エンゼルフィッシュは知らない
「ナマエはキャプテンの恋人なの?」「え?…え?」
聞こえたワードがあまりに唐突で、慌ててはためく洗濯物から顔を出してベポの方を向く。
「ち、違う!」
「あれ、そうなの?」
恐らく何気なく口にした疑問なのだろうけれど、つい力んで否定してしまった。聞いてきたベポ本人は至ってのんびりと、そっかそっかぁと頷いている。焦った返事をしたのがなんだか恥ずかしくなって、わたしはすぐに洗濯物の陰に引っ込んだ。この洗濯物達も早く取り込んでしまわないと、気まぐれな"キャプテン"がいつ海に潜ると言い出すか分からない。
この船、もといこの潜水艦に乗り込んでからそろそろ一ヶ月になるだろうか。ローはクルーに簡単にわたしを紹介したきり、あとは好きに過ごせとそう言った。言われたわたしは炊事、洗濯、掃除、島に上陸してからの買い出し等、できることから手を出した。始めのうち、クルーは戸惑っていたけれど、今ではこれお願いと逆に頼まれるようになった。
そしてこの一ヶ月、目立った戦闘はなかったが、もし海賊や海軍と戦うようなことがあればその場にも出るつもりでいる。あまり戦力にはならないのは承知の上でだ。いくらドンキホーテファミリーで幼少期を過ごしたとはいえ、もう十数年もの間一般人をしてきたのだ。鍛え抜かれた戦闘員達と肩を並べるには遠い場所にいる。けれど幼少期に、戦闘の基礎として、銃の撃ち方は教えられているから、せめて援護くらいは思って練習しているところだ。好きに過ごせというのだから、とことん好きに過ごさせてもらうつもりでいる。
「でもキャプテンが"おれの女"って言ってたよ?」
「…え?」
風が吹いて、洗濯物がはためく。あのローがそんなことを言うなんて全く想像がつかない。
「それ、本当?」
「うん。言ってたよ」
こくりとベポが頷いた。この心優しい彼はきっと嘘なんて付かないだろう。どういう経緯でその台詞を言うに至ったのか聞きたいようで聞きたくない。たぶんこう、女の子がときめくような感じでは言ってないと思う。彼のことだから。
「おれの女だから少々のことじゃ死なないよって」
「…あ、そう」
予想通りだった。だいたいおれの女も何も、連れてこられたあの日以降、わざわざわたしの為にと部屋を別に用意され、ほとんど一緒に過ごしていないのだ。
人はどうなったら恋人同士になれるのだろうか。海賊は恋人を持っても良いものなのだろうか。そもそも恋人ではないわたしは、じゃあいったい何者なのだろうか。島から連れ出された時は泣くほど嬉しかったのに、時々、ここにいろとそう言ってくれたのは幻だったのではないかと思ってしまう時がある。
また風が吹く。はためいていた洗濯物は全て取り込んだ。クルー全員分の洗濯物が入った篭はそれなりに重いけれど、みんなのお揃いのツナギが綺麗になるのは嬉しいことだ。いつも通りベポに運ぶのを手伝ってもらおうと振り返った。
「終わったなら入れ。直に潜る」
篭持つよ、と手を差し出してくれる心優しい白熊はそこには居なかった。
「…ベポは?」
「潜水の準備に行った」
言いながら我らが"キャプテン"が近付いてくる。彼の方からこんなふうにコンタクトをとってくるのは、稀だ。
そして近付いておもむろに手を差し出してくる。稀なこと過ぎて慣れてないわたしは、訳もわからぬうちに反射で一歩下がりかけた。しかしそれよりも早く、抱えていた洗濯物の篭をさらわれてしまう。
「…珍しいね」
感謝の言葉よりも先にそう言ってしまったのは、ローと洗濯物というこの状況があまりにも不釣り合いなのと、先程までのひねくれた思考のせいだ。わたしがよいしょと抱え上げていたそれを軽々持って歩くローが、そんなわたしの言葉に振り返る。
「たまには"おれの女"の手伝いくらい、してやるよ」
いったいいつからわたしとベポの会話を聞いていたのか、そんなことを言いながらにやりと笑う。恥ずかしいような悔しいような、そんな気持ちを抱きながらもとりあえず呟いたありがとうは、風に乗ってローのもとにまで届いただろうか。