Complete
「ナマエさん、総長にお姫様抱っこしてもらったって本当?」
「は、」
一心不乱に銃を手入れしていたかと思えば、アスカは唐突にそう言いながら顔を上げた。
「…ごめんなさい、もう一度」
「だから、お姫様抱っこ。してもらったの?」
わたしからライフルの説明を受けている時と同じような顔で、彼女は問うた。当然のようにそんなことを口にできるなんて、若さというものは恐ろしい。
「運んで頂いたのは、まぁ、事実です」
「うわぁ!いいないいなー!」
手入れの為に固定してあるライフルの前で、彼女は跳び跳ねた。固定台を乗せている今は使用されてない古い作戦机がガタガタと揺れる。銃クリーン用の薬品が倒れないよう、わたしはそれらを持ち上げた。
「お願いですから暴れないでください。貴女の銃が落ちます」
「あはは、ごめんなさい」
わたしが怪我をしたあの任務の帰りに立ち寄った島で、アスカに合いそうなライフルを買った。自分のライフルも購入したが、倍以上の時間をかけてアスカのを選んだのだ。ライフルが落ちて、変なところに薬品が入り込んだとしたらあっという間に再起不能となる。それはやめてもらいたい。
「でもいいなー。どんなだった?」
「どんなも何も…、それどころではなかったので」
ストック(銃床)部分に薬品が散らないようにかけた布が落ちそうになっていたので、それを元に戻す。手入れの手が完全に止まってしまったアスカの代わりに、パッチを薬品に浸そうと手を伸ばした。
「いい匂いとかした?」
「…にお、い」
ピンセットに挟んだパッチがぽとりと机に落ちる。丁度いい風が吹いて、そのまま飛んでいってしまった。一旦目を閉じてから気持ちを落ち着けようと深呼吸をする。でないと若い力に、いろいろ持っていかれそうだ。その間もアスカは律儀にわたしの答えを待っていた。
「血の臭いがしてました」
「えええぇー。ナマエさんムードない。ひどい」
「…それどころではなかったので、本当に」
雨をかぶって血と泥にまみれた時点でムードも何もない。彼の上着も自分の血で汚してしまった。
「アスカ、わたしけっこう大変な思いをしたんですよ、あの日」
「分かってるけど、あたしはもっとロマンスっぽいのが生まれて欲しかった」
「ただの願望ですよね、それ」
年頃の女の子にとって、こういう話題は大好物なのだろう。期待に添えなくて悪いが、わたしは追い討ちをかけにいった。
「暗い森の中で、雨で、血まみれで、わたしはお姫様でなく、元軍人です。ここからどうロマンスが生まれるっていうんですか」
「何言ってるのナマエさん。ロマンスなんてそういうとこから生まれるものなんだよ」
当然と言わんばかりの冷静な切り返しに何一つ言い返せず、ピンセットを持ったまま黙るしかない。完全に返り討ちにされた気分だった。
総長達の船が着いたと聞いたのは、辺りがすっかり夜に覆われてしまった後だった。知らせを受けて彼の部屋の近くまで来たはいいが、考えてみればもう遅いから、帰ってそのまま休んでいるかもしれない。日を改めようと踵を返した時、こちらに近づく誰かの足音が聞こえてその場に立ち止まった。
「あ、丁度良かった。ナマエ」
「総長…」
任務帰りでも軽やかに靴音を響かせながら歩いてきた総長は、そのまま歩みを止めずにわたしに向かって小さく手招きをした。
「遅いから明日にしようかと思ってたんだけど、ちょっとおいで」
「え、あ、はい」
伝えに来たことを言い出す間もなく、わたしは先を行く彼に早足でついていった。颯爽と進む後姿を見るのは、彼がわたしの名を呼んだあの時以来だ。やがて立ち止まった彼は、自室の扉を開けてわたしに入るよう促した。
「どうぞ」
「失礼します」
