センゴク元帥から急に告げられた任務の内容は、何一つ難しいものではなく、そこらの支部に任せておけば良いようなものだった為、わたしは戸惑った。仮にも本部の准将の地位にある自分が出向く理由があるのだろうかと。しかし、その考えは元帥の次の言葉によって頭から消え去ってしまった。

あいつと会ってこい。元帥ははっきりとそう言った。

誰とですかなどと間の抜けた質問は浮かんでくるはずもなかった。わたしが会いたい人なんてひとりしかいないし、その彼の居場所を知っているのはここでは元帥だけだ。
彼がファミリーの単独任務の最中であることは知っている。本部の近くまで彼が来ることなんて、そう何度もないだろうから会ってこいと元帥は言った。
告げられたこの任務は、わたしが彼に会いに行く為の口実というわけだったのだ。でもあまり期待はするなよ、と元帥は続けた。彼には場所だけ教えてあって、無理して来る必要はないと言ってあるらしい。わたしがそこに行くのも知らせていないと。
わたしは頷いた。彼の長い長い任務の妨げになることだけは、死んでも御免だから。


指定した時間は誰もが寝静まった真夜中。それも場所は人里離れた森の中。ここを選んだのはわたしだ。
かつて海軍としてまだまだ未熟だった頃、わたしと彼はここに来たことがある。任務を終えたのはいいものの、情けなくも道に迷った時のこと。鬱蒼とした木々の中、急に開けたと思ったらそこには透きとおる泉。水面に映る月があまりにも美しくて、彼とふたり言葉もなく見つめていたのを覚えている。

泉の側に座る。生憎今日は厚い雲に覆われている為、水面に月は見えない。りりりと虫の声が聞こえる以外は何も音のない静かな静かなこの夜に、わたしは来るか来ないか分からぬ彼を待っている。
小さく風が吹いて、降ろしたままの髪の毛先が踊った。彼と共に立派な海軍将校になる、と修行に励んでいた頃は短かったこの髪も随分伸びた。膝を抱え込んで座り直したわたしは、そのまま顔を埋めて目を閉じる。虫の声がより大きく拾えるような、そんな気がした。

どれくらいそうしていたのだろうか。ふと目を開けたときに、足元が少し明るくて顔を上げたら、雲に覆われていたはずの月がそこにあった。

トンと背中に小さな衝撃。

「びっ…くりした」

首を回して後ろを見ると、わたしよりもずっとずっと大きな背中があった。

「いつぶりだろうな…」

息ともに吐き出したような低い声。もうその声を聞くだけで苦しくなった。

「伏せてるから泣いてんのかと思った」

泣きたくなったのは今まさにこの瞬間だったが、わたしは堪えた。泣いてないよと言いたかったけれど、話したら堪えきれなくなりそうだったから、首を振るだけにした。背中合わせの彼に、伝わったかどうかわからないが。

「センゴクさんにこの場所に来いと言われたとき、お前が来るんだってすぐに分かったよ」

背中越しに、彼が笑ったのが分かった。あぁ、ここを覚えてくれていたのかと嬉しくなる。

「ねぇ、何で背中合わせなの」

嫌なわけじゃない。むしろ、顔を見たら本当に泣いてしまうだろうからこの方が有り難い。でもどうしてこうなのか気になった。

「ナマエが拗ねて伏せてる時は、こうするのが常だっただろ?」
「…そう、だったね」

今でこそ無いが、昔はチビだ女だと周りの者から馬鹿にされることが度々あった。腹が立って、自分より身体の大きな男達と乱闘騒ぎになったことなど一度や二度ではない。元帥にもいつも怒られていた。
不貞腐れて、屋根の上に座って睨むように海を見ていたわたしの背中には、いつもこの人がいた。馬鹿にされた旨をぼそぼそと喋るわたしの言葉を、いつも聞いてくれていた。

「でも別に今は拗ねてない」
「ほー、じゃあこっち向け」

背中が揺れる。また彼が笑った。
何でそんなに余裕そうなのか。こっちは油断したら声が震えて、涙が溢れそうだというのに。夜が明ける前には、離れなければならないというのに。離れてしまえば、次はもういつ会えるのかわからないというのに。もしかしたら、もう次はないかもしれないというのに。

「ロシ、ナンテ…」

水面に踊る月を見ながら名前を呼べば、いよいよ情けないほど声が震えた。
もうだめだ、止まらない。

背中の温かさが消えた。くるりと身体を回されて、目の前には焦がれに焦がれた人がいる。

「朝なんて…こなけりゃいいのにな…」

苦しそうに、切なそうに細められた目。余裕があるなんて、そんなことない。堪らずわたしは彼の胸にすがり付いた。あぁ、どうか、誰か。

「うん……もうずっと、夜でいいよ」

このまま時が止まってしまえばいいのにと、思った。


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