ダイアモンドは砂を生む
彼は大人びた子どもに見えていた。時折、何かを悟っているかのような、そんな顔を見せていたから。彼より後にドンキホーテファミリーに連れてこられたわたしは、彼の過去を彼の口から直接聞いたことはなかった。ファミリーから連れ出してもらう前日に、コラさんの口から聞いたのだ。『病気、治って良かったねぇ』
彼と再会した時に発した言葉は、大きな息とともに漏れ出たものだった。わたしの心からの言葉だった。コラさんの死に泣いたのは勿論だが、彼の病気が治り、目の前に立ってくれていることにも泣いた。あの日は涙が止まらなかった。彼が珍しく困った顔をしていたのを、今でもよく覚えている。
「寒いか」
肩のあたりがひんやりとして、身体を縮めていると、ぽつりと声が落ちてきて顔を上げる。薄暗い視界に、こちらを見詰める彼が映る。
「うん、ちょっと」
素直に言うと、ローは手を伸ばして足の方で落ちかけているブランケットを手繰り寄せて、わたしにだけ掛けた。ローは?と視線を向けると、彼は小さく首を振る。考えてみたら彼はシャツを着ているが、自分はキャミソールのみだ。ブランケットより、服をお願いすれば良かったと少し後悔した。彼より肌が出ている今のこの状態は恥ずかしい。
昨夜、彼がシャワーに出て戻ってきて、少し話してからお互いベッドに潜り込んだ。診療所にいる間も、船に乗り込んでからも、一度もわたしに触れることのなかった彼は、ゆっくりとわたしを抱いた。最中、ほとんど喋らなかった彼が一度だけ熱のこもった声でわたしの名前を呼んだから、泣きたかった。これから何があってもこの手は離すまいと、彼の手を強く握ったのだ。
改めて思い返すととても恥ずかしい。身体が熱くなってきたような気がして、ローと少し距離をとろうと身を捩る。
「落ちるぞ」
決して広くはない潜水艦の中の決して広くはないローの部屋。ベッドの大きさだってそれは同じだ。ごく自然に引き寄せられ、硬直する。まだ早朝なのか、薄暗いのが救いだ。ブランケットもいらないくらい、顔も身体も火照ってしまっている。
ふいに、クッとローが笑った。あぁ、なんともうらめしい。今のは分かっていてわざと引き寄せたのだ。
「落ちてもいい。離して」
「落ちたら下に響く。却下だ」
「……お願いだから」
ふりしぼるように言うと、ローは仕方なそうにわたしを解放した。もぞもぞと距離をとる。離してもらえたのなら次はTシャツとロングスカートが欲しい。風呂上がりに船員(クルー)と会っても大丈夫なように、普段着を寝間着としているそれらは、恐らくベッドの下にあるはずだが、着るためにはここから出なければならない。
「ねぇ、ちょっと」
「なんだ」
「後ろ向いてて」
「……」
何を今さらと言いたげな視線にめげずに、わたしはもう一度「後ろ向いてて」と言った。やれやれと壁側を向くローを視界におさめて、素早くベッドから降りて服を着た。よし、と振り返るよりも先に、腰に腕を回されてわたしはベッドに弾みながら倒れ込んだ。急すぎて悲鳴も出なかった。
「ちょっと…!」
「まだ4時だ。もう少し寝ろ」
この男、絶対途中でこっちを見ていただろうと思いつつも、早朝な為大きな声で騒ぐわけにもいかず、黙って目を閉じる。背中に添えられた大きな手が、あまりにも心地よかったのも悪い。
「ナマエがいないよー!」
微睡みの中、何度もベポがわたしを呼ぶ夢をみていたら、本当にそうだった。時計はどこだっただろうかと、見回していると「8時過ぎだ」とローがはっきりした声で言う。彼は隣で座っていた。いったい何時から起きていたのだろうか。
「て、え、8時?」
ローとは違ってまだ覚醒半ばのわたしは、思わず聞き返した。いつもならその2時間前には起きて、朝食の手伝いをしている。ベポが探すはずだ。
「夜は潜水してたんだから、海には落ちてねぇよ」
「人攫いか?」
「いや、それこそどうやって!」
ベポ以外の声も足音もたくさん聞こえてきて、罪悪感に潰されそうになる。海にも落ちてなければ、人攫いにもあっていない。いつもと違う場所で寝て、寝坊しただけの話だ。
「起こしてよ…」
「俺もさっき起きた」
しれっと返すローに、「あぁ、そう」としか言えなかった。せめて船員に説明してくれればいいのに。ここから出てなんと説明すればいいのだろう。前日に夜這いがどうとかこうとかなんて、そんな話をしていた気がするから余計言いづらい。
ブランケットを畳んで、服装を正してからドアノブに手をかける。いつまでも探させるわけにはいかない。なるようになってしまえと、ノブを回す前に反対の手を掴まれた。そのまま引かれて思わずよろけると、腰を支えられ軽くキスをされる。いつも急過ぎるのだ。抗議の声も出ない。
「後から来い」
上手くバランスのとれないわたしをきちんと立たせてから、ローはさっさと出て行ってしまう。いちいちしたり顔なのが腹が立つ。いや、彼はだいたいああいう表情だったかもしれない。
「うん」
ドアが閉まる直前に出た返事は、随分と間抜けなものだった。外では、ローが何か言ったのか、歓喜の声が聞こえる。
「そうか、さすがナマエだな!」
「ナマエはやると思ってた!」
「もしかして"よばい"ってやつ?」
「いやいや、ナマエよりむしろキャプテンが…」
思った通り夜這いの話をされている。もっとちゃんと説明してくれればいいのにと思いつつ、いやそれは困ると一人でかぶりを振る。あぁ、朝から平和だ。ものすごく。
外からはまだ楽しそうな声が聞こえてくる。今日は晴れているのだろう。丸窓から陽が射し込んでいる。きっとコラさんも空で笑っているはずだ。
−END−