わたしが中に入ると、彼は扉を閉めて帽子を取った。その姿を見て、助けてもらった夜を思い出す。帽子がある時と無い時とでは、やはり少し雰囲気が変わって見える。
「座る?」
上着をかけながら、彼はデスクのイスに目を向けて言った。この部屋にイスはそれひとつだ。大丈夫ですと告げると、上着をかけ終えた彼は窺うようにこちらを見詰めた。
「怪我はもういいのか?」
「もう大丈夫です。さすがにまだ撃ってはいませんが」
日常生活には全く支障がないし、明日くらいからアスカとの組手も再開する予定だ。それもこれも、この人のおかげなのだ。言いたいことがこれ以上後回しになってしまう前に、わたしは総長に深く頭を下げた。
「あの時は本当に、ありがとうございました」
「どういたしまして。久しぶりに会えたと思ったら、あんなだったから驚いたよ」
苦笑いする彼の言う通りだ。申し訳なくて小さくすみませんと呟くと、彼はいいんだと、なお笑いながら緩やかに首を振った。血まみれの再会だなんて、わたしだって逆の立場ならそれなりに驚いていたと思う。彼はそのままわたしに一歩近づくと、表情を真剣なものに変えて少し言いにくそうに切り出した。
「…聞くつもりはなかったんだけど、あの夜、ナマエは気を失っている時に、誰かのことを呼んでいたんだ」
「え…」
「森から抜けて船に乗った時。はっきりとは聞き取れなかったけど、たぶん家族のことを呼んでいたんだと思う」
かぞく、と呟いた声はあまりにも小さくて、目の前の総長まで届かなかったかもしれない。俯いたわたしに合わせるかのように、総長は少し屈んで話を続けた。
「ナマエの故郷のあの国には、つい最近まで革命軍が復興の手助けとして在留していた」
初めて知ったことだった。ここに入ってからは、無駄な疑いを避ける為、故郷のことも家族のことも一切興味を持とうとしなかった。新しい場所である程度の自分の位置を、早く確立しておきたかったのだ。
「そいつらならナマエの家族のこと、何か知っているかもしれない」
うわごとで、わたしは誰のことを呼んでいたのだろうか。母か、兄か。呼んでわたしは、いったい何を伝えたかったのだろうか。
俯いたまま視線をさ迷わせて返す言葉を探していると、肩に総長の手が乗った。顔を上げると目と目が合って、彼は表情を和らげた。
「家族に思いを馳せることは、悪いことじゃないさ」
例え家族が許されぬ罪を犯していようと、という見えない言葉をそこに感じて、わたしは思わず息をのんだ。抱えていたものが今落ちたような、頭の中が晴れていくような気がして瞬いていると、彼はわたしの肩から手を離して悪戯っぽく言った。
「さすがに、革命軍捨てて家族を探しに行くって言われたら止めるけどな」
残虐無道の家族と、わたしを閉じ込める檻でしかなかった国。革命軍の船に乗った時に、捨ててきたつもりだった。けれど、忘れることはなかった。
会いたいとは思わない。帰りたいとも思わない。彼らの罪は深く、それが覆ることはないのだ。けれど、そんな彼らも今のわたしを構成する一部であり、それは未来永劫変わらない。
「ありがとうございます、総長」
もう一度、彼に深く頭を下げた。
彼らにはどこかで生きていてほしいと思った。わたしと二度と交わることがなくとも、紺碧のこの海の上で繋がっていられるのならば、きっとそれでいい。
「もう誰もナマエが裏切るなんて思ってねぇよ」
窓の外を見詰めながら彼はそっと囁く。その言葉が嬉しいのに、上手くそれを表現することができない自分がもどかしい。
「わたし……ずっとここで、忠義を尽くします」
初めてあの通路で話した時にはなかった気持ちが、今はある。自由へ手を伸ばし続けるこの組織と、この人と、共に進み続けていこうと思った。
Cosmic Navy
−END−