さぁおいでと言わんばかりに両手を広げられた。余計に行きにくくなるからやめてほしい。
ベッドはほぼコラソンが占領しているので、半ば彼に乗っかるような形になりながら寝転がる。すぐにコラソンの腕が回って優しく抱き締められた。

「どしたの、今日は」

羞恥を隠すようにぶっきらぼうに言うと、コラソンの身体が小さく揺れた。笑われている。

「わたしに風邪が移ったらどうするの」

若干睨むようにコラソンを見上げたら、目を逸らされて口笛を吹く真似をされる。まったく、この人は。

やがてコラソンの呼吸がすやすやと一定になる。窓から入ってきた緩やかな風に、彼の金髪が小さく揺れた。
全身を包む彼の体温は熱い。けれどなんだかその熱さとか、とくりとくりと刻む心音とか、未だわたしを包むゆるく回された腕とかなんだか全部いとおしくて、わたしはそのまま目を閉じた。


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