「これは君の家の家政婦から預かってきたものだ」
彼女はポケットからハンカチを取り出した。折り畳まれたその中にあったネックレスには、確かに見覚えがある。
「帰還してすぐに渡そうと思っていたけれど、すれ違いが多くてね」
「ありがとうございます」
受け取って、それを眺める。成人の祝いに母から貰ったものだった。渡されたお金を持って、家政婦がこれを買いに行っていたことは知っているが、それでも母からの唯一の贈り物であった。箱も無くむき出しのままのネックレスを、母がわたしの掌に落とした時は、驚きですぐにお礼の言葉が出なかった。
「もしまた何かあったら、聞いてくれ」
「はい。お世話になりました」
去っていく彼女に頭を下げる。彼女は復興の手助けの為、わたしの故郷に在留していたメンバーの内のひとりだ。確定した情報ではないが、と前置きした上で彼女はわたしの家族のその後について語ってくれた。
小舟に乗せられて海をさ迷っていた家族は、通りかかった富豪の船に拾われたらしい。その後、その富豪の家で使用人をしているのではないか、と彼女は推測していた。富豪の家はわたしの故郷から一番近い島にあるそうで、わたしの家族らしき人物がいたと部下から報告があったらしい。それがもう今から数ヶ月前のことだ。
とりあえず、生きている可能性が高いということがわかったからそれでいい。もし、使用人になってでも、生きようと足掻いたのだとしたら、彼らの中に大きな変化があったことになる。時がたてば、立場が変われば、中身も変わっていけるのだ。それは今のわたしとて同じである。
ネックレスのトップには、ひし形にカットされた淡い緑の宝石があしらわれている。装飾品には非常に疎い為、この宝石の名は分からない。見るのも随分久しぶりだ。軍服には合わせられない為、デスクの引き出しに仕舞い込んだたまま、国を出てしまったのだ。
忘れないで欲しいと、家政婦の彼女は思ったのかもしれない。黒やら深緑やらに覆われた今の格好にも合わないのは承知の上で、身に付けることに決めた。

入ってきた時は数人が在室していた資料室には気がつけば誰も居なくなっていて、聞こえる音といえばわたしが新聞を捲るそれだけだった。腕時計を覗いてから、示されている時刻に驚いた。わたしは随分長い間熱中してしまったらしい。
新聞が読みたいのだとカイトに頼むと、資料室に過去の物がまとめられていると教えてくれた。鎖国国家で育った為、わたしは世界情勢からその他諸々に至るまで非常に知識が乏しい。遅まきながらそれらを学ぼうと、とりあえず過去の新聞から手を出すことに決めたのだ。
「ナマエ」
机に広げた新聞をまとめていると、背後から声がかかった。呼ばれるまでこちらに気配を気付かせないのは、さすがだ。今さらながら、彼は相当強いと思う。
「お疲れ様です、総長」
「うわ、すごい量だなこれ」
机の上とわたしの両側に山積みになっている新聞を見て、総長は首をすくめた。とりあえずと持ち出したダンボール三箱ぶんの新聞は、今手元にあるものを除いて全て読んでしまった。窓から見える景色は随分暗い。
「わたしには、知らないことがたくさんありますから」
知識が無くて誰かに迷惑をかけたり、誰かを助けられなかったり、そんなふうにはなりたくない。
「真面目だなぁ」
「……皆の手を煩わせるようなことは、もうしたくありませんので」
少し前に撃たれた右腕。傷は既に完治しており射撃も問題ないが、痕を見るたびにあの時のことを思い出して後悔する。自分の動き次第で、もっと違う結果にできたことだったのだ。
「真面目だなぁ」
総長はもう一度そう言った。一度目と違って、声が笑っている。机の横に立つ彼に顔を上げると、総長は新聞記事に目を落としていた。慌てる必要はないのに、なんとなく彼からすぐに目をそらしてして、無意味に記事を見詰めてしまう。
「別に何回だって皆助けてくれるさ」
彼が新聞記事から顔を上げるのと、わたしが彼の言葉に顔を上げるのとが重なって、目と目が合った。また慌てる必要はないのに、慌てて目を窓の外へとそらしながら返すべき言葉を探していると、総長は何かに気づいたようにわたしの首元を指差した。
「ナマエ、それ」
「え、あ、これはわたしのところの家政婦が、在留のメンバーに渡してくれていたようで…。以前、母がわたしに贈ってくれたものです」
開けたシャツの隙間から覗くそれを指ですくう。華奢なチェーンに慣れず、まだなんだか首元が落ち着かない。彼は、そうかとひとつ頷いた。
「聞いてみたんだ。家族のこと」
「はい。とりあえず、生きてはいるようです」
ありがとうございました、と今一度頭を下げた。この人の言葉のおかげで、わたしは過去に対する考え方を変えることができたのだ。
「どういたしまして。……他人のことなのに、突っ込み過ぎたって思ってたから、今のナマエを見て安心したよ」
彼の考えを初めて聞かされて驚いた。そんなことまで思ってくれていたのだ。わたしの家族のことなんて、おそらく書面の上でしか見たことがないこの人が。
「似合ってるよ、それ」
去り際に、今までに男性に言われたこともないような言葉をさらりとわたしに投下して、彼は行ってしまった。いつも唐突にいろんな言葉をわたしに落としていく総長に、わたしは言葉を探してしまう。そうして探しても、結局いつも何も選べず終わってしまうのだ。
彼はこの資料室で、何の資料も見ることなく出て行ってしまった。もし、わたしと話す為だけに、ここに寄ってくれたのだとしたら、わたしは彼に何と言えばいいのだろうか。ありがとうだけでは、そろそろ足りない気がする。